24 好感度変動の予兆
「た、助かった……」
終えた中間試験、返却された答案用紙。
そこに記されていたのは、赤点のハードルを超低空飛行で飛び越えた点数。
危うく衝突事故も大いに在り得る危険領域だった。
これも双美姉妹が勉強を教えてくれたおかげだよね……。
「あら、良い結果が返って来られたのですか?」
隣の逢沢さんはいつもの柔和な笑顔でこちらを見る。
何をどうしたら私がそんな良い点数を叩き出したと思えるのか、教えてもらいたい。
「赤点ギリギリですよ」
「まぁ」
口元に手を当て目を丸くしている。
皮肉でも何でもなく、本当に私が良い点数を出したと思っていたらしい。
「私は勉強苦手なんですよ」
「も、申し訳ありませんっ。いつも的確な物言いをされるので、明晰な頭脳の持ち主だとばかり……」
とは言え逢沢さんは気まずくなってしまったのか、おろおろと視線を右往左往させている。
こんな日常会話でも性格の良さが滲み出るのだから恐れ入る。
ボロしか出ない私とは大違いだ。
「あ、ですが白羽さんは学院を長期間お休みにしていたブランクがありましたよねっ。それで赤点を超えられているのですから、やはり素晴らしい頭脳の……」
「ああ、止めてください。みじめさが増してます」
思わず皆まで言わせないで止めてしまう。
優しさは時に人を憐憫にかける事を彼女にも知ってもらいたい。
「まぁ、何はともあれ、これで少しは平穏な日々が送れるかな……」
中間試験も乗り越え、勉強のストレスもピークに達している。
学院の生活にもようやく慣れてきた所だから、ここで休養期間を頂けると非常に助かる。
適度に休まないと、息切れしちゃうからね。
「それでは皆さん、これから体育祭の参加種目の割り振りを決めて行こうと思います」
……と、思っていたのだけど。
どうやら、そうはいかないみたいだ。
壇上に上がっているのは学級委員長の乙葉さん。
彼女がこれから取り仕切る内容は、“カノハナ”のルート分岐に大いに関わるイベントだった。
プレイしている時は時系列に意識が向かないもので、まさか中間試験後すぐにこのイベントが待っていたなんて……。
「まずは個別参加種目の割り振りを立候補を募って決定していきたいと思います。それでは――」
とは思ったものの。
これはあくまで“カノハナ”の分岐なので、言ってしまえば逢沢紬に対する乙葉美月と星奈雅の好感度イベントだ。
基本的には、私に関係のない話ではある。
ただ懸念しているのは、原作では本来このタイミングで双美姉妹は既に退場している事だ。
その影響が、この場面で不和を及ばさないかだけが心配。
双美姉妹の関係性が悪化しない限りは問題ないので、状況が変わりなければ傍観していればいいのだけど。
「――では、次に二人三脚のペアの組み合わせを決めていきたいと思います」
……来たっ。
このペアの組み合わせが好感度変動に繋がる。
二人三脚ではペア同士での練習時間があるため、自然と会話が弾むきっかけになる。
しかも、体を密着させながら運動を連動させていく共同作業。
二人の距離がぐっと縮まるのは当然の事だった。
「ここで私を中心に話し合うのは難しいと思いますので、各々で相談する時間を設けたいと思います。立って頂いて構いませんのでペアが決まったら分かりやすいよう固まっていて下さい。決まった人から私が確認していきます」
……来たな。
ここで逢沢紬がどちらかを選ぶのだ。
乙葉さんと星奈さんの視線も、逢沢さんに強く注がれている。
ヒロイン同士、どちらが選ばれるのか気が気ではないのだ。
私としてもこの世界線での逢沢さんがどちらを選ぶのかは未知数だったので、思わず彼女の方に視線を向けてしまう。
「あら」
そしてばっちりと私と逢沢さんが向き合って視線が一致する。
心なしか嬉しそうに表情を綻ばせているように見えるのは気のせいだろうか。
「奇遇ですね、私も白羽さんとペアを組みたいと思っていたんです」
なるほど。
選ばれたのは私でした☆
「……はい?」
いやいやいや。
ないない、それはないでしょっ。
言葉の理解がようやく追いついて、冷や汗が全開になる。
乙葉さんと星奈さんの視線が氷点下を下回り、不思議と震えが止まらない。
そして、なにより。
「え、颯花? 逢沢に柊子が奪われたんだけど」
「うふふ、冴姫ちゃん? 略奪だねぇ、略奪されちゃったねぇ」
あわわわわ……。
冴姫は鬼の形相、颯花は笑顔だけど目が一切笑っていない。
この関係値だからこそ分かる、圧倒的な不穏の気配。
前言撤回……前言撤回させないとっ。
シナリオ的にも、個人的にも。
何もかもがバットエンドに進んでいるとしか思えないっ。
「逢沢さんっ、何考えてるんですかっ」
「あら、わたしは白羽さんと一緒に走りたいと思っただけですが……?」
きょとんと目を丸くして首を傾げる逢沢さん。
ここで天然発言は求めてないんだよねっ。
「私じゃなくて、乙葉さんや星奈さんがいるじゃないですかっ」
「んー……ですが、お二人を選んでしまうとクラスの溝が尚更深くなりそうですし」
なんでかなっ。
私のせいで第三の選択肢が生まれてしまったってこと?
確かにモブだから波風立たないと思われるかもしれませんが。
二大派閥の争いは加速する一方ですよっ。
「私が逢沢さんと組んでしまうと双美姉妹に睨まれちゃうんですっ」
というかもう既に視線でオーバーキルされそうなんだけど。
この後、どうなる事か想像するだけで怖気が止まらないんだけどっ。
「ですが、きっと双美さんは姉妹でペアを組まれますよね?」
「……え、まぁ、そうですね」
「失礼を承知で申し上げますが、そうなると白羽さんが組むペアはいらっしゃるのでしょうか?」
私?
……私か。
現在の私は第三勢力と目される双美派閥に属している。
味方など皆無で、冷ややかな視線を送られる事もしばしば。
そんな状況で、二人三脚のペアがいるかですって?
愚問ですわね。
「いません」
悲しい現実に肩を叩かれる。
涙が浮かびそうになるのを必死にこらえていた。
「それでしたら、僭越ながら私とペアを組むのは如何でしょうか?」
そしてこれが逢沢さんの主人公たる所以だ。
派閥争いには加担せず、困っている私に手を差し伸べてしまう。
逢沢紬が公平・平穏を望む人物であればあるほど、彼女は私を無視出来ないのだ。
……私は一体、ここまで何をしてきたんだ?
「ちょっ、逢沢さん……くっ。み、皆さん、どうやらペアの組み合わせを決めるのには時間を要しているみたいですので後日改めて決定しようと思います。それまでに各々で決めて頂いて、難航している方は私に相談して下さいっ」
乙葉さんが学級委員長権限を上手く使ってこの場を治める。
彼女にとってすれば、逢沢さんを星奈さん以外に取られるなんて認めるわけにいかないのだから当然だ。
「やってくれるなぁ白羽っち。まさかここで捲ってくるとは想像もしてなかったし」
星奈さんは人差し指で髪を何度もくるくると巻きつけながら歯がゆそうにしている。
あちらはあちらで大変に悔しそうである。
「ねぇ、颯花? 柊子があたし達の元から離れないって言ったの、この前よね? もう違う所に行ってるのは気のせい?」
「うふふ、冴姫ちゃん? 柊子ちゃんがわたし達を裏切るわけないじゃない、だからあの人は偽物なんだよ。柊子ちゃんを真似てる偽物、そんな悪い子にはお仕置きしないとだよねぇ」
双美姉妹の視線は一切ブレる事なく私に注がれ続けている。
四面楚歌。
初めてそんな現実離れした言葉が、肌に染みた。