上杉悠子
「まぁこんなものかしら」
残った日本酒を一気に飲みほし、女性らしからぬくすんだ茶の手帳を閉じて悠子はつぶやいた。このあたりは深夜0時をまわっても営業している居酒屋が多く、彼女の情報収集は捗っている。なぜなら、悠子が求めるような情報は、胡散臭い、くらいがちょうどいいのだ。今夜は特に頑張った、そう思ったのも束の間、
「冷酒をもう一杯!」
実に元気の良い声で、悠子は店員に追加の酒を頼んだ。
上杉悠子。20歳。H大社会学部民族学科の2年生。生まれは東北だが大学進学に伴い東京で一人暮らし。父の反対を押し切り上京したため、仕送りなしの貧乏暮しだ。本当なら、外で酒を飲む金にも苦心しているはずだが、それほど今夜の情報収集はうまくいったのだろう。ケチな悠子が店で2杯も(!?)頼むのは、実に珍しかったのである。
ふと、隣に中年男性があらわれる。
「お嬢ちゃん、今日は楽しかったよ。また飲もうや」
ハゲ頭にももひきの小汚い男が満面の笑みで言う。その視線はショートパンツから除く悠子の太ももに向けられている。
――エロ親父が……!
と悠子は思いながらも、
「私も楽しかったですわ!貴重なお話も聞けましたし、ありがとうございました!」
満面スマイルで返す。
「あんたも変わってるね。女の子一人で俺みたいな親父と飲もうなんてな。その上あんな噂話、俺なんかに聞くより、いまどきはヤホーでいくらでもわかるんじゃないの?」
「いえ、ヤホーよりもやっぱり地元の方の話が一番ですよ」
「そんなもんかね。まあ俺は楽しかったから別にいいけどよ」
先ほど、一人で飲んでいたこの男に声をかけ、1時間ほど酒に付き合っていたのだ。情報取集の基本は居酒屋にいる中年オヤジから。悠子の鉄則である。
「オジサマのおかげで噂話にも確信が持てましたわ」
「ふーん。ま、あのホテルに泊まるなら、404号室だけは本当にやめたほうがいいぜ。冷やかしで泊まる連中なんかもいるみたいだけど、さっきも言ったようにあそこで何人も死んでいるからな」
「ええ、運よく空き室が見つかってもそこだけはやめておきます」
「そうそう、まだ若いんだからね、うん。じゃ俺は帰ろっかな」
「おやすみなさい」
男が店を出るのを見送って、残りの酒を一気に飲む。時間は深夜の1時になるが、悠子の頭は冴えわたっていた。
「Tホテルの404号室……やっぱり当たりのようね!腕が鳴るわ!」
男から聞いた話を思い返す。
Tホテルは大手のホテルチェーン。総武線沿線ではどの駅からでも徒歩5分圏内にあり、シングル6千円代の良心価格でビジネスマンを中心に盛況している。しかしそんな大手企業で不祥事があった。およそ半年前を境に、Tホテル錦糸町店で立て続けに宿泊客の死者がでたのだ。浴室での女性の首つりから始まり、その後数カ月の間に3件もの自殺が起きた。それらは全て404号室での出来事であったのだ。
この≪あまりに出来過ぎた話≫は、各メディアを通して世間に伝わった。当然オカルト話として注目を集め、浴室で女の霊が出る、夜な夜な壁から軋む音がする、寝ていると金縛りにあい天井から女の霊が現れる、など404号室の噂は枚挙にいとまがなかった。
はじめのうちこそ面白半分に泊まりに来る客が押し寄せたが、今となってはその数も減り、店舗は撤退の危機に瀕していた……。ということもなく、8月という夏まっさかりの時期に肝試し目的でくる客は増加し、また春に行なわれた店舗リニューアルで以前よりホテル全体がきれいになっていため、メディアの風評にも負けず繁盛しているとのことだ。
悠子が聞き込んでいたのはこのTホテルについてであった。なぜ一介の女子大生が深夜の居酒屋でこんなことをしているのかというと、
「Tホテルに住み着く、悪霊よ。この私、上杉悠子が成敗してあげる!」
と、いうわけなのであった(!?)。




