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01 闇に落ちる前に


 橋に設置されている柵のことを、欄干(らんかん)と呼ぶそうだ。

 私としては非常に馴染みのない単語なのだけど。

 その欄干の上に、双子の美人姉妹が身を寄せ合って立っていたらどうだろう?

 ザーザーと降り注ぐ雨の中、傘も差さずに濡れているのだ。

 強烈に違和感のある光景を前に、難しい言葉について考えている余裕はすぐに消え去った。


「あの、そこのお二人は何をしているのかな?」


 しかも、この世界がいわゆる百合ゲーで、その姉妹はクラスメイトで、悪役令嬢で、学院を失踪した後の詳細を語られていない人物だったらどうだろう?

 パニックだ。


「何って、見ての通りなんだけど」


 ミルクティーブラウンの髪を真っすぐに腰元まで伸ばし、切れ長な瞳が印象的な少女。

 鼻筋が通り、どこか冷たい声音を放つ彼女の名前は双美冴姫(ふたみさき)

 双子の姉である。


「ていうか、話し掛けないで立ち去って欲しいかなぁ?」


 同じくミルクティーブラウンの髪をサイドテールでまとめ、タレ目がちな瞳が柔和な印象をもたらす少女。

 優しい声音で辛辣な言葉を放つ彼女の名前は双美颯花(ふたみそよか)

 双子の妹である。


「いや、クラスメイトがそんな危ない所で立っている状況は理解できないし、無視なんて出来ないよ」


 姉妹の指摘をひとまとめに答える。


「……クラスメイト?」


「……通りすがりの人じゃなくてぇ?」


 姉妹共々に首を傾げられた。

 しかし、そんな事に驚く私ではない。

 モブを認識する人の方が稀有だからである。


「私の事はいいから、とりあえず危ないから降りよ?」


 眼下には濁流する川が広がっている。

 雨で水嵩と勢いを増したその水流の中に落ちればひとたまりもない。

 そんな死と隣り合わせの状況からは早く脱却すべきだと思う。

 というか、そうして欲しい。


「よく知らないヤツが、あたしに指図しないでくれる?」


「えっ」


 姉の冴姫は鋭い口調で反論する。

 モブの事を知らないのはある意味当然なのだけど、それを説明している余裕はない。


「自分は安全な所にいながらリスクを訴えるって、説得力に欠けるよねぇ」


「ぐぬっ」


 妹の颯花は穏やかな口調と相反して内容は尖っている。

 微妙に痛い所を突いてくるあたり、狡猾さも垣間見えていた。


 そう、この姉妹はとにかく他者を突き放す。

 歯に衣を着せぬ物言いで相手を追い詰めてしまうためクラスでは孤立し、二人だけの世界を構築していたのだ。

 だけど、そちらがそう来るのなら……。


「えいっ」


 私は持っていた傘を手放し、雨に体を晒す。

 濡れて行く制服と、吹き荒れる風で体温が奪われていく。

 だけどこれで、彼女達と条件は近づいた。


「え、変人がいるんだけど?」


「わたし達は元々傘がないから差してないだけで、自分で捨てるのは愚かだよねぇ」


「……」


 未だに共感は得られず、辛辣な言葉をひたすら送り続けられているが気にしない。

 その言葉は、彼女達の硝子(がらす)の心を守るための刃でしかない事を私は知っているからだ。


「そして、こうすればいいのかなっ」


 両手で欄干を掴み、足を掛けて上る。

 足場は狭く、右半分はアスファルト、左半分は濁流する川が私の世界を分断している。

 一歩間違えれば命の保証はない。


「ねぇ颯花、変人が迫って来るんだけど」


「ねぇ冴姫ちゃん、110番しないとダメかもねぇ」


「……」


 安全圏から離れ、彼女達と同じ世界線に立ったはずなのにこの言われよう。

 しかし、姉妹の言葉が抽象的になりつつある事も私は見逃さない。

 双美姉妹は確実に私の行動に混乱している。

 そうであれば、その誤った行動を修正するチャンスもまたあるはず。


「ほら、これで同じ目線に立ったよ。すっごい怖いし危ない事も分かったから、降りようよ」


 正直、二人との間にはまだ距離があるのだけど、この先の一歩を踏み出す勇気はまだない。

 この細い足場を進み、万が一にでもバランスを崩した事を考えると足がすくんでしまう。


「一方的にあたし達に絡んでこないでよ」


「どーせ、憐れんであげてる自分に酔ってるだけなんでしょ? わたしたちを自己陶酔の道具にしないでほしいなぁ」


 彼女達の辿る運命は、この物語からの追放だった。

 【失踪】という二文字だけで、何の説明もなく突然フェードアウトしてしまうのである。

 まさかその顛末が、こんな悲惨な最後を迎えようとしているだなんて。

 だけど、その運命を変えるチャンスもまた目の前にある。


「例え何と言われても、私は二人を見放さないよ」


 私は手を差し伸べるが、その手をとられる事はない。


「こわ、ストーカーじゃん」


「おまわりさん、この人を逮捕して下さぁい」


 この通り、彼女達は友好的な人間にさえ疑心暗鬼になってしまうほどの恐怖を奥底で抱えている。

 今の彼女達はクラスの中で居場所を失ってしまっている。

 これまでの悪役令嬢としての立ち振る舞いにより、クラスメイトからのヘイトがピークに達してしまったから。

 全員からの悪意に、耐えきれなくなってしまったんだ。


「大丈夫、私は裏切らないよ」


 それは双美姉妹の行動の結果、因果応報と呼ばれても仕方ないのかもしれない。

 だけどその一方で、私は不満に感じていた。

 彼女達はただ自分に素直なだけだった。

 その行動の裏を読み取れば、彼女達の純粋さは分かるはずなのに。

 それでも双美姉妹は、退場を余儀なくされている。

 ある意味では、彼女達もまたこの物語に翻弄された被害者なのだ。


「あんたの言葉なんて信用できるわけないじゃない」


「そもそも仲間でも友達でも何でもないから、裏切る以前の問題だしねぇ」


 ぽっと出のモブを受け入れられるような精神状態ではないのだろう。

 こんな短い時間で、私の想いはどうすれば伝わるだろう。

 対等でダメなら、もっと差し出すしかない。


 ――カンッ


 と、歩みに合わせて無機質な音が響く。

 私は恐怖を押し殺し、彼女達の元へ歩き始めた。


「あいつ足元ガクガクなんだけど」


「バランス感覚なくてかわいそうだねぇ」


「……」


 全く恰好はついていないし、私が望んでいるような姿にはなれていないけど。

 それでも、この気持ちが偽りじゃない事が伝わればそれでいい。


「もう虚勢を張って否定しなくていい、ありのままでいいから」


 彼女達は、たったそれだけの事が出来なかった。

 こんな言葉を掛けてくれる人すら、彼女達の周りにはいなかった。


「は、はぁ……!? 何分かったような口利いてんのよっ」


「変な人は否定しないとダメだと思うけどなぁ」


 まだ届かない。

 でも確実に彼女達の覚悟は揺らいでいる。

 その証拠に、一歩ずつ近づいていく私に対してどうしていいか分からず、硬直したままこちらを見ているからだ。


「二人には変な人でも、私は二人の事を知っているから。だからこうして助けたいと思っているから信じて欲しい」


 言い回しとしては怪しさ全開なのは否めないけど、ここまで来ればハートだ。

 熱意さえ伝われば、きっと何かが届くはずだ。

 そう信じるしかない。


「い、意味わかんない、そこまでする理由ないじゃん」


「ほんとだよ、メリットがない事をする人なんているはずない」


 それが彼女達の欲する言葉なら。

 明確な答えを私は持っている。


「そんなの、冴姫と颯花が好きだからに決まってるじゃん」


 そう、私は不器用で繊細で天邪鬼な彼女達が好きなのだ。

 どこまでも憎たらしく、だからこそ人間らしい。

 そんな当たり前を表現している彼女達が物語から追い出されるなんて間違っている。

 だから彼女達を救う理由もメリットも、それだけで十分だった。


「「――っ」」


 双美姉妹は言葉を失い、息を呑む。

 その空白の間が、最大のチャンスだった。


「だから、こんなエンディングは認めないからねっ」


 ――カンカンカンッ


 一気に距離を縮め、そのまま腕を伸ばして二人を押し出す。

 勿論、歩道のアスファルトの上に。


「「――え」」


 姉妹は同時に声を上げる。

 その瞳が丸々としていて、驚きを感じている様子が見て取れた。

 なぜだろう。

 あまりに唐突に押し出されたからだろうか?

 いや、私のやろうとしている魂胆は見え透いていたはずだ。


 その刹那、私は謎の浮遊感に襲われる。


「あ」


 今度は私が声を上げる番だった。

 作用と反作用。

 双美姉妹をアスファルトに押し出せば、反発した力は私をどちらに押し出すだろう?

 そうだね、反対の川側だね。

 それが浮遊感と、双美姉妹の呆気にとられた表情の答えだった。


「マジか」


 自由落下。

 双美姉妹の姿は一瞬にして見えなくなる。

 代わりにさっきまで立っていたはずの橋が、その全体像が俯瞰して見えていた。

 

 なるほど。

 誰かを救おうとするなら、誰かを代わりに捧げなければならないのか。

 それが世界の理ってことね。


 ……。


 いや、そんな格好いい覚悟をしていたつもりはなかったんだけど。

 だってほら、モブには不釣り合いでしょ。


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