19 偏り
「柊子、帰るわよ」「柊子ちゃん、帰るよぉ」
放課後になるといつも冴姫と颯花の方から声を掛けてもらって帰る事になる。
いつもならその流れに乗る所なんだけど……。
「ごめん、今日はちょっと図書室に行こうと思ってるんだ」
「珍しいわね、何かあるの?」
学生の本分は学業、つまり中間試験が始まろうとしていた。
双美姉妹とクラスの関係性は気になる所だけど、試験も同じくらいに重要だ。
なぜなら私は一ケ月ほど入院していたため、完全に授業に出遅れてしまっている。
このままでは赤点案件なのです。
二人の姿を見守るより前に、私が学院からドロップアウトしたのでは意味がない。
「もう少しでテストだからね、勉強しようと思って」
「感心だねぇ、それなら一緒にお勉強しようかなぁ」
「え、いいの?」
冴姫と颯花が勉強に対してどこまで取り組むのかあまり知らなかったけど、案外前向きなタイプだったのだろうか?
「その遅れも元々はあたし達のせいでしょ、付き合うに決まってるじゃない」
「あ、いや、そんなつもりじゃ……」
しまった。
双美姉妹の影響だと思わせてしまった。
いつも私に対して気を遣ってくれる二人なのを分かっているのに、私も配慮が足りなかった。
「ほら、行くわよ柊子」「ほら、行くよぉ柊子ちゃん」
「お、おおっと」
二人に手を引かれて一瞬つんのめりそうになるのを堪える。
何となしに振り返ると、逢沢さんがこちらを見ていた。
目と目が合うと、ぱっちりと綺麗なウィンクを返してくれた。
「え、逢沢、今ウィンクしてなかった?」
「それも柊子ちゃんに向けてなかったかなぁ?」
「してないしてないっ、ほら図書室に行くよっ」
な、何という逢沢センサー……。
二人とも前を見ていたはずなのにどうして反応出来るのか。
そして逢沢さんも無自覚に愛嬌を振りまくのはやめて欲しいと思いつつ、それが彼女の個性というのは原作で把握済みなので早々に諦めた。
「はい、柊子。ここに座りなさいよ」
冴姫が椅子を引くと、そこは三席ある内の中央席だった。
つまり、私が二人の間に入ると言ういつもの配置だ。
……しかし、だ。
「思ったんだけどさ、たまには冴姫と颯花が隣り合わせで座ってもいいんじゃない?」
最近二人の真ん中に挟まるのが定番化しつつあるけど、毎回じゃなくてもいいと思うんだよね。
「え、柊子は真ん中よね?」
「柊子ちゃんが真ん中の方がバランスいいよねぇ?」
だけど二人は抵抗感があるらしく、素直に頷いてくれなかった。
今さらにはなるけど、私は“双子姉妹”という組み合わせが好きなんだよね。
最近それを見る機会が減りつつあるので、こういう所で栄養を補給しておくのは大事だと思うんですよっ(圧)
「美人姉妹で目の保養をした方が勉強のやる気が出るんだよ」
真ん中になると、どうしたって一人ずつしか視界に収まらないからね。
勿論、冴姫と颯花は一人ずつ魅力的なのは間違いないのだけれど。
二人身を寄せ合う姉妹の尊さも忘れてはいけない。
「だってぇ冴姫ちゃん、何か急に褒められちゃったねぇ」
「ふ、ふんっ、柊子に褒められたって、べ、別に何ともないわよっ」
颯花は困ったような笑みを浮かべつつ、冴姫はツンツンしながらも、二人ともまんざらでもなさそうだったのが非常に初々しくて良かった。
「まぁ、どうしてもって言うなら柊子の言う通りにしてあげてもいいけどっ」
「柊子ちゃんのお願いは断れないよねぇ」
という事なので、私は端に寄る事にする。
はてさて、それじゃ眼福に浸りながら勉強開始かななんて思って待っていると、二人が一向に座る気配を見せなかった。
あれ?
「颯花が端に座ったら?」
「んー、勉強を教えるのはわたしの方が向いてると思うから、冴姫ちゃんが端の方がいいんじゃないかなぁ?」
……おや、どちらが端に座るのかの論争になっているようだ。
「いや、そんなに成績は変わらないんだし、あたしの方がストレートに話すから柊子も分かりやすいでしょ」
「それって、わたしが回りくどいって意味かなぁ?」
「どっちかと言えばの話ね、颯花ってそーいう所あるでしょ。だからあたしが柊子の隣ね」
「それで言うなら冴姫ちゃんは言葉選ばないし端折る時があるから、説明不足になると思うよぉ?」
「それってあたしがガサツって言いたいの?」
「どっちかと言えばの話だよ、だからわたしが柊子ちゃんの隣かなぁ」
あれ、双美姉妹が互いを見合っている。
「……なによ」
「……なにかなぁ」
あ、ちがう。
これは私の隣にどちらが座るか論争だっ。
しかも、なんか険悪な雰囲気になってるし、マズいやつかも。
「あ、あーっ、二人に教えてもらう方が効率的だから、やっぱり真ん中に座ろっかなー」
私のワガママで冴姫と颯花の仲が割れるなんて本末転倒すぎる。
最初からこうすればいいのだと、私は大人しく中央に座る事にした。
「柊子がそうしたいならいいけど」
「柊子ちゃんのお望み通りにするよぉ」
「あ、うん……」
冴姫と颯花に笑顔が戻る。
よ、良かった……。
しかし、二人ともそんなに私が真ん中の方がいいのか……。
どっちか私の前に座るとかじゃダメなのだろうか……。
きっとダメなのだろうという気がしたので、これ以上は争いを繰り返さないように、私は静かに真ん中の席に座った。
◇◇◇
「んー……ちょっと疲れたわね」
「だねぇ」
しばらく勉強をすると、二人とも大きく伸びをしていた。
冴姫と颯花も私が説明を求めると懇切丁寧に教えてくれるので、とても助かった。
たまにどっちが教えるか論争でまたヒートアップしそうになっていたけど、そこは交互にしようというルールを設ける事で事なきを得た。
……二人とも、そんなに勉強を教えるのが好きだったのか。
「ちょっと外の空気を吸って来ようと思うんだけど、柊子も来る?」
「あ、私はこれ終わらせたいからもうちょっとやってる」
「そっかぁ、じゃあちょっと席を外すねぇ」
そうして双美姉妹が図書室を後にする。
せっかく教えてもらったんだし、二人の時間を無駄には出来ないと気合を入れ直す。
カリカリと、ノートにシャープペンで書き込む音が図書室に響いた。
「勉強熱心なのね」
図書室の静けさに親和するような落ち着いた声音。
顔を上げると、窓から差し込む夕陽を反射させた黒髪の少女がこちらを見据えていた。
乙葉美月だ。
「ごめんなさい、邪魔をしたかしら」
「あ、いえ、乙葉さんから話しかけられるとは思わなくて」
一体ヒロイン様が私に何の用なのか……。
特に目立つ事はしてないはずなんだけど。
「そう」
それを了承と受け取ったのか、乙葉さんは私の隣に腰を下ろす。
無駄のない流麗な動きは、美しすぎてどこか機械的な印象を受ける。
「貴女、何者なの?」
「はい?」
何の飾り気もない表情で、黒く澄んだ瞳は私だけを映していた。
その問いが一体に何を指しているのかはさっぱり分からなかったけど。
「最近の逢沢さん、貴女に興味を持っているでしょ?」
「え、そ、そうかな……?」
「下手な誤魔化しはやめてちょうだい。貴女と話しているのは目にするし、手を振られたり、ウィンクまでされていたでしょ」
「あ……はい」
ま、まずい。
乙葉さんは逢沢さんに恋する乙女なのだ。
逢沢さんの一挙手一投足を見逃さず、そこに私がいたせいでこちらの状況もバレてしまっていた。
「あの誰にも公平な逢沢さんが、貴女には肩入れしているように見えるのは気のせいかしら?」
「え、いや、私にも同じ反応な気がしますけどねっ」
仮に変化があるとすれば、それは私と双美姉妹との繋がりだ。
逢沢さんはそこにクラスの絆を取り戻すチャンスを見出しているから、私に対する態度に変化があるように見えるのかもしれない。
だが下手な事を言って、乙葉さんの恋の炎に油を注ぐ気はないよ。
「それに双美姉妹は貴女を痛く気に入ってるようね。あの誰とも付き合わない二人が、貴女だけを」
「ありがたいことに、仲良くやらせてもらってます」
冴姫と颯花の仲はもう公認(?)なので、否定する必要はない。
何か含みのあるような物言いは気になる所だけど
「不思議よね。逢沢さんも双美さんも、どちらも方向性は違えど“偏らない”という点では共通していた。それなのに貴女に対してだけはその偏りが見え始めている」
「……た、たまたまじゃないですか」
乙葉さんの瞳の奥に、炎が灯っているように見えた。
同時に不穏な気配を私のセンサーは感じ取っている。
直ちに退室したい。
「貴女は双美姉妹だけでは飽き足らず……、逢沢さんも狙っているのかしら?」
おいおいおいっ。
乙葉さんの恋のジェラシーが私に向けられてるよね、これっ。
何て勘違いなんだろう、でもそうなってしまうのが恋の病なのかなっ。
いや、今はそうじゃなくて、とにかく私まで敵対関係として睨まれるとか冗談じゃないよっ。
「い、いやいやいやいやっ、そんな事しませんって!」
「……」
じーっと見つめられる。
この関係値で無言で見合うの、つらい……。
「……その言葉に虚偽があったと分かった時には、覚悟しておく事ね」
「は、はい」
何かとっても怖いんですけど。
「私が話したかったのはそれだけよ」
乙葉さんは立ち上がる。
納得してくれたかどうかは怪しいが、及第点ではあったのだろう。
ほっと胸を撫でおろしていると、細長い指先が私のシャープペンを捉えていた。
「ここ、数式が間違っているわ。正しくは……こうね」
さらさらとノートに綴って、答えを修正してくれた。
「ごめんなさい、時間をとらせてしまったわね」
そのまま乙葉さんは図書室を後にする。
清廉とされた佇まいが最後まで崩れる事はなかった。
「……か、かっこいいな」
こりゃ逢沢さんも時期に惚れますわ、と。
この先の未来に想いを馳せた。