万引きは犯罪ですか?
とりあえず書いてみました。
新シリーズではないのであしからず。
薄暗く、埃臭い、
石壁に並べられた見上げるほどの高さもある本棚の林を抜けた先、
収まりきらなくなった蔵書が所狭しと積まれたその一角、
冒険者たちが書籍を手に取りながら、興奮を隠しきれない様子でひそひそと囁きあっている。
「なあ……これ《忍び足》の指南書じゃね?」
「見て見て、うちが前から欲しかった《浮遊》の魔道書なんですけど」
「何と、僕らが攻略してる最中の地図まで売ってるよ。隠し扉まで網羅してる。……大したもんだね」
各々がお気に入りの一冊を見つけたらしい。
今回は地下迷宮の第七階層――彼らのように駆け出しを卒業し、中堅に差し掛かった辺りの冒険者がたむろする領域であることを考慮して仕入れを行っていた。
少し背伸びすれば読破できそうな指南書や魔導書や教典を、目の付き易そうな場所に並べた成果は確かにあった。
これだから商売は止められない。
「……でもさあ胡散臭くない?」
「何がだよ」
「なんだって、こんな地下迷宮に本屋さんがあるわけ?」
「言われてみればそうだよな」
初めてここにきた連中は口々に同じことを言う。
まさか地下迷宮なんかで、ましてや魔物が巣喰い、罠がひしめく危険領域で、商売しているなんて常識的に考えればありえない。
まあかくいう僕もこんな場所で商売するなんて夢にも思っていなかった。
「多分、ここ神出鬼没の商店だね」
「何だっけそれ?」
「酒場で聞いた事ない? 有名な噂話なんだけど?」
「あるようなないような」
「おらぁ聞いたことあるけどよ、てっきり法螺話だと思ってたわ」
そう。ここは巷で言われている神出鬼没の店――蝋燭堂書店。
どこにあるかも定かじゃない。
一箇所に留まることもない。
でももし見つけることのできた冒険者は己の幸運を喜ぶだろう。
何故ならその店に並ぶのは希少価値の高いものばかりだからだ。地上では手に入らない。
ましてや地下迷宮を探索しようとも容易に手にする事の出来ない珍品名品。
「それで、これらの本だけどどうしようか?」
リーダー格の青年が仲間たちに問う。
「欲しい。是非とも買おうよ」
「でもよお金がねえだろ?」
「あ、そうだった。この前、装備買い換えたばっかりでスカンピンじゃんか」
「でもここで逃したら次また来れる保証はないよね。何せ神出鬼没って呼ばれてるくらいだもの」
その通り。
店を出たら最後、君らがもう一度立ち寄れる可能性はとてもとても低い。
何故ならこの店はとても気紛れだ。
そして扉を閉じたら最後、どこか別の階層の別の場所へと移転してしまう。
だからさあさあ遠慮するな冒険者諸君。
何なら相談乗ろうじゃないか。無論、金がないなら物々交換でも構わない。
店の利益になるのであればどういう形であれ支払いに応じよう。
僕はそんなことを念じながら、取引台で彼らがやってくるのを待っていた。
こっちも生活がかかっている。是が非でもお金を落として貰いたいのだ。
「だからこうしてみるのはどうだろう」
リーダー格の青年が、更に声を潜め言った。
何かを思いついたらしい。その口元にはいびつに歪んだ笑みが浮かんでいた。
「この前、《短距離転移》の巻物を手に入れたろ?」
「あるけど、それがどうしたんだ?」
「あれをここで読み上げるんだ」
「まさかリーダー……」
「まずいって絶対まずいって……」
「しーっ仮にだよ仮に。小声で話そう。店主に聞かれたらまずいだろ?」
少し雲行きが変わってきたようだ。
僕は本を読み耽る振りを続けながら、彼らの様子を伺う。
この店で起きている物音や会話は耳をそばだてなくても把握する事ができた。《聞き耳》の技能を使用している状態と変わりがない状態になれるのだ。
だから彼らの会話を把握するのはとても容易い。
「それって万引きじゃねえか」
「バレたらどーすんのさ」
「大丈夫」
リーダー格の青年はニタリと歪な笑みを浮かべる。
「どうせこんな地下迷宮で商売やるなんてまともな人間じゃない。前科持ちか狂人だろう。そんな相手に盗みを働こうが、地上じゃあお咎めなしだよ」
それは半分は間違えで、半分は真実だ。
僕は罪人ではない。善良なるただの一般人だ。
自らを善良とのたまうのは多少厚かましいかもしれないが、それでも常日頃から他人の迷惑になるような事を行わないよう日々務めているし、塵も分別して出しているのだから大目に見て欲しい。
だが悲しいかなここは地下迷宮だ。
非道にして無常。窃盗も、傷害も、強奪も、殺戮も、許される無法地帯。
冒険者同士のいざこざなら組合が介入するかもしれないが、地下迷宮の得体の知れない書店に危害を加えたところで、何ら罪には問われない。
彼らの悪だくみが成功した暁には、僕は泣き寝入りする羽目になるだろう。
「だがよう。おりゃこうも聞いた事がある。『神出鬼没の商店には手を出すな』ってな」
「何それ、ヤバくない?」
「ヘーキヘーキ」
青年は更に笑みを歪めながら言った。
「ほら店主を見なよ。読書に夢中でこちらに見向きもしない。第一あんな見るからに貧弱な奴に何ができるのさ」
「ぷ。それは言えるかも」
「正直、七三はないだろ」
「何よりさ、気づいたところで転移しちゃえばもう追ってはこれないよ」
これも半分は正解。
何故なら僕は視線こそ向けてはいないが、君たちの動向を隙なく伺っている。
その一挙手一投足を把握している。どのような表情で笑い、どのような仕草で相槌を打ち、どのような態度でこちらを見ているのかを理解している。
ただ哀しいかなそれだけだ。
この書物を持ち出されたら最後、取り戻す手立ては殆どない。仮に追いつけたとしても闘う術はない。殴り合いは滅法弱いし、何よりお気に入りのワイシャツとベストが汗や泥で汚れるくらいなら死んだ方がマシだと思っているので、諦めるより他ないだろう。
「い、いけるかも?」
「いけるいける」
「だろ? じゃあ欲しい本を持てるだけ持つんだ」
さて困ったことに彼らは決意を固めてしまったようだ。
目当ての本以外にも棚にあるものを手当たり次第に抱え始め、その乱暴な扱い方に胃が痛くなってくる。表紙が汚れるし、撓みができるのでどうか止めて頂きたい。
「準備はいいね」
「おう」
「うん」
「いっせーのせ、で行くよ?」
リーダー格の青年はおもむろに巻物を開くと、呪文を唱えようとした。
巻物は、地下迷宮に落ちている道具のひとつだ。
魔術技能を持たないものにでも、一度だけそこに込められた魔術が行使できる便利な品である。
そして《短距離転移》は、現在地からさほど遠くない場所に瞬間移動することができる魔術だ。
仮にこのまま発動すればどうなるか。
彼らの姿は瞬時にこの店から消失し、少し離れた場所に移動する事になる。
そうなればもう僕には為す術はなく、商品を取り戻せないまま《破産》するに違いない。
まあ店から出られたらの話ではあるのだけれども。
「「……?」」
「なっ……何故だ?」
無論、発動は成功しない。
残念ながら、申し訳ないけれども、完膚なきまでに、これ以上になく、無惨なほどに――
彼らの犯行は失敗にさせて頂いた。
「うぇっ…?」
「何で……?」
「そんな筈は……?」
「いやあ困りますねえ、お客様」
僕は椅子から立ち上がり、呆けている冒険者たちに近づいた。
別にここは緊迫した場面ではない。
だからただ立ち上がって、ゆっくりと勿体ぶるように、世間話をするようににこやかに距離を詰める。
「壁の貼り紙が読めませんかでしたか? 『店内での《転移》は固くお断り』しておりますって書いてあるでしょう?」
指を向けて、近くにある本棚の帆立を示した。
そこの彼らにも見える場所に壁紙が貼ってある。
上位古代文字でもなく、下位古代文字でもなく、東方地方文字でもなく、西方地方文字でもなく、大陸共通文字で記入してあるので、冒険者でも大抵の者が理解できるはずだ。
そもそも常識があればそんな行為はしないのだけれども。
「くっ、こうなったら――」
おもむろに長剣を抜き放ち、凶行に及ぼうとするリーダー格の青年。
「成程、成程、そうきましたか」
確かに彼の体格は一見細身に見えるけれども、驚くほどよく鍛えられており、剣撃を繰り出そうとする挙動は滑らかで、伸びが良く、まるで放たれた矢だ。
この地下迷宮での何度も修羅場を潜っているのだろう、踏み込みにも躊躇がなく、ただ真っ直ぐに、ただただ直線的に、僕の喉元を狙ってきていた。
「勿論、『あらゆる戦闘行為もお断り』しております」
僕は人差し指をぴっと彼に向け、宣言する。
それだけで事は簡単に片付いた。
青年は見事な突きを繰り出そうとした姿勢のまま停止し、石膏のように動かなくなってしまった。
「う、動けない……如何なってるんだ」
「当店では物理攻撃も、魔術行使も、道具の使用もできません」
「そんなわけ」
「僕がそういう店にしたのです」
それ以上でもそれ以下でもない。
まあ細かい理屈を述べる事はいくらでもできる。ただ例えそれをしたところで、彼らがそれを理解したところで、僕は何を得るだろうか。
何もない。自己満足に浸ることもなく、ただただの時間の浪費でしかないのだ。
「……お客様。万引き未遂に、強盗未遂、これはもう看過できない問題です。熟練の冒険者ならこのような愚かな真似はしないでしょう。やるにしたってもう少し知恵を使う」
喋りながら一歩一歩近づく度に、冒険者たちは「「「ひっ」」」と悲鳴を上げ抱き合い一様に青ざめさせる。
要約、自分たちのしでかしたことの重大さを理解し始めたようだったが、もう遅い。
無論、彼らには後悔して貰うつもりだ。
この神出鬼没の店で強盗等という真似を働こうとした罪について、たっぷりと、ふんだんに、充分に、十分に、十分に、惜しげなく、惜しみなく、痛切に、悔い、悔やみ、悔恨し、懺悔し、自責の念を抱いて貰わなくてはいけない。
「さて少々、裏でお話を聞かせて頂きましょうか?」