プロローグ
落ちていた。
風を切る音がごうごうと騒がしい。
耳が千切れそうな程の冷たい空気が手足の感覚までも奪っていく。
重いと言われる頭からまっ逆さまだ。
一体どうしてこうなったのか。
それは一時間程前に遡る。
住んでいるマンションの屋上、そこで俺は下を見下ろしていた。
雲の上から下を眺めるなんて優雅なもんじゃない。
マンションなんて名前がついてはいるが、結局は何処にでもあるアパートの1つでしかないここに家族と住んでいる。
家族。
年老いた両親と俺。
子供の頃は神童と呼ばれていた。
何かする度、天才だなんだと持て囃される。
間違いない。子供なんてのは誰でも天才だ。
そんな事も分からなかった俺は、自分はその辺の子供とは違うんだ、と盛大に勘違いした。
違う訳がない。
その辺もその辺、その辺王子であった俺は、お前等とは違うんだとばかりに友達を作る努力すらせずぼっちまっしぐら。
気付いた時には友達を作るどころか、人と話す事も出来なくなっていた。
コンビニで店の人と挨拶するどころか、親と話すのも無理。
そもそも何を話せば良いかも分からない。
出てくる言葉は、ああ、とか、いい、とか、もはや言葉じゃなくて鳴き声だ。
そんな俺だから、就職なんて出来る訳なかった。
はい、いいえすら満足に言えない人間なんか、まず面接で落ちる。
俺だってそんな人間なんかいらない。
採用する方がおかしい。
就職難民だとかそんな時代によりによってこんな奴を採る訳がない。
誰だってそう思う。
俺だってそう思う。
その結果がこれだ。
それでも最初の頃は頑張っていた。親も励ましてくれていた。
だが、まぁ、気付いてしまった。
喋らなくて良い仕事なんかある訳がない。
アフィリエイトで稼ぐ?
そんな上手い話なんかある訳がない。
そうして。
俺はここに立っていた。
屋上。その手すりの外に。
俺の人生詰んだ。
そう思ってここまで来たは良いけれど。
やっぱ高いな。
こう、下を見下ろしてみると。
よくニュースとかで簡単に話は聞くけどさ。
いやー、あーゆー事出来る奴ってすごいね。勢いがある。夢がある。希望がある。
いや、それが無いから飛び降りるって発想に至ったのかもしれない。
俺も同じだ。
だから出来ない訳がない。
ほら、一瞬だって一瞬。
ちょっと一歩踏み出せば良いだけだ。
それで今の状況から抜け出せる。
こんな息が詰まる日常も終わる。
そうは思っているんだけどな。
やっぱ怖いって。
無理だって。
戻ろう。
今ならまだ戻れるよ。
手すりを乗り越えられたんだから、人生だって乗り越えられる。
部屋に戻ってネットでもしよう。
バイトでも良いんだから何か探そう。
探せばきっと俺でも出来るバイトだってあるってきっと。
冷たい風に心が震える。
足も震える。
手が震えて、掴んでいる手すりまでガタガタと震えて来た。
……ん?手すりが震える?
やばい、地震だ。足元も揺れ……揺れ……………うわ、落ち、落ちる!!!
掴んでいた手すりから手が離れ、立っていた幅の狭い足場から投げ出され、もの凄い勢いで地面が迫る。
ああ……死ぬ前って走馬灯のように今までの人生が蘇るって言うけれど、案外そんな事ないんだな。
目に見えるのは街路樹の緑。
それと地面。
アスファルト。
いや、コンクリートかな。
どっちでも良いや。
違いとか分からないし。
ともかく灰色で、この勢いで頭からそこにぶつかったら間違いなく死ねるって事だけは分かる。
今までぶつかった事はないけどな。
ないから分からないか。
もしかしたら大丈夫かもしれないし。
あ、やばい、ぶつかる。
そう思って反射的に目を閉じた。
……………おかしい。
どう考えてもとっくにぶつかっているはずの時間が過ぎたのに、まだ落ち続けている。
そっと目を開けて確かめてみたけれど、さっきまで見えていたはずの地面も見えなくなった。
ただ光の中を落ちている。
風を切る感触だけが、落ちているって事を実感させてくるけど、はっきり言ってよく分からない。
俺の住んでたマンションがこんなに高い訳がない。歩いて登ったってとっくに着いてるくらいの時間は経った。
それとも、死ぬ恐怖でこんな幻を見てるのか……いや、もしかしたらとっくに死んでるのかもな。
そういえば聞いた事がある。
自分から死のうとした人は、その恐怖を何回も何回も繰り返すんだって。
死のうとしたら死ねないのか。
でも……あれだな。一向にぶつかる感覚もないし、怖いと思えないどころか、いい加減飽きて来た。
今のところ腹が減らないのは良かったけれど、現代人として、ネットもゲームもないとこでただ落ち続けるってのも暇なもんだな。
風は冷たいしうるさいけど、頑張れば寝れるかもしれない。
目をつぶるくらいは余裕だし。
寝相を気にする必要もないしな。
狭い訳でもないし。
そう考えると結構自由かもしれない。
目を閉じて、ぼんやりしてる内に意識は途切れた。