49 模擬店が始まります
そして、学院祭は当日を迎える。
皆が楽しみに待っていたこの日を、私は内心ドキドキを抱えながら迎える事になった。
「あ、柊子ちゃん。来てくれたんだねぇ」
教室に足を運ぶと、颯花が既に準備万端な様子で私を笑顔で迎えてくれた。
「そりゃ、もちろん来るよ。私も模擬店のスタッフだからね」
演劇が始まるまでの間は、先に模擬店を担当をする事になった。
ちゃんとクレープ専用の機械を取り揃えている当たり、お嬢様学校の風格を感じる。
何でも星奈さんが用意してくれたんだとか。
「ふふ、じゃあ早速お客さんが来たみたいだし。焼いちゃおっかなー」
「あ、ほんとだ。い、いらっしゃいませー」
颯花は調理係としてクレープを作り、私は売り子として呼びかけやレジまで担当する。
模擬店のメンバーで、この役割を交代で担当していく予定になっていた。
「颯花、チョコバナナクレープとサラダクレープを一つずつお願い」
「了解だよぉ」
注文を受け付け、颯花に指示を送ると慣れた手つきでクレープを作っていく。
パッと見はお店に売られているようなクレープが出来上がっていた。
「はい、出来たよぉ」
「あ、ありがとう」
私は颯花からクレープを受け取り、お客さんに手渡す。
「どうぞ、ご注文の品です」
定型文的な会話しか出なかったけど、何とか無事にやってのける。
アルバイト経験もなかったから不安だったんだけど、これで良かったのだろうか。
接客自体が初めての経験でドキドキだった。
「あ、またお客さんが来たみたいだねぇ」
「お、思った以上に来るんだね……!?」
想像していたよりも賑わい始めた模擬店に、四苦八苦する時間が始まろうとしていた。
「……ひ、ひとまず落ち着いたかな」
「思っていた以上に大変だったねぇ」
小一時間はひたすら接客に追われていたと思う。
何とか人気がなくなったタイミングで、交代の時間を迎えようとしていた。
「それじゃ柊子ちゃん、交代の前にご注文を聞こうかな?」
颯花のその言葉は、私がお客さんになった合図でもあった。
次の交代メンバーが来る前に、颯花は最後の注文を受ける。
「それじゃ苺クレープの苺トッピングで」
「はーい、ご注文を承りましたぁ」
何枚も焼いてきたんだから疲れているだろうに、そんな気配を微塵も出さない颯花は笑顔でクレープを焼いていく。
その手つきは、今までの誰よりも丁寧に仕上げているように見えたのは……きっと最後の一枚だからだと思う。
◇◇◇
「はい、どうぞ柊子ちゃん」
「ありがとう颯花」
颯花が焼いてくれたクレープを受け取ると、ちょうど交代のタイミングとなった。
演劇まではもう少し時間があるため、小休止に中庭まで足を運ぶ事にした。
「案外、人いないんだね」
「模擬店は校舎前でもやってるからねぇ、そっちに人が流れてるんじゃないかなぁ?」
思っていた以上に中庭の人影はまばらだった。
その中でも隅にあるベンチに座る。
これはこれで落ち着いて食べられるからラッキーだね。
「はい、召し上がれ。柊子ちゃん?」
ニコニコの笑顔で私を見守る颯花。
このクレープには色んな思いが詰まっている事が既に分かっているから、この後の事を考えると中々に勇気がいるのだけど……。
「あ、それとも食べさせて欲しいのかなぁ?」
来たね、颯花の“あーん”の催促だ。
だけど、私はまだその選択肢は選ばない。
「ま、まずは自分で食べるかな」
「そうなんだね、まずは自分で食べるんだね」
“まずは”を強調されているから、まだこの後も催促されるんだろうけど……。
いや、もう深く考えるのはよそう。
私は颯花が焼いてくれたクレープを食べる。
その幸せだけを考えるんだ。
他の事は、今は余計な事だった。
「いだたきます」
そうして、私はクレープに口をつける。
ふわふわの生地に、生クリームの甘みが口の中に広がっていく。
そこに苺の果汁が溢れて、その酸味が甘さをさらっていく。
「美味しいね」
その一言に尽きた。
私の大好きなクレープだった。
「良かった、一安心したよ」
そう言ってほっと胸を撫でおろす颯花。
「颯花の作るものはいつも美味しいんだから、そんな心配とか要らないのに」
「そうは言っても緊張するんだよ、初めて食べてもらう物なら余計にね」
そう……なのかな。
なにせ料理をしない人間だから、その機微を詳細に分からない人間で申し訳ないんだけど。
作る側の颯花がそこまで気にしなくてもいいと思うんだけどな。
「それで、柊子ちゃん……全部自分で食べられそうかなぁ?」
そして、やはり再びの颯花の“あーん”への催促。
これを断れば、きっと颯花の思いを踏みにじってしまう事になるのだろう。
仮にこの後、模擬店が一番だったよと言っても颯花の心の中には後味の悪い物を残してしまう。
何をどう選んでも、この選択肢は颯花と冴姫のどちらかを不幸にしてしまう。
それなら、私が選ぶべき答えは何か?
「そうだね……私じゃ食べられないから――」
そうして、食べ掛けのクレープを颯花に渡す。
それを受け取ると、颯花は満足そうに微笑むのだけど。
「――颯花も、ちょっと食べてくれない?」
「……え?」
そこには私が口をつけた食べ掛けのクレープがある。
それを食べてもらうという事は……うん、そういう事だね。
「せっかく颯花がたくさん作ってくれたのに、まだ一枚も颯花が食べてないからさ。私のも一緒に食べてよ、同じ物を食べるのって思い出にもなるからさ」
「え、えっと……それって……えっと」
渡したクレープと私を、交互に見やる颯花。
その意味は、ちゃんと伝わっているんだと思う。
「ああ、なるほどね。それじゃ、こうしようか?」
あたふたと手をこまねている颯花を見て、私はその手からクレープを受け取る。
またこの手に戻って来たクレープは、私の口ではなく、颯花の口元へと運んだ。
「はい颯花、あーん」
「え、ええ……!?」
そう、私は颯花が提示した選択肢は選ばない。
それとは別の選択肢を颯花に提示する。
彼女の価値観ではなく、私の価値観を見せつける。
「どうしたの、要らないの?」
「いや、えっと……そ、そう来るんだね……柊子ちゃん」
観念した颯花は、恥ずかしそうにしながらも口を小さく開けた。
私はその口元にクレープを運び、彼女の唇がその生地に触れる。
「どう、美味しい?」
「……う、うん。美味しい、ね」
もぐもぐ、と咀嚼する颯花。
その姿を見ながら、私は最後に投げ掛ける。
「颯花、これって間接キスかな?」
「……もう柊子ちゃん、分かってるくせにイジワルだよねぇ」
頬を染めながら頬を膨らます颯花。
きっと彼女の思い描いていた画にはならなかったんだろうけど。
それ以上、颯花は何も言ってこなかった。