17 妹の気持ち
「ごちそうさまでした」
柊子ちゃんが手を合わせて、ぺこりと頭を下げる。
その仕草が微笑ましくて、わたしもつい笑みを零してしまう。
「お粗末様でしたぁ」
冴姫ちゃん以外に手料理を振る舞ったのは、柊子ちゃんが初めてだった。
そして美味しいと褒めてくれて、心が躍ったのも柊子ちゃんが初めて。
用意してきて良かったなぁ、なんて柄にもない気持ちに満たされる。
「足はこれでもう完治だね」
トントン、と柊子ちゃんが右足で床を何度か叩いていた。
そんな即効性はあるわけないんだけど、わたしの気持ちを受け取ってくれたようでむず痒くなってしまった。
「それで治ったらお医者さんも病院もいらないよぉ」
「なるほど、颯花は現代医療を超えたんだね」
照れ隠しの皮肉も、柊子ちゃんの前では丸め込まれて別の形になって返って来る。
こんな受け取り方も渡し方をする人もいなかったら、新鮮だなぁ。
◇◇◇
柊子ちゃんと橋の上で出会う、数時間前の話。
「……勝手に言ってろ」
集団で一方的に詰め寄られ、呆れた冴姫ちゃんはその場を後にする。
わたしもその手を取って一緒に歩き出した。
「どう思う、颯花?」
先を歩いて行く冴姫ちゃんは振り返らない。
その表情が読み取れなくとも声音を聞いただけで気持ちが沈んでいるのが分かるのは、双子の姉妹だからかな。
「そうだねぇ、結局一般論って人数の多い方の勝ちだからねぇ」
だから、いつだって少数で偏っているわたしたちに居場所はない。
そんなのはとっくの昔から分かっていた事だったけれど、こうして形となったのは久しぶりだった。
学院という箱ですら弾き出されるわたし達には、いよいよ居場所がない。
「くだらないと思ってたけど、本当にいい加減呆れてこっちが出て行きたくなるわ」
それは学院からか、この社会からか、それとも……。
多分、どれも正解なんだろうなぁと察する事が出来るのは、やっぱりわたしが妹だからなんだろうね。
いつもの帰り道。
冴姫ちゃんは思い立ったように、橋の柵に足を掛けて上り始める。
わたしもそれに倣った。
「……思っていたより、高いわね」
「……結構、怖いねぇ」
そこには直接的な死の恐怖が流れていた。
足を踏み外せば消えてなくなる。
生と死の間を、自分の意志一つでコントロール出来てしまう非現実的な感覚。
感じた事のない感触に、足元がムズムズとした。
「ねぇ、颯花。このまま飛び降りたらどうなると思う?」
その問いかけは、この先の未来を決めるものだった。
冴姫ちゃんはこの世界に絶望していた。
でも、わたしの方がとっくに嫌気が差していた。
ただ、わたしは冴姫ちゃんの後ろに着いてきただけだから、少しだけ俯瞰して物事を見ていられたんだと思う。
主観的だった冴姫ちゃんは、少しだけ気付くのに時間が掛かったんだろうね。
だから、冴姫ちゃんが決める未来にわたしは従おうと思う。
「うーん、助かる未来は見えないよねぇ」
この世界に元々愛着はないし、冴姫ちゃんがいない世界にはいよいよ存在する理由がない。
「あの、そこのお二人は何をしているのかな?」
そこに柊子ちゃんは現れた。
今まで一度たりとも会話なんてしなかったのに。
タイミング良いのか悪いのか、よく分からなかった。
でも、彼女の選択がわたしたちの未来を変えた。
落ち行く柊子ちゃんを見て、その恐怖に怖気が走る。
さっきまで自分達がしようとしていた行為に、突然現実感が伴った。
とてもじゃないけど、あんな光景を見た後に同じ行為をする勇気は出てこない。
そして何より、先立つ感情があった。
「ねぇ、冴姫ちゃん。これ救急車呼ばなきゃだよね?」
「そ、そうねっ! 今、呼ぶわっ!」
ぐったりとうなだれる柊子ちゃんに、色んな感情が渦巻く。
どうして自分を犠牲にしてまで、わたし達を救おうとしたのか。
この世界から弾かれていたわたし達に手を差し伸べたのか。
生に対する執着を失っていたと思ったのに、彼女一人の行動で全てが裏返る。
何かこの世界に光明が差し込んだような気がして。
でもその光はわたし達のせいで失われようとしていて。
希望と絶望が同時に押し寄せたような、不条理。
彼女を失ってはいけないと心が叫んでいた。
それは罪悪感であり、贖罪であり、感謝であり、救済でもあった。
一体、この短い間にどれだけの感情をもたらすのか。
わたしの視線は初めて、冴姫ちゃん以外を捉えていた。
奇跡的に骨折で済んだ柊子ちゃんは入院となった。
病院の待合室で、わたしと柊子ちゃんは座り続けていた。
「……手を差し伸べてくれる人も、いるのね」
冴姫ちゃんの頬に涙が伝って、その雫がスカートに落ちる。
ああ、冴姫ちゃんもまた、わたしと同じように心を救われたのだと気付く。
「……そう、なんだね」
いつもわたし達は同じ気持ちを共有してきたから。
きっと柊子ちゃんに抱く感情も同じなんだろう。
救われた人に恩返しをしたい。
そんな当たり前のようで初めての気持ちをもたらしたのが、白羽柊子という少女だった。
◇◇◇
「じゃあお薬代わりになるお弁当、明日も作ってあげようかなぁ?」
というか、もうそのつもりなんだけど。
一応、柊子ちゃんに確認してみる。
「いや、それはいいって、さすがに申し訳ないって」
手を大きく横に振って、柊子ちゃんは断ってしまう。
さすがにすぐには受け入れてはくれないかぁ、なんて思いつつ。
「そうね、なら次はあたしの番ね」
腕を組んだ冴姫ちゃんが鼻を鳴らす。
やっぱり料理の腕前を披露したいらしい……けど、誰も幸せにならないからやめた方がいいと思うなぁ。
「あ、うん、やめとく」
「なんか颯花と温度感が違うっ!」
柊子ちゃんは引き攣った苦笑いを浮かべて、すぐに断っていた。
直観的に彼女も理解しているのかもしれない。
「じゃあ、わたしで異論ないね、柊子ちゃん?」
「いや、食べないという選択肢をチョイスしたいのだけど……」
「食堂でぼっち飯するのぉ?」
「うっ」
もしかすると、柊子ちゃんはわたし達といるせいでクラスから弾かれてしまうかもしれない。
そこに申し訳なさはあるけれど、同時に喜びも感じてしまっていた。
だって、わたしと冴姫ちゃんで柊子ちゃんを独占出来るんだから。
他の人には絶対に触らせたりはしない。
「……じゃ、じゃあせめて、お金を払わせて。タダ飯はさすがに気が引けるよ」
苦渋の決断を迫られたようだけど、やはり柊子ちゃんは一人は選べない。
と言うよりも、わたし達を選んでくれたのかな?
そう考えた方が幸せだけど。
でも結果として、やっぱり柊子ちゃんはわたし達の元へ来てくれる。
「分かったよ、材料費だけねぇ。それ以上はいらないよ」
「お願いします颯花シェフ」
変なあだ名がついていたけど。
まぁ、いいよ。
柊子ちゃんが呼んでくれるなら。
それに……。
「それじゃ、わたしの料理以外は口にしないようにねぇ?」
その舌から胃袋に至るまで、わたしの手に掛かった物に埋まる。
わたしの作った料理が柊子ちゃんの血や肉となり、つまり命になる。
命を救ってくれた柊子ちゃんに、命の繋がりをもたらせる。
それはとても幸せな事なのかもしれない。