29 双美姉妹
「颯花、私もうダメみたい……」
二人三脚を走り終えると、柊子ちゃんがグラウンドの隅で力ない声を出しながら倒れ込んでしまっていた。
「そんなに疲れちゃったの?」
「……うん、足が千切れそう」
けっこう大袈裟だよねぇ。
なんて思ったりもしたけど、柊子ちゃんがあまりにも青ざめた顔で呼吸を繰り返しているから、強く否定もできなかった。
そうしている内に歓声が強くなったのを感じて、わたしは反射的にグラウンドに視線を送る。
「あ、逢沢ペアが乙葉星奈ペアにバトン渡してるよ」
「おお……がんば……」
どうやら二大派閥がアンカーのようだった。
あの二人は運動神経もいいみたいだから、残りのペアをごぼう抜きにしていた。
「あ、わたし達のクラスが一位だってぇ柊子ちゃん」
「……びくとりぃ」
柊子ちゃんの二本指が震えながら伸びている。
こんなに弱々しい勝利宣言を初めて見た。
喜んでいる雰囲気は微塵も感じられない。
「そんなに無理して頑張ってくれたの?」
柊子ちゃんの隣にしゃがみ込む。
こんなになるくらい体力に自信がないのに、わたしと冴姫ちゃんの為に走ってくれたのかな。
「いや、自分の器を理解してなかったね……まさかここまで貧弱だとは……」
柊子ちゃんが二人分走ってくれたおかげで、誰かに取られなくて済んだし。
わたし達も他の人と組まなくていいから本当に助かったんだけど。
「そんなに無理しなくてもよかったんだよ?」
別に、わたしか冴姫ちゃんが二回走る事だって出来たのに。
「いや、大丈夫……私が二人と走りたかったから……」
せめて地面じゃなくて、こっちを向いて言って欲しい。
言ってる事はかっこいいんだけど、姿があんまりかっこよくなかった。
でも……。
「うんうん、ありがとうねぇ」
初めて会ったその日から、柊子ちゃんはそうだった。
ボロボロになりながら、わたし達の事を気に掛けて助けてくれる。
それを柊子ちゃんは当たり前のように言うけど、今までそんな事をしてくれる人はどこにもいなかった。
「いつも感謝してるよ」
柊子ちゃんの背中を擦る。
その体に触れて、手の平から伝わって来る温度にどこ艶めかしさを感じてしまう。
どうしてだろう。
冴姫ちゃんにだって抱かない感情を、わたしは柊子ちゃんに抱いている。
この感情もまた形を変えていくんだろうか。
ドクドクと心臓が早まっていくのは、走り終わったせいだけではない気がした。
◇◇◇
柊子と颯花が走り終えて、あたしは二人の元に駆け寄る。
柊子は芝生の上に四つ這い姿で、息も絶え絶えになっていた。
隣でしゃがみ込んでいる颯花は、その姿を生暖かい目で見守っている。
「何よだらしないわね柊子」
あたしは疲れ切っている柊子に声をかける。
「いや……皆の倍を走っている事を忘れずに……」
とか言ってるけど、別に長距離走を走った訳でもない。
倒れ込むようなほどの疲れは感じないと思うんだけど。
「運動不足なんだねぇ」
「そう、それ」
颯花のフォローに柊子は指差しで反応を示す。
「あはは。そうだ、わたし飲み物持ってくるねぇ」
疲れ切っている柊子を見かねて、颯花は飲み物を取りにこの場を去る。
あたしは留守番を任されて、柊子の姿を見ながらため息を吐いた。
「でもあたしも普段運動なんてしてないけど」
ようやく息が整ってきたのか、柊子が座り込みながらこっちに顔を向ける。
「お二人とこの凡人を一緒にしてはいけません」
柊子は納得いかないと言わんばかりに、口をへの字に曲げる。
珍しく意固地になってるなと思いつつ、あたしは柊子の隣に座る。
「それはどういう意味?」
その言葉の真意を知りたくて、あたしは聞き返した。
「え、だって冴姫とか颯花みたいな優秀な人と一緒にされても困るんだよ」
それはなんて言うか。
柊子としては、あたし達の事を褒めてくれているつもりなのかもしれないけど。
あたしとしてはあんまり嬉しくないのが素直な感想だった。
「柊子を卑下されても、あたしはあまり嬉しくないわよ」
「……え、えっと」
思っていた反応じゃなかったのか、柊子は困ったように言葉を詰まらせた。
「あたし達はこれからも一緒でしょ、それを突き放すような事は言わないで」
過剰反応だというのは分かっている。
だけど“一緒にされたら困る”という表現は、何だかあたし達が遠ざけられているように感じてしまった。
きっと柊子にとっては、あたし達を見上げてくれているような感覚だというのも分かっているんだけど。
頭で理解していても、心がそれを許してくれなかった。
あたし達は横並びでいたかったから。
「あ、ごめん……そんなつもりじゃなかったんだけど」
あたしの言っている意図を察してくれたのか、柊子はすぐに謝罪の言葉を口にした。
こうなる事も分かっていたから、あたしも悪いなと思ってはいるんだけど。
でも柊子にだけは、こういう面倒くさい所を理解して欲しいと思ってしまう。
きっと甘えてしまっているんだ。
でも、これは他の誰にもなかった感情だから。
あたしの事を理解して欲しいなんて、他人に最も期待しなかった感情のはずなのに。
それを求めるあたし自身にも戸惑っている。
「分かればいいのよ」
あたしが不器用なのは分かっているから。
だからせめて、伝えたい事が伝わるまで柊子には話していきたいと思う。
拒絶の言葉しか吐いて来なかったあたしだけど、今は少しだけ変わった。
「柊子の隣にいるのはあたしだから」
初めて会った時、柊子は“冴姫と颯花が好きだからに決まってるじゃん”と言ってくれた。
その言葉の意味をずっと考えている。
柊子の好きは、どういう意味なんだろうって。
この胸の中にあるあたしと同じ気持ちなのかな。
その答え合わせをする勇気はまだないんだけどね。