お金と少女
世界に、化け物が現れた。禍々しい容姿に、濃い瘴気を持った化け物は、人を喰い、ものを壊し、先ある未来を潰して行った。
そしてとある村にも、化け物は現れた。貧しい家々に火が放たれ、農民たちの小さな収入や、蓄えていた食料は皆燃えてしまった。待ち望んだ勇者と呼べるものは永遠にやって来ず、自分の手にいれてきたものが全て燃えて行ってしまうのを見ながら、農民たちは抵抗する気力も無く喰い殺された。
今年で9歳になる少女は、幼いながらにして、村の異常を敏感に察知した。
一足早く逃げ出した少女は、なんとか化け物の魔の手から逃れ、家族を見捨てるのと引き換えに生き延びることができた。
しかし、その命ももうすぐ途絶えるだろう。もともとそれなりに足が速かった少女だったが、化け物の大きな翼はそれよりも何倍も速度を出せる。
すぐにでも世界中に現れた化け物が、力無い少女を見つけ、食らってしまうのはもはや時間の問題だ。
それでも、少女は死ぬのは嫌だった。特に理由はないが、本能がそれを拒否している。
そして、当ても無く走った先に大きな建物を見つけた。ボロボロで脆そうで、立っている柱は幾つも折れて、なんとかその天井を支えて居る状態だ。
しかし、少女にはそれが、自分の命を救ってくれる防空壕にでも見えたのだろうか。それがどんな建物かも知らず、少女は入って行ってしまった。
漂う瘴気に、少女は不安を隠しきれなかった。
少女が建物に入った瞬間、建物の入り口は閉ざされた。追ってきた化け物が建物を壊してしまったからだ。建物をかたどっていた柱や天井は崩れ落ちて、ただの岩になったそれは建物の入り口を完全に塞いでしまった。
唖然とした少女の背後に、謎の生き物が蠢く。それは、少女の飼っていた犬に似ているが、その容姿はそれよりも恐ろしかった。
尖った耳に少女の倍はありそうな程の大きな胴体。それの半分はありそうな大きな尻尾を持った姿をしている。そして本当に恐ろしいのはその牙にあった。右の犬歯だけが異常に長く鋭かったのだ。
それは、他の動物とは違う、突如として溢れ出た化け物と同等の生き物であると言う証拠だった。
少女は絶望した。化け物から逃げて隠れた場所が、化け物の巣窟だったのだ。
低い呻き声を漏らしながら、グルグルと威嚇をする化け物に少女は今までに無い恐怖を覚える。今すぐにでも飛びかかってきそうな体制を見て、少女の体から嫌な脂汗が染み出してきた。
そして化け物が飛びかかる。少女は最後の抵抗と言わんばかりに体を動かすと、足元にあった石ころに足を引っ掛けて頭から転んでしまった。すると、化け物が自分の頭上を通過して行って、大きな物音が聞こえてきた。巨大な岩がゴロゴロと落ちるような音だ。
少女が驚き体を上げると、そこには無数の岩に押しつぶされてしまった化け物がいた。
化け物の体当たりを運良く避けた少女の先に、重なり合って脆くなっていた岩が体当たりの衝撃で雪崩れ込んできてしまったのだろう。これによって圧死してしまった化け物は、大きく口を広げ、涎を垂らしながら無様な姿を少女に晒してしまうこととなった。
少女は化け物の亡骸に近づくが、その亡骸は微動だにせず、化け物が完全に死んでしまったと言うこと物語っていた。
すると、ぱきりと音を立て、少女の足元に化け物の長い牙が転がり落ちてきた。岩の衝撃で折れてしまったのか、少女は牙を手に取り、怯えながらも二、三度振った。その牙は9歳の少女の体の半分程の大きさがあり、鋭く尖っていて危なかった。
しばらく振り回していると、建物の奥から物音が聞こえた。少女が近づいて見てみると、そこには少女よりも一回り小さいが、それでもとても大きな虫がガサガサと動いていた。
恐怖を覚えた少女は身を潜め、見つからないよう気配を殺すが、所詮はただの幼子同然、直ぐに気づかれて虫は少女に襲いかかって来た。
少女は咄嗟にそれを回避しようとするが、回避が甘く、左腕を浅く切り裂かれてしまう。
少女の顔が苦痛に染まるが、負傷していない右手で化け物の牙を持つと、虫に勢いよく突き刺した。
虫はしばらく呻き声を上げて、6本の足をバタバタ動かすが、やがて動かなくなってしまった。
そして辺りに他の生物の気配が無くなった時、少女はへたりと腰を下ろし、しばらくうずくまって涙を流した。
◆
「魔王?」
「はい。魔王」
少女の素っ頓狂な声が上がった。話しかけている人物は無表情で感情が読めず、材質の良さそうなスーツを着ている黒髪ポニーテールの女性だった。何やらいろいろ書いた簡単に破れそうな紙を、女性は目の前にある大きなテーブルの上に置いて、それを少女に突きつけている。
「魔物の中に突如として現れた突然変異種で、頭が良く、力が強い魔物の中の王。と言うことで魔王です。奴は魔物の大軍を束ね、その凄まじい力で迷宮の中を…」
無表情な女性の長たらしい話を耳に入れる気の無い少女は、何があったのかその真っ白な髪の毛をかき上げて、気だるそうに口を開く。
「じゃあさ、その魔王とやらぶっ殺すからそれ売ってよ」
「はい残念!お金が無いのでそれはできません!」
少女は顔をしかめ、こめかみに手を当てて頭を掻きむしった。
それ、とは、この少女がいる宿に泊まる宿泊券の事だ。お金がない少女にはこの宿の宿泊券を購入する事ができず、今日寝る場所が無い。
少女はボサボサになった髪の毛を手で払いながら、いきなり態度と表情の豹変した女性を睨む。
「じゃあ出世払いってことでどう?二倍にして返して上げるわよ」
「冗談言うなよ小娘。お前みたいな10歳くらいで成長の止まったチビ糞餓鬼如きに出世払いなんて絶対無理。家でお眠して止まった成長取り戻して来な。てか出世払いって意味…」
「魔王の話より長い皮肉とは」
半ば呆れ気味の少女は面倒くさそうに溜息を吐く。あんたの性格の方が冗談だよ、と心の中で悪口を言った。
「つーかお前じゃあ魔王どころか弱小モンスターも狩れねぇよ」
「んだとコラ、てめぇを実験代に見せてやろうか?」
「お、なんだぁ?暴力かぁ?」
「…ちっ」
周りにいる何人もの人が少女を睨みつけているのに気づいた少女は、立場をわきまえておとなしく引き下がる事を選択する。
まだ腑に落ちない事は沢山あるが、それは後で言えば良い事だろう。
「はぁ、じゃあ私はこれからどうすれば良いのかしら?お金が無い私はこのまま野垂れ死んでしまうの?」
「まぁ、そうなりますね」
途端に喋り方の戻った女性は無表情で少女の質問を肯定する。
勿論、このまま飯も食えず餓死してしまう気は毛頭無い少女は、急な女性の変化に驚きつつ、なんとか喰い下がろうと何か言葉を考える。
しかし、少女の頭の中にでて来た言葉は一つだけ。正直これを言って見捨てられたらもう売春でもなんでもするしか無い。それだけはなんとか避けたい少女は、この言葉と女性の良心を信じて待つしか無かった。
「ねぇ、何か楽にお金稼ぐ方法無い?知ってたら教えて?」
短い真っ白な髪の毛を揺らしながらできるだけ可愛らしく懇願する少女。
それを見た女性は以前として無表情で、それでもどこか面白そうな表情をした女性は少女に答えを告げる。
「売春」
「それ以外で」
「クックック、だから最初の方で言ったでしょう。魔王をぶっ殺せば良いのです」
「そう。ならやっぱりぶっ殺しに行って来るわ。一時間で殺るからどこにいるのか教えてくれない?」
やる事が簡単であり難い、と少女は結論を急ぐ。それに対して女性は呆れたような無表情をし、いや、そんな雰囲気の、無表情をする。
「まぁ話を聞きなさい。悪い癖ですよ。良いですか?魔王の下には頭の悪い雑魚の魔物が何匹もいるんです」
「それがどうした」
「良い世の中になったものですね。なんとそいつらをぶっ殺しただけでお金が手にはいるんですよ!」
「え!本当?魔王じゃなくて良いの!?」
「そう。そいつらを殺して、我々民衆のために働けば即給料。ガッポガッポのぼろ儲け!」
「わーい!!正直魔王は面倒臭かったのよね!!」
両手を上げて全身で喜びを表現する少女。それに対して女性は少し気を悪くした。魔王から魔物に難易度が下がったのが良かったのか、それとも魔物を殺して金が手にはいるのが嬉しいのか、どっちにしろ小さな少女が喜ぶような内容では無いのは明らかだ。
「で、その魔物はどこに行ったら殺せるの?金のためなら腐る程殺してきてやるわ!」
「それは心強い。じゃあここへサインを」
「何それ」
「一般兵士勧誘書です」
女性が出してきたものは宿泊券とはまた違う頑丈そうな紙。なんだか古そうな印象を受ける紙に少女はその紙臭さから顔を背けた。
女性は無表情にしか見えない笑みを浮かべながら、紙に書いてある文書を読み上げる。
「我が国は度々襲撃を繰り返す魔物勢力と激戦状態にあります。ですので我々は強固な軍隊を作ることを目的とし、強力な兵隊の参戦を強く望んでおります。我々の所有する兵士になったあかつきには、その働きによって莫大な金額をお支払いする事を約束いたします」
「サインします」
「ありがとうございます」
莫大な金額と言う言葉に目が眩み、有無も言わず紙にサインを書こうとする少女。しかし、そのサインは名前を書くところで止まってしまった。
「…えと、私の名前って何だっけ?」
「は?」
「いや、ちょっと浮かんでこなくて…」
「……舐めてんの?」
「何でそうなるのよ!」
憤怒の形相を浮かべながら、女性に抗議をする少女。少女の後ろには先ほどからずっと少女の列で並んでいる人達がイライラしている表情が見て取れた。
だが、これも仕方の無い事だ。少女はこの街や、この国の情勢につい全くの無知なのだから。
「てかなんで宿屋にこんな物があるのよ」
「良い御時世になったものですね」
少女は髪の毛をかき上げて、ボサボサと掻き毟りながら文字を書く欄にペン置いたまま動かない。
女性は無表情ながらも少女の阿保さ加減に苛ついて、とうとう少女に話しかける。
「貴女名前無いの?」
「んなわけないでしょ!きっと多分あるわ!」
「…もうなんか適当で良いから名前は書かないと兵士にはなれませんよ」
「えっと…んと…それじゃあ…」
少女は顎に手を当て、頭の中に思考を巡らす。名無し子、ナッシングネーム、ホワイトガール。
どう考えても酷い名前しか思いつかない中で少女の視界の端に、自分のペンが止まっている空白の欄が目に入った。少女は良い事を思いつく。
「じゃあ私の名前はサインでいいわ。良い名前でしょ?」
「あぁそう。決まったんですね。思いっきし偽名発言聞こえてますけど私には聞こえてませんから」
女性は耳を塞いで明後日の方向を向いた。
少女はそれを気にも留めず、サイン欄に10数秒で考えた自分の名前を書いて行く。
そしてやっとサインが終わった頃、もうサインと言う名前が定着してしまった少女がこの宿に泊まりにきてから一時間は経っていた。少女…サインの言い草を真に受けるならば、もうとっくに魔王は倒されている時間帯だ。
サインは満面の笑みを浮かべながら、目の前に座る女性に紙を見せつける。
「これで私も兵士の仲間入りってやかしら?」
「まぁそうですね。これで兵士に…」
差し出してきた紙に目をやり、女性の言葉が止まる。無表情で器用に怪訝な表情を浮かべた女性は、その表情のままサインに目を向けた。
「…サインしか書いてないじゃないですか」
「ん?呼んだ?」
「違います。そういう意味ではありません。住所、氏名、生年月日、全部書いてないじゃないですか!」
「いや書いてるけど?」
「こんな地名この国には存在しません!」
疑問の表情を浮かべ、紙を凝視するサイン。うんうん唸り、顎に手を当て眉を顰めた。
「えーっと…えーっと…うろ覚えかなぁ…」
「もう本当そろそろ早くしてもらえませんかねぇ…」
「う〜ん…もう住所はここのやつで良いわ。どうせ家無いし。生年月日は覚えてない。時間の感覚狂っちゃって」
そうですか、と言って女性は紙に適当な住所を書いて行く。
今の時代、家のない子供や、親のいない子供なんて大勢いる。
市場の食材を盗んでは警察の御用となる生活を繰り返していたこの女性からしてみれば、目の前にいる白髪の少女の事情などどうでも良いことだった。
故に、住所も名前も生年月日も知らない彼女の異常性を、女性は軽々と無視することができた。
「はいやっと終わりました。早よどけ白髪。他の人が足を痛めて待っとるんじゃ」
「しらっ!?」
ドン、と押されてサインは5、6人の行列から追い出され、何人かと接触した彼女はヒリヒリと痛んだ肩を抑える。
口をへの字に曲げ、ジロッと女性の方を睨むが、女性はもう他の人の接客を始めており、サインの視線など気づきもしていなかった。まぁ確かに今回は自分が悪かったんだし、と心の中で頷いて潔くサインは宿屋のドアから出る。
そこには満天の星空の浮かぶ街並みが見え、仄かに灯る街灯の光が幻想的な風景を作り出していた。氷点下を下回る強烈な気温。民家の屋根などに降り積もった雪が真っ白なキャンバスを作り上げる。
はぁ、とサインは白い息を吐いた。手のひらを擦り合わせなんとか摩擦熱で体温を上げようと必死になる。
そしてとうとう、サインは気づいてしまった。
「宿、泊まりに来たんだった……」
そう、彼女はあくまで今日寝る宿を探しに来たのだ。断じて軍隊に入りに来たわけでは無い。そもそも魔物が何処にいるのかすらもまだ聞いていないのだ。いったいこの氷点下の何処で寝れば良いのやら。
何か分厚い防寒具を持っているのなら良いものを、サインはそんなもの全く持ち合わせていない。彼女の持ち物は病人の着るような大きなローブ、それだけだ。それどころかズボンすら履いていない。丈の長いローブでなんとか全身を覆う事ができているだけなのだ。
「おぉぉぉお…こ、凍え死んでしまう……」
サインの囁くような小さな声が、誰もいない街中に響いた。
◇
キュエラ王国は小国だ。少ない人口と狭い土地、生産力もそれほど高くない貧乏王国だ。ここで暮らす人々は主に農業を営み、自給自足の生活をしている。
しかし、最北部の都市はその限りではない。都市化が進み、そこだけ他の地域とは比べ物にならないほど発展している。
その理由は、そこより北に《光の塔》が存在するからだ。
光の塔とは、現代技術では正確な高さを測定する事ができないほど巨大な塔の事であり、とてつもなく広い内部には何体もの魔物が生息していると言われる魔物の塔の名前である。そんな禍々しい塔になぜ、《光の塔》などと言う煌びやかな名前がつけられているのか、その理由は実に単純で、常に塔が発光し続けていることからつけられたものだった。
光の塔の素材は特殊な鉱石でできており、昼間でも真夜中でも常にその身からは光を発し、その巨大さから旅人の北極星に次ぐ目印として扱われることもあった。
しかし、なぜ光の塔が存在すると国が発展し、都市化が進むのか。それは世界各国の国々が、光の塔の調査に率先して動いたことにある。日中問わず常に淡く光続ける秘密や、どれだけ攻撃しようとも壊れない堅固な物質。その力や秘密を欲しがる国が沢山あるのだ。
そしてその力を手に入れるためには、中にいる魔物に負けない強い力と、それを持つ強い人員が必要となる。その為、世界の国々が賞金を掛けたり、我こそはと言う人間が集まったりして、世界の最先端を行く大都市を作り上げたのである。
もちろん、光の塔を攻略する為には科学力も必要であり、その発展も他の国を差し置いてトップに躍り出ている。最近は拳銃なるものが開発されたりして、南部の地域と同じ国なのか疑ってしまうほど巨大に成長した都市は、キュエラ王国の切り札であり警戒すべき腹心だ。
そして、塔の頂上に辿り着いた者には《神》に接触する事ができる特典が与えられると言う。神と会った者には、あらゆる願いを一つだけ叶えてくれると言う伝承があるのだ。
光の塔調査第一部隊、通称《特攻隊》と呼ばれる部隊が存在する。
数ある部隊の中でも特に死亡率が高く、六つある調査部隊で最も治安の悪い部隊として知られる部隊だ。その仕事は他の部隊に先駆けて、光の塔に特攻し、道を切り開くという物であり、まさに特攻隊と呼ばれてしまう由縁となっている。
魔物と遭遇する確率が最も高いので、兵士の死亡率も高い事で有名なこの部隊は、その人員が他の部隊に比べて多い事でも、また有名である。凄まじいまでの勢いで減って行く人員を補給するため、新兵が真っ先に送り込まれる場所である為だ。経験の浅い兵士はここで夢を断ち切られ、金に困って兵士になるやつはロクな奴がいないので、墓など立てられる事無く適当に土の中に突っ込まれてしまう。
そんな胸糞悪い部隊だが、この部隊で成果を上げることができた兵士には階級を設けられ、部隊を指揮する権利が与えられる、と言う良いところもある。
それ故、有能な兵士を見つける為に重宝される部隊でもあった。
そんな悪い意味でとても有名なこの部隊に一人の少女が担ぎ込まれた。
この寒い時期にズボンも履かず、唯丈の長いだけの上着を着て街の真ん中で立ち尽くしていたと言う少女。それを見かけた、サインと同じように兵士になったばかりの新兵が寒さに凍える少女の姿を不憫に思い、自分の持ち場である、ここ、光の塔調査第一部隊本部に連れてきたのだとか。
真っ白な髪の毛を持った少女は、そのボサボサと伸びた髪をうっとおしそうにかきあげて小さな声を絞り出す。
「た、助けてくれて、あり、あ、ありが…」
「あったまってから喋ったらどうだ?」
体が悴んで上手く喋れない少女は、自分を助けてくれた新兵の出した飲み物を飲んで体を温める。
「お、おいしい…」
「ココアってやつだな。控えめな甘さが美味しいだろ?」
始めて飲んだ飲み物に涙を零し泣き始めた少女。しばらくその様子を眺めていた新兵は、ようやく気づいたのかその様子を見て慌て始める。
「どうした?毒でも入ってたか?」
「あんたが淹れたものでしよ…」
それもそうか、と笑う新兵。久しぶりに味のあるものを食べた少女にとって、安物のココアでも高級品なのだ。
しかしこの新兵。中性的な顔立ちとおおよそ丁寧とは言えない言葉遣いから男性だと思っていたが、体の作りからしてどうやら女性らしい。よく見ると可愛らしい顔をしてるし、胸はあまり無いが、お尻はそれなりにある方だと思われる。髪型はあまり気にしていないのか、その青い髪の毛を首元で房にして、少し乱暴に留めているようだ。
そんな女新兵は、はにかむような笑顔をしてサインの頭を撫でる。
「…なっ!?」
「おっと、ごめん、その髪の毛がどんな感じか気になって」
サインはいきなりの頭の重量感に驚き、新兵の手を弾く。
新兵はそれに対して少し悪いと思ったのか、眉を垂らして苦笑いした。
その髪の毛とはなんだとサインは口を尖らせたが、サイン自身あまり気にはしていない。何日間も髪の毛など触ってないのだ、今更気になどできるものか。
「結構ゴワゴワだな、よくわからない匂いもするし。最後にお風呂入ったのいつ?」
「……そんなの、知らないよ」
何年前だろう。風呂に入った記憶なんてもうとっくに忘れてしまった。
悲しそうな顔をするサインに、新兵は変な表情をする。しかしそれも一瞬の間のことで、直ぐに笑顔になってサインの肩を叩いた。
「そうか。じゃあこれから家に帰ってお風呂に入ろうな。住所どこか知ってる?お母さんどこいる?」
「……あれ?」
サインは思う。
あれ?この人何か勘違いしてないか?
そう。サインは身長も低くて女性のとしての成長もショボいが、お母さんにどうこうしてもらうような年齢はもうとっくに過ぎてしまっているのだ。しかしこの新兵は完全にサインのことを小学生くらいだと思って話している。これはいけない。この誤解を解かなければ新兵なんてなれたもんじゃない。特に理由は無いが、サインはそう思った。
「このっ…私をガキ扱いするな!」
「ガキっぽいね」
「なんだと!」
完全に裏目にでた、とサインは頭を掻く。そこまで教養のないサインに浮かんでくる言葉など、簡単なもの以外何も無い。よってサインにはこんな低レベルな言い訳しかできないのだった。
サインはこの状況をなんとか打開するために、すぐに話を変えることにする。
「ねぇ、ところでさ。私のいるここってどこなのか教えてくれない?いきなりあんたに連れてこられるもんだから追いついてなくて」
「ん?ここは光の塔調査……ってもわかんないか」
「え、なに?光の…なに?」
「ん、最近の子供で光の塔を知らないのは珍しいな」
「子供じゃないって」
口を尖らせて言い返すサイン。それに対して新兵は適当に頷いてそれを流した、大人の対応だ。その対応に不服なサインは、抗議の声をひたすらあげる。すると新兵は苦笑いして、腕を組んで光の塔の説明をし始めた。
「光の塔って言うのは、簡単に言うと魔物の巣窟のことさ。そしてその中の貴重な資源を回収する為に、私たち光の塔調査部隊って言うのは存在する」
「それって兵士のこと?」
「まぁそうだね。いつもは光の塔にしか進軍してないけど、いつか普通の兵士として戦争に駆り出されたりするんじゃないか?」
「ふーん」
ここでサインはあの糞生意気な窓口係の事を思い出す。まったく、顔を合わせた時は営業スマイル(無表情) 浮かべてたくせに、お金が無いと分かった途端あの態度だもんな、と一人愚痴に浸っていたが、あの時のシーンを思い出している途中、あの古びた紙の事が浮かんできた。
「あ、そういえば私、こんなもの持ってるんだけど」
「なんだ?」
そう言ってサインは小さなポケットから何回も折り重ねた紙を取り出した。
サインはそれを優しく広げて新兵に見せつける。
「これは……一般兵士勧誘書? 」
「ちなみに私の名前はサインね」
「指名は……サイン」
しばらく唖然としていた新兵だったが、突然思い出したかのように声を漏らして、椅子に座るサインを見た。
それに対してサインは嫌な笑顔を浮かべる。
「光の塔調査第一部隊へ 《サイン》を入隊するものとする」
「これからよろしく?私と同期の新兵さん」
「こんな小さな子が…」
こんな子供まで兵士になってしまうなんて、と悲しそうな顔をする新兵だったが、それと同時に自分の事も思い出してしまった。きっとこの少女にも事情があるのだろう、自分と同じように、と。
「そっか、じゃあ君も私と同じ新兵か」
「そう。子供扱いしたら殺すからね」
「じゃあいつまでもこのままだと失礼だな。自己紹介しよう」
「え、いいよめんどくさい」
「じゃあ名前だけでも知っとかないとな。一緒に戦う仲なんだし」
「それは…そうね」
そしてニッコリと笑う新兵。
サインは興味のなさそうな目でそれを見た。
体の冷たさも無くなってきた頃、体を覆う毛布の温かみが昔を思い出させた。
「私の名前はトワ。トワ・アンデルセン。どうもよろしく!」
なんて元気で煩い仲間か。
顔をしかめっ面にして、サインはいつものように髪の毛をかき上げた。