13 寝坊しても三文の徳はあるみたい
「よいしょっと」
――パチッ
と、玄関の壁面にあるスイッチを押して照明が光る。
私は一人暮らしなので、ただいまを言う相手はいない。
それに寂しさを覚えるかと言うと、そんな事は全くなくて。
むしろ何も気にする必要がないので、気楽でしかない。
靴を脱ぐと、足の解放感を感じる。
ワンルームの部屋は狭い。
玄関廊下を抜けて扉を開けると、部屋全体が一望出来てしまう。
縦長に広がる空間に、テレビもキッチンもベッドもある。
「はぁ……」
家に帰って、ベッドを背に床に座る。
藍色のカーペットを敷いて、ローテーブルを挟み、奥にテレビがある。
テレビの電源をつけようと思ったけど、思ったより遠い位置にリモコンがあって手を伸ばすのが億劫ので断念する。
制服から部屋着に着替えようと思ったけど、家に帰った途端、全てのやる気が遠のいて行った。
「思ってたよりも疲れてたのかな……?」
久しぶりの学院、少しだけ不自由な体、新しい人間関係。
その刺激が蓄積されて、ちょっと溜め込みすぎたのかもしれない。
全身の力が抜けていくようだった。
困ったな。
まだ夜ご飯も食べていないし、お風呂にも入ってないのに。
全てが中途半端なまま、眠気だけが瞼の向こう側からやってくる。
重くなっていく瞼に抗う理由が、今の私にはどうやら見当たらない。
「まぁ、ちょっとくらい、いいかなぁ……」
これは仮眠が必要なようだ。
私は瞼を閉じて、少しの間だけ意識を闇夜に放つ事にした。
◇◇◇
「――っ」
「――ぉ」
頭の奥をガンガンと弾かれるような感覚。
異様に重たい瞼は開く事を拒否していた。
「柊子、起きなさいってばっ」
「柊子ちゃん、朝だよぉ」
だと言うのに、鼓膜に届いてくる声がそれを許さない。
聴覚を刺激してくるその音が、目覚めろと脳を揺さぶって来るからだ。
「……な、なに?」
何とか、声だけ振り絞って出してみる。
「何じゃないわよ、もうそろそろ学院に行かないと間に合わないよっ」
「何回チャイム押しても無反応だから、心配したんだよぉ」
「……」
どうやら、冴姫と颯花が私を起こしに来てくれたようだ。
どういう状況だそれ。
寝ぼけている脳みそでもそれが普通の状況ではない事は理解できた。
「ちょ、ちょっとたんま……ふ、不法侵入……」
どうやら私は床に寝そべっていたようなので、体を起こす。
鋼鉄の意志で瞼を開けると、見目麗しい双美姉妹が私の部屋にいた。
冴姫は腕を組んで仁王立ち、颯花はしゃがみ込んでこちらを覗き込んでいる。
「最初に指摘する所はそこなのっ!?」
「そもそも鍵は開けっぱなしで不用心だったんだよ? むしろ、わたし達で良かったと安心して欲しい場面かも」
二人はどうやら私に落ち度があると指摘したいようだが……。
「いや、だから変態さんも私の所にわざわざ来ないから……」
「昨日の話の続きじゃないのよっ」
「柊子ちゃん、日付けが変わっているのは理解してるのかなぁ?」
……む。
確かに窓からは朝日が差し込んでいる。
どうやら私は仮眠から本眠へ切り替えてしまったらしい。
「よし、学院に行きますか」
なにせ私は制服姿のまま眠ってしまった。
裏を返せば、このまま出発する事も可能なのだ。
「行くわけないでしょ、柊子寝ぐせすごいのよっ」
「スカートもしわくちゃだよぉ」
全力で止められた。
でも確かにお風呂に入っていないのはまずい。
最低限の身だしなみは整えないと。
「……ちょっと急いで準備してくるね」
「「お風呂?」」
姉妹が声を揃える。
「そうだけど?」
髪はボサボサみたいだし、不潔だと思われたくないし。
「ひ、一人で洗えるのかしら、何か危ない事があったりしない?」
「段差を跨ぐ時に転んだりして危なかったりするかもぉ?」
双美姉妹は相も変わらず過剰に心配をしてくれる。
仕方ない、ここはしっかりと返答させてもらおう。
「大丈夫、もう一人で入って問題ないよ」
「「……ふーん」」
大丈夫と言った途端、声を揃えて興味を失うのはどうして?
シャワーを浴びていく内に、頭はどんどんと冴えて行った。
私の髪がショートカットで助かった。
これでロングだったなら、シャワーを浴びる余裕はなかっただろう。
「えっと……?」
お風呂場を上がると、乱雑に脱ぎ捨てたはずの制服は綺麗に畳まれ皺も伸びていた。
「あ、柊子ちゃんのアイロン借りたからねぇ」
扉越しに、颯花の声。
何と、私がシャワーを浴びている間に制服をアイロン掛けをしてくれたらしい。
あ、ありがてぇ……。
「アイロンを見つけたのはあたしだからねっ」
何やら冴姫が割り込むように声を上げた。
うん、二人とも私のために助け合ってくれたみたいだ。
「ありがとー」
扉越しなので大きめに声を張る。
そのままタオルドライをして、ドライヤーで髪を乾かして、制服に着替える。
きっと朝の支度としては最速記録を更新しているだろう。
シャワーから急いで準備をしたから、まだ体はじんわりと熱を放っていた。
扉を開けて、居室に戻る。
「え……?」
すると、ローテーブルの上には焦げ目のついたトーストに卵とハムがサンドされていた。
「すぐに食べられるように準備しといたよぉ?」
「ほ、ほんと……? ここまでしてくれたの?」
颯花が朝食まで準備してくれていたらしい。
部屋には香ばしい香りが広がっていた。
「あ、あたしは水を注いだのよっ」
冴姫はまたも声を上げる、若干上擦っている気もするけど。
「二人ともありがとね、ここまでしてもらうの申し訳ないけど……」
寝坊した私をこんなにフォローしてくれる。
そんな姉妹の優しさが胸に染みた。
「いいんだよぉ、これくらい誰でも出来るんだし」
「だ、誰でもっ!? ……そうね、気にしなくていいのよっ」
心が広い二人。
私には双美姉妹の姿が、心優しき聡明な令嬢にしか映らない。
「いただきます」
しかし、時間は差し迫っている。
せっかく作ってくれたのだからゆっくりと味わいたい所だけど、急いで食べる事にする。
パンの外側はサクサクで、中身はふんわりと柔らかい。
具の卵はスクランブルエッグになっていて、ふわふわとした食感と甘みをもたらす。
それを塩コショウで味付けされているハムが中和して、全体の味をまとめてくれていた。
「味、どうかなぁ?」
「美味しいよ」
率直な感想だった。
「颯花って料理上手なんだね、知らなかった」
「やだなぁ、これくらい普通だよぉ」
と言いつつ、微笑みを浮かべて手をぱたぱたと振る。
可愛いな。
「……ぐっ」
しかし、その隣で冴姫が歯嚙みしていた。
どうしたんだろ。
「ごちそうさまでした」
非常に美味しかった。
また食べたいレベル。
そんな大柄なお願いをする気はないけどね。
「お粗末でしたぁ」
にこにこ笑顔の颯花は朝日も相まって非常に可愛らしい。
天使だ。
「はい、喉渇いたでしょっ、水よっ」
冴姫がグラスを私の胸元まで押し付ける。
飲む事を強制されているような圧迫感……いや、喉は乾いてたから嬉しいんだけどね。
素直に水を飲んで、喉を湿らせる。
「あ、ありがとう」
「どう、美味しかったわよね」
「え……うん」
水だけどね。
「水入れ上手、よね」
「なにそれ」
冴姫が変な事を言い始めた。
「ささっとお皿洗っとくねぇ」
「ちょっとまて颯花、あたしがやるわよっ」
「? いつも家事はわたしがやってるよねぇ?」
「やるったらやるのよっ」
うーむ。
朝から双美姉妹の日常を垣間見た上で、私のお世話までしてくれるなんて。
幸せすぎて罰が当たるかもしれない。