都と少女
少女のお腹が小さく鳴った。この建物に入ってから、もう十日は経っているだろう。普通の人間なら既に空腹で餓死していてもおかしくない頃だ。十日分の食事をまだ一度も食していないのだから、むしろ少女は他の人より空腹に強いと言えるのかもしれない。
しかしもう限界だ。誤魔化しきれない空腹が少女を襲う。
ここはこの建物のどの辺りなのだろう。かなり深くに入ってきた気がするが、全く検討がつかない。食べられる物はあるのだろうか。野菜なんかは生えているのだろうか。少女は試しに、近くに落ちていた魔物の肉を焼いて食べて見る事にした。
少女は今、死に行く化け物の肉塊の中心に寝転がっている。最初の一際大きな化け物を殺してから、その牙の殺傷力はなかなかのものだったので、並の化け物に負けることは無くなった。
どうやらこの建物の化け物の中で、あの獣のような化け物はかなり強い方の化け物だったようで、あれより強くて大きな化け物はそうそう見つかるものではなかった。
それでも危ない場面は幾つもあったが、少女は悪運が強いようだ。なんとか今まで生き残ることができていた。兎のような化け物を突き殺して、大きな百足のような化け物を細切れにして、最初こそ肉の感触が気持ち悪くて何度も吐いていたが、近頃はそんなこともおこらなくなった。
身体の生傷はどんどん増え、精神も疲弊して何度も泣いたが、それでもなお数多の修羅場を潜り抜けて、少女は少し強くなった。走る速度も格段に上がり、牙の使い方もお手の物だ。
今の少女は、この最悪な環境で、上手く調子に乗れていた。ここら辺の化け物ならば一撃で刺し殺す自信があるし、束になって襲ってきても、今ならなんとかなるだろうとまで思っている。怪我をすることも多かったが、身体が環境に対応するためか、傷の治りも早くなった。栄養取ってないのに何でだろうと少女は考えたが、だからこれからお肉を食べるんだ、と当初の予定を思い出した少女は、早速化け物の出した炎を使って肉を焼いてみることにした。
木の欠片を集めて、それを焚き火の要領で燃やして行く。そこに兎のような化け物から剥ぎ取った肉を放り込んで、適当に焼けたあと、それを気の棒で突ついて押し出した。パチパチと音を鳴らす火から肉をどけ、炭を撒き散らしながら置いた先には、禍々しく黒く焼けた化け物の肉が転がっていた。
少女はそれを手に取って、一口がぶりと齧ってみた。口の中で何度も咀嚼して、その味を確かめる。そして目をキュッと閉じた後、直ぐに吐き出してしまった。とても食べられるようなものではない。人の口には合わない、説明し難い味が口の中に広がっていた。
少女は二、三度咳き込んだあと、体調が悪くなってすぐに転がり込んでしまった。
喉が乾いた。少し戻って、湧き水の湧いていた場所に戻ってみよう。フラフラと少女は立ち上がって、手に持つ牙を杖にし、またフラフラと歩いて行った。
◆
「うげ…第一部隊?嘘でしょ」
顔を顰めて紙を放り投げる女性。短い金色の髪が揺れ、額を抑えて目を瞑った。
ミリアム・ハーレット。キュエラ王国士官学校を卒業したエリートだ。
今年、ミリアムは各部隊の調査任務と言う事で、第一部隊へと向かう事が決まってしまった。腰掛けた椅子の近くに落ちている紙が、その悲惨さを物語っている気がする。
あの悪名高い第一部隊の調査など、一番当たりたくなかった場所だ。調査などするまでもなく、そこにいるだけで糞だと分かるようなところだ。
いちいち調査になんて行く必要ないだろ、とミリアムは呟く。ミリアムにとって、第一部隊はそれ程に酷いイメージのあるものだったのだ。
「っても…行かないわけにはいかないでしょ」
はぁ、と溜息を吐くミリアム。ようやく士官学校を卒業したのだ。ここで将来のために落ち度を作る訳にはいかない。そそくさと荷物を準備して、靴紐を念入りに結んだ。
ここから先は魑魅魍魎の世界。貧困を極めた世界で狂ってしまった化け物が集まる人外魔境。何が起こるか分かったものではない。
一つ大きな深呼吸をし、脚を揃えてキビキビ歩く。綺麗に掃除された扉を開いて、ミリアムは今日人生の大きな第一歩を踏み出すのだった。
…昨日の夢。今のこの悪夢の様な現実を目の前にすると、この夢は俗に言う良い夢であったと言えよう。体が怠く、頭が痛い。体を動かそうとすると、体全体のあらゆる部分が軋み始めた。
どうやら白いベットに寝転がっているらしい。清潔的なシートの肌触りに、薬品の匂いも感じられた。呻き声をあげて顔を上げてみると、そこはまさに第一部隊本部の病棟で、雑に使用された薬品の瓶が転がっている。覚えている記憶は断片的な物で、何があって自分がベットに寝ているのか、何故体中が痛むのか、ミリアムには全く身に覚えがなかった。
「くそ、この薬私に使いやがったな…私薬使うとぶつぶつができるのに」
袖を捲くってみようと腕を見るが、その時ミリアムは自分が下着姿であることに気づく。清潔的な白いワイシャツに、真っ黒なスパッツはちゃんと履いているようだ。よかった。パンツは見られなかった。そして、腕には見事に赤い斑点ができていた。所謂アレルギーと言うやつだ。薬の中の成分に、体が異常に反応するらしい。難儀なものだな、と、ミリアムは自分の体質を呪った。この体質の所為で、ミリアムがもし風を引いてしまったならば、家族全員が大混乱した。ミリアムの家には母が居らず、右腕の負傷によって軍人を辞めてしまった父と、そんな父が養うには心許ない幼い兄弟が六人ほどいる。そのため長女として生まれたミリアムは、必然的に母親の代役を務めなければならないのだ。そんな家族の重要機関が故障したらどうなってしまうのか?……想像するに難しくない。
まぁそんなこんなで、彼女の体質故に薬は与えられないが、与えなければ治らない。そんな状況の中で、いつも長々と考えられた挙句、いつも泣きながら薬を差し出されるのだった。
畜生、と、心の中で悪態つくミリアム。身体中が痒くなってきた。腕をパンパンと叩いて痒みを覚ます。こう言うデキモノは直接掻いては駄目だ、と祖母が教えてくれた。
しかしこれだけでは痒みは治まらない。掻いてしまいたいと言う欲求が、ミリアムを包み込む。
シーツを掴み、歯を食いしばる。その頭の中には、自分をこうさせた二人の事などすっかり忘れ去られてしまった。
そしてとうとうその指が斑点に届いてしまうその時、部屋に一つしかない扉は開かれた。
「…なによ」
そこにいたのは一人の少女。病気なのか生まれつきなのかは知らないが、そのボサボサとした真っ白な髪の毛を短く揃えた小さな女の子。そんな髪の毛とは反対で、底の見えない大海のような真っ黒な目を鋭く細めた少女は、ミリアムの腕を凝視して近づく。
「その腕、どうしたの?」
「えっと…私薬が体質的に駄目で、薬を飲んじゃうとこんなぶつぶつが沢山できちゃうのよ」
「ふーん。まぁ、私もそんなことあったわね」
しみじみと、年寄りの女性のように言う少女。ミリアムと同じように、袖をまくって見せている。
何故か痒みも収まっていたミリアムは額を軽く押さえ、一つ溜息を吐いた。
「ところで、貴女だれよ。ここの看護婦さんかな?」
「違うわよ。あんたをここに連れてきた恩人。感謝しなさい」
そうなんだ、と納得してしまうミリアム。意識を失う直前に見た、あの男でなければ助けられた相手など誰だって良いのだ。
しかし、その恩人である少女はその無表情な顔からは裏腹に、内心凄くホッとしていた。
この女は私が実行犯の一人であることに、まだ気づいていないようね。
馬鹿めと心で罵倒して、その口が三日月型に歪むのを必死に耐えていた。
「ま、そう言うこと。傷は浅いわ。さっさとお家に帰りなさい」
話を強引に終わらせて、覚醒したばかりのミリアムに帰れと言いつける鬼畜な少女。
そんな少女の様子に対して、ミリアムはさして苛立つ様子もなく返事をする。
「…そうね。貴女のようなか弱い女の子のために任務遂行っと」
「む、私は第一部隊の…」
少女が最後まで言い切る前に、ミリアムは颯爽と立ち上がって、明るい笑顔を見せてきた。とても若くて可憐な彼女は、その笑顔も良いものだ。
その清々しいまでの笑みに、思わず少女は押し黙る。生まれてこのたか今に至るまで、ここまで無邪気な笑みを向けられたのは少女には初めてだったのだ。それが何故かは、彼女だけが知っている。
「それにしても、あんたみたいな若い女が、なんでこんなところにいるのかしら?」
少女が首を傾げて尋ねる。
それに対してミリアムは、特に考え込むことなく、答えを口にした。
「この部隊の調査よ」
「調査ぁ?」
「そう」
少し返答が意外だったのか、少女は目を丸くして怪訝な表情をした。大方金が無い等のくだらない理由で、この第一部隊に居るのだろうと思って言った皮肉が、全く通用しなかったからだ。
ミリアムはそんな少女の表情を見て、同情したように頭を垂れる。
「…貴女もなんでこんなところいるのか分からないけれど、まぁ、頑張ってね」
「?」
軽く苦笑いしながら歩いてゆくミリアム。その背中を、少女は小首をかしげながら見送っていた。
悪名高い第一部隊。そんなところにいる少女は、きっと辛い目にあってしまうだろう。そうなる前に、私が守ってあげなくては。
ミリアムがそう硬く決意する中、少女はもう考えることをやめていた。
◇
「まぁ、こんな物かな?」
小汚い兵舎の相部屋で、トワがサインにボソリと呟く。サインの目の前にあるのは掌ほどの小さなポーチ。
軽く手に持って振ってみると、ジャラジャラと何かのぶつかる音がした。何があるのかと興味が湧いて、中を開くと、そこにあるのは試験管のような物に入った緑の液体。サインはそれを色のない瞳で見つめ、すぐにポーチに戻してしまった。
「この中に入ってある物は、一体なんなのかしら?」
「あぁ、それは回復薬さ。体の治癒力を上昇させて、軽い傷なら治してくれるよ」
「軽い傷ねぇ…」
「高い物は買えなかった」とトワは言って、申し訳なさそうに頭を下げた。するとすぐにサインは居た堪れなくなって、ポーチをトワに投げつける。いきなり飛んできたポーチに驚き、トワはそれを掴もうと何度も虚空に手を翳した。
「そんなもんいらないわ。いらないから、あんたが持っときなさい」
「い、いや、それはいけない。安物とは言え、その効果は革新的な物だ。実際これのお陰で光の塔の攻略はとても進行した」
「そんなに良い物ならやっぱりあんたが持っときなさいよ。私は餓鬼なんでしょ?だったらどうせすぐ死ぬんだろうし、放っておいたら良いじゃない」
「そ、それは…」
歯切れの悪い返答に満足したサインは、眠たそうに目を擦って髪の毛をかき上げる。
そしてその場から腰を上げて、部屋の扉を一気に開いた。
「ほら、もう時間じゃない?」
「え…た、確かにそうだ。何で分かったんだ?」
慌てて腕時計を見て頷くトワ。直後に出た質問を聞いて、サインは無表情に返答した。
「体内時計が優秀なの」
「そうなのか…」
扉の先は大勢の人で埋まっている。サインとトワの相部屋は、大広間に直結していた。
「ほら、行くわよ。記念すべき兵隊さんのお仕事第一回。張り切って行きましょ」
「兵士業とか言ってくれ…」
「そんな難しい言葉知る筈ないでしょ」
腰に手を当て呆れ顔をするサイン。
何故此方が呆れられているのかと、トワは少し不思議な気持ちになった。
ざわざわと落ち着かない大広間の中、一番前に存在する小さなステージから、二人の男性が現れた。
一人はロイドだ。ここ第一部隊の隊長、それは分かる。
だが、もう一人の方は分からなかった。
およそ平均よりは低いであろう、サインとほぼ同じ程度の身長。深く滑らかな短い黒髪。鷹を連想させるような鋭い瞳。若干中性的なその容姿は、絶世の美少年と言っても差し支えなかった。
「今代の勇者様だ。ご同行させてくれと、国王から命令があった」
静まり返る大広間。
その中で唯一彼だけは、ステージの上から身体を乗り出した。
顔を上げて敬礼。
幼い子供がするとは思えない真剣な表情に、サインは少し感心した。
「今代勇者、ティーガー・ヘルキャットだ。今回は国王の命令でやってきた。第一部隊の調査に同行する」
その瞬間響き渡る声援。
まるで有名人に群がる女子の様に、兵士達は飛び跳ねた。
そして、その様子を見てサインの頭に疑問が上る。
どうにもここの兵士は叫びまくるのが好きなようだが、これは少し騒ぎすぎではないだろうか。
「トワ。この騒ぎはいったいなんなの?」
「…はぁ?まさか君は光の勇者のことも知らないのか?」
「くさい名前ね」
トワが楽しげに説明を開始する。
「光の勇者というのは、魔王を滅する勇者の事だ。光の塔の攻略に多大に貢献し、これまで数多くの功績を残している。その歴史は数千年にも及び、原初の勇者はたった一人で魔物の中の王、魔王を下しているといわれている」
トワの話によると、光の勇者という者は生まれた時からなる種族の様なもので、百年毎に光塔教から一人選ばれるらしい。その子供は生まれた時から魔力を操る才を持ち、十五歳になると勇者の称号である紋章が身体に現れる。
もとは数千年前の魔物との戦争の時代に立ち上がった一人の男性がその不思議な力をふるって世界を救ったことに由来しており、それからほぼ百年ごとに歴史に名を残すほどの英雄が生まれたことから、彼等を光の勇者として崇め、讃える風習ができたのだという。
「ふーん…それで?彼奴がその光の勇者だと?」
「正確にはその後継者だがね」
しかし、とサインは少し頭を捻る。
彼女にはどうしても、あれがそんな凄い存在の後継者には見えなかったのだ。
確かに、身長こそ低いものの、彼からは何か漠然的なオーラのようなものを感じる。黄色い様で、赤い様で、まさに、光が身体から漏れ出ているような強い力だ。
しかし、それを踏まえて考えて見ても、やはり彼からはそんな英雄の様な力強さをサインは感じなかった。
太陽程明るくもなく、黄金の様に美しくもない。
彼が持つ光は、そんな光だった。
「…で、なんでこんなに騒いでいるの?」
「…はぁ、君は本当に理解力が無いな。伝説の存在と共に戦えるんだぞ?分からないのか?」
その言葉に僅かに青筋をたてるサインだが、それに反して、なる程、と頭の中で電球が光った。
つまるところ、彼等は身の安全が手に入って安心をしているのだろう。
光の塔攻略の日が思っていたより早かったというだけで、先日まで馬鹿みたいに騒ぎまくっていた連中だ。勇者という絶対的強者が仲間についてくれて、嬉しくないはずがない。
勇者が危険な魔物から自分を守ってくれる……そう思っているのだろう。
「あいつと…あいつとあいつとあいつね」
兵士に指を指しながら、何かをつぶやくサイン。
何をしているのかと疑問に思ったトワは、その疑問を聞いて見ることにした。
「君は何をやっているんだ?」
彼女の口から言葉が漏れた。
何の特徴も抑揚もない、ただ淡々とした小さな疑問。
灰色の瞳は、彼等を捉えて離さない。
サインは唯、笑うこともなく、泣くこともなく、小さな口を開いて、こう言うのだ。
「これから死ぬ奴の顔を見てるのよ」
__サァ
トワの背筋に風が通る。
ひゅるりと流れる冷たいそれは、やがて、彼女の心をも冷たく包み込んだ。
汗が一筋、滴り落ちた。
トワの口からは、もう何も出てこない。
◇
世界一の大都市、ミヤコ。
そこはサイン達のいるキュエラ王国の首都であり、キュエラ王国を世界に誇る巨大な経済大国にしている唯一にして最大の柱であった。
人々を覆う様にして立ち並ぶ建物は皆どれもが異様に高く、建物と建物は無数の鉄橋で繋がれている。上からも横からも緋色の街頭が世界を彩り、蒸気などで錆びてしまった鉄骨が逆に風情を醸し出していた。
「しっかし、賑やかな街よねぇ」
幾つもの背の低い商店が人道を囲み、香ばしい肉の匂いや甘い果実の香りが嗅覚をくすぐる。
上階には謎の音楽隊、雅楽団、舞や演武が曲を奏で、打ち合わせでもしていたのか、それとも元から同じ組の仲間だったのか、趣向の違う音楽同士が見事な調和を披露した。
そんな世界からは打って変わり、建物と建物の間からは静寂を表現するように植物が生え、置かれた扉の向こうには暖かな人間の生命力を感じられる。そして時折現れる野良猫が、まるでこの異世界を案内しているようにも見える。
混沌としていて何処か美しいこの街並、それがサインにはとても、見たこともないような美しいものに見えた。
「年がら年中お祭り騒ぎのような街だ。騒がしくて空気も悪くて、手癖の悪い奴も沢山いる。汚らしい限りだ」
「あら、それもこの街の魅力だと思わない?」
「そんなものかね」
いつもは決して見せることのない、トワの憎悪の篭った鋭い瞳。
その視線の先には白い神父服を着た老人と、その付き添いらしき白い制服を着た老若男女がいた。老人が何か言葉を言うと、それを他の人間が復唱をする。それを何度も繰り返して、両手の掌を合わせて、そのまま掲げて二、三度打ち鳴らした。
「あれがどうかしたの?どうやら、かなり大きな宗教のようだけど」
よく周りを見渡すと、あの白い制服や、その胸にある四角形の結晶が四つ組み合わさったかのような紋章を服の何処かに着けている人が大勢いた。
それなりに広まっている宗教のようだ。
巨大な白い建物も確認できるので、少なくともここら周辺では信者が多くいそうである。
「あれは光塔教。光の塔を神格化した、光の塔調査第七部隊と呼ばれる過激派組織さ」
「第七部隊?調査部隊は全部で六つなんじゃないの?」
「勿論、通称さ。彼奴らは時たま光の塔攻略に乱入してくることがあるんだよ。信者を武装化してね」
先程の瞳はサインの思い過ごしだったのか、今のトワにそのような憎悪の念は見られない。何時ものように楽しげに、世間知らずの女の子に常識を教えるお姉さんになっている。
サインは目を擦りながらトワの目を見る。おかしいな……と心の中で呟きながら、まぁいいかと切って捨て、すぐにトワの話に食いついた。
「乱入って……なんでそんなことするの?」
「そりゃあ、神聖な塔を魔物に傷つけないようにするためさ。だから我々に協力する、通称光の塔調査第七部隊ってね」
「じゃあ過激派って何よ」
「彼等は光の塔を病的なまでに信仰しているからね。その矛先は魔物だけじゃないんだよ」
「成る程」
つまり、光の塔に何かするようだったら、仲間だって容赦しないということだろう。
また、過激派と言われている点からして、おそらくこの光塔教とやらには前科がある。
これだけ広まっている宗教だ。それも大切な人民を相手に、こちらからは手を出しずらい。
「それは確かに面倒くさいわね」
「だろ」
呆れるように歯を見せるトワ。
新規を合わせた第一部隊の大行列と、その他五部隊の精鋭達。全力ではないため数は少し減るが、総勢二千人の軍隊は、光の塔の目前にまで来ていた。
遠くの部隊から声が聞こえる。特に少数なところから、サインは第四部隊だろうと結論づけた
『行軍止め!第一部隊と第二部隊は第三部隊から支給を受けよ!』
音響魔法の原理を応用した、技術班である第四部隊が設計した『スピーカー』と呼ばれる機械。
このスピーカーと呼ばれる機械の能力は革新的で、これまでいちいち使者を使って伝令に行かせていたところを、このスピーカーはその場から動かずに言葉を飛ばすことができるようになったのだという。
「ほう、あれが第四部隊隊長か。中々ハンサムな顔立ちだと聞いているが」
「……まぁ、確かに」
謎の巨大戦車の上に立つ一人の男性。
髪は既に白髪に染まり、片眼鏡をかけ、全身を丈の長い白衣ですっぽり包んでいる。
「彼の名前はライオニック。今ある光の塔攻略必需品のほぼ全てに手をかけ、代表作は回復薬。彼の若い頃、これで一躍有名人となった彼はこの先解毒薬からスピーカー、果てはボールペンに至るまでを作り出し、第四部隊の開発主任になるまで上り詰めた」
「へぇ、そいつは凄い」
長々と流れるライオニックの輝かしい歴史に、サインは素直に感心する。それだけ多くの物を手がけているのなら、あの自分と同じ色の髪色もストレスの所為だと頷けた。
全ての髪の毛が白になるには若すぎる顔つきだ。三十代後半か、四十代前半か、童顔なだけかもしれないが、彼の肌にはまだ瑞々しさがあった。
「おい、そんなに身を乗り出しても顔は見えやしないぞ。第四部隊からここまでは距離があるんだ」
「見えるわよ」
「見えるのは戦車くらいだろうがね」
少し口を尖らせて言うサイン。それをトワは適当にあしらい、サインの手を取って歩き出した。
「ほら、支給品を取りに行くぞ。あれがなくては私達は武器なしなのだから」
サインの目の前に広がるのは無数の剣と槍。二千人の兵士の武器を揃えるのだから当然の光景であるのだが、いざ見てみると壮観である。
サインは少し近づいて剣を取る。切れ味はあまり良くなさそうな無骨な作りだったが、これで十分だとサインは思えた。
「む、剣を使うのか?槍の方が勝率は圧倒的に高いぞ」
「目に入ったから取っただけよ。それに、剣は槍に比べて壊れにくいんだから」
さっさと付属の鞘に仕舞って、剣を肩から下げるサイン。
その横にはトワより少し背の高い、やはり無骨な槍を持った彼女がいた。
「ふーん、かっこいいじゃない。使えるの?」
「まぁ少しはな。とても本当の使い手には及ばないが、素人には負けんだろう」
「大した自信じゃない」
腕を組んでサインを見下すトワ。
成る程、今の台詞は私に向けて言ったものなのかと、サインも腕を組んで睨み返した。
まるで姉にライバル意識を持つ妹。そんな茶番を続けているうちに、また後ろの方から声が聞こえた。今度は遠くからの機械音ではなく、近い距離からのものだった。
「後ろがつかえてんだ!早くどけ餓鬼!」
どうやら彼女等の背後にいた新兵が、後ろの状況を伝えてきたようだ。
第三部隊の担当する武器の支給は、対象の部隊が一列から二列の適当な列を作り、それらを前に進みながら右手で取って行くという流れ作業となっている。混雑した状況下で武器が暴れてしまわないように考えられた処置なのだが、たまに兵士同士のいざこざや事故で渋滞してしまうという欠点があった。そしてサイン達は見事その穴にはまり、渋滞を引き起こしていた。
サイン達の停滞に奥の列はかなりつかえ、そこらから罵声を飛ばす男達。その様子に当然の如くサインは怒り、彼等に向けて身を乗り出す。
「んだとこの畜…」
「わー!わー!サイン、行こう!第一部隊の新兵は最前線だぞ!持ち場につかねば!」
サインの口を押さえ、走り去って行くトワ。身体の小さいサインはトワの身体に丸め込まれ、腰を抱えて連れ去られてしまった。
その姿に唖然とする兵士だったが、列はすぐに遅れを取り戻し、流れるように動き回る。
全ての兵が武器を取り終えたところで、またもスピーカーの音がなった。
『今、光の塔の攻略進行は中腹までに達し、頂上まであと僅かとなっている。第一部隊は一番槍を務め、第二部隊はそれに続けよ!』
ライオニックのものではない声。
トワからやっと降ろしてもらったサインは、背伸びをしてその顔を眺めた。
一際大きな馬に跨る一人の男性。
白銀の鎧を見に纏い、少しだけ皺を入れた顔とオールバックの金色の髪。顎に蓄えられた短い髭。
厳格な老騎士と見えるその姿は、ならず者が集まるこの集団の中でも特に異質な容姿をしている。
しかし、その容姿に、何故かサインは見覚えがあった。
「…ん、何処かで、見たことあるような…?」
「あの方はリード・レイドリック。我が隊の隊長、ロイド・レイドリックの兄上だ」
その瞬間、サインの目が珍しく開かれる。
「お、おぉ!確かに、そう言われてみればそうかも!」
周りがそれなりにザワザワしているのであまり目立つことはなかったが、トワ自身、サインのこれだけ大きな声を聞いたのは、これが初めての事だった。
『よぉ兄貴!久し振りだな!』
『早急に指揮を取れ第一部隊隊長!』
ここにてロイド自身にその情報を肯定され、さらにテンションが上がるサイン。
そんな彼女とは裏腹に、弱腰なっている新兵達。
彼等のそんな思い空気を掻き消すように、ロイドは叫び声を上げた。
『おぉ、怖い怖い!さて、準備は整ったか手前ら!』
野太い男達の掛け声が、爆音となって新兵達に襲いかかる。
彼等はこの第一部隊で生き残った者達。この特攻隊と言われる地獄の世で生き抜いた者達だ。
第一部隊で生き残った彼等にとって、光の塔攻略は最早恐ろしいものではなくなっていた。
なにせ仲間が死に行く中、なんとか生き残った者達だ。毎度毎度進軍なんぞで恐れてはいられない。
一年間生き残れば戦士。
二年間生き残れば鬼。
三年間生き残れば修羅。
第一部隊で三年も生きていられれば、もう食には困らなくなるだろう。
他の部隊から声がかかり、もっと生存率の高くて給料の高い部隊に移籍することができるからだ。
しかし、そんな狭き門を通って来た彼等の中でも、変わり者というのは存在する。
それは第一部隊から動こうとしないベテラン特攻隊のことだ。
今や伝統行事となりつつあるベテラン特攻隊達の激励。
こんな部隊の中でも、これだけ生き残った者達がいるのだ。新兵の不安を吹き飛ばし、勇気付けさせるための彼等の叫び声は、新兵達を驚かせるのと同時に、恐怖の枷を断ち切ることにも一役買っていた。
『さぁ行くぞ新兵共!!武器は持ったか!薬は持ったか!防具は二年目から与えられるぞ!!』
「う、うおおおおお!!畜生、こうなったらやってやるぞ!!」
「おおお!光の塔の魔物共ぶっ殺してやる!」
「俺は死なねえぇぇぇぇ!」
『全軍!突撃ぃぃい!!』
開きっぱなしの塔の入り口。
巨大な魔物の口を彷彿とさせるその大穴に、総勢二千人にも及ぶ大軍が突撃を開始した。