ご馳走と少女
少女の身体が、また跳ねた。
左腕は折れ、右脚はひしゃげ、目はもう見えない。
その化け物は、今までのどの化け物よりも強かった。
周りを浮遊する青い火を操り、少女の身体を焼き、その強靭な肉体で、少女の身体を踏みつける。硬い蹄はそれだけで凶器となり、少女の身体は次々に欠けていった。
相棒の牙は既に折れ、成す術もないまま少女は轢き潰される。
心臓のことなど、気にかけている暇はなかった。無論、逃げようとする暇もない。
化け物には傷一つ付いていない。依然少女の身体を弄び、生傷を増やし続ける。
__ガツンッ!
少女の中から、何か硬い物同士がぶつかったような音が聞こえた。
不思議な消失感と、腹を流れる冷たい空気。
それに気づいた瞬間、少女は口から血を吐き出す。あり得ないほどの激痛が内側を這い回り、眼球がぐりんと反転した。
腹から突き出る漆黒の蹄。少女は化け物に串刺しにされ、化け物は少女を放り出した。軈て、化け物は興味を失ったように闇の中へ戻って行く。
少女の意識は今、完全に消え失せた。
所々欠損した四肢。口から溢れる血液。転がる心臓。
__少女の内から、何かがドクンと脈動する。
眼球の焦点が、正面へと巻き戻る。
四肢の根元が、燃えるように…いや、黒い炎に、包まれている。
右手の感覚が復活する。
右脚の感覚が復活する。
視力が、復活する。
胸の脈動を感じながら、少女は立ち上がった。
少女は右手で胸を摩る。新しい心臓が、其処にはあった。
無くなった筈の臓器も、まるで元どおりになっている。
少女は手を握りしめる。正面に突き出して、壁に打ち付けた。
堅固な壁に罅割れが広がる。
その様子に気づいた、化け物が少女の元へ帰ってきた。
黒炎に包まれる少女を目の前にして、化け物は目を光らせる。
そして、駆けた。
◆
「今回判明した一階層の階主の名は、光塔教がヴァルキリーと公表致しました」
「そうか。して、先の攻略において、光塔教は何をしていたのだ?」
「負傷者の治療をしていたようです」
「ふむ…」
なかなか進行を見せない会議の中、手持ち無沙汰になっていたサインは、早速暇を持て余して船を漕いでいた。
コクリ、コクリと揺れる頭。それに反応して、彼女の痛ましいほど白い髪も揺れる。
意識は半覚醒。何を考えているのかも分からなく、目を開くのも最早億劫。
「では次、第四部隊から何か報告はないか?」
第三部隊の報告も終わり、次は第四部隊に目を傾けるリード。
第一部隊と第二部隊の報告はとうの昔に終わり、ほんの数分で終わった第一部隊の報告に対して、異常に長い第三部隊の報告が、今やっと終わったところであった。
「は、はい。第四部隊隊長代理、サーリャ・ライオニック。我が第四部隊では、今回は主に光量の観測を務めておりました」
リードが目を向けるその先には、長い金髪を三つ編みにした、白衣の少女が立っていた。
第四部隊隊長、アーナス・ライオニックの一人娘、サーリャ・ライオニック。敬愛する父親の小間使いとなって、彼の代わりに会議に出ることとなった苦労人。
「それで、成果は?」
「ヴァルキリーが消滅したと思われる時間帯に、観測上最高レベルの光量を観測することができました。今現在は元に戻っていますが、これがどう光の塔に関係しているのかは、追って調査する予定です」
「他は」
「……不思議なことに、開門と同時に第一部隊が塔に入る際、光の塔が此れ迄の全ての観測結果を下回る、最低レベルの光量を発していた時間帯があったことが分かりました。原因は全く分かりません。本当に、不思議な事です…」
気弱そうな顔立ちと、意志の弱そうな声が特徴的な第四部隊隊長代理の話が終わり、リードは第五部隊へと視点を向ける。
その間依然サインは船を漕いでいたが、何処からその力が出ているのか、サインは未だ寝る事なく、睡魔と戦いを繰り広げていた。
「…では、それも調査を続けるように。続いて第五部隊、報告を」
「む、儂らの番か」
ベールが颯爽として席を立つ。
金色の長髪が振り解けて、ベールの身体を煌めかせた。
「今回、第五部隊は光塔教と共同でヴァルキリーの魔力検査をしていたぞ。属性は見ての通り光。光の属性が魔物から出たのはこれが初めてじゃ」
光の塔から現れる魔物は、基本闇魔法か三属性魔法(火、水、風の三種)しか使わない。光魔法は勇者とその使い魔だけの特権だから、魔物が使えるはずがないのだが。
「勇者はどうだった」
「全く問題なさそうじゃ。次からも続投できるぞ」
「成果は上々か。光塔教からは何かあったか?」
その言葉を聞いて、ベールは少し、語調を強くしてリードに伝える。
「勇者の覚醒を確認したとな。そして、それと同時に、魔王の出現も確認したと」
「…とうとう来たか」
魔王の話を聞いても、リード達に動揺する様子はない。いつかは来ると思っていたし、その役目が自分達に回ってくる事も計算付いていた。
問題は、勇者の覚醒が先か、魔王の出現が先かといった事。が、その問題も無事回避。
あとは、勇者の成長を待つのみであった。
「教祖はなんと言っている。魔王の目星はついているのか?」
「まだ分からないらしいのう。そこら辺は、いくら神の社であっても難しいという事か」
「なに、問題ない。魔王の調査は全て第三部隊に一任するが、不都合はあるか?」
「ん、いや、大丈夫さ。任されたよ」
「そうか。期待しているぞ」
「おうよー」
これで、議論すべき内容はほぼ全て終わった。
あとは、これからの方針を決めるのみである。
「では、次の光の塔攻略日を決めようと思うのだが、何か意見はあるか?」
「んなら、俺はわりと早めに行くべきだと思うなぁ」
「なぜだ」
「今、ミヤコは興奮状態。お祭り騒ぎが起こってるぜ。光の塔攻略が成功したことがいつの間にか知られていたみたいだな。士気が良いうちに、もう一丁いこうや」
「だが、第一部隊は今、兵士の数は殆どないのではないか?とても戦える状態とは思えんが」
「だからでこそ今、だ。少し早すぎるが、一般兵士募集をもう一度やろう」
その言葉に、やっとサインが反応した。
一般兵士勧誘書。サインをこの世界に引き摺り込んだ、因縁深いあの紙。
サインは微睡みから覚め、窓から差し込む光に目を奪われる。精巧なガラス細工の色。円卓を囲む七色の光に、何故か、居心地悪く感じる。
私は、此処に居るべきではない…
「起きたか、嬢ちゃん。気分はどうだ?」
「…んにゃ、あんまり良くはないかしら」
「そうか」
目を擦りながら、頭をグッと持ち上げる。
ヘルはニコニコと、ベールはワハハと笑いながら、サインを好意的な視線で眺めている。
上に立つ者は如何しても権力に驕ってしまうものだが、彼等はそうではないのだろうか。
サインは夢見心地に考える。
いや、違う。ひとりだけこちらを見ていない者がいる。
鷹のような鋭い目。白髪混じりの金髪。重厚な鎧。
第二部隊隊長、リード・レイドリック。
この男は、サインになんの関心もないようだ。見向きもしないし、笑いもしない。
まぁ、それに何か思うことはないが。
「…話を戻すが」
「あぁ。今は国民…世界が塔の攻略に乗り気だ。今勧誘書を出せば、きっと前以上に兵士が集う筈」
自信ありげに、ロイドは言う。残念ながらサインにはその意味がさっぱり分からなかったが、他の者は意外と肯定しているようだ。
「確かにねぇ。これを期に、一気に戦力強化ってのも良い考えだと思うよ」
「確かに…お父さんも、研究員が足りないって言っていたし…」
「ふむ。魔導師が増えることは国の利益にも繋がるしのぅ。我が国の魔導師は殆ど光塔教に流れているから、他国から来てくれると有り難いのじゃが」
ロイドの意見は中々高評価の様で、ヘルは依然へらへらとしながらも首を縦に振り、ベールもカタリナもその意見に賛同している様だ。サーリャは顎に指を当て思案顔だが、口から漏れる呟きを聞くに否定的ではない。
「ふむ…皆がそう言うのなら、此方も考えておこう。国からの許可が下りたら追って伝える。異論はあるか?」
第二部隊からの賛成も成され、満場一致でこの場は決定。
第一回光の塔調査全部隊本会議は、この決定で終わりを告げた。
これから会議を開くときは全てここで行うのだと言う。見違える様に綺麗になった一階層の中身を眺めて、未だ鳴り響く工事の音にサインは耳を傾ける。
ミヤコは何時までも止まらない。光の塔の攻略はミヤコの発展に拍車をかけ、これからさらに進化して行くだろう。
光の塔もこんなもんか。
サインは天井を見上げてそう思った。
◇
リードやヘルが席から外れ、部下から連絡が入ったロイドが部隊に帰った時、手持ち無沙汰になったサインに、一人の少女が近づいてきた。
「のう女児よ。御主名は何という?」
「女児…!?」
女児とは言われたことがない。
怒りが噴き出し頭が沸騰するような感覚を覚えるが、それをねじ伏せる様に驚愕が先を行き、言葉を詰まるせるだけで行動が終わってしまう。
「……サイン」
「ほぉ、そうか、サイン。ふむ、サインか…」
顎に手を当て、何やら考えるそぶりを見せるベール。
カタリナはベールの横で口を閉ざし、話に介入する様子はないが、その身体からは剣呑な空気が流れている。
「ではサイン。御主、一体何者だ?」
その瞬間、誰もいなくなった部屋の空気が突然変わったことをサインは感じた。
目の前の少女から魔力が漏れ出し、人を見透かす様な瞳に何処か敵意が浮かぶ。
サインの瞳がすっと細まる。
それは警戒や敵意の瞳ではなく、不快な思いをした印だった。
「私が何者ですって?知らないわよそんなこと。こっちが教えて欲しいくらいだわ」
呆れた様な顔で肩をすくめるサイン。
腕を組み、背もたれに重くもない体重を押し付けた。
「ほう、と言うと?」
「私が覚えてるのは三日前の出来事だけだわ。それから前は、さっぱり。こんな濃厚な三日間を過ごしたのは私くらいしかいないんじゃないかしら」
「……記憶がないのか?」
「さぁ。兎にも角にも、私は唯の兵士でしかないわ。魔導師のあんたには、私の事がどう見えたのかしら?」
訝しむような瞳に変わったベールは、それでもなお空気を乱さずサインと相対し続ける。
おかしいな、とでも言うようにサインの顔をまじまじと眺め、時には視線を逸らし溜息をついている。
しかしそんな時間も遂に終わりを告げ、ベールは諦めたように目を閉じ、張り詰めた空気を四散させ、頭を掻いた。
「……まぁ良い。悪かったな、呼び止めて。少し気になったことがあってな。どうやら御主には関係のない話だったようじゃ」
「ふぅん。そう。じゃあ、私は次の作戦が始まるまで適当にぶらつくことにするわ。またね」
そう言って椅子から立ち上がろうとするサインに、思い出したように、慌ててベールは彼女を呼び止める。
「いや、待て。そういえば御主、第一部隊の兵士だそうだな?重ね重ね質問ばかりで申し訳ないが、トワ・アンデルセンという女を知らぬか?もし知っていたら居場所を教えて欲しい」
「……何処かしらね。今頃、教会にでも行って神様崇めてんじゃないかしら」
「そうか、良いことを聞いた。感謝する。ではな」
「はいはい」
マントを翻し、颯爽とこの場を後にするベール。その背をカタリナは追いかけ、やがて二人はサインの前からいなくなった。
サインは伸びっぱなしの前髪をかき揚げ、ぐしゃぐしゃと形を変える。
そして…
「何処にいるかなんて、知るわけないじゃない」
彼女の口から漏れた言葉は、この広い部屋に反響し、やがて消えて無くなった。
◇
日差しを睨みつけ、一枚の金貨と二枚の銀貨を片手に、少女は人混みを歩いていた。
「ミヤコは昼でも賑やかなのね…また一つ賢くなったわ」
吐き捨てるように口を開くサイン。
人の壁に潰され呑まれ、結局、今日の目標であった美味いものには未だありつけていなかった。
サインの小さな鼻をくすぐる肉とタレの焼ける香り。
美味そうな匂いだ。これにありつけなかったら、一旦兵舎で寝ることにしよう。
早くしろと急かす腹を押さえつけ、サインは何とか人混みを払いのける。
頭上であらゆる種類の楽器が彼女を迎い入れ、緋色の建物に何処か歓迎されているような錯覚を受けながら、サインは前へ前へと歩き続ける。
気付いたら人混みから抜けていた。ふと後ろを見ると、蠢く肉の壁が依然としてそびえ立っている。
「抜けたか……」
ほっと胸をなでおろして、目的であった店を見上げる。
焼肉屋だ。もともと匂いで分かってはいたが、改めて見るとなかなか趣があって、美味いものが食えそうである。
だが、それにしては客が居ない。
これだけ人が歩いていては、流石に誰もこの店に気づかなかった、ということはないだろう。
しかしこの店は、まるでこの店自体がミヤコから隔絶されているような、妙な孤独感を感じる。
おそらく人為的なものだ。細かく言えば、知能のある生物が態とこの店を隠しているのだと考えられる。
そこまで考えて、サインは迷わず扉を開けた。
たとえ中に何が待っていても、今はとにかく、腹を満たしたかったのだ。
「入るわよ」
「……おや?君は…」
そこにいたのは低身長の猫目の男。おそらく一番の見せ所なのだろう、店の部屋の三分の一も占める巨大な鉄板の机の後ろに、従業員らしく店のロゴマークのようなものが描かれたエプロンを着て座っている。
あまりに最近会った為、見覚えがあったサインは彼を見て何よりまず先に、『何故ここに』という疑問が浮かび上がった。
何故ここに彼がいるんだ。
彼は確か、第三部隊の…
「サインちゃんじゃないか。さっきぶりだね」
「……ヘル?」
「そう。ヘルだ。第三部隊隊長」
本人が言った通り、サインの目の前にいる少年のような青年は、ヘル・メリクリウス。第三部隊の隊長だった。
「なんでこんなとこにいんのよ。第三部隊の本部に帰ったんじゃないの?」
「ん?知らないで来たのかい?」
「……どういうことよ」
不思議そうに首を傾げて、顎に手を当てるヘル。
だがすぐにうぅん、と声を漏らしては、まぁ良いかとでも言うように肩を竦めて、サインに人懐っこそうな笑みを向けた。
「ここは第三部隊の本部。盗賊達の総本山だよ」
「え…?」
「本当は見つからないように人払いの魔法をベールさんにかけてもらってたんだけど……まぁ偶然入ってきてしまったんだろうね」
「あぁ、成る程」
ロイドの話だと、第三部隊は良くも悪くも秘匿性がとても高い部隊だと聞いている。
ここならばもし人払いの魔法がかかっていなくてもただの飲食店だと認識するだろうし、人が多い為表立って行動を起こすことができない。もし人が入ってきても普通に客として扱われて、とても第三部隊の本部だとは思わないだろう。
隠し扉や武器の在り処を推測して、感心したように頷くサイン。
最高の配置だ。逃げるにも迎え撃つにも、全てが完璧に整っている。
「それで、食べ物は出るのかしら?」
「勿論だよ。期待すると良い」
サインが興味を持つには十分の内容だった。
サインはしばらくのあいだ、ここで舌を楽しませることに決めた。
「ふふ、何が食べたいんだい?ご要望とあらば、なんでも作ってみせるよ」
「じゃあ、兎の肉が食べたいわね」
「ほう?なんで兎なんだい?」
「兎の肉のが一番マシだったのよ」
「経験則かい。なら作ってみせるよ」
そういってパチンと指を鳴らすヘル。
すると突然頭上から男の腕が伸び、その手には兎の肉が掴まれていた。
「ありがとう」
「……すげー」
それをヘルは丁寧に取り、消え去る右腕を尻目に肉を捌いていく。
厚めのステーキにするようだ。切りやすそうな丸めの部位を、縦に一振り切り落としている。
「どうだい、このところ。第一部隊は大打撃を受けたと聞くが、いつものことだよね」
「そうなんだ。確かに、あそこにいた連中はほとんど死んでいたと思うけど。いつもああだと拙いんじゃないの?」
「あの魔物は少なくとも第三部隊では一度も観測されたことがなかったからね。彼女自身の戦闘力の高さもあるが、我々の無知が招いた、不幸な事故だったかもしれない。まぁ彼女の存在があってもなくても、総合的に考えれば戦死者数はあまり相違ないだろうよ」
「弱いのねぇ」
「魔物が強すぎるんだよ」
ジュウジュウと肉の焼ける音を聞きながら、虚空を眺め思考に浸る。
サインは思う。自分があの時倒した化け物達が、そんなに強いとはとても思えない。
どれもこれもが三下で、剣の一振りで絶命するようなか弱い者達。翼の生えたあの女だって、それほど強くはなかったはずだ。
話によると攻略部隊が到達した最高階数は二十一階だそうだ。そこまで行ったら考えも変わるだろうか。
焼けた鉄板にソースが降りかかり、なんとも言えぬ匂いが部屋に充満する。
そろそろ調理もラストスパートだ。
ナイフとフォークを両手に掲げて、今か今かと待ちわびる。
「ほら、できたよ」
「うひゃぁ〜…」
いざ目の前にして、絶景の一言に尽きる。
沸騰するソースが彩る、巨大な鉄板の上の小さな兎肉。赤かったソースは鉄板に焼かれ褐色へと変化し、そこから出る焼けた肉の香りときたら、サインが今まで感じたどんな物よりも香ばしい。
その匂いに駆られ、サインはおもわず飛び出した。
いや、飛び出しそうになったというのが正しいか。掴み取る寸前の腕を、ヘルが優しく受け止めた。
「ナイフとフォークはそこにあるよ」
「……わ、分かってるわよ」
食器を一切持たず、脇目も振らずかぶりつこうとした自分を恥じるサイン。
未だ変われていない自分の本性に直面し、サインの気持ちはぐっと落ち込んだ。
彼女は早く忘れなくてはならない。
朧げなその記憶を思い出してしまった時、彼女は本当の意味で死んでしまう。
ナイフとフォークを両手に持ち、たどたどしい仕草で肉を切る。
ナイフは然程切れ味が良いわけではないが、ヘルの出した肉はそんな刃でもやすやすとその身に侵入を許し、全く力を込めていなくとも真っ二つになる。
「すごい…」
「だろう?実は僕、料理人を目指していたんだよ」
「ふーん、過去形ね」
「まぁこんな仕事をしているくらいだからね。察しなよ」
何も悲しそうなそぶりを見せないまま、ヘルは柔らかく笑みを浮かべる。
それになにも思うことはなかった、というわけではないが、とにかくサインは目の前のご馳走に集中することにした。
一口、ほんの一口、口に入れる。
「はぅっ!?」
その瞬間、感じたことのない感覚が口内を犯し、その味を撒き散らした。
口の中全体に広がるような焼けたソースの香り。肉は少し噛むだけで何粒にも分裂し、それでも飽きさせない食感に、サインは言い知れぬ快感を感じる。
「う、うま……美味しい……!!」
じわり、と染み出す肉汁。
サインの中でそれは暴れ、あの液体と混ざり合ってできた濃厚な味を彼女の口にぶちまける。
その度、サインの口から嬌声ともとれる声が何度も漏れ出し、ヘルはなんとも言えぬ気持ちに陥った。
「……あ〜……僕は、残った仕事を片付けに行くとするかぁ。ゆっくり食べなよお」
ヘルがいなくなった店内には、頬を赤らめた少女が一人肉にかぶりついていた。