50 演劇が始まります
「うん、美味しかったよ颯花」
最後の一口を平らげて、私は改めて感想を口にした。
「そ、それは良かったよ。作った甲斐があったね……」
颯花は私の振る舞いに意表を突かれた事もあってか、それ以上あーんを要求する事はなかった。
きっと、私の気持ちは伝わったはずだからそれ以上の見返りを必要としなかったんだと思う。
「あ、そろそろ演劇の時間になるから行かないと」
次は体育館で行われる演劇の準備に行かないといけない。
時間が差し迫っていた。
「うん、わたしは後で観に行くから頑張ってきてねぇ柊子ちゃん」
そう言って和やかな笑顔で颯花は送り出してくれる。
「ありがとう、行ってくるね」
颯花に見送られて、私は体育館へと歩き出した。
◇◇◇
「柊子、遅いわよ」
体育館の舞台裏は控室として使用可能で、それなりに大きな空間になっている。
今はそこで配役に当たっている人が衣装に着替えているタイミングだった。
そこで待っていた冴姫は仁王立ちで私を見つめていた。
既に白く眩い衣装に着替え、髪を一本に束ねている冴姫は王子の凛々しさも相まって神々しいオーラを放っていた。
「ご、ごめん……でも、一応は間に合ってるはずなんだけどな」
ギリギリである事は否めませんけど。
「こういう時は五分前行動が基本でしょ。皆もう着替え終わって舞台袖に回ってるわよ」
「え、は、早い……」
だからこの場に冴姫しかいないんだ……。
「もう主役の柊子がそんなでどうするのよ。それとも……そんなに遅くなるくらい颯花と何かあったわけじゃないでしょうね?」
王子……じゃなくて、冴姫の眼光が鋭く光る。
きっと冴姫が思っているような事は起きていないから、セーフとさせて頂きたい。
「な、何もない何もないから。クレープは食べたけど、あーんもされてないし。単純に私の時間管理不足だよ」
「本当ね……まぁ、それならいいんだけど」
時間が差し迫っているのあるのだろう、それ以上の追及をされる事はなかった。
ちょっと助かったなと思っている内に、冴姫が動き出して衣装を持ち出してくる。
「ほら、柊子。早く着替えましょ」
冴姫の手には白雪姫の衣装があった。
白を基調としたドレスにはシルクが使われているそうで、その光沢には上品な艶やかさがある。
スカートの揺らぎ一つをとっても、綺麗なドレープを作っていく様は素材の上質さを感じさせる。
その高級な素材感と豪奢なデザインは見ているだけでも頭が下がるのに、これをこれから私が着るのかと思うと、頭が地面にめりこんでしまうかもしれない。
「……なに、ぼーっと見てるのよ。ほら早く」
冴姫はその手にあったドレスを渡すが、そこから離れる様子はない。
「え、えと、自分で着替えますけど?」
「背中のファスナー、柊子じゃ閉めれないでしょ」
「……ああ」
それはそうだった。
一人では出来ないので、そこは手伝ってもらうしかない。
のだけど……。
「あの、視線を外してもらえると助かるのですが……」
「え?」
いや、“え?” じゃなくてですね……。
冴姫が食い入るようにこちらを見るから、それもあって私は動き出せずにいるのだ。
出来る事なら着替えてる瞬間は見られたくなって言うのが、人の心理というものでしょう。
恥ずかしいんだからさ。
「ファスナーお願いする時に呼ぶから、それまでは違う方を見ていて欲しいなと……」
「あ、ああ、そっか。そうよね、ごめん」
とは言いつつも、どこか名残惜しそうに体を反転させる冴姫。
何か私の着替えに面白い瞬間を期待したのだろうか……。
と、違う事を考えるのもそこそこに。
皆を待たせてしまっては申し訳ないので、手早く着替え始める。
生地は肌当たりの良さも別格だった。
これがお嬢様学校の資金力なのですね……。
「冴姫、お願いしていい?」
兎にも角にも、一応は着れたので背面のフックとファスナーを冴姫にお願いする。
「分かったわ」
冴姫の手が背中に掛かる。
フックとファスナーが閉まり、適度な締め付け感が背中から伝わって来た。
「はい、お姫様。お召し物はいかが?」
「……まだ、そういうの早いと思うんだけど」
その呼び方で呼ばれるのは釈然としないと言うか、恥ずかしいと言うか。
振り返るとそこには王子様がいるので、これまた赤面。
いや、冴姫を見ているだけなら感嘆するだけで済むのだけど、こっちは絶対に似合っていない物を着ている羞恥が無駄に体を熱くさせていた。
「だって、僕の目の前に麗しのお姫様がいるんだから仕方ないだろ?」
冴姫はイジワルがお好きなようで、今度は演劇口調に合わせた低音で話し始める。
整った顔立ちというのは中世的な魅力も持ち合わせるようで、男性物の服装に髪をまとめて、雄々しい口調で話されると、それこそ本当に王子様のようだ。
しかも目の前にいるのは冴姫でもあるのだから、その魅力に目を離せるわけもなく。
「まぁ、ある意味で私が白雪姫で良かったよ」
「ん? それ、どういう意味?」
すぐに声を戻してくれて助かった。
「そんな魅力的な王子様を他の人に見せてたら、冴姫に惚れちゃうだろうからね」
これ以上は言葉にはしないけど、この冴姫を他の人に見せつけていたら私が嫉妬してしまうだろうから。
白雪姫を演じる事には抵抗感はあったけど、その一点だけにおいては私が演じて良かったと思う。
「あー、そういうこと。そんな心配は要らないのに」
「ん、どゆこと?」
今度は私が聞き返す番だった。
「あたしは柊子を差し置いて、誰かの王子様になる気はないってこと」
……もう、そういう事を平気で言ってのけるんだから困っちゃうよね。
思い返してみると、元々こういう王子様気質あったんだな、冴姫。
「よし、それじゃ本当に行くわよ柊子」
「うん……って、わわ」
歩き出した途端、足がもつれてしまう。
これがまたスカートの裾が床に引きずってしまいそうな程に長いのだ。
今までこんな華美な服を着る機会なんてあるわけもなく、歩き方が分からなくて裾を踏んでしまった。
「おっと、危ないわね」
そこで、冴姫に手を体を押さえてもらう。
バランスを崩しそうになった私に安定感をもたらしてくれた。
「ごめん、ちょっとこういうの慣れなくて」
すると、冴姫は困った物を見るように眉をひそめながら口元は笑っていた。
そして、そのまま手を差し出される。
「そそっかしい子ね。ほら、手をお貸しましょうか?」
……いや、だから。
今の見た目でそれやられると破壊力が凄いから反応に困っちゃうんだけど。
でも、その手を握れるのも私だけなわけで。
「それなら安全な道案内をお願いしようかな、王子様」
そうして手を重ねると、冴姫は一瞬だけ目を丸くして。
「仰せのままに、柊子姫」
手を引かれながら、歩き出した。