魔王と少女
あの化け物を倒した後、その先に存在していた階段を降りてみるとそこに広がっていたのは同じように薄暗い石床の道。
少し植物が多いようにも感じるが、他に違いがあるようには思えない。
しかし、いざ化け物と遭遇してみると、違いはすぐに現れた。
化け物が、強くなっている。
あの死闘を切り抜けた少女は、不思議な力を身に付けていた。
石を砕き、化け物よりも速く走り、もはやそこらの化け物に遅れを取ることはない……そう思っていたのだが、余裕はすぐに潰された。
化け物の力は突然強くなり、これまでの化け物と同じようにこの地下に生息している生物とはまるで思えない。
見た目も更に禍々しくなり、牙も角も鋭くなっている。
今、少女はその変化を身を持って感じていた。
執拗に首を狙ってくる、蛇の尻尾に剣が生えているような化け物が、天井に張り付いて少女に突進を繰り出す蝙蝠のような化け物と共に、軍隊を成して襲いかかってきている。
もはや長らく世話になったこの牙もここを通るには心細くなってしまった。
しかし、それで死ぬわけにもいかない。
少女はなんとか手にいれた力と技術を駆使して化け物の道を掻い潜っていく。
そうして、息も絶え絶えになった少女の前に、それは現れた。
空洞しかない目に、肉のない腕、足。
それは鎧を着て重そうな剣を持っていた。
少女は驚愕する。
ここに入って初めて見ることができた自分以外のヒトガタが、こんなものだなんて。
骸骨。
明らかに死んでいる骸骨の身体が、しっかりと背筋を伸ばして立っている。
◆
どんな宝石よりも美しく、そして遠く、消してその手に入ることのない輝き。
それが幾千、幾万と集まって作られる川。
漆黒のキャンパスを彩るその光は、太陽よりもずっと弱々しいが、それよりずっと壮大で、広大で、まるで先の見えない幻想を見せられているかのよう。
そんなミヤコの夜空が、彼女は好きだった。
肌を刺すような冷たい風も、薄い一枚の布で遮るのみで不快な気持ちはない。
むしろ火照った身体をほどよく冷ましてくれる涼風のようで、微笑を浮かべながらこの賑やかな世界をフラフラと歩いた。
神秘を一切感じることができない堅い光に照らされながら、夢見心地で道端に腰かけた少女は、ふと、眩んだ視界に影が射すのを感じる。
「サイン。こんなところで寝てたら風邪を引いてしまうぞ」
「……あれ、貴方、どうしたのよ……?」
少女には、光が影を作って、目の前のシルエットが誰か分からない。
影は少女に手を伸ばして、小さな身体をそっと持ち上げた。
「ほら、まったく世話の焼ける……」
「うぅ、なにするの……?」
意識が朦朧として呂律の回らない少女の身体を、少女より大きい影が背中に乗せる。ある程度冷えていた少女の肌を、暖かい体温が覆い、風によって誤魔化されていた鼻孔が焼けるような強い酒気が、彼女の小さな口から漏れ出た。
いたいけな少女の身体に漂う、少女らしからぬ不安定な香りに、色気のような哀愁のような、奇妙な要素が加味される。
いくらか体勢が安定したところで、影は狭い小道を抜け、人通りの多い中央街へ歩きだした。
「あはは、高ーい!」
「こら、君、相当酔ってるな……」
星空の下、少女は夢を見る。
「私、今楽しいわ。こんな気持ちはじめて知った」
「……そうか。じゃあ、なにがそんなに楽しかったんだい?」
「皆と話したことよ」
「話したことなかったのかい?」
「……というか、人と話したことかしら」
白雪よりも更に冷たい、純白の髪が揺れる。
少女の身体には変化がない。まだ発展途上の筈の身体は、一切成長せず、少女であるための全てをそのまま保ち続ける。
「私ずっと一人だった。一人で何かと戦ってた。そしたらどんどんおかしくなって、人間のままでいられなくなった」
「……」
「今、私の友達が、人の死で傷ついて、立ち直れなくなってるかもしれない。一人ぼっちになってるかもしれない。きっと優しい子だったから、自分で自分を責めてるに違いないわ」
「……もしかしたら、優しくなんかないかもしれないよ。ただの偽善者かもしれない」
「ううん、絶対よ、言い切れる。あの子はどこか普通とは違う。他人の不幸を悲しみすぎてしまう……まるでそれが自分の役目かのように」
酔いが回り、少女が船を漕ぎだした。
意識が途切れる寸前、少女は影の姿を見る。
「トワ、どこにいるの。私と同じように、一人で何かと戦ってるの?」
深い、深い、海の色。
「私がいたら、どんな奴でもぶっ殺してやるのに」
あの星空を映したような、深い蒼が視界に揺れた。
◇
『第一部隊!隊列を乱すな!』
野太い男の声が響く。
機械を通って吐き出されたその音は、耳のなかに入って反響し、頭の中をガンガンと攻撃した。
まるで音が形を成して襲ってくるように、頭の中が揺れる。この男の声は、おそらく石のような物質でできていて、尖っているにちがいない。何て思いながら、サインは昨日の行いを後悔していた。
いかに苛ついているからといって、酒を飲んだのはまずかった。
火にかければ燃える酒が、火元もないのに燃えている。身体の中のそんな状態に気分が高揚したサインは、浴びるほどに酒を飲んだ。
その結果がこれだろう。
二日酔いだ。攻略当日に。
「もう、どうやって帰ってきたか分からない……」
ミリアムによると、自分は第一部隊の兵舎の前で死んだように眠っていたらしい。雪が降っていたから、もう少し降り積もっていれば見つからなくなっていたかもしれないというので、サインからすればまったく笑えない冗談だった。
ぼんやりと見上げてみると、光の塔が大口を開けてそびえ立っている。
その前に群がる人間達は、圧倒的な存在との差に何を思うだろうか。
きっと、あの中には彼等が到底敵うことのない化け物達がはこびっている。
そこで、食われ、裂かれ、潰され……
『おい何度言わせるんだ!配置につけ!死にたいのか!』
「早く入ろうぜ!」
「ここで成り上がってやる!!」
……何て悲壮的なこと一切思っていないに違いない。
「あ、あれ、ナハト公国の紋章ですよ。一体どこから集まっているのやら……」
「今回の攻略は相当大規模なものとなりますからね。国外からも兵士を募っていますので、探したらもっといますよ」
「うわ、マドニア帝国の兵士までいますよ。信じられない……」
世界各国の光の塔への関心は強い。
元来、人間とは未知という概念に酷く惹かれる生き物だ。その他の生物には存在しない、時には生存本能さえも超越する『好奇心』という感情によって、人間はここまでの発展を遂げた。
そんな生き物が光の塔を放っておくだろうか。
本来あり得るはずのない進化を遂げ、人間を襲う魔物。絶対的な耐久力を持ち、輝きを失わない塔。
いかに国からの指示があるとはいえ、単なるゴロツキでしかない一般兵士も、純粋な興味で塔を覗く科学者や魔法使いも、皆が同じ思いをどこかに秘めて塔に臨む。
この塔を登りたい。
この謎を解き明かしてやりたい、と。
「……ん?どうしたのよ」
トントン、と控えめな強さで肩をつつかれて、サインはゆっくりと振り返った。
およそこの太陽の下には似つかわしくない漆黒のローブをはためかせて、一人の男性が立っている。巨大な槍を自分の胸に立て掛けて、その両手には小さな鎧を持っていた。
鎧といっても全身を覆うような甲冑ではない。心臓を守るだけの胸当てと、小盾のついた右腕だけの肩当てだった。
「……くれるの?」
コクリと頷いて、華奢な両手をサインにの前に突き出した。
サインはそれを受け取って、周囲を見ながら見よう見まねでなんとかそれを身に付ける。
以前まで着ていた古くさい布はとうに脱ぎ捨て、代わりに少し豪華になった黒い洋服を身に付けていたサイン。
第六部隊編入の祝いでミリアムから受け取ったものだったが、まだ鎧をもらっていなかったか。
「生き残ったら鎧くれるみたいなこと言ってたしなぁ」
ふと、肩当てに違和感を感じる。革のベルトで取り付けられた鉄の鎧の中に、ジャラジャラと、なにかガラスが当たるような音が鳴った。
「回復薬……」
細長いフラスコの中に入った安物の回復薬。それが大体五本ほど鎧の中に入っていた。
よく落ちなかったわね、と内心驚くサイン。よく見ると腰に巻き付けるタイプのホルダーまで入っている。
「ふぅん、気が利くじゃない。なんか、どっかの誰かさんみたいね」
もう一度目を向けたときには、もう彼はいなかった。
「胸当てに入れなかったのは正解だったわ。命拾いしたわね」
確かに、肩当てより胸当てのほうが隙間は大きいかもしれない。
◇
光の塔の一階を調査隊総本部に改築してしまっているため、今まで出入りしていた門は使えないのではないかと危惧していたサインだったが、実際はその心配は杞憂だった。
『開門!』
開いた門の先には、あの時見た通りの豪華な廊下が存在していた。天井は巨大な門よりも更に高く、その壮大さが伺える。そうしてしばらくすると、廊下の突き当たりがぱっくりと割れ、門と同程度の大きさになった開き口に、暗い階段が現れた。
不自然なほどのっぺりとしていた壁は、二階への扉だったのだ。
つくづく規格外な塔ね、とサインは呟く。
一階がこうなら先の階もこうなっているのだろうかと、少し上るのが楽しくなってきた。
『行くぞ!お前ら!』
第一部隊の恒例行事が始まる。
本当は一年毎くらいに見られるものなのだが、今年は特例中の特例である。
うるさいな、と思いつつ剣の柄を弄っていると、ミラとティーガーの率いる第六部隊が進行を始めた。
いや、ミラが突然動き出したので、付いていかざる負えなくなったと言うべきか。
「ちょ、ちょっと、どこ行く気ですか」
「底辺共がこれだけいきり立っているのだ。我々が前に出ないでどうする」
「第一部隊の突入が先ですよ!命令に従わないと……」
「誰からの命令というのだ。我々は第六部隊、攻略において我等に命令を出せる者などいまい」
「そ、それは……」
「ほら、さっさとこい」
ミラは第一部隊の大軍の前に立ち、憮然とした態度で目を向ける。
するとミラを見つけたロイドがスピーカーを片手に駆け寄った。
『おい!第六部隊が来なすったぞ!隊長!一言お願いします!』
「ふん、殊勝な態度だ」
ミラはロイドからスピーカーを受け取り、スイッチを押す。
『私はミラ・エイリーク!今代の勇者である!外国の者は知らないかもしれないが、まぁ見ていろ。他の奴らもだ。私の力を見せてやる』
光塔教は巨大である。
本部はキュエラ王国に存在するが、その教えは全世界に広がり、今や殆どの国の国教になっているほどのものだ。
故に勇者の情報も広がり、新しい勇者が現れたということも皆が知っている。
そして、裁判のことも知っているのだ。
「ミラ様!待ってました!」
「偽物!出てくんじゃねぇ!」
「月の紋章をもつ勇者が本物の筈がない!」
「なんだと貴様!」
「ティーガーを出せ!」
最も人員の多い第一部隊が、勇者をめぐって騒ぎ出す。
当然だ。他の部隊は部隊によって方針が定まっており、光塔教や勇者の是非で内部分裂などあり得ない。しかし外国の冒険者などを入隊し、とてつもなく肥大化した第一部隊が、何らかの要素で分裂してしまうことは目に見えていた。
『私を疑うというのなら、とにかく私を見ているが良い。貴様等に死ぬ覚悟など必要ない……私が全て守ってやる』
ミラの魔力が光となり、後光のように場を照らす。その圧倒的な力にどの勢力も立ち尽くすが、サインは一人、眠たそうに目を伏せていた。
あんたの光は強すぎる……まったく、不自然ほど。
◇
ミラの言ったことは概ね正しかった。
誰も死を覚悟して戦う必要などなかった。
向かう敵は全て、ミラが始末してしまうからだ。
「雑魚共が」
夥しい数の光の剣がミラの頭上に浮かび、発進。
圧倒的な熱量と威力をもったその剣は、魔物達を一瞬にして肉塊に変えていった。
ミラは高らかに声をあげ、まるでオーケストラの指揮者のように鮮やかに腕を舞い踊らせる。
「こ、これで十階層突破だ……」
「なんだあれは……あれが勇者の力なのか……?」
次々と階段は現れ、すでに一行は十階層を突破していた。
歴史上例のないこの偉業に兵士達はざわめく。階主が出ていたかどうかすら分からぬまま、魔物はすべて姿を消していた。
圧倒的な攻撃に砂埃がたち、視界が一気に遮られる。光の塔はその性質故か内部はぼんやりと明るく迷うことはないが、風が一切吹かないため砂埃や霧などは一切晴れることなくそこにとどまる。
「小癪だな」
ミラが掌を前方に向け、ぐっ、と強く握り潰す。
すると砂埃が一気に掻き消え、中から巨大な魔物が現れた。
魔物は百足のような外見を持ち、赤黒い液体を滴らせた凶悪な牙を向けてミラに突進を繰り出す。
「弱い」
しかしあろうことかミラはその牙を光を纏った手で受け止め、天井へと放り投げた。
魔物はなんとか体制を建て直そうとするが、その巨体では無理があるのか、地に背を強く打ち付け、身を悶えさせる。
なんとか回転し地に足をつけると、今度はとぐろを巻いて全身を震わす。甲殻に禍々しい紋様が引かれ、赤い光を放ち始めた。
「あの攻撃のなかで生き残っていた貴様がもし、この階の階主だというのなら」
身体が波打って魔物は漆黒の炎を吐き出す。
まとまって飛来する黒炎は薄暗い塔の内部を赤く照らし、色を塗り替えながらミラに向かっていく。
それに対してミラは何をするということもなく、ただ両手を前に突き出して突っ立っているだけだ。
「こんなものは屁でもないよな?」
ミラの両手から途方もない量の光が溢れだす。
いや、溢れるという言葉は正しい表現ではないだろう。正確には漏れ出る……溜めた力が収まりきらずに逃げてしまっているのだ。
瞬間、ミラの両手が弾かれたように跳ねた。
そしてそこから、壮絶な威力を持った光線が発射される。
空気を穿ちつつ飛び立つ光は、黒炎を煙を払うかのように真っ向から消滅させ、魔物の身体を一瞬にして蒸発させた。
「つまらん、こんなものか闇の者。階主が本当に存在するのか疑ってしまいそうだ」
パンパンと手についた砂を払って、光の束のような髪を揺らして溜め息をついた。彼女の紋章はまだ食い足りないと言わんばかりに強く光を放ち、ミラ自身恐怖や疲れから来るものではない動悸が収まらないでいる。
その後ろで目の前で起こった光景に口を閉じられない弱者たちが声をかけようとしていたが、誰一人として今の現象を引き起こした彼女に向かっていける者はおらず、ただ人知を越えた存在に声が出ず、立ち尽くすことしかできないでいた。
◇
「もうすぐ太陽が沈む。ここで一度休憩するとしよう」
上階へ行く階段の間は何故か魔物が現れない。故に攻略の際はここに拠点を作り夜を明かすのだが、いかに光の塔と言えども全部隊をそこに収容することはできず、第三部隊だけは天井に網を張って寝ることになるのだが、その姿はなかなかシュールであった。
サインは一際豪華な第六部隊のキャンプに入ると、目に入った適当なベッドにダイブした。
ベッドはサインの軽い身体を押し返して、その弾力性を主張する。
「良くこんなもん持ってこれたわねぇ」
ふかふかの羽毛に顔を押し付けて、ふわりとサインは仰向けになった。
サインは今日はなにもしていない。ただ眺めていただけだ。別にだからといって罪悪感が浮かぶとかそんなことはないのだが、暇だったのは事実だった。
「あー……鎧外すのめんどくさいし、もういいか」
他の兵士達が身体を拭くなり食事をするなりしているときに、サインは鎧を脱ぎもせずに目を閉じる。
一方的な戦いだった。
飛翔する光の剣は勿論だが、常に強く発されているミラの光すらも魔物を焼いているように見えた。
まさに光の勇者。純粋な剣術は見たことがないから分からなかったが、現時点で、ティーガーが本物の勇者だと認められるには難易度が高いと言わざるおえなかった。
目を閉じて寝返りを打つ。
特に興味のあることでもなかったので、考察もほどほどに、惰眠をしようと本気になった。
良い具合にウトウトとしてきたところで、一つしかないカーテンが開かれる。
「お時間よろしいでしょうか」
「……誰」
ちらりと目を向けて、サインは身を起こした。
面倒だが、無視できるような相手ではない。サインはそう判断し、柔らかいベッドに腰掛けた。
「カタリナ・メイビーです」
初対面のときはえらい警戒させてしまったので、サインは相手から話しかけてくるようなことはないと思っていたのだが、以外と社交的だったりするのだろうか。
しかしその身は漆黒の鎧が覆っており、とても親愛を深めるために会話に来た、といった服装ではない。どちらかと言えばこれから戦闘に行くような、そんな雰囲気を持っていた。
「実は、貴方に言わなければならないことがある。これはベール様から伝えられたことですが、私達の総意でもあるのです」
神妙な表情で話し出すカタリナ。
隠れてしまっている瞳を曝して、サインの前に膝まずいた。
サインは顎に指を当てて、揺ったりとした動作で聞く姿勢をとる。
目の前に浮かぶ青色の瞳。月の光にも似た淡い煌めきが、その中でくすぶっているように見えた。
「私達は、第四部隊の構成員であり、そして、もう一つの組織の中核である者」
瞳が、光を漏らしている。
まるで、夜の闇に輝く月のような、弱い、幻想的な光……
「サイン様、いや、母よ。私達はずっと待っていました。貴方は人間の__」
一瞬、翼がはためくような音がした。
__ドゴォンッ!
血相を変えて、カタリナがぐっと身を起こした。
カーテンを開けて外を確認すると、彼女が反応を示す前に大きな叫び声が響き渡った。
「っ、なぜ……!?」
「ど、どうしたのよ」
「魔物が……出現しています」
危うく転びそうになるところを何とか堪え、サインはカタリナの脇から外を覗く。するとそこには大きな蝙蝠のような翼を持った怪物が、赤い口を開いて何体も飛んでいた。
「くっ、応戦しなければ!」
黒曜石のような黒い大剣を振りかぶり、戦場に突貫していくカタリナ。
サインも急いでテントから出て、粗末な剣を片手にかついで魔物と相対した。
「……見たことない化け物ね」
魔物は黒く人工物のように滑らかな身体に、小さな丸い頭を持ったチェスの駒のような容姿をしていた。
しかしチェスの駒とは違い下は平たくなく、太い身体から徐々に細くなっていく針のような形をしている。
「サインさん!」
「……ティーガー、無事だったのね」
ティーガーの安否について全く心配はしていなかったが、一応言っておくサイン。
ティーガーの戦闘力ならこの程度の敵は雑魚に等しいと、サインの直感が告げていた。
「勿論です。それよりサインさんは!」
「余裕よ」
腹から赤く牙のついた不気味な口を開けて飛びかかる魔物。
サインはそれに一切動じず、大きく剣を振りかぶってそのまま投擲した。
剣は勢いを殺さぬまま一直線に魔物に突き刺さり、空中から引きずり下ろす。
「何でここに化け物が出てんのかは分からないけど、とにかく倒すしかないわね」
「はい、いきます!」
右目に銀色の光が灯るティーガー。
手に光の剣をもって、次々と現れる魔物に攻撃を開始した。
ざっと視界に映るだけでも五体以上はいる魔物に、怯えることなく接近し剣を降る。
急がなければ、準備もままならない他の部隊の皆が死んでしまう。
今も聞こえる誰かの叫び声を聞きながら、その者達を救うために半月のような軌跡を描いて敵を捌いていく彼女。
その光景はとても幻想的で、サインの戦いとは大違いだった。
「見たことない魔物だけど……特に大差はない、か」
死んだ第一部隊の槍をもって、あまりにも簡単に魔物の命を摘み取っていく少女。
驚異的な速さで突進してくる魔物を一突きし、回転。
その勢いで刺さったままの魔物を投げ飛ばし、他の魔物にぶつけた。
するとその背後から目の前の仲間の敵を討つように三体の魔物が飛来。
サインは足元に転がる兵士の頭を蹴りあげて、槍で打つ。
頭は綺麗に魔物に辿り着き、一体の魔物の頭に衝突した。
残りの魔物は左右に分かれ、サインを両方から襲撃する。
しかしサインはそれを冷静に対処。右方向からくる化け物に矛先を突き刺し、一気に引いて柄でもう一方も突き刺した。
柄には勿論刃はついておらず、丸い金具が付けられているだけなのだが、それでも柄は魔物の堅い身体を貫き、魔物が刃の付いていない柄で串刺しにされた奇妙な槍がそこに出来上がる結果となった。
「きりがないな」
ふと天井を見上げると、そこにはサインに方針を会わせた十数体の魔物の群れ。
負ける気は全くしなかったが、それでも面倒なことは避けたいところ。
そんな風に思っていると、魔物達の向こうで強い閃光が広い階段を照らした。
ニヤリと笑って、サインは腕を組んだ。
ミラが頑張ってくれるなら、もう動く必要はないな。
そう思ったのも束の間、飛んでくる無数の光剣は、魔物を貫きそのままサインのもとへと向かってきた。
「なっ!?」
足元にあった剣を掴んで、光剣をガンガンと弾いていくサイン。
身に当たらない程度に光剣を見分け、危ないところのみを的確に落とす。
時間にして数十秒ほどしかなかった光剣の攻撃だが、そのたった数十秒で足元は踏み場もないほど抉り取られ、サインも思わず溜め息をついた。
「ったく、見境ない……ッ!?」
安堵したのも束の間、光剣は再度サイン向かって打ち出された。咄嗟に弾いて事なきを得たが、またも光剣の嵐がサインを襲った。
もはや冗談で狙っているとしか思えないこの状況。
眩しすぎるその光を弾き続けているサインの姿は、進まない流星のようだった。
「うぐぐ……っ」
しかしとうとう光剣をうち漏らし、サインは腹への直撃を覚悟する。
しかし光剣はサインに到達する前に、何かによって動きを阻まれ、止まった。
サインは驚愕する。
何かはずるりと足元に転がり、サインを見上げて息絶えた。
黒い滑らかな肌に、大きな蝙蝠のような翼。
それはまさしく、先程までサインが惨殺していた魔物の姿だった。
◇
「庇った……のか?」
いつの間にか攻撃は止み、サインの周囲を静謐が包んだ。
濃い砂埃が徐々に晴れ、彼女は両手の力を抜く。目の前が晴れてくると、そこに金色の光を纏った少女の姿があった。
「やはり貴様か小娘」
目の前にいたのはミラだけではなかった。
全ての部隊の人間が、サインを睨んで立っている。
「実は、光の御子からの告げがあったのだ。今回の攻略に、魔王が現れると」
ミラはゆっくりとサインに近づいていく。
その間も絶えずミラからは光が漏れ出し、サインの空間を圧迫するように、ミラの存在をさらに大きなものにした。
「案の定、出現する筈のない上層への階道に魔物は出現し、部隊は大きな損害を受けた。魔王がやったのだろう、それしかないと私は思った。そこで、一計を案じたのだ」
ミラの身体が止まった。 サインの目の前で、見下すように立っている。
「魔王の目星はついていた。あとは証拠だけだった。小娘……いや、魔王よ。貴様の正体は分かっている」
「……は、何いってるのよ。私が、魔王……?」
本当に訳が分からないといった気持ちだった。ミラの言っていることも、回りの視線も、何もかもが理解できなくて、サインは初めて後ずさった。
その反応を肯定と捉えたのか、ミラは一気に畳み掛けた。
「私は貴様が魔王かどうかを判断するために、ある仕掛けをしておいた。魔物以外を攻撃しないように、周りの人間をひとつに集め、貴様の寝床を隔離していたのだ。魔物からの襲撃も、これである程度は防ぐことができた。そして魔物が現れたとき、私は魔物を殺すと同時に、貴様にも攻撃をした。だがどうだ、貴様はその人外の力で私の魔法を防ぎきり、生き残って見せただろう」
「……人は簡単に死ぬわよ。もし私がそれで死んだら、どうするつもりだったの」
「大丈夫だ。光魔法は人間に当たることはない……だが」
ミラがサインの頬に手を当てた。
白い肌に映えるほんの少しの切れ目。赤い汁を滴らせた小さな傷がそこにはあった。
ミラはその傷を親指でそっとなぞって、そしてゆっくり手を離す。
僅かに赤の付着した親指を押し出して、サインの目前に突きつけた。
「見ろ、これが貴様の化け物の証だ。貴様が人間ではない証明だ」
「それはあんたがそういう魔法を使ったんじゃないの?人間にも当たる、それぐらいできるでしょ」
「確かに私はそれができるし、難しくもない。だが、忘れたか?これの他にも、決定的な瞬間があっただろう」
「……こいつが私を庇ったこと、何て言うつもりかしら」
「まさにその通りだ」
足元の亡骸を蹴飛ばして、サインは、周囲の視線にどんどん黒い感情が混じっていくのを感じていた。
驚き、怒り、侮蔑、そして恐怖。
彼女のことを知らない者が、ミラの言葉だけで決めつけている。
「魔物が、人間を庇うことなどありえない。だが謎の多い魔物のことだ、もしかしたら、自分より上位の存在には、守ろうとする意思が働くのかもしれん」
「なら人間を庇うこともあるのかもしれないじゃない」
「もし仮に魔物に感情が存在するとして、知り合いか何かを守ろうとする事があったとしても、貴様とコイツは初対面だ。貴様は初対面の相手に助けられるような魅力があるのか?」
「私は知らないやつに助けられてここにいるわよ」
「もうそんな詭弁、通用しないのは分かっているのだろう?本能だ、魔物は貴様を本能的に守ろうとした、それに違いないんだよ」
ミラは一歩身を引いて、止めの言わんばかりに合図をした。
すると、人混みの中から、小柄な、猫のような青年が現れる。しかし大切なのはその青年ではなく、その青年の連れている人物だった。
「最後に見せてやろう。御子の預言を」
それは第三部隊の代表だった。
サインが今身に付けている鎧を受け取った相手。
そして、あの日姿を消した一人の少女。
「……ト、ワ」
深いフードを脱いだ下には、蒼い、海のような髪が流れていた。