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ゲジゲジ博士の憂鬱

作者: 小林 米




 作り上げた人造人間はデリバリーヘルス嬢として、たっぷり稼いでもらうつもりだった。もちろん、見た目は可愛い。それに体つきも栄養満点で、触ると跳ね返る程の肉厚の尻が売りだった。

「あたし、したく無い」というのが、彼女の言い分だった。

「ならしなくても良いんだよ」とゲジゲジ博士である。そう言うと、彼女の頭を撫でた。

 もちろん、彼女には働いてもらわなくてはいけない。というのは、彼女を制作するのにそれ相応の費用がかかっていたし、もうすでに二件だったが予約も入っている。この予約のお客の一人というのは近くのパチンコ店の店員で、人造人間が出来た暁には一番の先乗りで抱かせてやるという約束もしていた。

「博士どうするの?おれがちょっと殴って言う事聞かせてやろうか?」とぼく。愚図つく人造人間の娘を尻目に、博士に意見を仰ぐのだったが、彼は乗り気ではない。

「本人が嫌と言うんだから……」

「そうなの?」とぼく。

「パチンコ屋の男には君からちょっと言っておいてくれない?」

「よせよ。なんと言うの?」とぼく。

「それを考えるのが助手の仕事じゃないか」と彼が言う。

 仕方が無い。ぼくはあまり気の乗らぬ足取りで件のパチンコ店へと出向き、店員の男を探し出すのだったが、この日、彼は休みだった。

「金田君から伝言を預かっているわ。百二番よ」と別の女性店員である。「座るだけで大当たりする仕組みになっているわ」

「それが……」とぼく。

 そこでその女性店員に、新しく出来たばかりの人造人間の様子を教えて聞かせ、とにかく取引は無しになったのでそれを伝えてほしい、という言付けで帰ろうとした。

 だが、彼女が呼び止める。

「電話番号教えるわ」と女性店員。

「気乗りしないな。君から伝えきれない?彼はとても楽しみにしていたし、それに連日大当たりの台を教えてもらっているから言いにくいよ!」

「あたしだって言いにくいわ!とりあえず座ったら?」と女性店員。百二番のパチンコ台を指差す。

「いいの?」とぼく。

「あたしはいいわよ」

 台は大当たりした。いつも大当たりするが、連続で続くというわけではない。彼が仕掛けをしてくれるのは最初の大当たりだけで、それから後はマシーンの性能次第である。この日は、いつにない大当たりの連続で、当たっている最中に辺り一面からの殺気を感じた程だった。

「やっているわね。コーヒー飲んでくれない?」と大当たりの途中で、例の女性店員がやってきてドリンクを薦めてくる。「別にノルマがあるわけじゃないから飲まないんならいいけど、喉乾かない?」

「じゃあ、オレンジ飲もうかな」とぼく。

「持ってくるわ」と彼女が言う。

 瞬間、ぼくはこの後で彼女を誘い、夜の街へと繰り出そうと考えた。連日続いていた人造人間の製造もようやく終わり、後は稼ぐだけである。もちろん、人造人間の拒否の態度は気にしないではいられなかったが、人工知能に少し細工をすれば立派な阿婆擦れ女になってくれるだろう。

 そうした。パチンコ店のカウンターで注文のオレンジジュースを運んで来た彼女を誘う。ところが、彼女は一寸困った表情を見せた。

「どうしたの、彼氏いるの?」とぼく。オレンジを吸った。

「いるわ」と彼女が言う。「金田君と付き合っているの」

「へえ」とぼく。「だったら悪いね」

「誘ってくれてありがとう」と彼女。

 考えてみても分かりそうな事だった。というのは、金田という店員がこうしてパチンコ台に細工をしてくれるのは店側にはもちろん内緒である。この件が露見してしまったら金田はきつい罰則を受けるし、もしかすると警察に逮捕されるかもしれない。その危険な言付けを頼まれるのだから、彼女は彼にとって特別な存在なのだ。

 この日の大当たりはそれから三時間程続き、ぼくは十万円を超える金を手にしてパチンコ店を後にした。研究所で待っている博士には随分と小言を言われるであろうが、なにか土産を持参すれば機嫌も直すだろう。 

 駅に隣接する西友の洋菓子コーナーで、甘いケーキを選んで買った帰りだった。

 西友を後ろ背にすると、もうすっかり薄暗くなった商店街があり、その入り口に数人の老人が立って、こちらを見ている。合計で六人。彼らの一人一人に見覚えは無かったが、彼らが明らかにぼくを見て、なにかこそこそと相談し合っているのは分かった。

 商店街をどうしても通らなければいけないというわけではなく、そこを迂回しても特別に回り道というわけではない。だが、老人相手にびくついている自分自身に気がつき、腹が立った。背筋を伸ばし、大胸筋を見せびらかすように彼らの所へと進んで行く。

「兄さん」と一人が思い切ったようにぼくに話しかけた。

「は?」とぼく。睨みを効かせたわけではない。彼を見た。

「随分大当たりしたみたいだね」と彼が言う。

「そうみたいだね」とぼく。

「おれたちはみんな大外れ」

「みんなだよ」ともう一人の老人。

「気の毒だね」とぼくは言って、その場を去ろうとした。

「ねえ、インチキしているのは分かってるんだよ。お店に言おうかなってみんなで相談していた所さ」ともう一人の老人が言う。この老人は女で、目が怯えていた。それか、怒りで濁っていた。

「インチキ……」と別の老人。この老人も女だった。

「ねえ頼むよ」と最初に声をかけてきた老人がぼくの肩に手を置く。「思うんだけど君はこのところ負け無しじゃないか、どうやって勝っているの?」

「こうやってだよ」とぼく。手をくりくりと回した。「力の加減が重要なんだ。あまり強くてもそうだし、弱くてもダメ。練習しなくちゃ」

「ねえ、おれたちはあんたがインチキをしているんじゃないかって思っているんだよ?みんなが楽しいパチンコで誰か一人がインチキしていたら、お店が無くなってしまうし、そうなったらどこにも行き場がなくなってしまう」

「可哀想だね」とぼく。

「もう来るなよ」と老人の一人が言う。

「分かった」とぼく。

 そういって歩き去ろうとしたが、肩に手を置いていた老人である。ぼくの肩を思い切り押し、商店街のシャッターに押し付けた。体勢が崩れ、持っていたケーキが地面に落ちる。

「分かったよ。分かった」とぼく。落ちたケーキ箱を拾い、彼らを見渡した。「要するにだよ。お金が欲しいんだろう?」

「そうは言わないよ」と一人の老人。

 みんな黙ってしまった。彼らは一人一人、確実にぼくに対していらだちを感じていたが、結局の所、何をしたいのかが自分でもよく分かっていない。彼らがしたいのはパチンコでの大勝ちだったがそれができないし、出来る術が無い。

「ねえ、教えてよ。どうやって勝っているの?」と一人が聞く。

 話していてもしょうがない。ポケットの中に入っている札の中の何枚かを彼らに渡してやる事もできないではなかったが、結局、彼らはまた負けてしまうだろう。

「パチンコで勝つには、パチンコをやらない事だよ」とぼくは言って、その場を後にした。


 

 ところで、ゲジゲジ博士には妻がいて、人造人間の製造費用はこの妻がデリバリーヘルス嬢として働く事で稼いでいた。博士自身は五十代にさしかかった辺りの年齢だが、妻は三十の半ば。明美という名前の女性で気分の浮き沈みが激しく、自殺癖がある。

 ぼくが研究所へと戻ると、その妻がテーブルに突っ伏していた。何かあったのは間違いない。ぼくは買ってきたケーキをテーブルに起き、彼女を揺り起こした。

「明美さん。ケーキ食べてよ。途中で落としちゃって中がどうなっているのかは分からないけど」とぼく。「どうしたの?」

「あの男がやってたわ」と彼女が言う。

「だれ?博士の事?」

「誰か他にいる?」と彼女が言う。「了明君、どこいっていたの?」

「気晴らしだよ。散歩さ」とぼく。

「あたしが帰ってきたら、あの男がちょうどしている所だったのよ!」と彼女が吠え立てる。「こんなことになるんじゃないかってあたしは最初から思っていたのよ!」

「博士は?」とぼくは聞いた。

「あの男はあの女を後ろからせっせとやっている所だったのよ!」

 とにかく、彼女を落ち着かせなければいけなかった。ケーキの包みを開け、中から一つを取り出す。ケーキは落下の衝撃でやはり崩れてはいたが、それほどの受難ではない。落ちたイチゴをまたケーキの上に乗せ、皿を取り出し、その上に乗せた。

「フォークいる?」とぼくは聞いた。

「いる」と彼女が答える。

 ぼくがフォークをケーキの乗った皿に置くと、彼女はそれを手に取り、自分の頭に刺し始めた。それを何度か繰り返す。止めなければずっとその調子で繰り返していた事だろう。結果として、ぼくが彼女からフォークを奪い、ケーキに刺した。

「頭の傷を見てみよう」とぼく。

「了明君。もうあたし達は終わりだわ」と明美夫人。刺した所から漏れてきた血が頬を伝っている。「最初からこうなる事は分かっていたのに」

「博士は何しているの?」とぼくは聞いたが、彼女からの返事は同じで、人造人間と博士が事に及んでいた、の一点張りだった。

 頭の傷は致命傷ではなかった。元より、頭はそれほど血が溢れ出ない。彼女の頭に応急処置を施し、ぼくは博士の部屋の扉をノックした。

 返事は無い。ドアノブを回したが鍵がかかっている。

「明美さん、博士は中にいるの?」とぼく。「鍵がかかっているみたいだけど」

「鍵がかかっているんでしょう?」と明美。

「うん」

「だったら中にいるってことじゃないの?」と彼女がいう。それから謝った。「ごめんなさい。あなたにあたってもしょうがないのに!」

 ところで、博士の部屋の鍵はよくあるプッシュ式のもので、ハサミで簡単に明ける事が出来る。明美夫人はその事を知らなかった。だが、ぼくはしない。とにかく、今は明美夫人の為に精一杯働いているというフリを装い、かつ問題を遠ざけておく事だった。

 しばらくぼくは博士の扉の前でわめいていた。思いつく言葉はいつも「博士いるの?」「開けて博士」だったが、それ以外に何を言っていいのか分からない。明美夫人はと言えば、テーブルに突っ伏し、先ほどぼくがケーキに刺したフォークの柄を不思議そうな上目遣いで睨みつけている。

 その時、電話が鳴った。出ると、お客である。お客とはいえ、相手をするのは人造人間ではなく、明美夫人の方だった。

「すいません。今夜は予約が一杯でして……」とぼく。電話を切る。

「誰から?」と明美夫人。「客じゃないの?」

「うん。だけど今夜は休んでよ」

「今度お客からの電話が来たら受けて。行くわ」

 そう言った後で、彼女は何かしらひらめく事があったらしい。

「了明君、ドライブに行きましょう」と彼女が言う。「考えてもみたらあたしって毎晩別の男としているすごい阿婆擦れだったんだわ!」

 研究所だが、これは十二階建ての団地の一室で、そこは元々はといえば、明美夫人とゲジゲジ博士の住まいだった。

 時刻は夜の九時頃。彼女の言うドライブに出る為には、隣人に住んでいる中国人の男から車を借りなければいけなかった。林という男で、実際にはぼくは中国人ではなかったのだが、名前でそう思われる事が多い。なので、彼には中国人だと嘘を言っていて、そのおかげで彼は何かとぼくに良くしてくれる。

「林さんの部屋に行ってくる」とぼく。玄関先で靴を履き、明美夫人を見た。

 彼女はケーキに刺さったフォークを凝視している。それからそれを抜くと、ケーキをむしゃむしゃと食べ始めた。

「大丈夫よ。もう大分落ち着いた。発作みたいなものね。死ぬ気はないの」

「行ってくるね」とぼく。

 ところが玄関を開けると、老人が一人いた。どこかで見た、とぼくは思い、すぐに先ほどの商店街で出くわした一人だと合点がいった。

「どうしたの!」とぼく。

 冬の寒い日で、彼女は震えていた。廊下の壁に背を持たせかけて、縮こまっている。ぼくが思いもよらずに玄関のドアから出てきたので、恥ずかしそうに言い訳を探すような表情をした。 

 老人は何も言わない。ただ、惨めな目でぼくを見上げるのだった。

 彼女がぼくを尾行していたのは直感で分かったが、その事を追求するには、あまりにも哀れだった。この上にもっと哀れにする必要も無い。

「誰なの?」と明美夫人。外へと出たと思ったら、見知らぬ老人を連れて入ってきたぼくに頓狂な声を上げる。

「ちょっと道に迷ったみたいだよ。ケーキ食べたいんだって」


 

 中国人の男だが、不在だった。だが、妻がいる。妻はフランス人で彼女は日本語を喋る事が出来ない。身振りでぼくは伝えようとしたが、林がいないのならば車もあるはずが無いと思い立ち、その場を後にした。

 部屋へと戻ると、ちょっとした修羅場が待っていた。

 というのは、人造人間を作るに当たり、ぼくとゲジゲジ博士はその事ばかりに集中していなければいけないので、アルバイトをしていなかった。手持ち金はもっぱら明美夫人からの小遣いである。

「あなたはあの外道とは違うと思っていたんだけど、やっぱり一緒だったのね!」と明美夫人が金切り声を上げる。「誰が何して稼いだお金でパチンコやっているの?いつ?あたしはてっきり毎日毎晩、あんたがたが研究に熱中していると思っていたのに!」

「研究?」と例の老人女は目を丸くしてぼくを見た。彼女が目を丸くしてる理由が突然の明美夫人の豹変にあるのか、ぼくがまったく研究者に見えないからなのかは分からなかった。

「嘘つき。いい人ぶってあたしを騙したのね!」と明美夫人。「嘘つき!」

「嘘じゃないよ」とぼく。なんとかなだめようと試みた。「明美さん、静かに……警察呼ばれちゃうよ」

「嘘つきよ!嘘つきに決まっているわ」と彼女。

「この男は嘘をいうよ」と老人。

「もう嫌よ!誰も信じられないわ。あたしが何して稼いだ金か分かっているくせに!」と明美夫人。すぐ近くにいる老人の膝元に体を投げかけた。

 老人の女はと言えば、明美夫人の頭を撫でながらぼくをきつく睨む。

「ろくでなしの男だね。あんたは!やっぱり後を追いかけて正解だったよ」そう言うと老人はテーブルの皿を掴み、ぼくに向かって思い切り投げつけてきた。

 避ける間もない。皿はぼくの目尻に当たる。

「この野郎!」とぼく。地面に落ちて割れてしまった皿を引っ掴み、老人目がけて仕返しをしようと思ったが、寸での所で自制した。

 握った破片を床に落とし、それから老人を睨み返した。彼女はいかにも貧乏臭く、首の辺りはまるで病人だった。目だけがギラギラと光っていて、歯は不揃いである。根っからの悪人というわけではないだろう。ただ連日パチンコで負けが続いているものだから、自律神経をやられているのだ。恥も何も無い。

「イカサマだろう?ねえ頼むよ。年金を殆どつぎ込んでいるんだ。誰にも教えないから必勝法を教えとくれよ。その為にこの辺りまで追いかけて来たんだよ。みんなには言わないでおくし、儲けたら何割かは渡すつもりだよ?」

 解決策が何も見当たらなかった。老人だが秘密を守り通せそうに無い。彼女を当たり台に座らせる為には、金田にその事を伝えなければいけないし、そうしたとすれば彼の身も危ない。

 とはいえ、この騒ぎをずっと続けていれば、隣人に警察を呼ばれてしまう事態になりかねない。警察を呼ばれてしまってはまずいものが、十二階建ての件の部屋には山ほどあった。作っていた人造人間は正真正銘で、博士の部屋になっている研究室には、人間の部品がたくさんある。部屋を見ただけで警察は何かの異変に気がつくだろう。

「明美さん。話を聞いてよ。こいつの言う事を信じちゃだめだよ」とぼく。「さあ、しっかりして風呂にでも入れば気が晴れるよ」

「来月に孫の誕生日があるんだよ!」と老人。

 よっぽど、ぼくは手のひらの一番に固い部分で彼女の鼻面に一発お見舞いしようかと思った。だが、相手は老人である。それにしても、彼女の様子からは先ほどの廊下での哀れな様子は微塵も伺えなかった。一体何が彼女を元気づけているのか、さっぱりと分からない。あてがわれたケーキを平らげてしまい、血糖値が上がっているだけかもしれない。

「明美さん」とぼく。彼女を立たせようするのだが、老人がそれを邪魔する。

「この人に触るな!汚いふん!」

 辛抱溜まらない。

 拳を老人の頭にねじ込んだ。拳はこめかみに命中し、老人の頭が揺れる。

「人殺し!人殺し!」と老人が恐れを込めた目でぼくを見返す。「人殺し!」

 それから老人は、辺りに響き渡る甲高い声で叫び始めた。恐ろしい声量だった。静かな十二階建ての団地の一室のアスファルト切り裂くようなキリキリとした声で、この場で一番に頭がおかしいのはこの老人を置いて他にはいない。

「了明君!」とその時、部屋から博士が出てきた。ぼくに注射器を手渡す。

 注射器に何が詰められているのかはわからなかったが、とにかく彼がさせる事だ。ぼくは博士から注射器を受け取り、老人の髪を捻り上げた。首を横にさせる形で強引に引っ張り、首元にぶすりと注射器を差し込む。

 その間も、老人のばか騒ぎはずっと続いていて、これにはすぐ傍で悲観にくれている明美夫人も憂慮できない事態となった。隣の住人達はとっくに騒ぎには気がついているだろう。だが、今の段階ではまだ警察には通報しないはずだった。人間それほど簡単には警察に通報しない。積極的に警察に関与したがるのは教育をきちんと受けた人間達で、十二階建ての団地には教育をきちんと受けた人間は住んでいなかった。

「黙って!お願い」と明美夫人が老人を押さえつけるのだが黙らない。

 結局老人を黙らせたのは、明美夫人の拳の一発だった。それに合わせて、じわじわと聞いていた注射の威力もある。

「行きたまえ」とゲジゲジ博士である。彼がぼくに向かい玄関口へと顎をしゃくる。

「なんて言うの?」とぼく。

「それを考えるのが助手の仕事だ」

 


 態のいい言い訳はまったく思いつかなかったが、とにもかくにもぼくは近隣の玄関のドアを叩き、馬鹿な騒ぎをしていて申し訳ない、と一つ一つ挨拶周りをするのだった。

「いいんですよ」と大抵の住民はこういってくれた。

 予想できる事だが、部屋へと戻るとまた悶着。

 なにがしかの言い争いをしたあと、明美夫人はまたフォークを持ち出した。それを自分の頭に突き立てる。傍で見ているゲジゲジ博士は意を介さない。おちついた素振りで明美夫人を見つめていて、フォークを自分の頭に刺している女の膝頭を撫で上げる。

「こうなったのもあいつのせいよ!」と明美夫人。

「良枝はなにも悪く無い」とゲジゲジ博士。

「あんたがそうやってかばうからあたしはむかついてしまうの!」

「分かるよ」と博士。

「殺してやる!」と夫人がいきり立つ。

 彼女は、自分だけが狂乱している事が気に入らなかった。何としてでも、ゲジゲジ博士を逆上させたい。

 立ちあがり、博士の部屋へ飛び込む。

 その姿を目で追った博士とぼくは目が合った。

「どうだった?」と彼が聞く。

「みんな通報していないみたいだよ」

「うむ」と彼がいう。

 博士の態度は誰にも気に入るものではない。騒ぎの発端は自分だというのに、彼は妙に落ち着き払い、事の顛末を静かに見守ろうという構えで椅子に腰掛けている。

 方や、博士の部屋では明美夫人が、せっかく作ったばかりの人造人間の顔にフォークを突き立てていた。痛みは感じない。あるのは嫌悪感だけだ。人造人間は、目の前に暴れ回る三十代の女に目をくりくりさせていた。

「博士!博士」と人造人間の女が呼ぶ。

「呼んでいるみたいだよ」とぼくは彼をせき立てるのだが、彼は全く意に介さない。

「呼んでいるみたいだね」と彼が繰り返す。

「そうみたいだよ」とぼくは言った。

 

 

 林が帰宅してきた時、ぼくたちの部屋の中はすっかり静まりかえっていて、ぼくとゲジゲジ博士はテーブルで二人、缶ビールを突き合わせていた。それと煙草。部屋の中を薄暗くし、窓から見える夜をただじっと見ていた。

「林さんが帰ってきた」とぼくはゲジゲジ博士に呟くように言う。

「音聞こえた?」と博士。

「聞こえたよ。帰ってきたよ。週末残業だったんだ」とぼく。「車を借りないと」

「そうだな」と博士が言う。

「行ってくるよ。助手の仕事だからね」とぼく。アルコールが入ってもしゃっきりとしない中年男の肩を叩き、立ち上がる。

 彼からの返事は無い。彼はただ下唇を突き出しただけだった。

 林は二つ返事で、快諾してくれた。下着姿一枚という出立ちで、玄関に現れる。

「ワイフから聞いているよ」と彼。鍵をぼくに差し出した。

「嫌われていたりしないかな?」とぼく。

「嫌っているさ!」と林が笑う。それから履いている下着の裾から自分のイチモツを取り出し、ぼくに見せた。「機嫌が悪い女はこれで一発さ」

「邪魔したね」とぼく。

「いつもガソリンを満タンにしてくれるみたいだけど?」

「いつもガソリンが無いみたいだけど?」とぼく。

「使った分だけ入れてくれればいいよ。同胞じゃないか!」

「ありがとう」とぼく。

 林の部屋を後にした。

 車の用意は出来た。件の老人は、薬の効果でぐっすりと眠っている。なんとも形容しがたい醜い姿だった。年はとっても得するものではない。歯もぼろぼろで、閉じている瞼から少し見える目は潤ってはいるが、どことなく粘ついて見えた。涎みたいなものだ。年を取ると体中のありとあらゆる穴から汁が漏れてくる。

 押し入れにあった寝袋で老人の体をすっぽりと包み、これからの事をゲジゲジ博士と相談していた時、博士の部屋から疲れきった様子の夫人が出てきた。足取りはふらついている。手にはまだフォークが握られていて、先端は折れてしまっていた。

「ごめんなさい。あなた!」と夫人。博士の膝元に身を投げ出す。「いつも用心するのにちょっとした事で爆発してしまうの!」

「いいんだよ」と博士が夫人の頭を撫でる。

「あなたが頑張って作った人造人間を滅茶苦茶にしてしまったわ……」

「いいんだよ」

 夫人はなかなか泣き止まなかった。その彼女をゲジゲジ博士が介抱する。彼女の頭の傷はかなり深く、頭頂部の毛根は見るも無惨な姿だった。傷は多分、一生涯残るだろう。

「わたしを捨てない?」と夫人が博士に尋ねる。

「捨てないよ」と博士が言う。

「もう仕事できないかもしれない」と夫人。

「辛い事させた」

「いいの。だけど頭に毛がない女を誰かが抱きたくなるかしら?」

「パーマをかけよう。もじゃもじゃにしていれば傷も見えないさ」と博士が言う。それから付け加えた。「だけどもうあの仕事はしなくてもいいんだよ」

 老人は、どこかの公園にでも置いてくるつもりだった。冬で寒いとはいえ、寝袋はしっかりとした作りのアウトドア用品である。凍えて死んでしまう事も無いだろう。

 夫人の傷の応急手当を済ませ、ぼくとゲジゲジ博士とでその老人を抱え上げる。

「あたしも連れていって」と夫人。すがるような声を出した。

「戻ってくるよ」と博士。

「警察が来たらどうするの?」

「来ないよ」

「来ないよ」とぼくも明美夫人を安心させるのだった。

 時間は十二時を回っていた。

 エレベーターに乗り込み、一回のボタンを押す。抱えていた老人をおろし、ぼくとゲジゲジ博士は、下へと降りていくランプを見つめていた。沈黙は別に気まずくは無い。

「うぐっ!」と声がする。老人が起き出したのだ。寝袋のジッパーは全部しまっていて、その中で身をよじる。

 ぼくは寝袋のジッパーを開けた。ポケットに入っていた一万円札を三枚程掴むと、彼女の口に押し込んだ。それから鼻面を一撃する。静かになった。

 住んでいた部屋は十階だった。エレベーターは間もなく一階にたどり着く。

「誰か人がいたらどうする?」と博士が尋ねる。

「もう着くよ」とぼくはいった。それからエレベーターの中を見渡す。

 幸いカメラらしきものは無かった。カメラを探ったとはいえ、誰か人がいたとしたらどうすればいいのか分からない。とにかく運任せだったが、一階には誰か人の姿は無かった。

「ところでこいつはどこの誰なんだ?」と博士。エレベーターのから出る時だった。こう言う。それから彼は老人の足を持った。

 ぼくは何も答えずに、老人の頭の部分を持った。


 

 さて、車に乗り込むとようやく博士も安心したらしい。飛び出してきたのは罵詈雑言の嵐だった。彼を止めるには重機が必要だった。言っていた悪口は主に明美夫人に対してのもので、それ以外の事に関しても結局は明美夫人の事だった。

「三年だぞ、三年!おれは三年もの間、良枝を作る事だけを精一杯にやっていたというのに、あの女はそれを!」

 そう言うと彼は、車内にあった灰皿をフロントガラスに向けて投げつけた。それからシートにかかっているジャンバーもご同様。目に着くものを手当り次第に、傷つけていく。

「林さんの車だよ」とぼく。止める気はなかった。ただ、一言忠告を入れただけだ。

「林さんだと?あの中国やろうめ!シナ人め!」と彼が言う。助手席から身を乗り出し、ハンドルに噛み付き始める。「あの女め!あの女だ!あの女が楽しんであの仕事をしているのは分かっているんだ。いつだったか、おれに自慢げに話した事がある」

「博士」とぼく。彼を見た。それから後部座席に乗せている老人に目をやる。「起きちゃうよ」

「起こせばいいんだ!誰なんだ、こいつは一体!」

 そう言うと彼の怒りの矛先は、可哀想な老人へと移った。固く握った拳で何度も執拗に寝袋を叩く。

「あの女め!なんと言ったと思う?他の主婦達はただで毎晩抱かれているけど、あたしを抱くのは有料だとかなんとか抜かしやがった!これが楽しんでいる証拠さ!薄ら笑っているんだ。おれたちを笑っているんだよ」

「そうだね」とぼく。

 車は住宅街を抜け、港町へとやってきていた。最初こそ、どこかの公園にでも放り投げておけばいいと思っていたのだったが、結局はこんな所までやってきてしまっていた。

 どこか適当な所へと車を駐車し、辺りを見回す。エンジンを切り、ぼくは後部座席の老人を外へと下ろす為に、運転席のドアを開けた。

「殺すの?」と彼が聞く。

「まさか」とぼく。

 車の外から出て、後部座席を開ける。それから老人を引き摺り下ろした。下ろす時に、彼女はアスファルトに頭をぶつけた。ポケットからもう一枚お札を取り出し、寝袋の中に入れる。

「ジッパーを少し開けておかないと中から開けきれないよ」と博士が言う。

「そうするよ」とぼく。

 彼女を引きずり、近くにあった薮に放置した。瞬間、もう死んでいるかもしれない、と思い、寝袋を開けて確認したが息はしている。

 近くにあった自動販売機で、暖かいコーヒーを二つ買い、車内に戻った。

「さあ行こう」とぼく。

 コーヒーを博士に渡した。

「どこに?」と彼が尋ねる。

「ドライブだよ」とぼくは言って、アクセルを踏んだ。


 

 

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