14 姉御肌
「柊子、歩くの昨日より遅くない?」
学院へと向かう途中、冴姫が不思議そうに言葉を零す。
隣で一緒に歩いていて、違和感を感じたらしい。
「え、そう……?」
とぼけてみせるが、実は骨折した足首がズキズキと傷んでいた。
恐らく昨日の歩行距離が長かった事や、学院や屋外など慣れない道を歩き続けたせいもあるだろう。
というか床で一夜明かしてしまったのも悪い、全身ギシギシだった。
「そうかなぁ? そんなに変わらないと思うけど、冴姫ちゃんが歩くの早いからじゃない?」
同じく隣に並ぶ颯花は私の変化には気付いていないらしい。
姉妹同士でも感じ方には違いがあるようだ。
「いや、明らかに遅いわ。右足で支えるタイミングで昨日よりも体曲がってるし、本当は痛いんじゃないの?」
「……え、いや、そのぉ」
何という観察眼。
まるで心の中を読まれているような鋭さにヒヤリとしてしまう。
「柊子、隠し事はやめて。体の嘘は柊子のためにならないわ」
その瞳が真っすぐに私を射抜いてくる。
嘘を見抜かれていると感じてしまうと、咄嗟に逃げたくなるわけで……。
「ちょ、ちょっとだけね」
なんて、苦し紛れに濁してしまう。
嘘をつく事も、本当の事も言えない。
何とも中途半端な対応だった。
「それは痛いってことでしょ、もう無理したらダメじゃない」
「い、いや、これくらい平気だって……」
松葉杖で最大限に荷重を逃せば問題ない。
体重を掛けてしまうと痛いけど、気を付けて歩いていれば何とかなるレベルだ。
「ダメだって言ってるでしょ。ほら颯花、柊子のカバンと松葉杖を持って」
「え、いいけどぉ……」
「わ、ちょっと、身ぐるみをはがさないでっ」
そんな訴えなど虚しく、背負っていたスクールバックと松葉杖は冴姫に有無を言わさず取り上げられる。
体重を逃す先がなくなると、右足首に負担が掛かった。
「あ、づっ……」
「ほら、普通に立ってるだけでも痛いなんて、昨日はなかったじゃない」
もう良くなったと勘違いして自由に動きすぎてしまったかもしれない。
軽率な行動が裏目に出てしまった気がする。
「そ、それにしたって杖を取り上げるなんて……冴姫はドSなのかな……?」
心配しているようで、こんな仕打ちをするなんて。
痛みを堪えている私がそんなに滑稽でおかしいだろうか。
「ち、ちがうわよっ、そんなヒドイことしないわよっ」
すると冴姫は慌てて否定しつつ、屈んで背中を向けてくる。
「……綺麗な背中、だね?」
何を求められているか分からず、とりあえず褒める事にした。
「ちっがうっ! 乗れって意味だしっ」
けれど、女の子の背中に乗れと言われる場面も稀なのだから言葉に窮する私の気持ちも分かって欲しい。
「……ダイエットしてからでいい?」
なんか痛みより、私の体重を直に感じられる方が嫌だった。
「意味分かんない事言ってないで、早く乗りなさいよっ」
怒られてしまった。
でもさすがに、そこまでお世話になるのは申し訳なさすぎる。
私が痛みを我慢すればいいだけなのに、その苦労を冴姫に背負わせるのは忍びない。
「ほら、学院の生徒に見られたら恥ずかしいし……」
クラスメイトに背負われて登校する生徒なんて見た事ない。
私はその視線をスルー出来るような強心臓は持ち合わせていない。
きっと心は羞恥心に満たされ、顔は真っ赤になってしまうだろう。
「じゃあ、学院の近くまでにするわ。それまでは少しでも体に負担を掛けない方がいいでしょ、学院に着いたらすぐに保健室に行くわよ」
「そうだねぇ、ムリして悪化させる方が良くないよぉ?」
「……ええ」
双美姉妹に選択肢を強制される。
冴姫に背負ってもらうのが正解のような空気になってしまった……。
「じゃ、じゃあお願いするけど……学院が近くなったら本当に下ろしてよ?」
私の羞恥もあるけど、何より冴姫に負担を掛けたくなかった。
「分かったから、ほら、早く」
でもやっぱり急かされる。
私は言われるがままに、冴姫の背中に体を預けた。
実際に触れてみると、その背中は華奢だった。
冴姫の首元に腕を回すと、ゆっくりと立ち上がっていく。
「何よ、全然軽いじゃない」
「……社交辞令はノーサンキュー」
「素直じゃないわね」
それは冴姫のしなやかで力強い足腰の成せる技のような気がする。
その背中は全然揺れる事がなくて安定していたからだ。
華奢な体をしているのに、人一人を軽々と持ち上げる力もあるなんて、ちょっとズルい。
「よし、行くわよ」
歩き出すと、ふわりと冴姫のミルクティーブラウンの髪が揺れる。
朝の風と共に、彼女の香りが鼻孔をつく。
柑橘系のさっぱりとした香りだった。
「冴姫、いい匂いするね」
「え、な、ななっ……!?」
初めて冴姫の背中が揺れた。
怖い。
「冴姫、落ち着いて欲しいかも」
「誰のせいよっ、誰のっ」
私のせいなのだろうか。
こんなに密着したら、香りがする方が自然だと思うんだけど……て。
「え、もしかして、私くさかったりする?」
いや、さすがにさっきシャワー浴びたばっかりだし大丈夫だと思うんだけど。
あ、でも、歩いてる最中は痛みもあって冷や汗かいたから、ちょっと怪しい……?
もしかすると、私の匂いに動揺して冴姫の背中が揺れただけなのかもしれない。
まずい、やっぱり下ろして欲しいかも。
「そ、そんなわけないでしょっ、ヴァニラのいい香りじゃないっ」
ヴァニラは私のボディークリームの香料だった。
やはり冴姫にも私の匂いは伝わっていたらしい。
それってなんか……。
「……」
「……」
「二人ともカミングアウトして恥ずかしい雰囲気になるのはいいんだけど、一緒にいるわたしが一番気まずいのは理解してくれてるのかなぁ……?」
何とも言えない空気を、颯花が中和してくれていた。
それでも羞恥の炎は止まらないけれど。
冴姫の背中の安定感は戻って来る。
「でもお互いにいい香りに感じるって事は、相性がいいって事よねっ」
「……それは、そうかもね」
何となくではあるけれど、それは案外間違っていないように思える。
そして冴姫は息切れする事もなく淡々と歩き続け、会話までする余裕がある。
驚異の身体能力だった。
「冴姫は可愛いのに、カッコよさもあるんだね」
「……っ!?」
また揺れ始めた。
やはり可愛さとカッコよさは両立しないのだろうか。
「ちょっと柊子もう変なこと言わないでっ、落ち着いて歩けないっ」
「変な事を言った覚えはないんだけど……」
しかし、背負ってもらってる立場の私があれこれと言う資格はない。
今の私は、冴姫の背に体を委ねるしかないのだから。
「ねぇ、さっきからわたしが仲間外れな気がするかもぉ」
すると、颯花が頬をふくらませて不満げな様子だった。
私としては颯花にも松葉杖とバックを持ってもらっているので、非常に心苦しい立場なのだけど。
「それなら代わる、颯花?」
「……出来ないの分かってるくせに、イジワルだねぇ冴姫ちゃん」
さらに頬を膨らませる颯花。
どうやら、身体能力に関しては冴姫の方が高いようだ。
「ね、見たでしょ柊子? あたしだってやる時はやるのよ? 不器用でもやれる事ってあるんだから」
そして、なぜか執拗に私に同意を求めてくる冴姫。
「うん、冴姫はすごいね」
私には人を背負うパワーも、その姉御肌な度量もない。
双美冴姫という人柄が、純粋に滲み出ていた。
「ふふ、そうでしょそうでしょ」
その足取りは、ふわりと軽やかに舞うようだった。