04 ホームだからこそアウェイ
そして一週間後。
私は無事に病院を退院する事が出来た。
久しぶりの我が家は快適で、空気すらも柔らかいものに感じられた。
とは言え、休んでばかりもいられない。
ここから始まる学院生活に、緊張感を感じ始めたからだ。
制服の袖に腕を通し、松葉杖を持つ。
経過は良好だけど、あたしが無理を言って早期退院を望んだこともあり、大事をとってもうしばらくは無理はしないようにと言われている。
「よし」
気持ちを一新して、ドアノブを握る。
さぁ、学院生活の始まりだ。
「「おはよう 柊子・柊子ちゃん」」
「……」
扉を開けた瞬間、見目麗しい双美姉妹の姿があった。
いや、まさか外に出て一秒で会うとは思わないじゃない。
ちなみに退院時に双美姉妹は家まで付き添ってくれたので、住所がバレてしまっているのはそのせいだ。
「どうしたのよ、呆気にとられた顔をして」
「もしかしてぇ、学院に行きたくなくてブルーな感じかなぁ」
今日も姉妹は仲睦まじく、私を迎え入れてくれる。
「あの……二人とも、もう退院したんだし、そこまで気を遣わなくてもいいんだよ?」
「気なんか遣ってないわ、あたしがこうしたいだけ」
「そうそう、一緒に行く方が学院の憂鬱も紛れるしねぇ」
それでも二人は、登校する決意を固めてくれていた。
紆余曲折はあったけど、本来のシナリオであればフェードアウトしていた二人の物語はこうして続いていくんだ。
「あ、ありがとう……それと、冴姫と颯花が学院に通ってくれて良かったよ」
この瞬間のために、私はあの橋の上で覚悟を決めたのだから。
今それが報われたような気がする。
「馬鹿ね、柊子が学院に通うのにわたし達が行かないわけないじゃない」
「そうだよぉ。学院は嫌だけど、柊子ちゃんを一人にするのはもっとイヤだからねぇ」
そして二人は私に対する優しさを惜しまない。
もうそんな過保護を受けるような状態ではないのだけれど。
気持ちが直に伝わってくるから、その手を離さずにいられないでいる。
優しさに埋もれてしまいそうだった。
「それじゃ、行こっか。冴姫、颯花」
姉妹と並んで学院への通学路を歩いて行く。
こんな日が来るとは思っていなかった。
◇◇◇
改めて状況を整理する。
この世界はかつて私がプレイしていた百合の恋愛シュミレーションゲーム『彼女はまだ純白の花を知らない』 通称カノハナと酷似している。
私、白羽柊子は本来モブであり、その記憶を思い出したのは、双美姉妹が橋の欄干の上にいるのを目撃した時だ。
そして、これから通う学び舎が舞台となる“雫華女学院”
名家の女子生徒が多く通う、古き良き名門校とされている。
一般生徒もいるそうだが、その割合は少ない。
ちなみに私もモブだけあってどうやら一般生徒のようだ。
部屋も親近感のあるワンルームの一人暮らし。
うん、私には全然十分なんだけどね。
「これが、雫華女学院……」
視線の先に雫華女学院の校舎が映り込んでくる。
手入れの行き届いた花壇や芝生、正門の中央には噴水が流れている。
校舎の外壁はレンガによる赤茶色の温かみを感じさせながらも、傷や色褪せた部分が散見されるが、それが長い年月の歴史を重ねた風格を帯びている。
その広大な敷地と荘厳な校舎に圧倒されながら、足を踏み入れた。
「よいしょ、よいしょっと」
松葉杖で歩く練習もしているし、段差も問題ないのだけど、やはり受傷前と比較すれば学院内の歩きにくさはどうしても感じてしまう。
記憶にある動きと、現在の動きではギャップを強く感じた。
それでも何とか教室の前まで辿り着く。
「……来たわね」「……来ちゃったねぇ」
二人の空気はこれ以上になく重い。
私もそれを思うと、晴々とした気持ちではいられなかった。
「あ、ごめんごめん。扉を開けるわね柊子」
「そうだね、早く座らないと柊子ちゃんも疲れちゃうよねぇ」
それでも双美姉妹は気持ちを入れ替えるように、明るく務めてくれた。
――ガラガラ
と、冴姫の手によって教室の扉が開かれる。
久しぶりの教室。
朝の喧騒は、入った途端に空気が少し固くなるのを感じた。
「……えっと」
クラスメイトの視線は直接的には向けられていないが、明らかに意識が双美姉妹に向いているのを感じる。
「はい、座ってねぇ柊子ちゃん」
「あ、ありがとう、颯花」
しかし、双美姉妹はその空気に反応する様子は見せない。
窓側から二列目の最後尾の私の席に行くと、颯花が椅子を引いてくれた。
「……柊子ちゃんの椅子」
「ん? 颯花?」
すると、なぜだろう。
颯花が引いた椅子を凝視している。
その目つきがどこか煽情的に見えるのは、気のせい……だよね?
「あ、ごめんねぇ。ちがうんだよ、この椅子が柊子ちゃんのお尻に触れてるんだなって思っただけっ」
「……う、ん?」
「あー、あははっ、いいのいいのっ。わたしの勝手な話、ちょっと椅子になって柊子ちゃんを支えるのもアリかなって思っただけぇ」
「無しじゃないかな?」
颯花が笑顔でずっとよく分からない事を言っていた。
「ほら柊子。松葉杖、持っとくから座りなさいよ」
「あ、ごめん、冴姫」
見かねた冴姫に椅子に座るよう促され、松葉杖を代わりに持ってくれる。
「……柊子の松葉杖」
「ん? 冴姫?」
すると、なぜだろう。
冴姫が手に取った松葉杖を凝視している。
その目つきがどこか煽情的に見えるのは、気のせい……って、なんかデジャブ?
「あ、ごめんっ。ちがうのよっ、この温かさが柊子の体温なんだなって思っただけよ」
「……う、ううん?」
「いいのよ、もうっ。あたしの勝手な話で、ちょっと杖になって柊子を支えるのもアリかなって思っただけよっ」
「さっきから二人ともどうして物視点で話すのかな?」
冴姫もずっとよく分からない事を言っていた。
そうか……きっと久しぶりの学院の空気に我を忘れてしまっているんだ。
うん、そうに違いない。
私はこれ以上は深く追求しない事した。
「じゃあ柊子、何か困った事があったら言ってよね」
「柊子ちゃん、無理はしないでねぇ」
そう言い残し、双美姉妹は中央側への席に向かうのだった。
こう俯瞰して見守っていると、クラスメイトの視線はしばしば双美姉妹に注がれている。
その眼差しも冷ややかなもので、双美姉妹とクラスとの雪解けの難しさを暗に示していた。
「白羽さん、退院おめでとうございます」
「……え」
すると私の名を呼んだのは隣の席の人物、ブラウンの編み込まれた髪をハーフアップにし、背筋が凛としていて慈しむような瞳が印象的な少女。
朗らかな笑顔と、その穏やかな面持ちは人当たりの良さを感じさせる。
しかも、モブである私の名前もしっかり把握してくれていた。
「あ、ありがとう……逢沢さん」
逢沢紬、彼女はカノハナの主人公だった。
「それとなんですが……」
逢沢さんは首を傾げながら、視線を教室の中央、つまり双美姉妹の方へ注ぐ。
彼女もまた何か言いたい事があるのだろうか。
「双美さん、お二人とも何だか雰囲気が柔らかくなりましたね?」
「え……分かるの?」
今の一瞬で双美姉妹の変化を感じ取ってしまったようだ。
「はい、とっても素敵です」
目尻を細めて微笑む逢沢さん。
さすが主人公……懐が深いみたいだ。