20 罪には罰を
「柊子、戻って来たわよ」
「柊子ちゃん、一人にさせてごめんねぇ」
と、乙葉さんと入れ違いで冴姫と颯花が戻ってくる。
「あ、全然大丈夫だよ」
本当にこのタイミングで助かった……。
乙葉さんと話している所を二人に見られたら、またバトル展開になっていたかもしれない。
無用な争いは避けたいので、難を逃れたと一安心する。
「あれ、なんか椅子が温かいわね……?」
冴姫が椅子に座った途端に首を傾げる。
ま、まずい。
そこはさっきまで乙葉さんが座っていた椅子……というか、そんな変化を見逃さないのが怖いっ。
「夕陽が差してるから、そのせいで熱がこもったのかな?」
私は別の要因を示唆させる。
「あれぇ? このノートの数字さ、柊子ちゃんの字じゃないよねぇ?」
「――!?」
颯花が指していたのは、乙葉さんが書き記してくれた数学の回答だった。
ページをそのままにしていた私も迂闊だったけど、どうして一瞬で気付くのかなっ。
「ちょ、ちょっと通りかかった人に教えてもらってね……?」
「へぇ、じゃあそいつがこの席に座ったのね」
まずい……結局、椅子の温度は人だという結論に至ってしまう。
「あ……うん」
一瞬で嘘が剝がれてしまう自分の無能さが恨めしい。
「でも柊子、さっき夕陽がどうとか言って隠そうとしたわよね?」
「あ……はぁ……」
や、やばいぃ……。
下手に嘘を吐いたのが裏目に出てるぅ。
「と言う事は隠したい人って事だよねえ、それって誰なのかなぁ柊子ちゃん?」
あー……二人の視線が鋭いよう。
で、でも、ここは何とか“先生がたまたま寄った”という設定にして……。
「そう言えばさっき図書室から誰か出てきたわよね、颯花?」
「そうだねぇ、乙葉美月が出て来たよねぇ冴姫ちゃん?」
うん、もうムリだね。
「お、乙葉さんがたまたま来て、勉強を教えてもらいました……」
ごめんなさい、許してください。
二人の心の平穏を壊したくなかっただけなんです、もう遅いのは分かっていますが。
「……へぇ、乙葉から勉強をねぇ」
「……ふーん、柊子ちゃんは他の人に教えてもらいたかったんだぁ」
「ひぃっ」
二人の瞳からハイライトが消えて、私は左右から視線を浴びている。
逃げ場がない。
「どうしてあたし達が目を離すとそういう事になるのかしらねぇ?」
「柊子ちゃんってぇ、逢沢さんの時もそうだけどさぁ、そんなに他の子と仲良くしたいのかなぁ?」
「い、いえ、違うんです……私は二人と仲良く出来てとても満足しています……」
出来れば皆とも仲良くして欲しいけどねっ☆
なんて、このタイミングで言ったらどんな目に遭うか分からない。
今はとにかく反省するしかない……。
「じゃあ何をどうしたら乙葉に勉強を教えてもらう事になるのかしらねぇ。柊子に勉強を教える理由って向こうにはないと思うんだけど」
「それともぉ、柊子ちゃんの方からお願いしたのかなぁ? 乙葉さんと仲良くなりたくてぇ、わたし達の目を盗んで勉強を教えてもらっちゃったぁ……みたいなぁ?」
こ、こわいよぉ。
二人ともゆっくりした口調なのに言葉に温度がないし、何か誘導的だし。
そんな悪い事をしたわけじゃないはずなのに……。
「い、いえ、たまたま……乙葉さんが私の間違っている答案を見て直してくれたんです。だから一瞬の出来事なんです、本当です。二人にあらぬ誤解を受けないようにと下手に隠そうとしただけなんです、すいませんでしたっ」
ごりごりっ、と。
机に額をつけて頭を下げる。
「……それ、信用していいのね?」
「……もう隠してる事はない?」
「あ、ありませんっ」
乙葉さんに“逢沢と双美姉妹を狙ってる疑惑”を掛けられたけど、それは私と乙葉さんのプライベートトークですからセーフですよねっ!
「でも嘘を吐いたのは事実よね」
「そうだねぇ、罰が必要だよねぇ」
「え、え……?」
許してくれる方向性になったのはありがたいけれど、罰が待っているらしい。
ま、まぁ……非は私にあるのは間違いないけど。
内容が怖いな……。
「そうね、罪には罰よ」
「……私はそこまでの罪を犯したのでしょうか?」
「あれぇ、嘘は罪じゃないのかなぁ?」
「はい、罪でした、ごめんなさい」
罰で許してもらえるのならいいじゃないか。
私は審判の時を待つ。
「右手を貸して」
「え、あ、はい」
冴姫に右手を掴まれて、私の指先は彼女の口元へ誘われる。
何をする気なのか……と眺めていると、冴姫の口が開く。
その歯が剥き出しになって、私の人差し指を捉える。
一関節分が冴姫の口内に収まり、ずぶっと噛まれていた。
「いづっ……」
ズキッと痛みが走る。
それはほんの少しの間で、指を抜けばどこにも傷はないけれど。
赤い跡だけが残っていた。
「はい、じゃあ左手を貸してねぇ」
「あ、うん……」
颯花には左手を掴まれて、同じように私の指先は彼女の口元へと運ばれた。
もう行き着く先は理解しているだけに、これから来るであろう痛みに少し怯える。
「うっ……」
がぶっと、左手の指を噛まれる。
心なしか冴姫よりも痛みは弱かったけれど、噛んでいる時間は颯花の方が長かったと思う。
指先が解放されると、同じように赤い跡がうっすらと残る。
私の両指は、双美姉妹に噛まれてしまった。
「これが罰よ」
「罪には痛みが伴わないとねぇ」
「はい……」
しかし、どうなのだろう。
指先を噛まれる罰というのはあまり聞いた事がない。
こんな事で嫌うなんて事は一切ないけれど、彼女達の歪みをまた垣間見た気がした。
「えっと、大丈夫……?」
「すっごく痛いって事はないよねぇ?」
すると、今度は二人とも同時に私の指を擦る。
自分で噛んだのに、その痛みを労わる……。
ど、どういう事だろう。
「あたしだってこんな事はしたくないのよ。でも、こうでもしないと柊子が分かってくれないでしょ?」
「やっちゃった後は罪悪感も感じるんだよ、相手が柊子ちゃんなら尚更……ね」
彼女達は痛みを与えたくはないけれど、痛みを与えないとその罪を自覚しないと考えていて。
でも苦痛に歪む私を見て、彼女達の心は痛みを覚えている。
痛みに結ばれたこの表現は、冴姫と颯花にとってどんな意味があるのだろう。
何となく感じるのは、二人は強い結びつきを欲しているんじゃないかなって事。
痛みとは最も遠ざけたい刺激なのだから、それを受け入れてくれる相手は限られる。
その痛みを伴って尚、解かれないような関係性を冴姫と颯花は望んでいるのかもしれない。
だとすれば、この傷みは彼女達なりの愛情表現……とも考えられる。
「これくらい何ともないよ」
思えば足を怪我してから始まった二人との関係性。
これくらいの痛みで解けるような繋がりであるはずもない。
どうしようもなく不器用な私達には、これくらいの分かりやすさがきっと必要なんだと思う。