一年に一度だけ。
俺はそわそわとしていた。
相棒のウッシーが冷たい目で俺を見てくるが、それくらいじゃ俺の気持ちは落ち着かない。
「ンモゥ!!」
「うわぁっ。怒んないでよウッシー……わかった、俺が悪かったって!」
ウッシーは自慢の角で俺を突いてくる。怪我をしないように手加減はしてくれてるのだろうが、それでも痛いし怖い。
ウッシーはわかればいいんだよ、とでも言いたげな顔をして俺を見ると、フンッと鼻を鳴らす。
「だけどさ、俺の気持ちもわかるだろ?だってほら、もうすぐ七夕じゃん。愛しの織姫に逢えるんだよ!そわそわしちゃうだろ!?」
「モォーンモー」
「え?そわそわしてないで男らしくドーンと構えてろって?それ、俺に言っちゃう?」
「……モォ」
「謝んないでよ……なんか、俺が可哀想な人みたいじゃんか……」
やめて、そんな同情した目で俺を見ないで!!
俺はウッシーの毛にブラッシングをしながら、河の向こう側を見る。
ああ、早く織姫に逢いたい。早く七夕になれ。
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「姫様、もうすぐ七夕でございますね」
「あー……そういえばもうそんな時期ね」
私は機織りの手を止める。ちょうどいい、休憩しちゃえ。
私は天女にお茶を用意して貰うように頼む。天女はわかってましたと言わんばかりに、すぐにお茶を持ってきた。天女とは付き合いが長いから、私の行動なんてお見通しなのだろう。
「うーん……なんかめんどいな」
「またそんなこと言って。本当は毎年彦星様に逢うのを楽しみにしてらっしゃるくせに」
「……あはは」
「姫様、たまには素直に彦星様に甘えたらどうです?そうすればきっと彦星様もお喜びになりますよ」
「甘える?ムリムリ、そんなの私のキャラじゃないし」
「またそんなことを……本当に姫様は意地っ張りなのですから……」
私だって本当は彦星に甘えたい。1年に1度しか逢えないんだし。でも、甘えるのって恥ずかしいしどうすればいいのかわからない。
ああ、早く彦星に逢いたい。
彦星の頼りないけど優しい笑顔を見て、優しく私の名前を呼んでほしい。
……早く七夕にならないかな。
私は窓越しに河の向こう側を見つめる。
そんな私を見た天女が優しく微笑んでいた。
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俺はいつにも増してそわそわしていた。
ウッシーのウザそうな顔に心が少し折れそうになったが、心が折れたくらいじゃ俺のそわそわは収まらない。残念だったな、ウッシーめ!
だって、今日は七夕なのだ。待ちに待った七夕なのだ。
くそ忌々しい天帝によって織姫と離れ離れになって、1年に1度しか逢えないようにされて、どれくらい時間が経っただろう。
数え切れないくらいの時間が過ぎた。そのうちとけるだろうと楽観視していた天帝の怒りも未だに収まっていないようで、俺の織姫と一緒に暮らすというささやかな夢も叶えられていない。
1年に1度の逢瀬だ。俺は気合いを入れて身支度をした。お風呂には3回も入ったし、髪はこれでもかというくらい梳かしつけた。良い匂いと評判の香水までつけた。服も新調した。
ばっちりだ。愛しの織姫に逢う準備は万端だ。
「ウッシー。ウッシー。もうすぐ織姫に逢えるんだよ……なんか俺、緊張してきたかも……」
「ンモッ」
「ありがと、ウッシー……励ましてくれて」
「モー」
「え?励ましてないって……?おまえは女々しすぎる、男らしくしないかって……そんなの昔から知ってたし現在進行形で頑張ってるよ!でもさ、織姫はこんな俺でもいいって言ってくれたんだよ」
「モォー……」
「惚気けてないでさっさっと行け?ウッシーってほんと、つれない……うん、でもそろそろ行こう。1日なんてあっという間に過ぎちゃうもんね」
「モウ!」
「はいはい。行くよ、牛若丸」
『承知』
ウッシーの正式名を呼ぶと、ウッシーは狩衣と言う衣装を身にまとっているそれはもう美しい青年の姿になった。なんでもウッシーは日本という国の有名人なんだとか。
そんなウッシーがなんで俺の牛になっているかっていうと、ウッシー曰くこれは罰なんだと。詳しくは知らないが、お兄さんとなにかあったらしい。
いや、罰で俺の牛になるってね……罰が俺の牛になることってどういうことでしょう畜生天帝め。
罰で牛になったウッシーは1年に1度だけ元の姿、つまり今の青年の姿に戻れる。それがたまたま七夕なのだ。うん、織姫と逢える日にこんな見目麗しい青年を傍に置かなきゃならないって、嫌がらせですよね。どんだけ嫌われてんの、俺。
まあ、俺の織姫は浮気なんてしないって信じてるからいいんだけど。ああでも初めて織姫とウッシーが会った時、織姫うっとりとウッシーを見つめてたような……?いやいや気のせいだ、うん、俺の勘違いに違いない。
『行かないのか?』
「行くよ、行くに決まってるだろ!」
『早くしないとすぐに日付が変わるぞ』
「わかってますよーだ!」
『……大人げない』
うるさい。
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「ねぇ、天女。どう?おかしくない?」
「大変お美しゅうございますわ、姫様」
「本当?」
私は天女に服装の最終チェックをしてもらう。
1年に1度しか逢えないのだ。一番綺麗な自分を見てほしい。
「さぁ、お化粧をしましょう」
「うん」
天女は私を鏡の前に座らせると、慣れた手つきで化粧を施していく。最後の仕上げに唇に紅を塗り、できましたわ、と言う天女の声に私は目を開ける。
普段よりも綺麗な自分が鏡に写っている。さすが天女だ。
「姫様、こちらを」
「ああ、忘れてた。羽衣持ってかないと……」
「下に落ちたら大変ですからね。決して羽衣を落としてはなりませんよ」
「はぁい……」
天女は昔、羽衣を落としてしまって、地上に降りたことがあるらしい。その時になんか色々あったようで、羽衣の管理については口を酸っぱくして言う。
私は地上に興味はあるけど、降りたくはない。降りたら彦星に逢えなくなってしまう。だから、私は天女の言うことを大人しく聞いている。
「姫様、そろそろ参りましょう」
「うん」
私は天女を連れて外に出る。外に出ればすぐに川があって、川にはいつもはない立派な橋が架けられている。
逸る気持ちを抑えて、私は橋を歩く。橋の半分ほど歩いたところで、向こう側から歩いてくる人が見えた。
彦星だ!
私は天女の制止も聞かず走り出した。
彦星は驚いたように私を見て、すぐにくしゃっと笑って腕を広げてくれた。私は迷わず彦星の腕の中に飛び込む。
結構勢いよく飛び込んだのに、彦星は少しも体勢を崩すことなく私を受け止めた。見た目は頼りない彦星だけど、見えないところががっしりと引き締まっているのだ。そんなところが格好いいと思っているけど、恥ずかしくて言えない。
「久しぶり、織姫。逢いたかったよ。俺に逢えない間、寂しくなかった?」
1年ぶりに聞く彦星の声に、私はああ、彦星の声だ、と嬉しくなる。
だけど久しぶりだからなんだか気恥ずかしくて、私は素直に寂しかったと言えない。
「久しぶり。うーん……そんなに寂しくなかったかも?」
「えっ!?俺は織姫に逢えなくてすっっっごくさみしかったんだけど!?」
本気でショックを受けている様子の彦星に、変わらないなぁと私は頬を緩める。
「うそ。私も逢えなくてすっごく寂しかった……」
「織姫……!」
寂しかったと告げた私を見て、彦星は顔を赤めた。
自分が言うのは平気なのに、私が言うと照れるらしい。そこはよくわからない。
「ああもう。織姫可愛すぎる。俺のお嫁さんになって」
「もうなってるってば」
「あ、そうだった……」
「もう、彦星ったら、相変わらずなんだから」
「ご、ごめん……」
私と彦星は笑い合うと、どちらからともなく手を繋いで歩き出す。私たちの後ろから天女とウッシーが付いてくる気配がする。
私たちは絶えることなく話を続けた。最近あったこと、人から聞いた噂話、地上の話……。
話をしている間、私と彦星から笑顔が消えることはなかった。
そしてあっという間に1日が終わる。
「もうすぐ、今日が終わるね……」
「……うん」
「離れたくないなぁ……」
「うん、私も……」
私は彦星に甘えたらどうですか、と言った天女の言葉を思い出す。
今日が終わればまた1年逢えなくなる。なら、恥ずかしくても甘えてみよう。最後くらい素直になってもいいよね?
私は思いきって彦星の肩に頭を乗せてみる。
彦星は驚いたように私を見てしばらくおろおろしていたけれど、おずおずと私の肩を抱き寄せてくれた。肩越しに彦星の緊張が伝わってきて、私は小さく笑う。
「ねぇ、彦星。いつか、また一緒に暮らそうね?」
「ああ、もちろんだよ」
「お父様にちゃんと赦して貰って、2人で小さな家に暮らすの。素敵じゃない?」
「そうだね。……俺、織姫のお父さんに赦して貰えるかなあ……嫌われてるよね俺」
「そんなことないと思うけど……でも、きっと赦してくれるわ。だって……」
「だって?」
私は恥ずかしくてもごもごと口ごもる。なんとか出せた声はすごく小さかった。
「私の幸せは、彦星の傍にあるから……」
「織姫……!ああもう、今日の織姫はズルい!可愛すぎる!!」
あんな小さい声でもしっかり彦星には届いていたらしい。
私は彦星にぎゅっと抱きしめられた。
「決めた。俺は絶対、天帝に赦して貰う。それで織姫と新婚生活を再開するんだ!」
「うん。頑張って。私も頑張ってお父様を説得するから」
「じゃ、お互いがんばろっか」
「うん」
にこっと私たちは笑い合う。
「じゃ……またお別れだね」
「うん……また、1年後だね……」
「織姫……愛してるよ」
顔を真っ赤にして彦星は言う。私も彦星につられて顔が赤くなる。
「私も……愛してるわ」
やっと私が返事をすると、彦星は嬉しそうに笑って私の唇に触れた。
「またね、織姫」
「うん、また、1年後」
ゆらりと視界が揺れる。1年は交じらない、私たちの世界。
でもいつかきっと、ずっと一緒に暮らせる日が来る。
そう信じて、私は目を瞑った。