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第一章/中編

【前回のあらすじ】

高校一年生日向 優はある日の放課後、猛スピードの車に衝突した。どうしてか無傷で生還した優だったがそれから“ぼっち”な日常が変わり始める。学校一の美少女の恋愛相談に乗ることになったり、野生の女神と遭遇したり、姉のように慕うお隣さんがめちゃ過保護になったり、あやかしな黒猫が家に住み着いたり……。そして優はふと知らない記憶の夢も見る。それは果たして何の記憶なのか。前後編にするつもりが中編も出来てしまった悲劇をご覧ください。


【主な登場人物紹介】

日向 優…本作の主人公。高校一年生。

白波瀬 美空…学校一の清楚系王道美少女。優と同じクラス。

氷川 雪乃…優が“姉さん”と慕うお隣さん。幼馴染み。

唐崎 千早…優が妹のように思う幼馴染み。お隣さん。

深江 小夜子…意外としっかりものな中学三年生。優が痴漢から助けた女の子。

ニ尾 ことり…見た目はロリな高校の先輩。恋愛小説が三大栄養素の一つ。高校二年生。

相馬 千尋…分厚い猫を被ったイケメン。

リタ…女神様。爆乳。

クロ…あやかしな黒猫。

アリス…ツンデレな黒龍。人の姿は赤髪ツインテール。

ミーシャ…アカリス冒険者ギルド受付嬢。クールなキャリアウーマン。エルという4歳の子どもがいる未亡人。

カリナ…アカリス冒険者ギルド受付嬢。ミーシャと同い年。


 「歳近いんだから敬語はやめてよ」

 彼女は煩わしさを表情(かお)に見せて言った。

 確かに逆に気が引けるだろう。

 「それに呼び名もミヨでいいよ」

 跳ねるような声とともにミヨさ…ミヨは笑顔を作る。

 同じ年頃の女の子の名前を呼び捨てるのはとてもハードルが高い。逆に潜り抜けられるくらい高い。アリスの事を気軽に呼べているのは偏に命のやり取りをしたからだろう。つまりミヨさ…ミヨとも一度殺し合う必要があるのかも知れない。

 「難儀だねえ」

 「え?」

 ポロっと零れ出た呟きにミヨはきょとんと首を傾げていた。


 アリスも起こしてミヨから冒険者レクチャーを受ける。コミュ力を凝集して出来た物がミヨだったようで、彼女はアリスにも距離を一気に詰めていた。

 「Fランクのクエストと言えど侮れないよ」

 ビシッと人差し指を立ててミヨは力説してくれる。

 「例えば今日のような薬草採取のクエストも薬草の知識を得る事が出来るよね。回復役がいない時や回復ポーションが切れてしまった時なんかにそんな知識があると皆の生存確率がぐーんと上がるよ」

 なるほど冒険者のランク別けには育成の意図もあったのか。

 「冒険者は魔物と戦えたらいいってわけじゃないからね。例えば救出任務もあるしこういうFランククエストやEランククエストで培った知識や技術が役に立つのです!」

 胸を張るミヨへ、おおーと感嘆の声を上げぱちぱちと拍手を送る。

 アリスは僕らの茶番に目を細めていた。

 「まあ、これが大事だということは理解したわ」

 「そうだよ!だからアリスちゃんも頑張って!」

 未だ薬草の根っ子をブチブチと千切ってしまっているアリスへ向けてミヨはファイティングポーズを混じえて鼓舞する。

 「……ここら一帯の地を抉り取ってしまおうかしら」

 それはもう採取と言うより移動だね。

 「抉るなら私も手伝うよ!」とミヨは何故か乗り気だった。

 そんな二人を横目に僕は薬草の根の土を払った。


 冒険者ギルドでクエスト達成の報告をする。ミヨのレクチャーのお陰で最後はアリスも根をつけたままの薬草を採取できていた。

 報告の受け付けをしてくれたのはミーシャさんだった。

 「安心しました」

 「え?」

 沈着な表情の中に小さく安堵が写っている。

 「生きててくれて良かったです」

 え…。薬草採取って死ぬことあるの…。

 横からがばっと隣の受付嬢が乗り出してくる。彼女はエルくんを連れて訪れた時、始めに対応してくれた受付嬢だった。

 「いつもクールに仕事バリバリのミーシャちゃんがそわそわしてたもんね」

 小声のリーク情報が入る。

 「そ、そんな事は…」

 「えーあったよー」

 冒険者ギルドが()いていて暇なのだろう。仲の良さが伺える一場面だ。

 「Fランククエストでも命を落とすことがあるんですね…」

 僕は冒険者という職業の過酷さに戦慄を覚える。

 「え?聞いてないの?」

 乗り出している受付嬢、カリナさんが目を丸くしてこちらに向ける。

 僕は首を傾げるくらいしか出来ない。

 「エルネ草の自生地付近にあるCランクダンジョンの大魔行軍(カタストロフ)が発生したんだよ」

 エルネ草とは僕たちが採っていた薬草の事だ。

 「かたすとろふ…?」

 聞き慣れない単語に再び僕は首を傾げる。

 「大魔行軍(カタストロフ)とはダンジョンの崩壊に伴ってそのダンジョン内に住まう魔物が一斉に外へ出て来てしまう災害の事です。ダンジョンの崩壊時には莫大な魔力が放出され、その流れる方向へ大魔行軍(カタストロフ)が起こることが確認されています」

 ミーシャさんが説明をしてくれる。

 例えばその大魔行軍(カタストロフ)の進行方向に街などがあった場合、緊急にクエストが発行され騎士や国家魔術士などにも依頼して持てる戦力全てで対抗する必要があるそうだ。一般人に比べ魔物の方が足が速いため避難は中々難しいのだ。

 「放出される魔力が膨大故に感知は容易ですが、前兆を確認することが出来ません。唐突に起こるダンジョンの崩壊に準備のままならない状態で対応せざる終えません」

 ダンジョンの崩壊を感知してから大魔行軍(カタストロフ)が流れ込むまで殆ど時間がない。民の避難が難しいのはそう言った理由もあった。

 周りにSランクダンジョンである極夜の深層(アルターノクス)を始めとして数多くのダンジョンが犇めいているこのアカリスに冒険者ギルドがありSランク冒険者がギルドマスターを勤めているのはそんな大魔行軍(カタストロフ)への些細な抵抗であった。

 「と言っても滅多に起こることじゃないけどね」

 あっけらかんとカリナさんが付け加える。

 「極夜の深層(アルターノクス)とか沢山ダンジョンがあるお蔭で栄える冒険者の街だからその代償なんだろうね」

 何処か諦念の混ざった声音だった。

 それほど大魔行軍(カタストロフ)はどうしようもない理不尽なのだろう。

 「ここが()いているのはその大魔行軍(カタストロフ)が起きたからなのね」

 納得したようでアリスは口を開く。

 「ええ、大魔行軍(カタストロフ)が起きた状態でわざわざ外に出るのは自殺行為ですからね。冒険者ギルドでも緊急にクエスト依頼を差し止めました」

 今回起きた大魔行軍(カタストロフ)の進行ルートは街ではなく丁度僕とアリスの居たエルネ草の自生地だったらしい。

 そんな状況で僕らは昼寝をしていたわけだ。大物の器である。これは将来が楽しみだ。

 そして冒険者ギルドを後にした。換金した硬貨を持って宿へ向けて歩みを進める。

 「それにしてもラッキーだったね。大魔行軍(カタストロフ)の進行ルートが逸れるなんて」

 大魔行軍(カタストロフ)はもしもランク別けするならSランククエストに相当する。崩壊するダンジョンの階級にもよるため一概に定義付けは出来ないが、Bランクダンジョンの大魔行軍(カタストロフ)であっても過去に数多のAランク冒険者に騎士団、魔術士団の一個師団で相手をして全滅した事があるそうだ。その時には小国が一つ滅んでしまった。

 僕の言にアリスは呆れた嘆息を漏らす。

 「全然ラッキーなんかじゃないわよ」

 「え?」

 目を丸くする僕にアリスは続ける。

 「ラッキーでも何でもなくて、あんたの覇気で魔物が一匹も近寄って来れなかっただけよ。それで結果的に逸れたの」

 (わか)ってないみたいだから続けるけど、とジト目の彼女は枕詞を置く。

 「あんたが本気の覇気を放ったらこの世の誰も立ってられないわよ」

 もちろん私も含めて、と彼女は付け足す。

 いつの間に僕はそんな凶悪な存在になったのだろう。魔王じゃん。流石にアリスの過大評価だと信じたい。

 宿までの帰路、アリスとの他愛のない話が続いた。


 今日ようやく完成した魔法がある。“魔術解体(ディスペル)”の魔法である。その名の通り、発動中の魔法を発動される前に魔法陣を解体して消してしまう魔法だ。魔法無効化とか言えばカッコイイかも知れない。

 洞窟でアリスの発動した魔法を魔法陣ごと叩き切った時から構想はあったのだが中々どうして難しかった。

 せっかくなのでアリスに自慢しようと思う。

 「ねえアリス、僕に何か魔法打ってみてよ」

 「は?」

 僕たちはまたこのエルネ草の自生地へとやって来ている。薬草採取のクエストを受けているのだ。他にもFランク冒険者向けのクエストはあったが、アリスがこれに(はま)っている節がある。

 根っ子まで綺麗に取れている薬草を手に持って彼女は怪訝な顔をこちらに向ける。

 「何でもいいからさ」

 急かすように伝えるとアリスは渋々応じてくれた。

 「じゃあ水刃を打つわよ」

 面倒くさそうに僕と対面して彼女は魔法を組み上げる。

 僕は魔術解体(ディスペル)で水刃の魔法が放たれる前に魔法陣を霧散させる。

 放つ前に魔法が消えてアリスはあんぐりと口を開けていた。

 「すごいでしょ」

 アリスってすごいサプライズのし甲斐(がい)があるよね。

 アリスの間抜け面を暫くの間眺めていると彼女はふと我に返る。

 「それ、人前で見せるのは()めときなさいよ」

 僕が頭の上に?を浮かべていると彼女は続ける。

 「そういう人知を超えたものは何に巻き込まれるか分かったもんじゃないわよ」

 アリスの何時(いつ)になく真剣な忠告に僕は自然と首肯を返した。


 アカリスへ来て数日が経った。今日、僕とアリスは別行動をしている。効率の為である。別々のクエストを受けた方が効率が良いのだ。

 アリスはいつものように薬草採取のクエストを受けている。今や得意分野と化していた。一方、僕は他の採取系クエストを受けていた。

 僕は(いま)森を彷徨っている。僕が受けたクエストもまた薬草採取のクエストではあるが、エルネ草とはまた違った効果を持つ植物を探している。草原に自生するエルネ草と異なり、そう容易には見つからない。洞窟で死にかけた僕にとっては今更だけど、サバイバル知識を身につけるには丁度良さそうなクエストだ。

 そんなちょいむずFランククエストの敗者だろうか。僕の視線の先には大の字で横たわる男の冒険者が一人いた。

 「そんな所で寝ていると危ないよ」

 ミヨの気持ちを今理解した。

 「え…?ああ、そうだな」

 のっそりと彼は起き上がった。

 そして彼のお腹がぐるるるーと大きな音を鳴らす。

 「………食べる?」

 僕は仕舞っていたお弁当を取り出す。箱からお手製の自前のお弁当である。もちろんアリスにも渡していた。

 寝惚け眼でお腹を擦った彼は黙考する。

 「………ああ」

 暫く悩んだ末に彼は僕のお弁当を受け取った。

 「僕は他にあるから全部食べちゃっていいよ」

 彼が遠慮しないよう嘘を()く。別に一食くらい抜いても平気だろう。


 ひと粒も残さずキレイになったお弁当を丁寧に(ふた)して彼は僕に返却した。

 「美味(うま)かった」

 僕は知らず笑顔が漏れる。

 「名乗りが遅くなった。俺はCランク冒険者のリアム・アドラムだ。今ちょっと自暴自棄中だ。」

 自暴自棄、偶にあるよね。

 「僕はFランク冒険者の日向(ひなた)(ゆう)です。日向が性で優が名前です」

 彼は僕より幾らか年上の青年に見える。年齢にすると20代前半くらいだ。ただ彼の伸びた背筋に落ち着いた雰囲気、漂う爽涼さは年齢(とし)のそれではなかった。簡単に言うと、めちゃくちゃ大人びていた。

 「職業は剣士か」

 そう言えば冒険者ギルドで登録する時に選ばされた気がする。何でも良かったので佩剣(はいけん)しているから剣士にしておいた。

 「アドラムさんは…」

 そもそもどんな職業があるのか知らないので見当がつかない。

 「俺は支援魔術士だ」

 僕の微妙な表情を読み取ったようで彼は説明してくれる。

 「主に弱化と強化の魔法を使う魔術士だ」

 聞いて疑問に思う。バフ、デバフを専門に扱う職業の人が何故ソロで出ているのだろう。

 「はは…色々あるんだよ…」

 遠い目で乾いた笑いと共に答えるアドラムさん。

 まあ生きてれば色々あるよね。

 ふと僕は思い出す。今朝にミーシャさんからクエストを受ける時、冒険者の“パーティ”について教えてもらった。冒険者がクエスト依頼を受ける際やダンジョンに潜る際はパーティを作ることが(おも)なのだそうだ。依頼もパーティで受けることを前提としているものも多い。故に個々人ではなくパーティ全体でランクを設定しそれに応じてクエストを受けられるのだ。

 言い換えると冒険者ランクの高い人や実績のある人とパーティを組めばFランク冒険者の僕でも上のランクのクエストを受けられるということである。

 僕はアドラムさんに輝く瞳を向ける。

 彼は何か嫌な予感を覚えたのか苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 「アドラムさん、僕とパーティを組んで下さい!」

 手を差し伸ばし一世一代の告白である。

 「悪いが他を当たってくれ」

 まあ断られる気はしてた。

 なので今度は交渉に切り替える。

 「そこを何とか!」

 「え…」

 ばっと顔を上げてアドラムさんを見据える。

 「僕は一週間前に登録したばかりの新米冒険者です。右も左も分からないけど僕が生きるために出来る仕事なんて冒険者しか無かったんです。でも、それでも生活するのに十分なお金なんてFランククエストじゃ手に入りません。だから魔物素材の換金をして手に入れるしかないんです。ダンジョンに一人で潜るしかないんです…」

 目一杯情を込めた。

 嘘は言ってない。今はSランクダンジョンであったあの洞窟で獲った素材を換金して得たお金で遣り繰りしている状態だ。Fランククエストで日銭を稼ぐのは無理があるのだ。ただ、換金した貯金にまだまだ余裕はある。でも余裕がないとは言ってない。

 「う…」

 アドラムさんの心は揺れていた。

 もう一押し。

 「でも一人でダンジョンに潜ると死んじゃうなー。誰か心強い頼りになる冒険者が来てくれないと死んじゃうだろうなー」

 ちらっ。

 「あー…」

 (あと)“い”と“お”でア段が完成だ。

 「分かったよ…。ただし、期限を決めるぞ」

 「ありがとうございます!」

 僕の交渉(ゴリ押し)は上手くいった。

 「ヒナタがCランクになるまでだ」

 交渉(ゴリ押し)で何とかなって思ったがアドラムさんは相当いい人だ。まさか僕がCランクになるまで面倒を見てくれるとは思わなかった。

 「じゃあ一生パーティ組んでそうですね」

 「おい…」

 ア段が完成した。


 パーティになるのに特別な手続きはない。ただ共闘しているだけという表現が一番近いかも知れない。だが冒険者ギルドにてクエストを受ける時は異なる。全員がクエストランク以上の冒険者ランクであれば特に問題はないが、下回る冒険者が居た場合はそのパーティの実績や平均冒険者ランクを鑑みてパーティ全体を定めたランクに応じてクエストを受ける事となる。もちろん鑑みるのは冒険者ギルド側である。故に冒険者ギルドにて手続きが必要だ。

 クエストを終えた僕はアドラムさんを連れて冒険者ギルドに帰還する。先にクエスト達成報告を済ませていたアリスがギルド内で待っていた。

 隣にいるアドラムさんを見てアリスは呆れたため息を()く。

 「あんた…どこで拾ってきたのよ…」

 黒竜からすれば人も仔犬みたいなものだろう。

 「パーティメンバーになってくれる人だよ。リアム・アドラムさん」

 「今朝“パーティ”の話を聞いたばかりなのに行動力どうなってんのよ…」

 独り()ちた彼女に対面するアドラムさんもまた戸惑っていた。

 「他にも仲間がいたのか…」

 「彼女はアリスです。僕と一緒でまだ登録したばかりのFランクです」

 僕が代わりに二人の自己紹介を終えて、未だ戸惑っている彼らを連れて気が変わらないうちにパーティ登録を行う。

 ミーシャさんに担当して貰っていたが、暇なのかカリナさんも横で興味深げにこちらを覗いていた。

 「え…リアム・アドラムって…」

 平然としたミーシャさんの一方でカリナさんはその名前とアドラムさんの顔を交互に見ていた。

 察した彼は口を開く。

 「まあ、いずれ分かることですし…」

 言って彼は僕を向く。

 「俺は…」

 言葉が詰まる。

 「俺は前のパーティを実力不足で追放されたんだ」

 僕とアリスを除いて重い空気がその場を包む。

 ミーシャさんがカリナさんに非難の視線を向けていた。

 「ご、ごめんなさい…」

 「いえ、気になさらないで下さい。どうせ出回ってる事ですし時間の問題ですよ」

 ミーシャさんがフォローする。

 「実力不足と言っても基準はあの勇者パーティです。史上初のSランクパーティである彼らの実力は規格から大きく外れています」

 「勇者パーティ?」

 僕とアリスはぴんと来ていない。何かすごい置いてかれてる。

 「人類最強のパーティであり魔王に対抗する唯一の希望です」

 すごー。

 僕が見た限りではアドラムさんは黒竜であるアリスに匹敵する程の強者に思えたが、それでも実力不足だと言うんだから勇者パーティは正真正銘の化け物集団ということになる。

 そもそもアリスはSランク冒険者でも手に負えない存在だと前にミーシャさんから聞いたが、アドラムさんがCランク冒険者であるのは何故なんだろう。

 僕のそんな思考の横合いで話は進んで行く。

 「まあ何でもいいけど追放されたんならパーティ組めるじゃない」

 アリスがあっけらかんと言った。

 「お、男前だー」

 アリスの言にカリナさんが感嘆する。

 「過去の事なんてどうでもいいわよ。ほらユウを見習いなさい。もう話聞いてないわよ」

 「聞いてるよ!」

 失敬な!

 確かに途中ちょっとぼーっとしてたけど!

 「とにかく。僕たちは誓ってアドラムさんを裏切って一人にしたりはしません。だって僕らは弱いから」

 アドラムさんにとって僕らの弱さは最も説得力のある理由だと思う。アドラムさんが僕たちよりも遥か上のCランク冒険者であることが理由でパーティに入ってもらったのだからどうして追放することがあろうか。

 「ですから改めて、リアム・アドラムさん。僕たちとパーティを組んで下さい!」

 頭を下げる。他に人のいる冒険者ギルドの中で僕は大げさに振る舞った。

 「あ、頭を上げてくれ」

 狙い通りたじろぐ彼。こんな人前でさぞ断り辛かろう。僕は心の奥で口の端を上げる。

 彼は一考の間を置く。

 「よろしく…」

 周りに人の目がある所為かアドラムさんの表情には羞恥が見えた。

 僕はそれに喜色で応えた。


 僕とアリスとアドラムさんのパーティは早速クエストを受けた。僕らのパーティはアドラムさんが元勇者パーティであることを理由にDランクと位置付けられた。なので受けたクエストはDランククエストである。内容はレッドアイズ・ホーンラビットの生態系調査だ。広く生息するホーンラビット種の中でもレッドアイズ・ホーンラビットは洞窟を生息域としている。アカリス近くのCランクダンジョンである眼前の洞窟を住処としていた。

 しかし近頃そのレッドアイズ・ホーンラビットに異変が見えている。この洞窟型のダンジョンは多層構造となっているが、レッドアイズ・ホーンラビットが本来の出現場所よりも上層で異常発生しているという報告があったそうだ。

 ホーンラビット種は元来無害な魔物と判断されている。温厚な性格でこちらから攻撃をしなければ敵対心をこちらに向けることもない。たとえ攻撃を仕掛けても逃げていってしまうのが殆どだ。だが現下そんなレッドアイズ・ホーンラビットが何かに駆り立てられるように群れを成して冒険者へ襲い掛かって来るそうだ。

 「ここから先が今回挑むダンジョンだ」

 前を歩いていたアドラムさんが止まった。

 アドラムさんに教わってダンジョンに潜る準備は万端である。

 「最終確認だぞ」

 振り返り彼は指を立てる。

 「剣士のヒナタが前衛。中遠距離のアリスが魔法でそれをサポート。俺がそれに合わせる動きを取る。これが基本陣形だ」

 そもそもパーティとしてバランスが悪い僕たちの最低限の形がそれだった。

 「口頭で色々と説明したが、後は実戦で経験を積んでいくしかない」

 クエストを受けてからというもの、アドラムさんは初めてダンジョンに潜る僕たちへ周到に教授してくれた。アリスなんて途中でちょっと飽きていた程である。確かに黒竜には必要ないことだけど。

 「じゃあ入るぞ」

 愈愈(いよいよ)ダンジョンの中に歩を進める。

 広さも雰囲気もSランクダンジョンに到底及ばないにも拘らず僕は何処か浮き足立っている。ポーション等を揃え念入りに準備したためだろうか。

 足を踏み入れすぐに気配探知を用いてダンジョン内の全ての情報を把握する。

 アドラムさん曰く通常はマッピングを行うのは例えば彼のような後ろに控える支援魔術士なんかが請け負うらしい。だが僕らのパーティに至って、アドラムさんは教官で条件付きのパーティメンバーであり、アリスの不器用さは世界ランカー過ぎることから僕がマッパーに抜擢された。

 頭の中で把握したダンジョン構造を羊皮紙へ転写する。魔法で焼き写すと言った方が正しいかもしれない。こういった地味に器用さが求められる作業は得意である。

 そのマップを複写して二人に手渡した。

 マップを見て目を丸くするアドラムさん。

 「空間把握系の魔法が使えるのか?」

 僕へ向けた言葉にアリスが横槍を入れる。

 「気にしたら負けよ」

 そんな言へ乾いた笑いを伴う呆れ顔を浮かべながら僕は彼の質問に肯定の意を示す。

 「器用な方なので」

 「器用…………器用?」

 器用じゃどうにもならなくね?という顔をしている。

 まあ余り細かい事は気にしてはいけない。ワカチコのニ乗で行こう。

 構えて挑んだが道中一匹とて魔物に遭遇することなく到頭目的の階層に辿り着いてしまった。

 「この3階層が報告にあったエリアだ」

 そう周知してくれたアドラムさんだったが、彼は何か考え込んでいる様子であった。恐らく魔物が一匹も出なかった不審についてだろう。何かすごく申し訳ない。

 「あの…アドラムさん」

 おずおずと口を開いた僕に彼は視線をくれる。

 「魔物が姿を見せないのは多分僕の所為です…」

 眉間の皺に疑問を浮かべる彼へ僕は続ける。

 「レッドアイズ・ホーンラビットを除いた敵対する魔物に対してのみ近付けないよう調節した覇気を放ってるんです」

 「普通は出すか出さないかの二択よ」

 ボソッとアリスが付け足した。

 「覇気って覇王クラスの魔物が放つ威圧の事か?…確かに人でも威圧を使えるやつはいるが」

 アドラムさんは顎に手を当て暫し沈潜する。

 「気にしたら負けよ」

 アリスが再び横槍を入れた。


 レッドアイズ・ホーンラビットの群れは案外すんなりと見つかった。迷子のエルくんをミーシャさんの元へ届ける時に彼女を探すために使った気配探知の魔法と同じ要領でレッドアイズ・ホーンラビットを捜索するとすぐに見つかったのだ。

 今回のクエストは狩猟ではなく生態系調査である。故に捕獲する必要はない。だが、行動圏、巣穴の数や位置、繁殖状況などなど異変の原因究明のために様々なことを調査しなければならない。ちょーめんどくさい。なので魔法で何とかしようと思う。

 精神に干渉できる魔法があることを僕はこれまでの経験の中で見つけていた。それは感情や欲望を操ったり幻覚を見せたりと多種多様な効果を見せる魔法である。僕の感覚的な話にはなるが、他に比べ精神干渉系の魔法は構築がうんと高度になっている気がする。この世に姿形や中身まで同じである生物が存在しないため、それぞれが精神干渉系の魔法に対して異なる抵抗力を持つからだ。一々魔法の構築を変えなければならないのだ。だが慣れると意外と簡単だ。野菜の皮剥きみたいなものである。

 その精神干渉系魔法を応用して他種族と会話してみようと言う試みである。相手のプライベートを加味して深層心理まで読み取るのではなく浅いところを読み取る。逆にこちらの声はそこへ届ける形を採れば会話が成立すると考えた。

 アドラムさんとアリスを置いて勝手にそんな算段を立ててレッドアイズ・ホーンラビットの群れの元へ足を踏み入れると、彼らは一も二も無くこちらへ飛び掛かってきた。うさぎには声帯が無い。鼻をぶうぶうと鳴らして焦ったように襲って来た。

 「落ち着いて」

 別に大きな声を出さずとも魔法を用いて干渉しているので全員に伝達する。加えて冷静さを取り戻させる魔法も付与していた。

 彼らは大人しくなる。

 「あなたたちの代表はいますか?」

 小学生の先生をしている気分だ。

 少しして左右に割れた群れから一匹のうさぎが跳ねて僕の前までやって来た。

 『私がこの群れの女王です』

 彼女は他のうさぎ達よりも一回り大きく角も2本生えていた。

 見上げさせた状態にしておく訳にはいかないので僕も屈んで成る()く彼らと視線を合わせる。結果、正座する形となった。

 「単刀直入にお尋ねします。皆さんの巣穴に異常があったんですね?」

 事前に貰っていた情報で僕は推測した。

 『…はい。私達は巣を追い出されてしまいました』

 だから彼女らは焦っていたのだろう。たとえ戦闘に弱くとも生きるために僕のような向かってくる他種族へ抗っていたのだ。攻撃的に見えたのはその所為だ。

 「あの赤いミノタウロスですね?」

 このダンジョンを気配探知した際に他とは異なる異様に強い魔物を数体も見つけていた。それが赤いミノタウロスだった。僕もSランクダンジョンの極夜の深層(アルターノクス)でミノタウロスと闘った事があるが、赤い個体は初めて見た上に通常の個体より強くなっているように見えた。

 僕の推察にレッドアイズ・ホーンラビットの女王は力無く頷いた。安心させるためそんな彼女らに僕は笑顔を向ける。

 「任せてください」

 僕は軽く胸を叩く。

 「僕が退治してきますよ。それまで少しだけ待っていてください」

 今まで人類はホーンラビットを狩りの対象としてきた。それはこれからも変わらないだろう。そんな人類の端くれである僕が急にこんな事を言っても信用ならないだろうなあ。困らせてしまったかも知れない。彼女らの瞳には未だ猜疑心が見えた。

 「どの道、赤いミノタウロスは討伐対象です。僕たち冒険者にとっても死の危険がある魔物ですからね」

 それっぽい理由を付け加えてみる。すると彼女らは猜疑は残るが渋々納得したようだった。

 別れ際、彼女たちの周りに彼女らにバレぬよう結界を張った。安全確保のためだ。加えて隠密の魔法も掛ける。勝手に隠密などと命名したが、要は周りから見えぬようにする魔法だ。アリスの尻尾を隠した時の魔法の応用である。これも彼女たちの安全確保のためだった。

 アリスとアドラムさんの元へ戻ると彼女たちは険しい顔をしていた。確かにうさぎの群れに向かって正座で一人呟いていたら変質者に待ったなしだろう。ホーンラビットたちの声は二人にはもちろん聴こえていないのだ。

 「会話できたから異変の原因聞いてきたよ」

 二人の眉間の皺がより深くなる。

 「ここより下層にある彼女たちの巣穴に赤いミノタウロスが攻め入って来た所為だそうです」

 「やっぱり巣穴が原因か…」

 アドラムさんはすぐに切り替えた。一方のアリスは嘆息している。

 「しかしミノタウロスか…。A級の最下層かS級でしか出現しない魔物のはずだ。異常事態であることは間違いなさそうだな」

 アドラムさんは顎に手を当て思考している。

 「取り敢えず討伐に行きましょうか」

 僕は言って歩みを始めようとするがアドラムさんに止められた。

 「敵はミノタウロスな上に数だって判っていない。二人の実力だってまだ把握していないんだ。危険すぎる。ギルドに報告した後、討伐隊を組む必要がある」

 僕は不思議に思った。

 「数は21体でちょっと強くなったと言ってもミノタウロスですよ?」

 「実力は道中で確認すればいいでしょ」

 アリスも呑気(のんき)に言って歩みを進めた。

 アドラムさんは逡巡し諦めたようでため息を()いた。

 「俺が危険と判断したら引き返すぞ」

 僕は首肯で返した。

 覇気を収めて僕は先を進むことにする。実力を見せねばならないのに魔物を排他する訳にはいかないからだ。

 すると早速ゴブリンに遭遇した。数は見た所8体いる。

 せっかく実力を見せる機会が訪れたので僕の全力を見せたいと思う。

 僕は目を瞑る。製作した耳全体を覆うヘッドホンのようなカバーを着ける。加えて己の魔力を完全に遮断した。つまり、視覚、聴覚、魔法が一切使えない状態である。気配探知の魔法も勿論使えない。純粋な剣技のみで挑む姿をアドラムさんに見てもらう心積もりであった。

 以前に彷徨っていたあのSランクダンジョンでもこんな風に視覚と聴覚を奪った状態で純粋な剣技のみで魔物と闘っていた時期があった。生きるために強くなろうと出来ることをやった結果がそれであった。

 優の進行方向には8体のゴブリンが臨戦態勢を取っていた。優の手には抜剣された鈍く光を反射する黒い刀身が存在感を放つ。彼の構えるその姿は凪の水面(みなも)のようで殺気や闘志すら感じさせない。そこに彼が居ることすら忘れてしまいそうな程に閑寂とした佇まいであった。故に存在を視認しているのに意識を向けられないという奇妙な思考に陥ってしまう。逆に意識を向けるならば手練れであればある程に彼の微動に惑わされてしまうのだ。

 予備動作など一切なく、気が付けばゴブリンは8体とも首が()ねられていた。

 僕は目を開け、防音イヤーマフを外して二人の元へ戻る。アドラムさんに評価を貰わないといけない。

 だが二人の方へ目を遣ると呆然と立ち尽くしている様子が伺えた。

 戻るや否やアドラムさんは僕に(ただ)す。

 「いつ抜剣した?」

 疑問ではなく驚きから口を衝いて出た様子であった。

 敵を前にしてゆっくり抜剣など出来ない。微かな動きや重心の僅かな移りで相手の視線を誘導し限りなく速く抜剣した。Sランクダンジョンの魔物は高度な心理戦が可能であったと言えど、対人で僕の技術が通用するか定かでなかった。だがアドラムさんの言葉はそれを肯定するものであったので僕は自然と顔が綻んだ。

 「闘えそうでしょ?」

 自慢気に言うとアドラムさんはまた嘆息する。そして彼はそのままアリスに視線を移した。

 「アリスもか?」

 「あんな度を超えてないわよ」

 そうね、とアリスは呟くと地面に片の掌を向ける。

 「魔術士としての能力を見せれば良いのよね?」

 言って彼女は詠唱もせず発動した青白い光線で地面を抜いた。多層構造になっているが故に下の階層が穴から垣間見えるがそこにもまた穴が空いていた。恐らく何層か()ち抜いたのだろう。

 「“龍の息吹”…。神話級魔法か…………なるほどな」

 アドラムさんは諦めた。

 「ついでに直通ルート空けといたわよ」

 「おお…」

 めっちゃ脳筋だ…。

 だが確かに実力も示せたのでこの上なく時短である。

 ダンジョンはこういった損傷を自動で修復するらしい。アドラムさんに急かされてその貫通している穴を抜けて行った。

 目的の階層に辿り着いたがまだアリスの穿った穴は下層へと先があった。

 「とりあえず最下層まで空けたのよ」

 僕らが若干引き気味に穴の先を見下ろしているとアリスが少し不機嫌に言い捨てた。

 最下層まで空けたのなら尚更、穴を放置して置くのは危険なのでダンジョンの修復機能を手助けし穴を塞ぐ。穴が空いた儘だと魔物が階層を跨いでしまう可能性があるのだ。階層を跨いだレッドアイズ・ホーンラビットの異常を調査しているのに本末転倒である。

 「ダンジョンの修復も出来るのね…あんた…」

 「アドラムさんの使う支援魔法みたいなものだよ?」

 実際に僕が修復しているのではなく飽く迄その機能を補助している状態だ。

 「ダンジョンに支援魔法…」

 逡巡した彼であったがすぐに陰鬱な表情になった。そして「俺の実力不足は深刻だな…」とぶつぶつと小さく独り()ちていた。

 そんな中々に士気の下がった状況で赤いミノタウロスはその大きな体躯を現した。見下ろす先には僕たちがいる。

 「そら地面穿(うが)たれたら様子見に来るよね」

 納得である。

 数は5体だった。何気にアリスとの旅で初めての共闘である。アドラムさんに教わった連携の定石を忘れない。元々僕の戦闘は戦場における力の大きさや向きの全てを把握するスタイルだったので、連携は然程(さほど)苦になるものではなかった。連携相手の小さな動きから思考を読み取れば良いのだ。特にアリスはそんな風に読み取らずとも何となく考えていることは理解できた。アリスってわかりやすい。

 アリスは先にミノタウロスへ向けて三発の火炎弾を放つ。後からそれを追う形で駆けた優はそれを追い越した。そのまま後方2体のミノタウロスを斬り伏せる。その後に着弾した三発の火炎弾は防御姿勢の残りのミノタウロスを関係なく吹き飛ばした。戦闘が始まり終わる迄に1秒と経たなかった。

 刹那で終わった戦闘にアドラムさんは「パワー過ぎるだろ…」と呟いて額を抑えていた。

 僕は(ついで)にまだ姿の見えない残りの16体のミノタウロスも討伐することにした。アリスの見せた竜の息吹を参考に、より直径を小さくする。細い光線となったその魔法を十六発撃ち込んだ。それらはダンジョンの壁など無いものかのように直線で進み、16体のミノタウロスの眉間を一切のブレなく撃ち抜いた。

 僕の突然の魔法に二人は訝しんだ目を向ける。

 「残りのミノタウロスも無事に討伐したよ」

 「「無事に…」」

 ハモった二人の声がぽつりと漏れた。

 若干ぼっち時代の空気を思い出す。

 僕はちょっとだけノスタルジーに浸りながら二人と共にミノタウロスの素材回収に向かうのだった。

 そして僕らはダンジョンを後にした。未だレッドアイズ・ホーンラビットたちの歓天喜地が脳裏に浮かんでいる。巣穴が(かえ)ってきたことにぴょんぴょんと飛び跳ねる姿は小躍りしているようで結構かわいかった。

 耽りつつ僕は二人に続いて、行きにも使ったダンジョンまで伸びている林道を歩く。特に会話も無く歩みを進めていたが、(とみ)に思ったことをアドラムさんに質問する。

 「街まで一気に移動できるような魔法とかないんですか?」

 せっかく剣と魔法のファンタジー世界へやって来たのだ。在るのならそんな便利な魔法を使ってみたい。

 「……あるにはある」

 アドラムさんは思案して思い出すように答えた。ぱっと出てくるような一般的なものではないのだろう。

 「魔法じゃなくて魔術だが」

 何が違うのか僕には分からない。彼は察して補足してくれた。

 「簡単に言えば魔術は魔法の高度版だ」

 ちょっと難しくなるが、と彼は枕詞を置く。

 「魔法発動時の“コレット安定”を顕在させた魔法陣を描いて置くことで、時に触媒を用いた上でそこへ魔力を伝導させると事象に移行させることができる。それが魔術だ。つまり、いつも魔法を発動すると現れる魔法陣を先に作って置くってだけの本質は変わらないものだな。利点は描いた陣に魔力を注ぐだけなので一つの魔法を組み上げるのに多量の人員や時間を費やすことが可能な点や陣を解析し理論的に組み上げることが出来るので高度な魔法を生み出せる点なんかだ。新魔術を生み出そうと研究する学者も多くいるな。だが欠点の方が多い。陣に沿って魔力を注がなくてはいけないから魔力を伝導できる何かで陣を描かなくてはならないし伝導性を上げるために触媒が必要だったりする。そもそも魔術は魔法よりも余程(よっぽど)魔力を使うしな」

 高度な魔法になればそれだけ必要な魔力量も多くなり組み上げる複雑さや緻密さも上がるため魔術を用いるしかなくなるということだろう。

 「中でも、空間転移の魔法は“国家魔術”だ。国家レベルの大規模魔術だからどんな大魔術士でも一個人でどうこう出来るもんじゃない。……というのが常識だ」

 アドラムさんが僕にじとっと視線を送る。

 「国家魔術は一般に公開されていない。政略やリスク管理のためだ。だが空間転移の魔法は非常に稀なその例外だ。というのもこの魔術は神器の類に同じロストテクノロジーだからだ。そもそも行使するのが高コストなために未だ魔術式の解析は疎か発動条件すら完全には把握できていないそうだ」

 つまり発見された段階で先に公開され魔法の発動が確認された際に国家魔術に認定されたということだろう。

 「……見るか?」

 アドラムさんの声には小さく期待の色が見える。僕はそれに首肯で返した。

 彼は地面に落ちていた木の棒で魔法陣を描いた。

 魔法の研究をする者なら一度は憧れるロストテクノロジーの解明。故にアドラムさんも空間転移の魔術式を覚えていたそうだ。

 僕はその魔法陣を記憶し、解析した。

 案外簡単に解明出来たので早速二人に披露しようとしたのだが丁度前方から声をかけられた。

 「あれ?あれリアムじゃね?」

 「お、マジじゃん。勇者パーティ追い出された寄生虫」

 「ほんとダッッサ」

 「プッ、あんま言ってやんなって…ククッ」

 男女4人の冒険者パーティだ。

 アドラムさんを馬鹿にしながら僕たちの方へ向かって来ていた。彼は気にせず無視していたのだが到頭直接言葉を向けてきた。

 「おい、無視すんなよ。寄生虫」

 アドラムさんはうんざりした表情(かお)で溜め息を押し殺し対応する。

 「何か用か?」

 「図に乗ってんじゃねえぞ!腰巾着風情が!」

 パーティのリーダーであろう金髪男がアドラムさんの襟首を粗暴に掴み上げる。

 後ろの仲間たちも騒ぎ立てていた。

 「実力不足で追い出された乞食のくせに」

 「余裕ぶってんじゃねえぞ!」

 そして矛先は後ろにいた僕とアリスにも向いた。

 「こんなんとパーティ組んでお(めえ)ら災難だなあ?どうせ口八丁で騙されたんだろ?」

 視線は主にアリスへ向いている。

 いい加減うざったくなった。

 まずアドラムさんから手を離させるため、掴む金髪男の右腕を細断する。その場の誰も気が付く前にその右腕を再生した。(ついで)にアドラムさんの前に出る。

 掴んでいた筈の右腕も外れいつの間にか目の前にいる僕に金髪男は困惑していた。

 どうせなら彼らに空間転移の魔法を披露してあげよう。

 魔法を発動させる。刹那、僕の眼前に伸びる木々と林道の景色は一面の青空へと切り替わった。それは冒険者パーティの4人も同じだろう。彼らは急の出来事にまだ思考が追いついていないようだ。

 ここは僕たちが先程いた場所の真上。高度3000m上空のめっちゃ空だ。わたわたしている彼らに僕は精神安定の魔法を掛ける。落ち着いたことで彼らもちゃんと気が付けたようだ。僕らが絶賛フリーフォール中であることに。

 「ぉ、ぉ、ぉぉおおおっ!!!」

 彼らの内で誰が叫んでいるのか、最早判別できない絶叫が空に響く。空気抵抗はしっかり相殺しているので僕らの落下速度は上昇を続けている。頭が地面に衝突するまで30秒もない。その間にアドラムさんの株を上げておこう。

 「いや〜流石アドラムさんですよねー。こんな魔法知ってるなんて。彼は知識の豊富さも()ることながらその活用もさらっとやってのける。勇者パーティは勿体ないことをしましたね〜」

 ちょっと押し付けがましいだろうか。

 全員に聞こえるように魔法を用いて脳内に直接干渉して声を届けた。レッドアイズ・ホーンラビットと会話したときに用いた精神干渉の魔法と同じである。

 彼らからの返答はない。もう間もなく地面に衝突する状況では流石に難しいかも知れない。

 良い機会なので彼らには一度死んでもらおう。たとえ身体が地に衝突して破砕しても彼らの持つ魔力の根源が霧散しない限り全く元通りに再生が可能だ。アドラムさんを罵倒したことへのちょっとした憂さ晴らしである。

 (つい)に彼らは地面に()つかりボーリング玉を落としたような鈍い音と共に破裂した。

 アリスに動じた様子はなかったが、アドラムさんは眼の前で起きた4人分の人体の大破に驚愕の表情を浮かべていた。彼は咄嗟に魔法で彼らを受け止めようとしていたがその魔法を僕が相殺したので、その事実も彼の驚きを加速させただろう。

 そんな二人を横目に僕は彼らを回復魔法で再生する。果たしてこれは“回復”と呼んで良いのか微妙だ。

 無事に元の通りに生き還った彼らを見てアドラムさんはさっきの驚愕の表情をより深くしていた。ぽかんと口が開いている。そして隣では先程恬然(てんぜん)としていたアリスもぽかんと口を開けていた。

 間抜けな二人の表情に僕は「ふっ」と鼻で笑ってしまう。

 パラシュートなしでスカイダイビングした彼らも数秒の間脳内で情報処理を頑張っているようで、僕以外はみんな停止している現状である。

 手持ち無沙汰に待っていると、金髪男御一行が我に返った。彼らは「ひっ!」と声にならない悲鳴を上げて(もと)来た道を全力疾走で引き換えしていった。少しやり過ぎたかも知れない。

 振り返るとアリスもアドラムさんも既に現実へ帰還されていたようだ。

 アドラムさんは僕に何時(いつ)になく真剣な表情で口を開く。

 「空間転移()()はこの際どうでもいい。だが死者蘇生。それも肉体の無い状態で創造を伴う死者蘇生はこの世の理から大きく逸脱している。神の御業と言う方が正しい。……もう俺にはよく分からんから取り敢えずそれは隠して生きていった方がいい。………というか空間転移魔法もどうでも良くない。」

 そう言えばアリスにも似たようなことを言われた。こっちの世界へ来てずっと洞窟暮らしだった所為だろう。傍から見ると僕は野蛮人なのか…。

 「せっかく便利な魔法を覚えたのでこのまま転移してギルドまで帰りましょうか」

 僕は二人へ提案した。使わなきゃ勿体ない。

 「あんた…さっきの話聞いてた?」

 ジト目のアリス。

 「バレなきゃセーフ」

 僕たちがギルド内に転移しても周りがそれを何も不自然な事ではないと思うように魔法を自分たちへ掛ければ良い。アリスの尻尾を隠した幻色の魔法と同じ様なものである。ギルド内に唐突に現れた僕たちを見ても誰も何の違和感も覚えなくなるように魔法で工作するのだ。

 算段を立て空間転移魔法を行使する。地に現れた魔法陣が林道から僕たちを攫った。


 アドラムさんとパーティを組んで数日が経過した。今日もアリスと宿を出て彼と合流する。もう見慣れた冒険者の街。厳つい人の多いこのアカリスだが、今日は一層空気がピリついている様に見えた。

 勝手を知ったクエスト申請。冒険者ギルドで平生と変わらずミーシャさんに対応してもらった。隣からカリナさんがこちらへ乗り出してくる。これも彼女が暇な時のよく見る光景だ。

 「ねえ知ってる?この辺で殺人事件があったんだって」

 彼女は小声で噂話を持ち掛ける。

 現代日本に慣れ切った僕の思考では殺人事件など非日常の最端に位置する様に感じるが、ここは異類異形の跳梁跋扈。そもそも十分な安全の基盤が無い中では治安の悪化は避けられないだろう。僕の感覚よりも窃盗や乱闘などはよくある事で、貧困が奪う幸せも多々あるだろう。とは言え、街中で堂々と起こる殺人は別のようだ。

 「狙われたのはCランク冒険者だって話だよ。ユウくん達も気をつけてね」

 カリナさんは神妙な顔つきで憂う。

 そんな時分、後ろから声が掛かった。女性のハスキーボイスである。

 振り向くと、同じく振り向いているアドラムさんに相対して彼女は立っていた。佩剣(はいけん)している如何にもやり手の剣士である。ガタイがいいわけではない、どちらかといえば華奢である。だが、冒険者ギルドにいる他の冒険者とは明らかに纏う雰囲気が異なっている。圧倒的な強者のそれであった。

 黒髪碧眼の彼女は長く艷やかな髪を編み込みポニーテールにしている。長身で豊満な胸の彼女は非常にバランスの取れたスタイルをしていた。強さだけでなくその容姿でも目を引く存在だ。

 「リアム。この街に来ていたのか」

 アドラムさんは彼女の姿を見て得心がいったようだ。

 「ああ、そう言えばヴィオレットさんはアカリスのギルドマスターをしていましたね」

 年齢はアドラムさんとそう変わらないように見えるのにめっちゃすごい人だった。

 「ここじゃ少し目立ってしまうから中で話そうか。後ろの二人も私について来てくれ」

 彼女は僕とアリスへの配慮も忘れなかった。


 「よくあのパーティを抜け出せたな。彼らならリアムを()き使いそうなものだが…」

 通された冒険者ギルドの奥の部屋、ギルド長室。エグゼクティブデスクの前にある会議机でアドラムさんとヴィオレットさんが対面して会話をしていた。だが何方(どちら)かと言えば探り合っているようにも見える。そんな二人を見ながら、アドラムさんの隣で僕とアリスは静かに腰掛けていた。

 「いえ。噂の通りに実力不足で追い出されたんですよ」

 「それは……残念だったな」

 彼女の口振りからしてその言葉はアドラムさんへの憂慮というより勇者パーティに対する呆れと憐憫の方が強いように感じる。

 「彼らが新しいパーティメンバーか?」

 ヴィオレットさんは僕らを一瞥する。

 「ええ、最近Eランクに上がったばかりの冒険者です」

 アドラムさんはやはりいい人である。僕らが何かで不利にならぬよう会話の中で向こうに最低限の情報しか与えていない。

 「リアムが手解きしているわけか」

 「そうですね」

 それからも二人の丁寧な談義は続いて行く。彼らは旧知の間柄のようで、アドラムさんが勇者パーティに所属していた時は何度か共闘したこともあったらしい。

 僕は(おもて)に出さぬよう思う。ヴィオレットさんは僕の正体を疑っているのだろう。恐らく今回の遭遇も意図的なものだ。それも当然だ。僕は冒険者登録の際にSランクダンジョンの魔物素材を換金している。怪しさ満点である。冒険者になったばかりの男が世に凶悪とされる魔物の素材を換金しているのだから。換金した側のギルド、それもギルドマスターがそれを把握していない訳がない。ただ初めは様子見だったのだろう。しかし時が進むにつれ、元勇者パーティの実力者をパーティに加えたり街中で冒険者の殺人事件が起きたりと異分子を無視できなくなった。故に旧知であるアドラムさんを種として接触を試みたということだろう。

 アドラムさんもそれを理解した上でヴィオレットさんと対面しているように見える。簡単に言うと守ってくれているのだ。キュンである。

 「呼び止めてすまなかった。クエストへ向かう矢先だっただろう?」

 「いえ。俺も一別以来で嬉しかったです」

 二人の話ももう終わるようだ。

 僕たちは立ち上がりギルド長室の扉を開ける。

 「ああ、一つ聞き忘れていた」

 そんな折、僕らは手を止め振り返った。

 「君たちは小指を知らないか?」

 顔を顰める僕らを見てヴィオレットさんは「いや、知らないのならいいんだ。忘れてくれ」と言って僕らを送り出した。


 それから2日後、冒険者の街アカリスで第二の殺人が起こった。

 愈愈(いよいよ)街に不穏な空気が流れ始める。

 街は人々にとって聖域の様な場所である。冒険者にとって見れば死と隣り合わせの魔物の巣窟から唯一心を休められる安息の地なのだ。そんな場所でただでさえ強者であるはずの冒険者が殺されているのだ。冒険者も、一般人なら一入(ひとしお)に誰が犯人か分からぬ中で不安が募るだろう。

 例えば路上で「冒険者殺しなんて俺のこの筋肉で返り討ちにしてやるよ!」と自信満々に仲間へ語っている彼も頭の片隅にある不安という気持ちの裏返しから来ているのだろう。

 そしてその翌日、また一人冒険者が殺された。

 そろそろ本格的に街に不和の空気が流れている。疑心暗鬼になってしまっているようだ。

 また、疑わしきを野放しにも出来なくなってきたようだ。

 僕とアリスとアドラムさんは再びギルド長室に呼び出されていた。前にも座った会議机、僕たちの対面にはヴィオレットさんが座り左後ろには騎士と思しき男性が直立不動で様子を窺っていた。

 「彼はフロイトリッヒ辺境伯様のお抱えである騎士団の副団長を勤めておられるアメデさんだ」

 「ご紹介に預かりました騎士団副団長アメデ・アフレです。以後お見知り置きください」

 礼儀作法に則った丁寧な礼に少し気圧される。

 ヴィオレットさんが以前と異なり僕の瞳を真っ直ぐに見る。

 「単刀直入で申し訳ないが、貴殿らパーティ『百折不撓』にクエストを依頼したい」

 パーティ登録時に名前が必要だった。そのため考えたパーティ名だが洞窟で死にかけた僕や何十回と僕に挑んで来たアリス、パーティを追放されたアドラムさんにピッタリの名前だと思う。

 指名でのクエスト依頼は中々重大な任務である。国や貴族からの依頼であることもあり大義名分がない限りは断れるものではない。今回の場合は領主フロイトリッヒ辺境伯様からの依頼である事は明白だ。ただ恐らく僕らへの直接的な依頼ではなく、冒険者ギルドへの依頼をギルドマスターが采配した形であろう。実績も無ければ面識も無いし。しかし断れないのは同じである。だって騎士団の副団長さんが居るから。断ればギルドマスターの顔に泥を塗ることになる。()いては僕たちの活動が難しくなるのは必至だ。

 「慎んでお引き受け致します。依頼内容を教えて頂いてもよろしいですか?」

 毅然と振る舞う。

 恐らく依頼内容はいま巷を騒がす連続冒険者殺人事件についてだろう。怪しさ満点な僕の監視目的だ。依頼すれば僕らのクエスト報告を吟味することで目の届く範囲に僕を置いておける。他に依頼したであろうパーティの報告と齟齬があれば懐疑が確証に近付くし、そうでなくても動向を把握できる。

 「ここから先は他言無用で願いたい」

 三人分の肯定を確認すると彼女は依頼内容を語り始めた。

 「既に知っていると思うが、ここ数日で冒険者を狙った殺人が三件発生している。端的に言えばその犯人捜しをして欲しい」

 机に資料が広げられる。曰く、冒険者が何者かに殺害されているのは明白である。その遺体は三方とも頭と右手小指が切断し持ち去られている状態であるからだ。また殺された彼らはCランクが二人、Bランクが一人と実力者であった。そう易易とやられるような者ではない。現場の状況と犯行手口、Bランク冒険者すら歯が立たないその実力から単独同一犯による連続殺人事であると現状は考えられている。

 襲われているのは(いず)れも夜中の人通りの薄い時間帯と場所である。争った形跡は見られるが為す術なくやられているようだ。

 「報告は隔日で今日と同じ時間にこのギルド長室へ来てくれ。こちらからの情報共有もそこで済ませたいと思う」

 「引き受けてくれてありがとう」という彼女の社交辞令を以てその場は解散となった。

 僕は違和感を覚えていた。

 なぜ夜中の犯行なのに奇襲でないのか。もし奇襲に失敗して抵抗された際の争いの形跡であれば為す術なくやられているわけがない。それになぜベテランの冒険者ばかり狙うのか。態態(わざわざ)強者を狙う必要性が何処かにあるのだろうか。例えば怨恨ならば三人も殺された時点でその関係性が見えてくるはずだ。他に自分の力を誇示する目的があるならばAランク冒険者を狙うか或いは自分の犯行であるという証を残すと考えられる。糧て加えてまるで見せつけるように右手小指を持ち去っている。

 差し当たって僕はアカリスの街全体に気配探知の魔法を常時発動させることにした。転移してから長く居たあの洞窟では絶えず使っていた。しかしその頃と違うのは命を守る対象が僕一人でなく街の住人全員である点だ。つまり常に全ての人々の他人に対する干渉を観察する必要があるのだ。特に犯行は夜中だというので睡眠は厳禁である。今のうちに休息したいが僕は僕でヴィオレットさんからの監視対象なのであまり変な行動は取れない。いつも通りを申請したクエストを(こな)さねばならない。だがそんな状態では見逃す可能性もゼロではない。それに僕の気配探知の魔法に引っ掛からない可能性だってある。なので僕は思い立った一つの可能性も追ってみることにした。


 あ゙~しんどかっっだ〜〜。

 ようやく仕事が終わった。明日から私は2連休だ。その大事な2連休を存分に楽しむために振られた仕事を今日中に終わらせた。休み明けに仕事を持ち越すと休みの間ため息が留まるところを知らないからだ。

 ただでさえ今日はミーシャちゃんがお休みだったのでいつもより帰りが遅くなるのは覚悟していたが、あのお局め、急に仕事を振ってきやがった。「若いんだからもうちょっと出来るでしょ〜」と言って事務仕事を増やされた。この仕事に若いかどうかは関係ねえだろ、なんて思いつつも引き攣った笑みで引き受けてしまった。私もミーシャちゃんみたくバシッズバッと断れたらこんなにカモられることもないけど、そう簡単なことじゃない。しかし最近聞いたミーシャちゃんの生い立ちを考えればクールに強くなれるのもちょっと納得である。未だに彼女に4歳の子どもがいた事実は衝撃だ。しかも未亡人。逞しすぎる。本当に同い年なのだろうか。

 今日はユウくん達のクエスト申請を私が担当した。ミーシャちゃんの代わりだ。冒険者の街だけあって顔見知りの冒険者さんは多くいるが殊にユウくん達には気を許して話してしまう。彼の持つ空気感が柔らかすぎるのもあるが、一番はミーシャちゃんが唯一気を許して対応している相手であるというのが大きい。今までに受付であんな柔らかい彼女は初めて見た。だからついついお局様の愚痴が漏れてしまった。

 「あーあ、残業確定だーー」と嘆く私に彼が困った笑いを浮かべ「夜道には気をつけて下さいね」とダンジョンで拾ったというネックレスを私に手渡してきた。鑑定品かと思ったが違うらしく私に護身用として持っていて欲しいらしい。さては此奴(こやつ)モテるな、と内心でボヤきつつありがたく受け取った。

 今そのネックレスを首にかけて絶賛夜道を歩いている。住宅街に入り人の気配は家の(あか)りだけになる。行き交うのは偶に聴こえる団欒の声だ。何か虚しい。私も彼氏がほしい。何のために受付嬢になったと思うのだ。

 それは唐突に現れた。真っ黒の人影に私は足を止める。眼の前を訝しんでいると私は右手に刺すような痛みを覚えた。反射的に左手で右手首を抑える。痛みで涙の滲む視界で捉えた右手には小指がなく。第二関節より先から鮮血が溢れていた。ドクドクと速まる鼓動が耳元で聴こえ、痛みは眼の前の人影に対する黒い恐怖へと塗り替わって行く。

 殺される。

 ぼやける視界に短剣が鈍く光った。

 私の首を狙っているのは明白である。だがしかし、私の身体も思考も微動だにせずただゆっくりとその光景を他人事のように眺めていた。

 短剣が私の首を捉えた。私は自分の死を理解した。だがそこに死の事実は訪れなかった。

 短剣が私の肌に触れた刹那、金属の弾く大きな音と共に暗殺の君は後ろへ大きく弾き飛ばされていたからだ。同時に首にかけていたネックレスも弾けるように地に落ちた。それはバラバラになっている。このネックレスが私の命を救ってくれたのは一目瞭然であった。

 瞬間、眼の前にもう一人現れた。私を守るように立つ後ろ姿はとても見覚えがある。

 間髪入れず彼は光線のような魔法で人影を撃ち抜いた。急所は外れているようだが反動で人影が被っていたフード外れ素顔がちらと見える。それに焦ったのか人影の君は慌てて地面の影に飲まれ姿を消した。

 私を守ってくれた彼、ユウくんはすぐに踵を返し私の元へ駆けて来た。

 「大丈夫ですか!怪我はありませんか!」

 ユウくんはとても焦っている。

 未だ私は状況を飲み込めていなかった。

 私は死ぬはずで……でも死ななくて……?

 「こ、小指が!すぐに治しますから!」

 ユウくんは私の右手を包み込む。回復魔法のお陰か将又(はたまた)彼の体温か。

 さっきまで目でなぞっていた非日常をその温かみと共に徐々に自覚することが出来てきた。

 そして私は思い出す。死の間際に立ったあの瞬間を。

 「……う、うわぁぁああん…ごわがっだよぉおお!」

 私はみっともなく泣いてしまった。

 ユウくんは一も二も無くそんな私を抱きとめる。

 「もう大丈夫ですよ。もう僕がいますからね」

 優しく彼は背中を擦ってくれる。だから私は(うち)の恐怖を吐き出すように慟哭してしまう。

 私の泣き声が彼の肺を震動させる。くぐもった泣き声が私には届いた。

 男性の中ではそれほど背が高くはないユウくんなのにとても胸が大きくて、私の涙でぐちゃぐちゃに濡れているのにとても暖かかった。

 こんなに泣いたのは何時(いつ)ぶりだろうか。もう十年も泣いていない気もする。

 私の涙は止まらないのに夜空はとても澄んでいた。


 カリナさんは泣き疲れたのか僕の胸の中で眠ってしまった。流石に夜空の(もと)で眠るのは風邪を引くのに待ったなしだ。回復魔法があると言えど安易に病気になって良いわけじゃない。…だがしかし。カリナさんを何処へ送り届ければ良いというのだろうか。カリナさんの住む家だろうか。もし彼女が一人暮らしなら女性の一人暮らしの家にその女性が寝てる間に勝手に入ることになる。ダメだ。彼氏か伴侶がいるならばこの状況が抑々まずい。僕の居る宿なんて論外だ。眠っている女性を連れ込むのはやばい。詰んだ。

 結局、アリスも同部屋である僕の泊まっている宿に運ぶのがカリナさんにとっても安全で安心だろう。

 空間転移魔法で直接宿の自部屋に戻る。少し空けて並んだベッドの片方にはすやすやと眠るアリスがいた。ふたりきりの時には彼女の尻尾は隠さない。黒く立派な竜の尻尾を出して僕のベッドの方を向き可愛らしい寝息を立てていた。

 彼女を起こさぬよう完全に気配を絶って僕のベッドへカリナさんを横たえる。布団を掛けたら、僕はベッドの横に椅子を置いた。

 窓から差し込む月明かりに先の出来事が思い返された。

 僕の用いた気配探知の魔法は地面より上が対象範囲であった。カリナさんに敵の接近を許してしまったのはそれが要因であろう。カリナさんの前方に突如気配が現れたのだ。念のために渡しておいた自作のネックレスが無ければ取り返しの付かない事になっていた。彼女から残業で遅くなるという愚痴を聞いていたので受付嬢の中でも彼女にそのネックレスを渡そうと考えたのだ。

 奴らが使ったのは影に潜む魔法であった。夜は影魔法の利を最大に活かせる。夜中の犯行も納得できた。

 僕は気配探知の魔法の対象をアカリスの街全体の地上だけでなく地下にも適応することにした。影魔法も勿論その対象にする。どんな魔法なのかは解析出来ていた。影魔法に対してもう不覚を取るつもりはない。

 だがそれから夜が明けるまでに一度だけ僕の気配探知に影魔法が引っ掛かった。


 翌朝、初めに目覚めたのはカリナさんだった。

 「ん…むぅ〜……」

 寝起きが良い方ではないのだろう。布団を被ったまま寝惚け眼で天井を見上げている。

 「おはようございます」

 そんな彼女に僕は声をかける。

 「ん…おはよぉ~……………………………っ!」

 僕の方を見上げて猫のように微睡んだ微笑みを向ける。数秒固まったかと思うと、顔をみるみる(あか)くさせてバッと急に起き上がった。

 「お、おはよぅ…」

 さっきとは打って変わってしおらしい。

 「お体に不調はありませんか?」

 「べ、別に…」

 「お仕事は行かれますか?」

 「たぶん大丈夫…」

 「何かあれば言ってくださいね?とりあえず朝食にしましょう」

 「うん…」

 カリナさんが昨日の事を思い返してしまう前に畳み掛ける。あんなトラウマはご飯を食べて落ち着いてから整理した方が後々に良いだろう。


 私はぼーっとユウくんを眺めている。彼はアリスちゃんを起こそうともう片方のベッドに寄っていた。

 二人って同部屋なんだ。

 まだ纏らない思考の中そんなことを考える。

 私は昨日年下のユウくんの胸の中でそれはそれはみっともなく声を上げて泣いてしまった。……やってもた。

 どんな顔をして彼を見ればいいんだ…。めちゃめちゃ気まずい…。

 アリスちゃんが目を覚ましたようだ。ぼーっとしていたがふと私を見つけると眉間に皺を寄せた。

 「え……」

 あはは…と苦笑いを返す。

 ユウくんが斯々然々(かくかくしかじか)と私のことを説明してくれた。

 「まあ、あんたらしいわね…」と彼女は呆れたようにふっと頬を緩める。

 それからユウくんは朝食を作り始めた。調理器具を浮かせたりフライパンに火をかけたりと魔法を繊細に扱ったそれはもうどこがEランクだよというような所業である。

 驚き半分興味半分で彼を眺めていた。その視線に彼は言葉を返す。

 「朝夕食付きにすると値段が嵩張るんですよね…」

 困った様子の彼。

 朝食が出来る上がるとそれを机に広げた。

 アリスちゃんは慣れた様子で「ありがと」と伝えると両手を合わせてから朝食に手を付け始めた。

 「カリナさんもどうぞ」

 動けない私を見てユウくんは声をかけてくれる。それに誘われて私も席に着いた。

 ふんわりと焼けた厚焼きの玉子サンドにコーヒーという朝食以外ではあり得ない程に定番の朝食レシピである。綺麗に仕上げ美しく盛られたそれはおしゃれなカフェの朝ごはんであった。

 パンの焼けた香りとコーヒーの香ばしい匂いが鼻を抜けそのまま食欲に繋がる。

 私も手を合わせ朝食を(いただ)くことにした。

 「美味しい……」

 私の至福に緩んだ頬を見届けたユウくんは再度調理に取り掛かる。お弁当を作っているのだろう。

 「カリナさんも要りますか?」

 ここまで色々してもらっているのにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

 「3つ作るのも4つ作るのも変わりませんよ?」

 ユウくんはエスパーなのだろう。察した彼は私に気を遣わせないよう慮る。

 「……じゃあお願いします…」

 くそぅ。断れない。このおいしい玉子サンドとユウくんの素敵笑顔のダブルパンチで断れない。

 「任せてください!」

 張り切るユウくん可愛い。直視できない。

 そのまま彼を眺めながら玉子サンドを口に運ぶ。

 彼は宿の時計を見て私に尋ねる。

 「出勤時間までまだありますか?」

 「今日から2連休だから。でも昨日のことをギルドマスターに報告しないといけないからユウくん達と一緒に出るよ」

 「休んでなくて大丈夫ですか?」

 「私と同じ被害が出る前に伝えないと。ユウくんのおかげで私はかなり落ち着いたから心配しなくても大丈夫だよ」

 心配性なユウくんである。

 「あんまり無理すんじゃないわよ」

 「っ!」

 「……何よ」

 対面でコーヒーを味わうアリスちゃんが細めた瞳で不満を表す。

 ギルドの受付でクエスト申請をしている時はいつも後ろで黙ってユウくんを見つめているだけのアリスちゃんが…。

 「アリスはツンデレだからね」

 「別にデレてないわよっ!」

 彼女は紅くなった頬を隠すようについっとそっぽを向いた。

 そんな彼女に思わず笑ってしまう。

 「なっ…!燃やすわよ!」

 脅されているのに私は真っ赤な髪の彼女が少し怖くなくなった。


 アドラムさんと合流し、冒険者パーティ“百折不撓”+カリナさんで冒険者ギルドに到着すると矢庭にギルド長室に呼び出された。

 連続冒険者殺人事件で新たな情報が入ったらしい。

 「四人目の被害者が今朝発見された」

 ヴィオレットさんの口から告げられる。

 だがそれは僕にとって昨日のうちから判っていた事だった。

 気配探知でしっかりバッチリ見ていた。だがそれは街の外から影魔法で死体を運ぶ様子であった。街の中も外も暗い夜中なら外から中へ見つからず影の中を移動できるようだ。

 見ていたとは言えただでさえ怪しまれているのに僕が第一発見者になると下手をするとそれに王手がかかってしまう。なので翌朝発見されるのを待った。カリナさんも心配だったし。

 ヴィオレットさんは資料をエグゼクティブデスクに拡げながら言う。

 「四人目の被害者は冒険者ではない。故に身元の特定が出来ない」

 遺体は前の三人同様に頭と右手小指が切断され持ち去られていた。頭がなくても冒険者なら冒険者ギルドに登録しているためそこから身元の特定が可能だ。パーティを組んでいるのなら尚更パーティ仲間の証言から容易に特定できる。

 「ただ、左肩を貫通した欠損があった」

 それは僕が龍の息吹を撃った跡だ。つまり殺されたのは昨日にカリナさんを襲った賊なのだ。

 ここが時機だろう。

 「その跡に見覚えがあります」

 まるで今気が付いたように僕は口を開く。

 そしてカリナさんに視線を送る。

 僕の意を汲んだ彼女は語り始める。

 「昨日私を襲った賊で間違いと思われます。その傷痕はヒナタさんに助けて頂いた際の物と一致します」

 あまり思い出したくないだろう。カリナさんからの証言は得たのでそこから僕が彼女の言葉を引き継いだ。

 雑多な情報は省いて話す。気配探知の魔法や空間転移魔法、龍の息吹の事は言わない方が良いだろう。曰くややこしいことになりそうだし。

 夜中の人気のない所へ目星を付けて犯人の捜索をしていた時、ふと聴こえた悲鳴に駆けつけた。咄嗟に対抗するため魔法を放つと急所に外れ肩に命中。反動で賊のフードが脱げ、焦った賊が影の中に逃げて行った。

 そんなシナリオを語った。実際はフードに付与された認識阻害の魔法を破壊するため魔術解体(ディスペル)のカモフラージュとして龍の息吹を肩に目掛けて撃った。というのも相手に顔を見られたという事実を植え付けるためだ。認識阻害を貫通して僕一人がその素顔を確認しても意味がない。顔を見られた事で新たな動きが出ると考えたのだ。

 まさか証拠隠滅のために仲間を殺すとは思わなかったが、推測通り敵が同一単独犯ではなく組織的な犯罪であることが確定した。

 わざわざ一人分の争いの跡を残したり小指を持ち去ったりと元々怪しい点は多かった。影魔法が使えるなら一人が戦っている時に奇襲がかけられるだろう。その上、手口を似せることで複数犯でなく単独同一犯の行動であると見せたかったようだ。

 ただ僕は複数犯の犯行であることに気付かせるのも罠だと思っている。

 「私の部下まで狙うとは……良い度胸しているな」

 ヴィオレットさんは今は見えない賊へ向かってとんでもない殺気を放っていた。強い殺気に耐性のないカリナさんの前に失礼にならぬようさり気なく立って壁となる。

 カリナさんへの襲撃を彼女は冒険者ギルドに対する宣戦布告と受け取ったようだ。

 「これ程迅速な仲間すら切り捨てる証拠隠滅を可能とするのだから、奴らが組織的な犯罪であることは間違いないのだろう。奴らの会合場所の捜索が最優先だ」

 敵の掌の上で転がされているのは明白だ。敵の会合場所も恐らく冒険者のタレコミか何かですぐにでも明らかになるだろう。

 しかしこの誘導に乗らなければ犯人の尻尾も掴めないかも知れない。抜本的な一手を打つには機を伺う他なかった。


 僕たちは久々にエルネ草の採取クエストを受けていた。アドラムさんも伴ってパーティでこのだだっ広いエルネ草の自生地に訪れるのは初めてだ。

 別に初心に帰ろうとクエストを受けたわけではない。目的はこの場所に罠を仕掛けるためだ。

 僕の推測では数日後にここを大量の魔物が通ることとなる。なので魔物に対してのみ効果を示す設置型の魔法を組んで置いているのだ。魔物がこの仕掛けた魔法の上を通れば莫大なデバフが掛かるという仕様である。

 罠なので何人にもバレるわけには行かない。なので実験台にするようで申し訳ないがクエストを理由に二人を呼んだのだ。僕が魔法を設置している間も特に何か気が付いた様子はなかったので結果は成功だろう。ちゃんと罠として機能出来そうだ。

 罠の設置はエルネ草採取の傍らで同時進行している。手を止めていてはバレてしまう。両者共それ程難しい作業でもないのでマルチタスクも案外簡単だ。

 ついとアドラムさんに聞いておきたい事があったのを思い出した。

 「アドラムさん、ミヨという名前を聞いたことがありますか?」

 この前にこの自生地で無防備に昼寝をしていた時、心配して起こしてくれた彼女である。それから薬草採取クエストの講義もしてくれた。

 だがそれが不可解だった。その当時は知らなかったが、あの時僕たちが寝ていたエルネ草の自生地は大魔行軍(カタストロフ)の進行予定地であった。冒険者と名乗った彼女だが大魔行軍(カタストロフ)が発生していた故にクエストは緊急で全て差し止められていたはずだ。クエストも無く、わざわざ危険地に赴くのは不自然極まりないのだ。

 急な質問にアドラムさんは首をひねる。

 「ああ、有名な人だぞ。宮廷魔術士団の副団長だ」

 王国直属の魔術士団のことを“宮廷魔術士団”と呼ぶらしい。故に貴族のお抱えとは格が違う。

 「冒険者の格付けで言えばAランクみたいなのがごろごろいるのが宮廷魔術士団や近衛騎士団だからな。そこの副団長ともなれば異名が付くくらいには知られてる」

 「異名…?」

 「“最優の魔術士”と呼ばれてる。王国最年少で宮廷魔術士団に入団したそうだ」

 ミヨはあの時自分のことをBランク冒険者と偽った。しかしそんなに有名な存在ならば偽名を使わないのは不自然だ。だから本名を教えたのは恐らく政略だろう。

 「ねえユウ」

 僕が物思いに耽っているとアリスが不意に声を掛けてきた。

 「あんた今どんだけ採ったの?」

 彼女は何処か怪しい笑みを浮べて聞く。薬草採取クエストを始めておよそ一時間が経っていた。

 「31本だね」

 数えて答えると、彼女の怪しげな笑みは満面の笑みに置き換わる。

 「あたしの採った数聞きたい?」

 「…………いや別に」

 「ふっふっふっ!そんなにユウが聞きたいなら特別に教えてあげるわ!」

 アリスは僕じゃない別のユウくんと話してるようだ。

 「聞いて驚きなさい。あたしは40本よっ!」

 「おー」と感嘆して取り敢えずパチパチと拍手を贈っておく。

 彼女は気分を良くしたようで腕を組み慎ましい胸を反らして「えっへん!」と鼻高々にしていた。

 可愛いのでそっとしておく。

 「初めてユウに勝てたわ!」と傍らで喜びを噛み締めるアリスを見て、薬草採取のクエスト申請を増やそうと決意した。


 薬草採取クエストを受けた日から明けて翌日、平生では考えられぬ程に慌ただしい冒険者ギルドのギルド長室へ呼び出されていた。

 エグゼクティブデスクに座るヴィオレットさんは複雑な表情をしている。

 「良い報告と悪い報告が同時に来た」

 だからそんな表情をしているのか。同時に来ちゃったか。

 「なので君たちにも同時に伝えよう」

 被害者を増やすつもりのようだ。

 「賊のアジトは特定できたが、魔軍侵攻(スタンピード)が発生した」

 魔軍侵攻(スタンピード)とは異常に狂暴化した魔物が“キング”となり多くの魔物を引き連れて故意に人間の街や集落を襲う侵攻のことである。一方で大魔行軍(カタストロフ)はダンジョンの崩壊につきその膨大な魔力が流れることでそれに釣られたダンジョンに巣食う全ての魔物が理性を失って魔力に沿って大移動をする事だ。つまり、人間にとっては大量の魔物が攻めてくることに違いはないが、根本は大きく異なる。その差異が大きく見られるのは2点。一つは大魔行軍(カタストロフ)は殲滅が必要であるのに対し魔軍侵攻(スタンピード)は“キング”となる魔物を倒せば多くが引き返す。もう一つは魔物の量が大きく異なる点だ。大魔行軍(カタストロフ)はダンジョン全ての魔物であるのに対して、魔軍侵攻(スタンピード)は“キング”の強さによって変わるがそれでも常識的な量である。

 そんな風にミーシャさんから聞いていた。

 と言っても魔軍侵攻(スタンピード)も多くの冒険者に協力を仰いで対抗する他ない危険な災害である。

 「そこで一つ相談がある……いや、これはお願いだ。」

 ヴィオレットさんはパーティ“百折不撓”を見据える。

 「冒険者リアム・アドラムを魔軍侵攻(スタンピード)対策部隊の司令として採用したい」

 アドラムさんはパーティ“百折不撓”の一員だ。パーティ登録時のリーダーは先の事を考え僕の名前を入れていた。なのでアドラムさん個人を指名した依頼であるが彼の所属するパーティのリーダーである僕にも話を通すために僕はここに呼び出されたようだ。

 「さすがアドラムさんですね!」

 僕は少し嬉しくなって言った。

 勇者パーティを追放され、謂われない言葉を投げられているのを見た手前、ヴィオレットさんのような力ある人に正しく評価されている姿を見ると安心する。

 依頼を受けるのかアドラムさんを見守っていると彼は僕の視線に疲れたような顔をしてからふっと息を漏らして頬を緩める。

 「…分かりました。その依頼を引き受けます」

 「本当か!?」

 ヴィオレットさんは断られると考えていたようで慮外の返事に驚いていた。

 「ありがとう!魔軍侵攻(スタンピード)対策部隊の冒険者には私から言って置く」

 勇者パーティを追放されたアドラムさんはそれに対して疑念や蔑みの目を向けられ続けている。そんな彼が冒険者を統率するにはヴィオレットさんからの一言は大切だろう。

 「賊のアジトの方は私が対応する」

 これ以上犠牲を出さないという明確な意志が感じられた。先日ギルド職員であるカリナさんすら狙われたことで焦りもあるのだろう。

 彼女は机に地図を広げる。

 「悪いが早速今回の魔軍侵攻(スタンピード)について説明したい」

 それはアカリス周辺を広く表す地図であった。

 アカリス周辺は東西南北に多くのダンジョンが(ひし)めいている。それは洞窟型だけでなく、空を突く塔や人を惑わす巨大な森、古びた神殿など様々だ。中でも有名なものがSランクダンジョンに指定された極夜の深層(アルターノクス)。これはアカリスの南西に位置している。レッドアイズ・ホーンラビットを助けた洞窟型のCランクダンジョンも南方にあった。

 因みに僕とアリスがよく受けている薬草採取のクエストで行っていたエルネ草の自生地はアカリスから北西方向である。罠を仕掛けた場所だ。

 今回魔軍侵攻(スタンピード)はアカリスの南方から発生している。

 そして発見された賊のアジトはアカリスより北東方向であると報告されていた。

 賊のアジトと魔軍侵攻(スタンピード)が真逆の方向であるためにアドラムさんに魔軍侵攻(スタンピード)対策部隊の司令が任されたのだ。

 「キングはガラナ()()()()()であると確認されている」

 ガラナとは植物が魔物化したものである。頭部に一際大きな花を咲かせ、体にも幾らか花を咲かせている。人型をしているが太く大きい伸縮する蔦をいくつも持ち合わせ、それを触手のように蠢かせて他を襲う魔物である。知能は持っていないらしい。食事のために襲うそうだ。ミーシャさん情報、通称ミシャペディアより抜粋だ。

 「らしきもの…」

 「ああ、特徴を見るとガラナのようだがその姿は黒い何かだったそうだ。ガラナが由来であるなど嘘であるかのように破壊的な強さを持つ個体だ。軍勢は6,000」

 「6,000…」

 ミシャペディアによると一般的な魔軍侵攻(スタンピード)は3,000ほどの軍勢である。キングの強さによって軍勢は変わる。つまり一般的なキングの倍の強さを誇っていると言う事だ。アドラムさんが唸っているのも頷ける。

 アドラムさんとヴィオレットさん作戦会議は続く。

 傍らで僕はそれを聞いている。アリスは欠伸を漏らしていた。

 魔軍侵攻(スタンピード)が発生しているのは僕が罠を仕掛けたエルネ草自生地とはアカリスを挟んで方角が真逆だ。だが僕が何をしなくともアドラムさんなら軽く魔軍侵攻(スタンピード)を潰せるだろう。いざとなればアリスも居るので彼女なら数秒で片付けられるだろう。キングを倒せば良いだけなのだから。

 だから彼女はつまらなそうに二人の作戦会議が終わるのを待っているのだ。

 僕はそんな彼女と念話でしりとりを始めた。


 僕は“る”攻めより“ぷ”攻め派、“る”には“ルール”や“ルミポール”など反射するものが多い、故に自爆が散見されるのだ。

 「ぷ、ぷ、ぷ、ぷ…………」

 アリスがブツブツと到頭(とうとう)口に出して考え始めた。ぐぬぬ顔をしている。

 「ぐぬぬ…」

 言った。

 そろそろアドラムさんとヴィオレットさんの作戦会議も終わる。これは僕の勝ちだろう。

 「っ!」

 アリスの閃き。

 『プッシュアップ!』

 …………。

 ぐぬぬ。


 しりとりは僕の“プッシュポップ”で幕を閉じた。ずるだとは言わせない。こっちの世界には無い言葉だけどずるだとは言わせない。

 ギルド長室を出て予定されている魔軍侵攻(スタンピード)の接敵場所に訪れる。アカリス南方の視界の拓けた場所である。アカリス南の城門からそれ程大きくは離れていない。補給を城門内で行うためだ。もちろん簡易的なものはもう少し近くにも作らねばならない。そして此処よりずっと東には大きな川が流れている。横幅は3kmを超える。ガラナが森を生息域としていることからこの川を渡って来ることは考えられないという結論だった。また南西にはあの極夜の深層(アルターノクス)。少し離れていると言えども低級の魔物たちにとって本能的に少しでも近寄りたくないものだ。つまり、川より西側、Sランクダンジョンより東側、その上アカリス南門の正面であるこの見晴らしの良い平原が接敵場所と予定された。

 2日後と予定される魔軍侵攻(スタンピード)との接敵。アドラムさんが指揮をする以上僕たちも参加しないわけにはいかない。ただ当日は途中で抜けることになるだろう。

 右遠くに見える極夜の深層(アルターノクス)に僕は感慨を覚える。あの暗い洞窟を出てまだ二週間ほどしか経っていない。あの洞窟で過ごした月日の方が余程長いがそれでも感覚的にはとても久しい。

 「…アリスと出会えてよかったよ」

 零れ出た言葉に僕は気付いていない。だが隣に立つアリスにはバッチリ聞こえていたようだ。

 顔から火が出るほど真っ赤になった彼女は実際に口から火を出して吠える。

 「っ!うぉいっ!心の準備っ!」

 力強くツッコミを入れた彼女は息切れしている。

 はぁはぁと息を整え、最後に一つ大きくため息を()く。

 そして鮮やかに赤い髪を両側に束ねたツインテールを両手に持って未だ紅い顔を隠す。

 小さく一言呟いた。

 「…………………あたしもよ」

 蒼い空と緑の草原。吹く風がいやに涼しかった。


 魔軍侵攻(スタンピード)との接触まで数時間と予測される。成り行きで俺が司令をすることになってしまった。幼馴染みとずっと共に歩んで来たパーティを追放されて森で不貞寝していた所をヒナタに拾われた。そんな彼に思い切り期待の瞳を向けられて断るに断れなかった結果である。

 そもそもCランクである俺が司令をすることに抵抗感を持つ者も多いだろうし、何よりCランク冒険者にも拘らず世界唯一のSランクパーティである勇者パーティへ所属していたことへの悪感情があるだろう。傍からは寄生しているようにしか見えない。実際、実力不足だと切り捨てられた訳だから。

 だから俺がまずすべきは束ねる冒険者たちからの信頼の獲得だが、こんな短時間では厳しい。実力至上主義である冒険者稼業に於いて信頼を得る最も手っ取り早い方法は自分の実力を示すことであるが、それも難しい。そもそも支援魔術士としての力量は目に見えて分かるものではない。その上実力不足で追い出されたのだから―――

 「アドラムさん。奴らに目にもの見せてやりましょう」

 俺の思考にヒナタが割り込んで来る。

 ヴィオレットさんの言葉があるから渋々従っているという冒険者たちの雰囲気が彼に伝わったのだろう。

 「目にものって…」

 「ほら、遠くにお誂え向きな敵の斥候部隊が見えてますよ」

 「あれ……?」

 事前情報との乖離に俺は顔を顰める。

 魔王軍でもない限り魔物が斥候部隊を放つことはない。彼らにはそれ程の知能が無いのだ。それにこちらが送った斥候の情報にもその存在は確認されなかった。

 予定よりも早い敵の出現に(ざわ)めく冒険者たち。

 ヒナタはそんな彼らの先頭に立つ。

 ゆっくりとした動作で拙く彼は腰に下げた剣を抜く。構えも腰が引けていた。まるで始めたての冒険者である様相だ。いやまあ実際そうなのだが…。

 「ア、アドラムさん!僕に支援魔法をお願いします!」

 若干声が震えている。たぶん目立つの苦手なんだろうな。

 だが、周りには無謀にも勇気を出して魔物の大群に挑もうとしている姿に見えるだろう。

 予定外の事に怯んでいた彼らは眼の前に立ったヒナタを口々に囁く。

 「な、なんだ、あいつ。バカなのか…」

 「確かリアム・アドラムのパーティのEランクじゃねえか」

 「はっ、あんなバカしかいねえようなパーティがお似合いだな」

 「何で寄生虫なんかに従わなきゃなんねぇんだ」

 「クロデル様は一体どういう御積りなんだか…」

 俺への中傷の方が多かった。

 だがまあ慣れている。勇者パーティにいた頃からそうだった。

 しかしヒナタはそんな声を払拭するつもりらしい。

 俺は持てる支援魔法をヒナタに付与した。

 体力上昇、魔力上昇、筋力上昇、……。加えて同じ付与魔法を何度か重ね掛けする。またヒナタの構える剣にも斬撃性上昇を付与する。

 見た目にはヒナタに行使した魔法の陣が幾重も囲んでいる状況だ。

 彼は付与されたことを確認してまだ遠くに見える魔物群を前にふっと横の一線を画く。

 あれ程崩れた構えからどうしてこんなに美しい剪断が可能なのか。

 魔物群は剣の間合いから程遠くにあるにも拘らずその悉くが真っ二つにされた。

 眼前の光景が信じられず集った冒険者たちに静寂を齎す。

 数泊の間を置いて。

 冒険者たちの士気は大いに向上した。

 「うおおお!!なんだそれぇ!」

 「あいつEランクなんだよな…」

 「見たことねえ量のバフかかってたぞ!」

 「………私達()る?」

 戦意が向上し支援魔法の株も上昇した。少なくともこの戦いにおいては俺の指揮を十分受け入れてくれるだろう。

 情報になかったこの斥候部隊がヒナタの仕業であることに(いま)気が付いた。


 魔軍侵攻(スタンピード)と接敵し戦闘が始まったが終始優勢である。アドラムさんの支援魔法が凄まじく、Eランクということで後ろにいる僕とアリスは特に何もしていない。この魔軍侵攻(スタンピード)阻止に駆り出されている冒険者の多くはBランク冒険者である。

 「うおおお!身体がちょー軽い!」なんて声が前方から聞こえる。アドラムさんの支援魔法のお蔭で自分の実力を超えて戦えている。彼らもそれを実感していて戦闘が楽しいのだろう。士気は上々であった。

 戦場に戦いの音や匂いが満ちている。

 僕はアリスに耳打ちする。

 「ねえアリス。頼みがあるんだけど」

 「な、なによ」

 彼女はこそばゆいのか耳を赤く染めて僅かに身を捩る。

 要件を彼女に伝えると心底面倒くさそうな顔をした。

 「お願い!こんな事アリスにしか頼めないんだよ!」

 「ぐむむ…」

 「可愛くて頼りになるアリスさん!僕はそんな友達がいて幸せです!」

 「し、仕方ないわねぇ」

 がはは、勝った。

 もにょもにょと笑みを我慢するアリスに僕は口の端を上げた。


 草木を掻き分ける。ついさっきまで戦場にいたが空間転移魔法でこの鬱蒼と生い茂った木々の中に飛んだのだ。ここはアカリスから北西方向にある何の変哲もない森の中である。

 冒険者ギルドに寄せられた報告ではアカリス北東方向の洞窟内に敵のアジトがあるとのことだがそれはヴィオレットさんをアカリスから離れさせるための罠だと僕は考えている。わざわざ複数犯であることを遠回しに僕たちへ推測させたのもアジトがあることを疑わせない、()いてはアジトの報告を疑わせない事にあったのだろう。自分たちで辿り着いた答えなら疑い難いものだ。

 つまり本当にアジトがあるのはヴィオレットさんが向かった北西ではなくこの北東方向だ。

 ガサガサッと草木を分けて見つけたこの森にあって少し拓けた場所。軽く伐採された跡があった。僕はそこへ何の躊躇(ためら)いもなく姿を見せる。そこにいた数十人の黒装束の彼らは一切隠れる気がなく現れた僕に戸惑っていた。

 ビシッと彼らに人差し指を向ける。キメ顔も忘れない。

 「お前たちのやったことはまるっとすりっとお見通しだっ!」

 …………。

 決まった…。

 僕のTRICKに彼らは言葉も出ないようだ。

 彼らが呆気に取られている内にずいずいと円になっている彼らの中央ヘ歩いて行く。足元には大きな魔法陣が描かれていた。これがアドラムさんの言っていた魔術なのだろう。数十人もいる黒装束の彼らでこれを発動させるようだ。

 彼らはすでに我に返っていると思うがそれでも誰一人その場を動かない。本来なら見す見す囲まれに行った僕をすぐにでも取り押さえたいだろうが、誰一人瞼すら()()()()()のだ。すたすたと歩いていたとき僕が彼ら全員へバレないように魔法を掛けていた。魔法を行使すれば必ず魔法陣が現れる、それは魔法の原理的な問題だ。だから普通行使すれば分かるものだが、僕は魔法陣自体に魔法陣がそこに存在しても不自然がないと周りに思わせる魔法を組み込んだ。もちろん魔法は複雑化するが何とかなったから良し。これは冒険者ギルドへ空間転移魔法で帰るときに行使した不自然な物や状態をまるでそれが自然と思い込ませる魔法と同じものである。

 動けない彼らの前で僕は堂々と魔法陣を解析する。と言っても時間は掛からない。解析完了までに一秒も要らなかった。

 その魔術が意味するのは“召喚”であった。これ程大きな魔法陣であることを鑑みると大量の魔物を召喚しようとしているのだろう。恐らく例の魔軍侵攻(スタンピード)も彼らが意図的に起こしたものだ。

 僕はこの大規模召喚魔術を封印した。解体や破壊よりも封印する方が簡単だ。その上彼らにたとえ同じ魔術を再び構築しても何時(いつ)でも封印出来るぞという牽制にもなる。

 やることをやったので僕は彼らに掛けた魔法を解く。解けると確認するや否や彼らは黒装束を翻して一斉に姿を消した。

 さっきまで数十人いたこの場所に僕はぽつりと一人になってしまった。入り込む陽光にここが思った以上の広さがあることを知った。

 …まあ計画通りである。彼らが何も出来ず逃げて去って行くことが目的だった。だから態態(わざわざ)目立つような行動を取っていたのだ。

 ぽつんと突っ立っているのを辞めて僕は踵を返す。

 彼らが大規模召喚魔術を発動させられなくても魔物の侵攻は起こるだろう。だから早めに街へ戻らねばならない。さもなくばアリスに顔向け出来ないからだ。

 元々例の南方から発生した魔軍侵攻(スタンピード)は囮だ。この大規模召喚魔術を用いて逆方向である北西から街へ魔軍侵攻(スタンピード)を優に超える魔物を送り込む予定だったのだろう。それに魔軍侵攻(スタンピード)は冒険者の戦力をそちらへ向けさせることで、アジトへ向ける戦力を割けなくさせてヴィオレットさんを引き出す目的もあったようだ。

 つまり、ヴィオレットさんも居ないようなただでさえ戦力が大幅に削られた状態でこの大規模な魔物の侵攻が起こってしまうということだ。そんな折に僕も少しでもその対抗戦力となれるため早めに街へ戻らないといけないということだ。

 彼らの召喚魔術の代わりに彼らの後ろ盾がそれと同等かそれ以上の魔物のアカリス侵攻を引き起こす。大魔行軍(カタストロフ)が起こると僕は予想する。


 魔軍侵攻(スタンピード)の発生はその大男にとって計画通りであった。

 スキンヘッドに入れ墨を掘った彼は堂々と闊歩する。ここはアカリスの街外れ、閑散と住宅が並ぶ平和な所である。

 魔軍侵攻(スタンピード)に冒険者が割かれている上、ヴィオレットも街に居ない。街へ魔物が侵入する有事に備えて配備された衛兵さえ殺ってしまえば何の気兼ねなくこの住宅街を歩き回れる。大男にとって見れば衛兵の頭蓋を割ることは砂山を崩すことくらいに容易であった。死体を積み上げて彼は思っていた。やはり自分は以前の何倍も強くなっている、牢で勾留中に現れたあの女には感謝しねぇとなと。

 到頭彼は目的の家の前に止まった。この住所も同じ女から聞いたものであった。

 身長が2m(メートル)を超える彼は扉の縁に当たらんとしている。鍵のかかったその扉を腕力のみで押し開けた。

 「邪魔するぞお」

 緊張感のない声。まるで旧知の家に入るようである。しかし実態は強盗だ。

 居間には二人の人間がいた。

 「ババアとガキだけか、ちっ、しけてんな」

 犯し甲斐のある女の一人でも居ればな、と彼は期待していた。だが目的であった少年は居たので諦める。

 老婆は少年を必死に守るようにして抱きしめる。そして落ち着いて大男を()めつけた。

 「何か用かい?」

 「お前にゃ用はねぇよ」

 そう言って大男は背中に下げている愛用の大剣に手をかける。するとそれを見た少年が涙を滲ませながらも老婆腕をすり抜けて彼女を守るように両手を広げて前に立った。

 「ハハッ、面白ぇなあ!いいなあ、ババアと孫の情愛」

 彼は下卑た妙案を思い付く。

 殺さぬよう加減して大男は少年を横に蹴り飛ばす。

 壁と衝突した少年は背中を打ちつけ、「かはっ…!」と強制的に肺の空気を吐き出した。

 「そこで見とけ」

 低く冷たい声が少年に恐怖を植え付ける。

 大男は正座する老婆の膝を踏み潰した。

 「がっ…!」

 老婆が苦痛に顔を歪め声を漏らした。

 それから大男は老婆を嬉々として嬲り始める。眼球を潰し、指を捻り取り、首を持って壁に投げつける。だが死なないように加減をしていた。少年の前で老婆を痛めつけることが目的なのだ。

 たかだか4歳の少年がそんな眼の前の絶望に打ち勝てる勇気があろうか。人体が壊れていく祖母から目を逸らしたい。今すぐにでも逃げ出したい。そんな思考が当然であった。

 だが彼はどれだけ視界が歪もうとも目を逸らすことはなかった。額を伝う血が瞼に落ちて右の視界を赤く染め上げる。

 散々嬲られ、こひゅこひゅと空気の抜ける砂の漏れたサンバッグのようになった老婆を見て大男はつまらなそうにそれを蹴り飛ばす。

 「飽きたな」

 大男が見たいのは恐怖に平伏する姿だ。

 だが、老婆はどれだけ破壊しても気丈に振る舞っていた。そして今やボロボロの人形と化してしまった。

 少年は恐怖と絶望に体を震わせているが逃げる様子がない。死を受け入れたか或いは足が(すく)んでいるのか。どちらにせよ大男が望むような光景ではなかった。

 大男は背中に下げた少年よりも遥かに大きい大剣へ再び手をかける。そのまま少年の方へ緩慢に歩一歩と近付いて行く。

 少年は息を吐くことすらままならない。自分の2倍以上も大きな存在に明確な悪意を向けられているのだから当然だ。

 しかし突然大男の歩みが止まった。

 彼の足は弱々しく掴まれていた。その掴む皺のある手は鮮血に濡れている。

 「…ヒュゥ……ヒュゥ……」

 空気の抜ける音。声帯を破壊された彼女の精一杯の抵抗であった。

 大男は面倒くさそうに大剣を背中から引き抜く。それを問答無用で叩き落とそうとした。

 だがそれもまた途中で止まる。破壊された家屋の扉から入って来た者が居たからだ。

 現れたのはアカリスの冒険者ギルド受付嬢であるミーシャであった。

 彼女の目に写ったのは血と涙を流して端で震える我が子と姿形のおかしくなった自分の母であった。

 「何をしているのですか?」

 静かに、だが確かな憤怒の声であった。震える声は赤く染まった居間に響く。

 大男は卑しく口の端を上げた。

 「上玉が釣れたな」

 自分を睨みつける彼女に大男は愉しそうに声を上げる。

 「おい、そこで待ってろ。後で壊れるまで使ってやる」

 ハハハハっ!と上機嫌に大声で笑う大男はミーシャの殺気など欠片も気に留めていない。

 (いよいよ)必要のなくなった老婆へ彼は大剣を振り上げる。

 そして振り下ろす直前、少年が身を投げ出してきた。自分の祖母を守ろうとしているのだろう。しかし大男の剣ならば少年を斬ってなお老婆も叩き斬ることが可能だ。故に彼は少し振り下ろす速度を緩める。飛び込んで来た少年の両足を斬り落とし、そのまま老婆を斬り捨てる方針である。この少年はある男の前で無惨に殺したい。今はまだ殺したくないのだ。

 だがそれが命取りとなった。

 振り下ろす大剣は途中で二本の指には挟まれて完全に静止した。2mを超える筋骨隆々の大男の膂力を以てしてもピクリとも動かない。

 「ふう〜………焦ったぁ……」

 少年と老婆の前に突如現れた優は頭の上で大剣を止めた。


 僕は大剣の刃の部分を人差し指と中指で挟んでいる。始めは男の力を受け止めていたが、その力を利用してその状態から男に膝を着かせる事にした。そしてそのままばたんと男を床に伏せさせる。

 彼は力任せに上体を上げようとするが、彼の周りだけ引力が大きくなったように僅かに身体を持ち上げては落ちるというのを繰り返していた。

 産まれたての仔鹿の様に立てないでいる男の傍らで僕は殆ど人型を留めていないボロボロになった女性と額から血を流し肋骨も折れているエルくんに回復魔法を掛ける。この女性は恐らくエルくんのお祖母(ばあ)ちゃん、つまりミーシャさんのお母さんだろう。

 僕はエルくんのお祖母ちゃんとエルくんが全快したのを確認して未だ伏せる男に視線を戻す。

 「手前(てめぇ)だけは許さねぇ」

 彼は僕を見上げて睨む。

 「この俺を2度も見下ろしたんだ」

 2度…?

 なるほど、彼はこの前エルくんを連れている時にアリスを襲おうとした輩だ。名前は確かワイアットである。

 「生まれてきたことを後悔させてやる」

 低くドスの効いた声で彼は脅す。

 エルくんを狙ったのは僕への復讐のためだったようだ。すごい逆恨みだ。

 腕の構造と手首の可動域の所為で大剣を離したくても離せない彼は一向に起き上がれそうにない。

 「ぁぁああああ!!!」

 痺れを切らしたワイアットは唸り声を上げる。

 同時に彼の左手にはめた荘厳な金装飾の指輪が(きらめ)いた。

 すると彼は見る見る変貌していった。ただでさえ大きい身体が筋肉の隆起と共に更に大きくなり、皮膚が赤く変色していった。力も先程とは桁違いになったようで、大剣を細い木の枝かのように軽く折って僕の拘束から脱した。

 ワイアットは立ち上がり、僕の拘束を脱したことへのしたり顔と先程の屈辱への怒り顔が混ざった複雑な表情をしている。

 身体が倍以上も大きくなっているため、立ち上がった時に一階建ての家屋は屋根が抜けて破壊された。彼は僕を高みから見下ろす。

 「ハッハッハッハ!己の無力を嘆きながら死ね!!!」

 ワイアットは僕を押し潰さんとする勢いで右ストレートを僕に叩きつける。縦にも横にも巨大化した彼、その右拳は一入(ひとしお)大きくなっており僕の頭よりも大きくなっていた。

 天から落ちるその巨岩を僕は右手の人差し指で受け止める。魔法は使わない。単純な力勝負で打ち負かせることで完全な敗北を与えるつもりだ。

 ピンっと人差し指を跳ねて押し返す。その勢いに彼はよろけて2、3歩後ろへ下がった。その影響で家屋の入口付近も破壊された。

 彼はすぅーーと息を長く吐く。怒りで狂いそうな頭を落ち着けているようだ。ここで怒りに任せない当たり元Aランク冒険者と言える。

 「どこまでも舐め腐ったやつだ……絶対(ぜってぇ)殺す。手前(てめぇ)()った後に手前(てめぇ)のお仲間も全員殺してやる」

 そんな彼に僕は冷めた目で問う。

 「一つだけ聞きたいことがあるんだけど」

 僕はワイアットの瞳を見上げる。

 「君の脱獄を手助けした人がいるよね?」

 彼は僕に気絶させられた時、衛兵に連れて行かれてその後留置されていたと聞いている。

 彼は鼻で笑う。

 「はっ、なんで手前(てめぇ)何ぞの質問に答えなきゃなんねぇんだ」

 「女の人が協力してくれたんだね。ありがとう」

 僕は彼の思考を魔法で読み取った。

 その行為に彼は苛立ちを隠さず眉間の皺を深くする。そしてはち切れんばかりの血管を浮かせてぶんと風を切って巨大な右拳を振るった。

 僕はその拳を手刀で粉砕した。多量の出血と共にワイアットの右肘より先が無くなる。

 「ガアっ!!!」

 噴き出す鮮血は雨のように降り注ぐ。こちらに目を据えながらも右手を抑えて彼は苦悶していた。

 そんな彼の頭部に向けて僕はデコピンの形を作る。当然腕を伸ばしても彼のデコには届かない。

 ストッパーの親指を外し中指を弾いた。

 強化魔法も加えていない僕の単純な指圧で空気を圧縮させる。

 弾かれた空気の強大な衝撃波がワイアットの頭部を襲い、彼の頭は血液すらも残さず破裂した。

 何処か間抜けな首なし人形。動力源を失った彼の赤い体はその大きさを保ったまま動きを停止し、バタンと仰向けに倒れ込んだ。

 血の雨に赤く塗れた僕は初めて人を殺したのだった。


 私は冒険者ギルドの受付嬢だから冒険者方の実力はある程度把握できなくてはならない。なのにどうしても彼の実力は測れない。

 膝をついてエルとお母さんを抱き留めた胸に温もりを感じながら血の雨に塗れた彼の背中を見つめる。

 彼はこちらを振り返った。そして困ったように微笑む。ドキッとして私はさっと目を伏せた。伏せた視線の先にはエルが写る。エルはこれでもかというほどに瞳を輝かせ彼の姿を眺めていた。

 未だ早鐘を打つ心臓は先程までの焦りと恐怖によるものだろうか。

 自失していた私達の中で始めに我に返ったのはお母さんだった。

 「助けて頂いてありがとうございました」

 お母さんは土下座する。

 その様子に彼はワタワタと慌てる。

 「あ、あ、頭を上げてくださいっ…!」

 「一体何をお返しすれば良いでしょう…」

 「お、お礼……え、えっと…」

 彼は土下座のままであるお母さんに何とか頭を上げさせようと焦って考える。

 「じ、じゃあっ!今度一回ご馳走してください!それだけで十分ですから!」

 「そんなことでよろしいのですか…?」

 お母さんは困惑と申し訳なさが同居した顔で彼を見上げる。恐らく私も同じ様な表情をしていただろう。

 「“そんなこと”ではありませんよ。僕にとってはお母さんの味というものは得難いものですから」

 お母さんが顔を上げた事にほっとしたのか彼は微笑みを浮かべた。

 「…期待していて下さい」

 彼は私達の前で膝を折って正座する。

 「それと、助けが遅れてすみま―――」

 言い終わる前にエルが私の元を飛び出して彼にがばっと抱き着いた。

 始めは驚いていたが彼はエルを受け止めてよしよしと慣れた動作で頭を撫でていた。

 「無事でよかったよ」と漏らす彼は優しい眼差しを向けていた。

 私に視線を向けた彼は困ったように微笑む。

 私は再び目を逸らしてしまった。

 我が家の風通しが良くなった所為か吹き抜ける風がいつもよりも冷えていた。


 事前に聞いていた通りヒナタとアリスは魔軍侵攻(スタンピード)対抗戦の途中で抜けた。

 本当は彼らにキングを叩いてもらう事も考えていたが、今回数人参戦しているAランク冒険者に頼もうと思う。

 キングの連れる魔物は容易に対処出来ている。さすがBランク冒険者である。能力も()ることながら経験値が大きい。彼らの連携に無駄がなかった。

 キングであるガラナの変異体は未だ奥に鎮座している。王者の風格と言うべきか、真っ黒で巨大な蔦植物は動かず時折自分に飛んでくる魔法や矢を防いでいた。

 俺も支援魔法を掛けていると言えどBランク冒険者ではあの黒い怪物は手に負えないだろう。

 魔法で拡声させ指示を出す。

 「このまま一点突破で道を開きAランク冒険者の皆さんにガラナの討伐を―――」

 言い終わる前に俺の立つ地面が隆起する。パンの窯伸びのように俺の足元の地面だけ膨らんだ。

 そして到頭(とうとう)破裂するように割れた地面の中から蠢く大量の黒い蔦が姿を現した。

 なるほどガラナはこれを狙っていたようだ。様子を伺っているように見せかけて司令塔である俺を潰す作戦だ。ガラナの特徴である頭に咲く大きな花も真っ黒に染まった()の魔物から無数に伸びる触手のような黒い蔦。それぞれが絡まり合い捻じれ、地下を伝って俺を潰しに来たのだ。

 虚を突かれ驚いたが、俺もガラナに負けるほど落ちぶれてはいない。たとえ強化されていたとしてもガラナの持つ特性は十分理解している。対処は幾らでも可能だ。

 俺は黒い蔦を部分的に強化する。ガラナの蔦はそれぞれに意思があるのではなくガラナに統一の意思がある。なので部分的に強化するとガラナはそれに順応出来ず動きがかなり鈍くなる。俺はその隙を使って黒い蔦の海から地面に降りた。

 俺はバフを解除して今度はデバフをガラナへ付与する。錯乱状態と行動速度低下である。

 ガラナ本体へ通る道が開けるまで俺は囮として時間稼ぎをする方針に切り替える。俺が囮になっただけで特に大きな計画変更ではない。Aランク冒険者にガラナ本体を叩いてもらうことも同じだ。

 俺は変わらず指示を出しながら黒い蔦の猛攻を剣で()なす。ヒナタほどではないが俺にも剣の心得がある。幼馴染みとパーティを結成した時に俺は世界最強の支援魔術士になって皆を支えると心に決めていた。まあ、そのパーティを追放されてしまったんだが。ともあれ最強になるに当たって後衛で支える支援魔術士にとっての弱点である近接を克服するために剣術を覚えていた。まあ、幼馴染みたちには無駄な努力などと言われたが。……なんか腹立ってきたぞ。

 俺はその苛立ちを()つけるように剣を振るう。バフを重複して付与した俺の一閃はまるで葉野菜の収穫が如く黒く太い蔦を複数も刈り取った。だが蔦は切断しても立ち所に新しく生えてくる。俺は次いで再生能力低下のデバフを付与した。

 俺が襲い来る蔦をストレス発散にブチブチと切って幾許か、ガラナ本体への道が開いたことを確認した。

 予定通りAランク冒険者たちをガラナへ向かわせた。ガラナにはデバフを、Aランク冒険者の皆さんにはバフを重複して付与しているため楽に決着がつくだろう。

 そう思うも束の間、彼らは巧みな連携で蔦をものともせずに巨大な黒い植物を討伐した。


 私は報告にあった北東のアジトへ到着した。

 本来ならば発生した魔軍侵攻(スタンピード)はギルドマスターである私が対応すべきなのだが、幸運な事にリアムがこの街に滞在していた。それにこの魔軍侵攻(スタンピード)は何処かきな臭い。魔軍侵攻(スタンピード)の発生中にアジトを叩いておきたかった。

 私はこの魔軍侵攻(スタンピード)を襲撃者たちによる意図的なものではないかと睨んでいる。通常の魔軍侵攻(スタンピード)とは異なる点が多く、発生したタイミングも彼らに優位過ぎる。ただの偶然の可能性もあるし魔軍侵攻(スタンピード)を意図的に起こす話なども聞いたことがないが、怪しむなという方が無理な話である。

 魔軍侵攻(スタンピード)が彼らの意図的なものであるとするならば、発生中にアジトへ奇襲をかければ敵の情報が何か掴めるかも知れない。だが、冒険者やギルド職員を狙っていたことを顧みると私を(おび)き出すための罠なのではないかとも考えた。街から私を遠ざけることが目的である可能性もある。しかしアカリスにはリアムがいる。昔に勇者パーティと共闘した時、彼が勇者パーティの要であると確信した記憶がある。事務、経理、雑用などは全て彼ひとりが行っていた。それだけでなく、実力の面でもずば抜けていたように感じた。彼の支援がなければ勇者パーティは成り立たない。ともすれば彼の支援があれば誰であろうと勇者パーティになれる。そう感じさせる人間なのだ。つまり、街にリアムがいれば大抵何とかなる。それこそ大魔行軍(カタストロフ)なんて厄災起こらぬ限り。

 私は賊のアジトである洞窟の手前で抜剣する。敵に気付かれないよう慎重を期さねばならない。

 辺りに気配が無いことを確認して洞窟に足を踏み入れる。本職のAランク冒険者には敵わないが、私も索敵のための魔法は幾つか使える。魔法を使わずとも敵の気配の察知は出来るが、例えば敵アジトの食糧庫などを見つけるにはやはり魔法は必須である。

 リアムの所属したパーティ“百折不撓”のリーダーであるユウの情報によれば敵は影に潜るらしい。なれば気配が察知できない可能性もある。奇襲に多く注意を割くのが良いだろう。

 私はそう算段をつけて洞窟の奥へと進んで行く。だが一向に敵の気配を感じなかった。しんと静まる洞窟は歩みを進める(ごと)に私へ不審感を募らせてゆく。

 果たして私の不審は正しかった。

 唯一見つけた扉への一本道、私の両手を伸ばしたくらいの横幅しか無かったが見つけた手掛かりに背に腹は代えられない。そう思いこの狭い抜け穴を歩き進んでいたが、俄然、爆破音と共に今し方通っていた道が瓦礫に塞がれた。

 「やはり罠か」

 私は無感情に呟いた。冒険者にとって罠は日常茶飯事だ。慣れたものである。

 特に私は火力で何とかするタイプだ。罠だって先に発見して解除するなどという丁寧さとは無縁である。

 私は体に炎を(まと)う。戦闘態勢をとった。

 洞窟が狭くなってから既に納剣していた。素手での戦闘である。

 敵が一人、影から姿を現した。黒い衣装に身を包みフードも深く被った何某は短剣を構えて対面する私に真っ直ぐ向かってくる。迎撃しようと火炎弾を形成する。大きさは拳3つ分程度である。

 しかし敵は火炎弾を放つ前に影の中へと逃げ去った。

 火炎弾を消し、ふと訪れる静けさ。警戒は解けない。

 薄暗いこの洞窟は影魔法を使う彼らにとって格好の戦場だろう。影に身を潜め、彼らの気配は読めない。

 唐突に左右と後ろに現れた。敵は3人とも既に肉薄している。

 私は考えるよりも先に上下四方の全てを豪炎と共に吹き飛ばした。

 そして私は周りに大量の拳大の火炎弾を形成する。私の周りは昼時のような明度に包まれた。

 やはりこの戦場は彼らの十八番であったようだ。始めに私から離れた場所から出現することで油断を誘い。機を見て私の直ぐ(そば)の影から奇襲をかけたのか。

 狭い抜け穴に誘い込んで長剣を使えないよう仕向けた事から考えても、今回の騒動が先に思った通り初めからこの場所に私を(おび)き出すための罠であったことが伺い知れた。

 大量の火炎弾が光源になり影の位置を限定させる。私の周りの影は消した。これで突如として隣に現れる様な事は出来ない。

 相手の出方を待ちながら私は光源を増やし続ける。

 次々と洞窟内の影は減ってゆく。彼らの潜伏場所は故意に残した影に限定されてゆく。これは焦りを掻き立てるのに有効だろう。

 すると限定した影から上下が錐状になった円柱の土塊が複数放たれた。恐らく影の中で魔法の詠唱を終わらせたのだろう。

 土塊は私を狙っているものもあったが多くは周りに浮遊する火炎弾を狙っていた。明かりを消す目的だろう。

 私はそれらを渦巻く炎火で吹き飛ばし砂塵へと帰す。

 だが(のち)それが罠であることに気付く。

 砂塵に散乱した光が未だ放たれ続ける土塊の影を砂塵の中に作る。その影の中から人影が現れ私に短剣を振るった。

 虚を突かれたが慌てず敵の持つ短剣を高熱で溶かす。

 流石に想定していなかったようで動揺した彼らは空中で身体を捻って土塊を足場に飛んで後退した。

 私としても情報を聞き出すまで彼らを殺せない。殺すだけならばここら一体を豪火で溶かし尽くせば良いのだが。手加減が難しい。特に人間相手なのでその狡猾さが捕縛を著しく困難なものにする。

 頭を悩ませていると、念話による通信が届いた。ギルド長室にある“願いの水晶”を使った通信だろう。“願いの水晶”は念話の魔術が仕込まれた魔導具である。随分と高価な代物だが、その水晶に登録した特定の相手とかなりの距離が離れていても念話が出来るという優れものである。自費だ。高かった。

 『ギルドマスターっ…!アカリスより北西方向に位置するCランクダンジョンの大魔行軍(カタストロフ)の発生を確認しましたっ!』

 焦燥とした声で伝えるのはカリナだろう。

 『………やばいな』

 自分よりも慌てたカリナを見て逆に冷静さを保つ。或いは焦りが一周したのかも知れない。

 『アカリスへの侵攻予定時間は不明です。既存情報から推測するとエルネ草の自生地を通りおよそ6時間後にアカリスへ侵攻すると予想されます』

 敵を知るには時間がなさ過ぎる。斥候を送った所で作戦を立てる時間もない。不幸中の幸いは地形を把握できている事くらいだ。

 私は連携して搦め手で襲い来る賊の相手をしながら念話で会話を続ける。

 『……魔軍侵攻(スタンピード)はどうなった?』

 『先程キングが打倒され収束に向かっているとの報告がありました』

 さすがリアムだ。想定よりもずっと早い討伐な上、彼のことだから無傷で突破しているのだろう。

 『ならば、“百折不撓”のリアム・アドラムに索敵を依頼しよう。私はアカリス防衛に途中から参戦するからそれまでの陣頭指揮も彼ならば問題ない』

 私が今居るのはアカリスからかなり距離のある北東の山の洞窟だ。ここから大魔行軍(カタストロフ)の侵攻位置までどれだけ速く向かっても半日はかかる。

 それから防衛地点の確認や辺境伯様への対応の確認など事務連絡を済ませる。

 私は目の前の戦闘に頭を切り替えた。

 アカリスの防衛のために一刻も猶予がない。彼らを捕縛することは諦める他ないだろう。

 私は炎を振り撒いて彼らに対応しながら詠唱を始める。

 「〈我らが原初たるヒノカミよ。我が声に応え給え。無窮の紅蓮は黒夜を染め上げ、灰の(ことわり)は蒼穹を支配する。我らが原初たるヒノカミよ。愚かな我らを憐れみ給え。燦然たる大地は罪を祓い、灼然たる太陽(かがやき)は子を赦す。我らが原初たるヒノカミよ。今こそ我らを導き給え。緋色の鉄槌(ヘリオス)〉」

 私の足元に緻密に織り込まれた魔法陣が現れる。この狭隘な抜け穴ではその全貌は見られないがそれでもその一部が見えるだけでそれがどれほど精妙な形象をしているかが伺い知れる。

 そして豪炎は咲き誇る。

 私の四方を破壊しながら留まる所を知らずに世界を紅蓮に染めてゆく。

 光も影も飲み込んで、ただ咲き乱れる火炎の華は美しく世界を蹂躙する。

 やがて山が一つ地図から消えた。それはほんの数秒の出来事だった。

 洞窟を破壊し尽くしたため天が抜けて灰の雲に覆われた空が見える。

 後に残ったのは広く咲き乱れる火炎の花畑と中央にある私を包んだ一際大きな花弁だけだ。

 私はほっとひと息()く。賊のアジトは山ごと消した。ここは周りにダンジョンも交易路もないため無関係の人間が立ち入ることもない。事前に確認も済ませていた。故に最悪の場合は派手に消滅させようと元より考えていたのだが、本当にそうなってしまった。賊は全員物理的に蒸発しただろう。

 そして役目を終えた花々は一斉に散った。

 燃え揺らぐ花畑という光源を失って厚い雲の影がこの広い岩肌を包む。遺るは黒焦げた不細工な平原だ。直に雨が降るだろう。私は踵を返してアカリスへと駆けた。


 さっきまで南門に居たのに今は北門を出た所だ。

 俺は魔軍侵攻(スタンピード)の収束を確認したのも束の間、今度はCランクダンジョンの大魔行軍(カタストロフ)に対するアカリス防衛に駆り出された。どう考えても働き過ぎだと思う。

 冒険者ギルドから派遣された男の職員から総指揮を依頼された。この大魔行軍(カタストロフ)には魔軍侵攻(スタンピード)対抗戦に出ていた冒険者は勿論、俺が指揮である事を理由に渋っていた冒険者たちもそんなことを言っている状況ではなくなったと参戦することとなった。また、フロイトリッヒ辺境伯も助力するそうだ。つまり、街中の冒険者全員と騎士団も参加して全戦力を費やすということだ。

 魔軍侵攻(スタンピード)に参加していた冒険者の士気は著しく高い。

 「おおおおっ!!!リアムが居れば勝てるぞおお!!!」という声があちらこちらから聞こえる。すげぇむず痒い。

 そんな熱気に引っ張られているのか渋々参加する羽目になった冒険者たちもあまり文句を言っている様子はない。魔軍侵攻(スタンピード)を俺の率いた自軍が無傷で突破したという功績もあるのだろう。

 つまるところ、この大魔行軍(カタストロフ)の総指揮に今の俺はぴったりだということだ。乗せられている感も否めないが、ヒナタやアリスが戦っている中で俺が辞退する訳にはいかない。

 さて、大魔行軍(カタストロフ)に対抗する作戦だが、第一に大魔行軍(カタストロフ)魔軍侵攻(スタンピード)と違って殲滅が大前提である、故に開けた場所で戦うのが良い、とすると戦場はエルネ草の自生地が最適だ。

 俺の索敵によると接敵は今から約10時間後だ。遥か前方の大きな森を挟んだ平原で敵の5割は屠られている。その取り残しがその魔境を周り込んで避け、推定よりも時間をかけてやって来ているようだ。

 その時間を有効活用せねばならない。


 ユウに()()されてあたしはいま雑魚共を大量に屠っている。ユウは注文が多い。「竜の姿にはならないで、出来れば尻尾も隠したまま戦ってほしい」らしい。仕方がないのでそうしている。

 理性を失って何の意図もなく懲りずにただ走り襲い来る脆弱な彼らを魔法や腕力で潰す。単純作業にあたしは欠伸を噛み殺しながら今日の晩御飯を考えることにした。

 前の薄暗い住処にユウが来た頃から彼の手料理があたしの一つの幸せであることは知っている。…ユウに言ったことはないけど。

 晩御飯の事を考えていて思い出したが、今日のお弁当はとても美味しかったわね。カラッと揚がった衣はお弁当箱の蓋を開けたとき黄金に光輝いて見えたし、一口(かじ)るとそれはもうサクジュワで拡がる甘みに頰がなくなってしまったかと錯覚したわ。

 機嫌よく回想していると俄にそこへ邪魔な声が入った。

 「ねえ、君、邪魔しないで貰える?」

 人間の子どもの声だった。

 声のする方へ顔を向けるとやはりそこには6,7歳位だろう少年が立っていた。

 「聞いてる?」

 苛立った様子で催促する少年。

 見た目はどう見ても人間だが、あたしにはそうで無いという事は容易に看破できた。

 「ツノ、隠し切れてないわよ」

 「えっ!」

 少年は何も生えていない頭を両手で抑える。

 「ウソよ」

 「ウソかいっ!」

 中々ノリの良い魔族である。

 「幼気(いたいけ)な少年を騙すのやめてくれる?」

 「魔族が何言ってんのよ」

 魔族は人と似た容姿をしているが、実年齢や魔力量は人間と比べ物にならない。

 「そう言う君も竜でしょ?」

 あたしの言葉にムッとした様子で少年は反論する。

 そしてころっと表情は笑顔に変わる。

 「まあ、何でも良いけど邪魔しないでね」

 言ってすっと掌をこちらに向ける。魔法陣が現れる。炎と風の混合魔法。彼はあたしに爆撃を喰らわせた。

 体躯に似合わぬ出鱈目な威力である。

 あたしの左右や後方の地は大きく抉られた。粉塵は巻き上がりその場一体を目隠しする。

 「鬱陶しいわね」

 右腕の大振りで粉塵を払う。

 結界を張ったため無傷であったあたしを見て少年は瞳を輝かせる。

 「すごいね!」

 あたしは無視して地を蹴り刹那に間合いを詰めて拳を振り抜いた。

 腹を捉えた筈の拳はしかし手応えが一切なく少年の姿は煙のように揺らめいた。

 「急に殴るなんて危ないじゃないか!」

 何処からか響く少年の声。

 「どの口が言ってんのよ…」

 さっきの爆撃は記憶にないのだろうか。

 ふとあたしは思う。少年(こいつ)が現れてから魔物が来なくなった。索敵をすると魔物がこの地を迂回しているのが分かる。なるほど、少年(こいつ)は時間を稼ぐのが目的のようだ。

 あたしは雑多な魔法を50ほど展開する。

 姿を晦ましているが大体の位置は把握している。

 展開した魔法の全てをその大体の位置に撃ち込んだ。

 青草は薙ぎ払われ爆撃でその地は荒野と化す。

 「ち、ちょっと!」

 しかし地に立つ少年は多少の汚れは見えるが無傷であった。塵を払いながら「突然撃って来ないでよ!」なんて悠長に文句を垂れている。

 やはり人の状態だと威力はそこそこ落ちてしまう。

 ユウに頼まれたのは時間稼ぎと多少大魔行軍(カタストロフ)の戦力を削いで置くことだった。あたしを警戒して迂回させた事で時間稼ぎも成功し戦力も5割ほど削っただろう。目標は達成されている。後は少年(こいつ)の遊びにある程度付き合って、大魔行軍(カタストロフ)が過ぎた頃合いに勝手に帰れば良いだろう。威力が落ちたと言えども互角には戦える。

 それから続いた戦闘は草原から緑を消した。凸凹(でこぼこ)と広範囲に抉られた薄茶色の地面が見える。

 魔族も竜も自己再生能力が高いため、ユウみたいに気の狂った火力でもない限りそうそう一撃で倒れる事はない。勝敗が付かずに堂々巡りである。

 大魔行軍(カタストロフ)もそろそろ過ぎる。少年(こいつ)の目的は大魔行軍(カタストロフ)が過ぎ去るまであたしがその戦力を潰さないための時間稼ぎ、あたしの目的はある程度の間引きと大魔行軍(カタストロフ)がアカリスに着くまでの時間稼ぎ。両者の目的は既に達成されたためこの戦闘もお開きになるだろう。

 「うん、もう良いかな。よし!仕事終わり!」

 俄然、独り(ごち)た少年は自分の足元を爆撃する。爆散する塵埃を目隠しにして逃げるつもりのようだ。追う積もりもないので黙って見ている。

 「またね!」

 弾む声と共に少年は消え去った。

 残された荒野は閑散としている。

 頼まれ事を終えてあたしはひと息()いた。

 ふふん、あたしの完璧な仕事に感謝しなさいっ!

 アカリス方向にいるだろうユウに胸を張った。


 (いよいよ)大魔行軍(カタストロフ)とアカリス防衛軍が打ち当たった。

 アカリス防衛軍の士気は上々である。というのもアカリスの領主であるフロイトリッヒ辺境伯が戦争を控える騎士や冒険者へ士気高揚の口上を華々しく述べ上げたためだ。(どよ)(とき)と共に前線は駆け出した。

 士気の向上は何も領主の述べた言葉や報酬だけに由来するのでは無かった。一つにヴィオレット・クロデルがこの掃討戦に駆けつけた事が挙げられる。アリスによる時間稼ぎが功を奏したのだ。そして、もう一つ。リアムの支援魔法が想像を遥かに凌ぐ代物であった事実に騎士や冒険者たちは高揚していた。勝手知ったる魔軍侵攻(スタンピード)に参加した冒険者たちは何処か自慢気に、初めて支援魔法を受ける冒険者たちや騎士たちは初めの猜疑と嘲笑が無かったかのように手の平を返して皆一様にリアムの支援魔法の次元の違いを嬉々として体感していた。自らの実力が何倍にも膨れ上がりそれを試す機会が眼の前に用意されているのだ。彼らの(さが)か、どうしても闘いたくなってしまうのだ。

 戦況はアカリス防衛軍が圧倒的に優勢である。そもそもこの大魔行軍(カタストロフ)はアリスがその5割を削っているのだ。通常の半分の脅威である。それにリアムが総指揮を担当していることも大きかった。ヴィオレットが帰還した時、彼女はリアムが引き続いて軍の総指揮を担当するように押し通していた。彼女はリアムを高く評価している。実際彼は魔軍侵攻(スタンピード)を無傷で収めて見せた。勇者パーティと共闘した時から彼女は彼の戦場を俯瞰する能力の高さを認めていた。

 戦場の唸る声が響き渡る。地獄の業火が絶えない地。前線より更に前。ヴィオレットが最前線で敵を鬼神の如く破壊し尽くしている。

 最前線はヴィオレット一人。巻き込まれないためだ。そして幾らか離れて前線がフロイトリッヒ辺境伯の抱える騎士団や剣士や盗賊(シーフ)など前衛職の冒険者、後方に魔術士など後方支援の冒険者、最後方がリアムである。リアムよりも後ろには回復術士やギルド職員など医療班が控えていた。

 後方支援の役割は大まかに二つに分かれていて、一つは前衛の支援、一つは前衛の取り零しを狩る役目だ。リアムは部隊を2グループに分けてそれぞれ対応させた。

 エルネ草の自生地で前衛並びにヴィオレットは戦っている。その自生地から離れ後方に魔術士たちは陣取っていた。リアムのバフは後方の回復術士も含めて全員に掛かっている。つまり後方の魔術士たちも実力を越えた魔法を撃ちたくてうずうずしていた。

 的確に戦場を組み上げるリアムによって後方支援もその倍増した力を活かし切れる。よもやこれ程痛快に大魔行軍(カタストロフ)を迎撃する光景を世界の歴史は知らぬだろう。

 しかしただ一点、リアムにとって想定外が起きていた。とはいえ悪いものではない。取り零しを狩る後衛の仕事が無いのだ。前衛が取り零していない訳ではない。ただ、取り零した魔物が後方へ向かって来る前に命尽きるのだ。まるで大地が生命を吸い取る様である。リアムにはこの現象に心当たりがあった。魔物たちが潰える場所は同じである。前衛と後衛の中間地点。そこは先日ちょうど“百折不撓”が薬草採取をしていた場所である。それに支援魔術士である彼には命尽きる魔物には強力なデバフが掛かっていることが視えていた。つまりこれは優の設置魔法による罠である。

 「……デバフで殺す」

 リアムは思わず声に漏れる。それ程に支援魔術士にとって信じられない光景なのだ。

 ははっ…と乾いた笑いが漏れ出た彼は世界最強の支援魔術士という冠が遠のく足音を聞いた。

 勝ち戦に思えた戦場に何処からともなく唐突に声が響く。

 「ちょっと!ダメじゃないかぁ!」

 聞こえるのも束の間、前衛の大半が爆撃によって吹き飛ばされた。

 為す(すべ)なく圧倒的な力を以て一撃で自陣が破壊された事実はアカリス防衛軍の思考を止めるのに十分であった。

 「な、なんだそれ…」

 「何が起こった…」

 驚愕の言葉が吹き飛ばされた冒険者や騎士たちの呻き声に混ざっている。

 「そうそう、そんな風にちゃんとやられなきゃダメだろ!」

 そう言って空に姿を現したのは6,7歳の少年であった。

 リアムは彼を知っていた。勇者パーティに所属していた時、必要な知識として頭に叩き込んだのだ。それも打倒すべき相手として。

 少年は()の魔王に仕える四公が一人、《冷酷無残(ギプソフィラ)》ノエル。子どもの皮を被っているが実態は数百年生きる魔族である。

 その少年は謂わば魔法に憑かれた男なのである。全ての他は魔法研究の礎であり、畢竟(ひっきょう)死も彼にとってカップから溢れた数滴のコーヒーの様なものなのである。故に無邪気に死を弄ぶその様相は《冷酷無残》と著された。

 「…あれ?全然死んでないじゃん。火力低すぎたかなぁ…」

 至純な疑懼で地獄をノエルは眺める。

 確かにリアムのバフのお蔭で彼の爆裂魔法が直撃した冒険者ですらギリギリ生きていたが、片腕片足は千切れ飛び深紅に濡れた身体がそこら中にある。彼らは本当に辛うじて息だけはあるような状態である。

 絶望的な状況の中、動けたのはリアムとヴィオレットの二人であった。

 ヴィオレットは依然として勢いの落ちない大魔行軍(カタストロフ)の侵攻を阻止すべく魔物共を破壊し続けている。ノエルへの対応はリアムに任せる心積もりなのだ。彼への信頼はそれ程に厚かった。

 リアムはバフを重複させて空中に浮かぶノエルへ向けて斬撃を加える。これは魔軍侵攻(スタンピード)の斥候を優が潰した時に扱った技である。離れた位置へも斬撃を飛ばせるほどに一撃を増幅させたのだ。

 そんな一撃を難なく張った魔法結界でノエルは伏せぐ。

 「なるほどね。君の所為でみんな生きてたわけだ」

 彼はうんうんと大仰に頷いてわざとらしい仕草を見せる。

 「せっかくだから僕の研究成果を見せてあげるよ」

 見上げた宙に立つノエルは手を上に(かざ)して空を覆う巨大な魔法陣を組み上げる。日光を遮らず蒼穹にその幾何学的な美しさを魅せつけた。そしてそこに大気を揺るがし巻き上げんとする程の魔力が集まり始まる。次第に出来上がって行くのはそれは紛う事なき蒼き太陽であった。

 「〈蒼き太陽が落つる時(キュアノエイデス)〉」

 それは(まさ)しく絶望である。蒼く燃え盛るその豪炎の球は防衛軍の全員を容易に飲み込める程に大きく、触れなくても近寄れば溶けてしまう程に熱量を持っていた。故に太陽と形容するのが正しい。

 それが落ちればリアムのバフがあると言えど全てが灰燼に帰すだろう。彼は迎撃を選択した。

 リアムは優秀な支援魔術士である。それは世界の最高峰たるSランク冒険者の一人、炎焰の華(アマリリス)ヴィオレット・クロデルが認めるほどに。だが彼は決して魔力量が多い訳ではない。人並みの魔力量しか持ち合わせていない。それは生まれ持ったもので覆す事は出来ないが、彼は冒険者としてSランクを超えると言っても過言ではなかった。

 その所以は彼の支援魔法の異常なまでの繊細さにあった。

 通常、支援魔法は術士の魔力量に依存する。行使する支援魔法にたくさん魔力を込めればその分強大な支援になるのだ。故に(そもそも)生業(なりわい)を支援魔術士とする魔術士は殆どいない。多くの魔術士にとって支援魔法とは補助的役割を持つ魔法だからだ。魔力量が多ければそれを攻撃や防御など戦闘に直接的に関わる魔法を覚えようとするものなのだ。わざわざ本職に据え置くという発想にはならないのだ。

 しかしリアムはそんな常識から逸脱した。魔力量依存である支援魔法の欠陥を支援魔法の重ね掛け技術で克服したのだ。例えば支援魔法を以て10である力を100に出来る魔術士A、10を20にしか出来ない魔術士Bがいたとしよう。魔術士Aは魔力量が莫大で、それを利用して強大な支援魔法を扱える。だが、魔術士Bに支援魔法の重ね掛けする技術があったなら、支援魔法を重ね掛けて20を40に、また重ね掛けて40を80に、また更に重ね掛けて80を160にすることが出来る。実に4重の重ね掛けだが、()すれば魔力量の上回る魔術士Aを軽く凌駕することが出来るのだ。この重ね掛け技術をリアムは実践している。人並みの魔力量である彼が強大な支援魔法を扱えるのはその技術があってこそである。

 なれば誰だって支援魔法は重ね掛けすれば良いかと思うがそう単純ではない。第一に全く同じ支援魔法を重ねたところで倍々になる効果は得られないのだ。同じ支援魔法ならば後から重ねる支援魔法に魔力が多く込められていれば上書きされ、そうで無ければ効果を示さないというのが実際である。

 リアムは元より別の魔法陣を組み上げているのだ。始めに掛けた支援魔法に対して相互作用を起こすような一部を組み替えた支援魔法を組み上げる。重ね掛けはそれを繰り返している。つまり4重の支援魔法の重ね掛けをするには互いに作用する4つの異なる魔法を行使しなければならないということだ。その上で彼は個々人の能力を見極めて最良の魔法を行使している。それ程までに繊細な魔法を扱えることが偏にリアムの強さを表していた。

 支援魔法は魔法や身体の素養を理解できている自身に付与するのが最も簡単で効率的だ。

 リアムは自分に幾重ものバフを掛ける。決して魔力量の多くない彼は無闇に全体へ付与するのではなく人体の必要な箇所に必要なバフを重ねていった。

 彼は蒼い太陽を落ちる前に斬るつもりである。と言っても先の様に斬撃を飛ばして斬れるほどその太陽は甘くない。肉を切らせて骨を断つように彼は身を削って太陽まで肉薄する作戦であった。

 戦場にヴィオレットの戦う爆破音が響く中、慈悲もなく静かだが急速に落下する蒼き太陽をアカリス防衛軍はみな見上げる。蒼い光が全てを包み、それは幻想のように思え非現実の世界に(とら)われて誰もが一歩も動けずにいた。そんな夢現(ゆめうつつ)の中にいてただ一つ、抵抗が無意味であるということだけは皆一応に理解できていた。

 戦意がポッキリと折れてしまった防衛軍を背にリアムは一つ大きく跳躍する。

 後ろからリアムを見上げるだけの彼らは巨大な蒼い光源に小さく写る黒い影にどんな思いを浮かべただろうか。無謀だとか無駄だとか或いは嘲笑すらあっただろう。だけれどもほんの一握の希望も同時に抱いてしまっていただろう。

 近付けば近付く程その存在を大きく見せる蒼の日に滾った心をリアムは落ち着かせる。

 彼はふぅと息を吐いて剣のグリップを一層強く握る。

 全霊を込めて彼は剣を縦に振り下ろす。

 「うおおおおお!!!!」

 巨大なエネルギー体を斬るなど前代未聞だ。滂沱の滝を横に割くようなものである。

 あちこちの皮膚が焼き焦げる事など構わない。リアムは自身に支援魔法を重ね掛けを続け斬撃の威力を上げ続ける。身体への負担など気にしている場合ではない。体内から聞こえる異音をものともせずただ斬撃に力を乗せる。

 身体の内外から鮮血が漏れる。血涙や鼻血が顔面を汚した。だがそんな血液も蒼い太陽の前では蒸発してしまう。

 「っらああああ!!!!」

 彼は雄叫びと共に終にはその巨大な太陽を真っ二つに叩き斬って見せた。

 斬ったことで破裂した爆風でリアムは地に叩きつけられる。

 「かはっ…!」

 力を使い切った故に受け身を取ることも出来ず、打ち付けた背中が肺の空気を押し出した。

 斬撃との相殺で威力が抑えられた上に上空での迎撃であるため太陽の破壊時の爆破は地上には大きな影響を与えなかった。

 蒼い太陽よりも上空で高みの見物をしていたノエルは剪断時の爆破による爆風を結界で防ぎながらあんぐりと口を開けていた。

 「なにそれ…」

 ノエルもまさか新魔法を真っ二つにされるとは思ってもみなかった。少年の瞳は見た目の年相応に輝いている。驚きよりも好奇心が優っていた。

 ボロボロな身体で地に膝を着け、それでもリアムは上空のノエルを睨む。

 「良いものを見せてもらったよっ」

 弾む声でノエルはリアムの刺すような目に応えた。

 「僕の仕事は完遂したし帰るよ」

 晴れやかな笑顔で彼は唐突に切り上げの宣言をする。

 「またねっ」と軽やかに述べた彼の姿は蜃気楼の様に揺らめき最後には消えてしまった。

 慮外にあっさりと帰って行った敵幹部にリアムを含め見ていた全員が怪訝する。罠なのではないかと疑った。

 しかし暫く現れない様子を見て徐々に喚声が上がった。あちらこちらからリアムを褒め称える声が響く。

 本来ならまだ警戒する必要があるが疲弊した彼らには一時の安心感に縋りたかったのだ。

 身を壊してでも絶望を打ち払ったリアムは地上に居た冒険者や騎士たちには物語から飛び出してきた英雄の様に見えていた。

 始めの嘲笑など無かったかのように手の平を返してリアムに輝いた瞳を向ける。

 当のリアムは意識を首の皮一枚で保っている。湧き上がる喚声に意識を溶かしてしまいそうであった。

 しかし彼はそんな状態でも未だ油断せず的確に指示を出す。どんな状態にあっても自分の役割を捨てず全うする、その姿にはっとした冒険者や騎士たちはより一層の敬意を以て一も二も無くその指示に従った。

 破壊された前衛たちは救護班へ運ばれて、残る後衛はヴィオレットの援護に向かった。取り零しは優の設置した罠で処理をする。

 指示を終えたリアムはもう限界であった。彼が落ちれば支援魔法による強化弱化は解除されてしまう。そうと分かっていても身体が言う事を聞かない。

 とうとうリアムは意識を手放した。

 しかし彼らの勢いは止まらない。寧ろ始めよりも士気が随分と向上している分、ある面ではより強くなっているとも言えた。

 奇しくも彼の存在それ自体が支援魔法となったのだ。


 僕はいまアカリス東方向、東門から遠く歩いた先にある山間の枯れた渓谷に気配を消して立っている。アカリスを背に()()()()()という表現の方が正しい。

 今頃北のエルネ草の自生地付近ではアドラムさんがCランクダンジョンの大魔行軍(カタストロフ)を食い止めているところだろう。

 魔軍侵攻(スタンピード)はその大魔行軍(カタストロフ)の陽動であった。だがいま僕が待っているのはAランクダンジョンの大魔行軍(カタストロフ)である。つまるところCランクダンジョンの大魔行軍(カタストロフ)ですら敵の黒幕にとっては陽動であったということだ。このAランクダンジョンの大魔行軍(カタストロフ)がアカリスを破壊するための本命だった。

 巧妙に隠されたこの大魔行軍(カタストロフ)を冒険者ギルドは感知出来ていない。大魔行軍(カタストロフ)は自然災害と聞いていたがこれ程人為的に隠された現状を見て黒幕がいないと考える方が不自然だ。

 もう間もなく敵が見える。Cランクダンジョンの大魔行軍(カタストロフ)と比べて数も質も優に数十倍はあるだろう。

 黒幕の目的は見えないが、そう簡単に再び狙う事が出来ぬよう圧倒的な力を見せつけよう。

 我を失い眼前の全てを排除して走り狂う魔物たちは渓谷を越え世界を区切らんとするが如く長く続いている。相当な速度で駆けているが最後の魔物が此処へ辿り着くまで半日は掛かるだろう。

 一心不乱な彼らは気配を消した僕に気付く様子もなく、枯れた大きな川の底を踏み荒らし瞬く間に数歩の距離に迫った。

 僕は一つ指を鳴らす。

 刹那、眼前の列を成す全ての魔物がその身体を流れる血液すらも霧になるほど木端微塵に破砕した。

 彼らが存在したという記録は踏み荒らした長い獣道だけ。

 Aランクダンジョンの大魔行軍(カタストロフ)は僕と仕掛けた黒幕しか知らない過去となった。


 目を覚ます。覚ましたというのに視界は真っ暗だった。

 何とか状況の確認をしようとするがもぞもぞと頭が動かない。上にも下にも柔らかくて温かい何かがあるのだ。

 「お目覚めになりましたか?」

 上に乗っていた“何か”が離れていく。

 上空から聞こえた声や開けた視界から状況の把握が可能になる。

 僕はバッと飛び起きた。弾みでリタさんの形の良い爆乳に顔面を()つけてしまう。

 「ひゃん」と小さい悲鳴。

 「す、すみません!」

 僕の顔は真っ赤だろう。膝枕にアイ(パイ)マスクなんだから当然だ。

 僕の謝罪に女神様は微笑みを返す。

 そして恭しく腰を折る。

 「お疲れの所へ私の神威に当たられてしまったのかも知れません。申し訳御座いません」

 「き、気にしていないので頭を上げてください」

 たじたじになってしまう。いつも二礼二拍手一礼をする相手からの一礼は重すぎる。

 「リタのおかげで疲れも大分(だいぶん)回復しましたから」

 膝枕ってすごい。

 「お疲れの時にはいつでも仰って下さい」

 笑顔のリタさんに釣られ僕もはは…と苦笑いを返す。

 どんな顔して頼めば良いのだろう…。

 ところで、僕が倒れた原因はリタさんの神威だったのか。てっきり女神様のギャップに心()たれて心不全で倒れたのかと思った。


 11月23日、本日は新嘗祭に由来する勤労感謝の日である。やって来たショッピングモールには勤労しながら勤労に感謝しているストイックな人たちの姿が見られた。ご苦労様です。心の中で敬礼を贈る。

 こうして他に意識を向けなければやってられない。

 がっしりとロックされた右腕を不憫に思う。

 「姉さん」

 「何でしょう」

 動ずる様子など皆無である姉さん。

 「どこかカフェで休憩しない?」

 そろそろ周りの視線で溶けそうなので提案する。

 「それでは1F(かい)へ向かいましょうか」

 姉さんは毎度マップを完全に把握している。超人的姉である。

 カフェで席に着けたからと言って別に視線から逃れられる訳では無い。ただ多少なりと緩和することは出来た。

 カップに口をつけると紅茶の香りが鼻を抜ける。ふぅと僕は一息()いた。

 今日の朝、僕は姉さんに起こされた。「早く起きないとキスしますよ」と囁かれた瞬間に僕は変な汗と共に飛び起きた。お腹に乗っていたクロがびっくりしていた。寝起きに心臓に悪い冗談を言わないで欲しい。止まるから。

 起きてまず目にしたのは姉さんとクロの威嚇だった。シャーと低く唸るクロに姉さんは魔王に見紛う威圧で返していた。初対面の時から彼女たちはいつもこんな感じである。寝惚け眼でもじとっと呆れた視線を送れるくらいには慣れた光景であった。

 それから僕に向き直った姉さんは「優、今日は11月23日、勤労感謝の日です。感謝をしに行きましょう」と言った。

 軈て今に至る。

 優雅に紅茶を傾ける姉さんを尻目に頭の中で状況の再確認をする。

 ……僕は一体なにをしにここへ来たのだろう。近頃AI(人工知能)の発達が目覚ましいものを魅せる中、僕たちの身近でそれを感じることが出来るのは一つに手軽なネットの翻訳機能が挙げられるだろう。だがしかしそんな世界の技術的飛躍を容易に凌駕する姉さんの言は中々僕には理解が難しい。早く姉さん語の対応もして欲しい。

 「姉さん、何か買いたいものでもあるの?」

 無音でソーサーにカップが置かれる。

 「特にはありませんよ?」

 ということはほんとに感謝しにここへ来たんだろうか…。

 「強いて言えば優を買いに来ました」

 ダメ元で翻訳アプリを開いてみる。だめだ、まだまだAIは姉さんに敵わないらしい。

 カフェを後にし、姉さんに連れられて向かった先はアパレルショップであった。メンズの。

 「優、取り敢えずこれを着てください」

 言われた通り試着室へ向う。

 「ど、どう?」

 オーバーサイズのニットなど着る機会が無いので違和感しかない。

 姉さんは無言で携帯を取り出し写真を撮る。連写だった。

 「買いましょう」

 それから始まった僕のファッションショー。姉さんが次々と持ってくる色々なコーデを着せ替え人形の如く無心に着ていった。そしてその悉くが買い物カゴに吸いこまれていく。

 「あの、姉さん?もう3カゴ目だけど…」

 「冬服は嵩張りますからね」

 もうそう言うことでいいかも知れない。

 お人形さんの気持ちになろうとそう決めた。


 「ねえ日向くん。この問題ってどう解くの?」

 甘い匂いが包む6帖の部屋。小さな机を床に置いて柔らかなクッションを横並びにして座っている。机上には数学の問題集。

 僕はいま白波瀬(しらはせ)さんと勉強会を開いていた。

 白波瀬さんの部屋で。

 なるほど僕は死んだのか。

 溺れた人を手ずから救おうとすると巻き込まれの二次災害が起きるように、僕も現実を認識すると平静を保てる自信がない。僕はこうなった経緯を頭の中で遡った。


 それはある日の昼休み。もう一ヶ月も続いている白波瀬さんとのお食事会でふと彼女は呟いた。

 「もうすぐ期末テストだね」

 事務的な柔らかい声が硬質な屋上前階段を包む。

 11月も下旬に差し掛かり寒気がいよいよ本気を出してきた。この屋上前階段での昼休みも心地良さよりも寒さが上回り始めている。

 「そうだね」

 悲しいかな僕のコミュ力は上がっていない。

 「はあ…。でも日向くんは余裕だよね」

 呆れの込もった嘆息だ。

 「そうでもないよ…」

 高校に入って未だ僕は過去三回の定期テストに小テストも含めて全て満点を取り続けている。小テストならいざ知らず定期テストの様な大きなテストでまた満点を取ろうというのは中々にプレッシャーが大きい。過去の栄光が積載して重荷になるのだ。

 「最近家じゃあんまり集中出来ないんだよね…」

 僕は別に勉強が好きだという訳じゃない。ただ単に友達も居なくて趣味もないから暇を持て余してしまい勉強をしていただけだ。…何だそれ、言葉にすると超悲しい。

 しかし今は家にクロがいる。クロを可愛がるという趣味が出来たのだ。勉強なんかよりもずっと楽しい。ついつい誘惑に負けてしまうのだ。

 「じ、じゃあ…その………」

 白波瀬さんがなにか言おうとして口をまごまごさせている。自分の膝に乗せたお弁当に視線を落として恥じらっていた。

 暫くの沈黙が屋上前階段を襲う。昼休みの騒がしさもこの辺境まではやって来ない。

 白波瀬さんの雰囲気に当てられて僕も緊張してきた。

 そして彼女はくりっと丸く大きな瞳でちらとこちらを窺い見て意を決する。

 「…(うち)……来る?」

 かはっ…!

 吐血した。


 過去を思い返したとて過去も過去で中々の破壊力だった。全然逃避にならなかった。

 うーんと唸る白波瀬さんはシャーペンを持つ手が止まっている。川中を遊泳する小さな白魚の様に嫋やかな指が目に入った。僕は机上に置かれた数学の問題に意識を向ける。

 「この四角形の対角が足して180度だから外接円が書けて―――」

 僕の解ける問題で良かった…。内心でほっとする。この勉強会で僕の存在価値は問題の解説者としてだけだ。

 「ここから後は相似を使う問題だよ」

 白波瀬さんは文武両道才色兼備な最強美少女である。彼女は一を言えば百を理解する。

 「あっ、ここの外角を使うんだねっ」

 彼女は閃いてシャーペンをノートに滑らす。ノートに書き込まれる字すら清楚だ。なんかもう白波瀬さんからはマイナスイオンが出ていないとおかしい気がする。夏の観光地になってしまうかも知れない。

 真剣に問題へ向かう姿に見惚れてしまう。

 彼女は勉強の妨げにならないよう艷やかに流れる黒髪を後ろで一つ結びにしている。甘め三つ編みにする白波瀬さんは学校で見る時と違って新鮮である。彼女はどんな髪型でも似合うのだろう。

 当然だが普段白波瀬さんと会うのは学校内でのことだ。格好は勿論制服。多少アレンジしたとて限られたものである。だから尚更、私服の白波瀬さんはその特別感も相俟って華やいでいた。この前のデート練習に付き合った時とはまた違った抜け感のある緩めのコーデである。

 「解けた!」

 難問は解けると達成感が大きい。喜びを分かち合おうとこちらに笑顔を向けた白波瀬さんと目が合ってしまう。…眺めていたのがバレた。

 「あ、あはは…」

 彼女は気まずそうに照れ笑いを浮かべた。

 僕と彼女の距離は拳一個分だ。これはいつもの昼休みの食事会の時と然程(さほど)変わらない。しかし彼女の照れに薄く赤らんだ顔はどうしてかいつもより近く感じる。

 「え、えーと……あっ!飲み物無かったよねっ!ちょっと待ってて!」

 白波瀬さんは慌てて立ち上がって部屋を出て行ってしまった。

 僕は一人取り残される。

 アウェイ感がすごい。

 だが白波瀬さんが出て行ったことで緊張は(ほぐ)れた。無意識になっていた正座を崩す。

 床にテーブルを置いているために僕onクッションonカーペットだが、長時間の緊張下となると動脈の圧迫からの循環不全で生じた酸素不足に由来した末梢神経に流れる異常電流による影響が多大になっている。簡単に言うとめちゃくちゃ足が痺れていた。

 足を崩そうとしてお尻を上げるが、思うようにも行かず思いっ切り前へ倒れてしまう。

 ボヨンと一度僕の体はバウンドする。

 柔らかい…。

 ……やってしまった。

 僕は白波瀬さんのベッドにダイブしてしまった。

 やばい…。非常にまずい…。だが動けないっ…!

 足の痺れは想像以上のもので曲げることすら厭われる。ぴんと棒になった様に動かせない。

 ホワイトムスクの香りが僕を包み込む。もうこのままでもいいかも知れない。心地良さが僕の脳内アラートを覆い隠す。

 だから僕には聞こえていなかった。部屋をノックする音が。

 「おねえちゃん、入るよー」

 がちゃっとノブが回され扉が開く。

 僕は(うつぶ)せで倒れ込んでいるためにその様子は見られない。

 扉の開く音で漸く誰かが部屋に入ってくるということに気が付いた。未だ足は痺れている。

 流汗滂沱。僕の冷や汗は尋常ではない。

 「え………………」

 その入室した何某(なにがし)は広がる光景に停止した。見ずともそんな様子が伺えた。

 緊張が走る。

 真剣勝負が如くの緊張感である。

 「お、お、お、お、おっ…!」

 何か言おうとしてバグったらしい。“お”から始まる言葉……。オーヴェル・シュル・オワーズかな?

 「お、おねえちゃんが男連れ込んでるーっ!!」

 違った。


 中学まで男っ気の一切なかったおねえちゃんが…。どんだけ告白されようと彼氏の出来なかったおねえちゃんが…。ワンチャン女の子が好きなのかな?って思ってたおねえちゃんが…。

 男連れ込んどるぅーーーー!!

 わたしは目の前の衝撃に固まってしまった。

 しかもその男、おねえちゃんのベッドにダイブしている。おねえちゃんの居ぬ間に。

 なるほど、変態か。

 いや納得している場合ではない。一度冷静に頭を整理しよう。

 両親の居ない休日。部屋にはふたりきり。男は変態。

 ぎゃーーーーーっ!!

 多分おねえちゃんは男慣れしてないんだ。余りに清楚可憐すぎるから高嶺の花になって逆に男が寄って来ないんだ。だから変な男に捕まったんだ。そうに違いない。

 わたしがおねえちゃんの目を覚まさせないとっ!

 とは言え、お父さんとお母さんがいない今、無闇に刺激して襲われでもしたらか弱い女の子なわたしは抵抗できない。それに騙されたとは言っても曲がりなりにもおねえちゃんの選んだ男だ。おねえちゃんに嫌われるようなことはしたくない。

 「ま、迷子ですか……?」

 一応聞いてみる。

 「迷子じゃないです」

 真当な返事が来た。

 その後モゾモゾとベッドの上で身を捩っていた。

 「なっ…!」

 人が来たというのにその眼の前でおねえちゃんの匂いを体に擦り付けようなど…。高度な変態だっ…!

 バタンとわたしは一旦扉を閉める。

 …今は保留にしよう。


 逃げてしまった…。

 私はキッチンにある冷蔵庫の前で深くため息を()く。

 我ながら大胆な事をしたと思っている。日向くんを家に誘うなど昔の私では考えられない。…いや、今の私でも考えられない。なんで出来たんだろう…?

 それにしても自室でふたりきりなんて状況は心臓が持たない。早打つ鼓動が私の聴覚を奪って、もう会話など出来そうもない。

 なるべく勉強に集中することでそんな意識を逸らしていた。生まれて始めて数学が苦手で良かったと思った。問題を苦心することへ意識が割けるから。

 しかし、ふと視線が合うとふたりきりであった事を思い出してしまう。体中の血液が沸騰したように全身に熱が回り、こうして冷蔵庫の前に逃げてしまったという次第だ。もし夏ならば私は蒸発していたことだろう。冬で助かった。日本に四季があって良かった。

 さて、私はまたこれから死地へ赴くわけだが、どんな顔をして戻ろう。死地だと言うのに喜んで死を受け入れそうなのがたちが悪い。いっそ飛びっきりの笑顔で行ってみるか。

 洗面所に入って一度自分の姿を確認する。

 今着ているのは今日の為に買った服だ。それを着た鏡に映る自分を見ていると勇気を貰えている気がする。

 鏡に一度笑顔を向けて「よしっ」と自分を鼓舞する。

 せっかく何でか勇気が出て日向くんを誘えたんだ。今日は少しでもアピールする!

 私の誓いは数分後に音を立てて崩れ去った。


 僕の足の痺れも治まってきた。…治まってきたが今度は頭痛がしてきた気がする。

 白波瀬さんのベッドにダイブし顔を(うず)めていた姿を白波瀬さんの家族に見られてしまった…。終わった…。

 痺れが治まったのにまた僕は正座している。何ならより縮こまって正座している。

 閉まった扉の向こう、部屋の前で声が響いていた。

 「おねえちゃん!目を覚ましてっ!」

 「な、(なぎ)!な、何でいるの…!」

 「そんな事どうでもいいよ!それより、おねえちゃんは騙されてるんだよっ!」

 「結構どうでもよくないよ…。騙されてるってどういうこと?」

 「あの男は高度な変態だよ」

 「あ、あの男って……?」

 「今おねえちゃんの部屋にいる男だよ」

 「っ!部屋入ったの…!」

 「高度な変態がいたよ!」

 「ひ、ひ、日向くんは変態じゃないよっ!」

 ヒートアップしたようで勢いそのままに凪と呼ばれた少女は部屋の扉を開けた。

 僕は自然と土下座してしまう。

 「ほら、とうとうベッドじゃ飽き足らずカーペットにまで顔を(うず)めちゃってるよ」

 「違うよ!」

 僕は顔を上げ涙目で突っ込んだ。


 勉強会から明けて翌日、月曜日の昼休み。白波瀬さんと階段で隣り合ってお弁当を開いている。

 物理的な距離は昨日と変わらないがやはりこちらの方が安心できる。ふと昨日を思い出してドキリとすることもあるがそれでも随分と落ち着ける。

 結局昨日は白波瀬さんの妹である凪ちゃんの誤解を解くことは叶わなかった。僕の言葉が言い訳にしか聞こえていなかった様子であった。

 凪ちゃんはあの後からずっと僕らの勉強会に常駐し、常に僕から白波瀬さんを守るように僕と白波瀬さんの間に座っていた。…僕からちょっと距離を取って。そして僕に睨みを効かせ常に警戒していた。

 「昨日は凪がごめんね……ほんと……」

 はぁ〜と深い深いため息を白波瀬さんは漏らす。

 「まあ、悪いのは僕だから……」

 はぁ〜と僕も深い深いため息を()いた。

 どうしたものか…。白波瀬さんは学校で初めて出来た唯一の繋がりだ。そんな彼女の妹に嫌われてしまった。何とかして僕の印象を回復したいが凪ちゃんの僕を見る目は完全に汚物を見る目であった。

 「どうしたものかなぁ…」

 箸で挟んだシュウマイに語りかける。

 「仲良し大作戦……」

 隣で白波瀬さんが小さく呟いた。

 彼女へ目を向けると真剣な表情でこちらを見ている。

 「仲良し大作戦」

 今度は言い切った。

 「仲良し大作戦…?」

 「ほ、ほら、日向くんにはいつもお世話になってるし、先の事を考えても仲良くして欲しいし…」

 最後の方は小声になっていたが早口で彼女は理由を言い立てた。

 「だから、その……」

 彼女はぐっとファイティングポーズを取る。

 「凪と仲良し大作戦!」


 放課後、図書室に寄ると僕は何の躊躇いもなく二尾(にお)先輩の右隣の席に腰を下ろす。

 姉さんが迎えに来るまでの間の図書室での時間潰しは僕の日課となっている。

 この図書室はいつも利用者が少ない。今日もまた図書室の先客は先輩一人だった。

 だが今日の先輩は様子が違った。普段なら深窓の令嬢を思わせるような趣ある姿で恋愛小説に没頭しているが、今日はカリカリと懸命にノートにペンを走らせていた。

 僕の視線に気が付いたのか彼女は僕の疑問に答える。

 「もうすぐ期末テストですから」

 そう言えば今日はちょうど期末テストの2週間前だ。白波瀬さんとの勉強会で脳の一部が破壊され忘れていた。

 「そう言えばそうでしたね」

 先輩の目がじとっとこちらを向く。

 「日向くんは大丈夫なんですか?」

 僕の能天気な返事に先輩は胡乱な様子だ。

 「こう見えても僕って成績良いんですよ」

 ドヤ顔で返す。

 二尾先輩の幼い容姿とは裏腹の謎の包容力と同学年ではないという安心感の所為だろう。先輩には気兼ねなく自慢が出来た。

 「ほほう、では次の期末テストは順位で競いますか?」

 挑戦的な表情を浮かべ先輩は挑発する。

 「受けて立ちますよ」

 僕も表情を作って応戦する。

 「じゃあここはラブコメイベントの定番、勝った方が負けた方の言う事を何でも一つ聞くというのはどうでしょう?」

 恋愛小説しか勝たんなニ尾先輩。そう言ったイベントにも憧れがあるようだ。

 賭け事は危うい匂いしかしないが、と言っても定期テストは僕の得意中の得意分野だ。負ける気がしない。

 「いいですよ」

 先輩はニヤリと口の端を上げる。

 「二言はないですね?」

 首肯を返した。

 「因みに日向くんの前回の順位はどれくらいだったんですか?」

 さっそく先輩は敵情視察を始めた。

 「1位です」

 「………ん?」

 敢えてもう一回言ってみよう。

 「1位ですよ」

 「………ま、まじですか?」

 バツが悪そうな様子で先輩は聞き返す。

 先輩も成績には自信があったのだろう。かなり大きい賭けをしてしまっている。

 「……………な、何でもというのは…」

 「二言目ですね」

 「ぐぬ……」

 面と向かっては絶対に言えないが先輩は“背伸びしている小学生”感があって見ていて癒やされる。小さな嗜虐心すら芽生えてしまう。だがあんまり意地悪を言っても嫌われてしまうだろう。

 「別に賭けは無かった事にしても大丈夫ですよ?」

 自然と優しい口調になる。

 だが彼女は律儀だった。

 「い、いえ…私が言い出したことですので……」

 甘えを我慢した様な複雑な表情(かお)をしている。

 まあそもそも今回の定期テストも一番を取れるとは限らない。その上僕が勝ったとしても大したお願い事はしない。なので先輩がそこまで気に病むことでもないだろう。

 「じゃあもし僕が勝ったら先輩の好きな小説を一冊奢って下さい」

 先に要求を言ってしまうことで先輩の不安を消す作戦だ。

 「……そんな事で良いんですか?せっかく何でも良いんですよ?」

 訝しげに彼女は問い掛ける。

 「そんな無茶は言いませんよ。……ていうかどんな要求されると思ってたんですか…?」

 小説は物にもよるが一冊の値段は意外と張る。学食一食分よりも大きいだろう。高すぎない要求とは考えていたがそれでも小説を奢ってもらうのはそこそこの要求だと思う。

 「いや……その………日向くんも男の子ですから………」

 ボソボソと先輩は口籠る。小さく艷やかな唇はまごまごしているが僕には声が届かなかった。

 「すみません、もっかい言って下さい」

 「な、何でもありませんっ!」

 顔を真っ赤に染めて僕を見上げるニ尾先輩。頭を撫でたくなる衝動に駆られる。なんというロリ(りょく)。僕は何とか疼く右手を抑えた。

 「因みに先輩はどんな要求をするつもりなんですか?」

 意識の切り替えを目的とした話題転換だ。

 「え…あ……考えていませんでした」

 う~んと顎に手を当て先輩は悩み始める。「こういう時の定番ってなんでしたっけ…」と独り言ちていた。

 むむむっと眉間に皺を寄せて懊悩する彼女を横目に僕は勉強用具を取り出す。

 たぶん答え出ないんだろうなあ…。

 そんな事を思いながら英語の長文を読み始めた。


 日曜恒例の図書館通い。だが期末テストまで約一週間前の今、恋愛小説を読み漁るのも程々にしなくてはならない。

 試験勉強の為に移動した自習スペースには見知った顔の人物が居た。

 ちょうど集中力が切れたのか、両手を組んで上に伸びをした彼女と目が合った。

 伸びを知人に見られた事に恥じらいを見せつつも彼女は僕に小さく会釈をした。

 彼女は二度ほど会ったことのある名の知らぬ彼女である。迷子の子どもを連れた時や公園で地元の子ども達の相手をしていた時に手を貸してくれた女性だ。

 僕はこんな時どうすれば良いか分からない。

 そんなに仲が良い訳では無いがある程度顔を知っているという知人に偶然出会ったとき、果たして声をかけるべきなのだろうか。スルーか?スルーが安牌なのか?いやしかし、それはそれで失礼なような気がする。と言っても声をかけた後どうすれば良いのだ…。立ち去れば良いのか?隣に座ったほうか良いのか?どっちにしても気まずいぞ…。そもそも何を話せば良いのだ?第一声は“ご機嫌麗しゅう”とかで良いのだろうか?そんなわけ無いか。クソっ…!僕にもっとコミュ力があればっ……!

 結局僕は話しかける事もなく少し離れた席に座った。

 そうして暫くノートにペンを走らせていると左隣の椅子が静かに引かれた。

 「何で離れて座るんですか…」

 呆れの入ったジト目で彼女は僕を見る。さっき伸びをしていた彼女だ。

 「ぼっち理論における最もエネルギー準位の低い位置を取りました」

 「何言ってるのか分かりません」

 彼女は僕の戯言(たわごと)をバッサリと切り捨てた。

 そして彼女は理科の教科書を開く。黙して勉強を再開した。

 この自習スペースは読書スペースと同じくただ長机が置かれている。一席ごとに仕切りのある自習スペースもあるが、長居するわけでないなら手続きのないこの長机のスペースの方が楽である。ここは例えばグループワークの資料精査に数人で取り掛れるようなスペースなので多少の私語は許されていた。

 「そう言えば先輩は京ノ(きょうのつき)ですよね?」

 京ノ槻は僕の通っている高校の名前だ。

 「?そうだけど…教えたっけ?」

 「前に会った時は制服だったじゃないですか」

 え?制服で分かるもんなの?

 「あそこの制服かわいくていいですよね〜」

 しみじみと言う彼女。

 僕的には制服は義務的に買ったもので特に思い入れは無かった。京ノ槻高校だって公立で一番偏差値が高かったから選んだだけだ。家も近かったし。

 「でもちょっと賢すぎるんですよねー…」

 切実に言う彼女。

 「って事で―――」

 彼女は手提げバッグから厚みのある本を取り出す。

 どんっと机に置かれたのは公立高校の赤本だった。

 「教えてください」

 始めに“先輩”と呼ばれた理由が分かった。彼女は京ノ槻高校を受けるつもりらしい。確かに受かれば僕は高校の先輩だ。名前を知らないからそう呼ぶのも納得できた。

 「最近友達の成績がメキメキ伸びているんですよ…」

 続けて「あれは絶対コソ練してるよ」と彼女は小声で呟くように言う。

 勉強でのコソ練は別に良いんじゃないのかなぁとも思うが口には出さない。

 「別に良いよ?」

 前に手助けしてくれた恩もあるし、そもそも勉強を教えることは何の苦でもないので軽く引き受けた。

 「あっさり……」

 彼女は目を丸くしている。

 「…断られる予定だったの?」

 「いえ、先輩なら受けるだろうなとは…」

 彼女は「ただ…」と付け加える。

 「あまりにも白湯だったのでちょっと驚きました」

 “白湯”って“あっさり”って事かな?真顔で変化球投げてきた。

 「この前のお礼の一環だよ」

 「あれは私が勝手にやったことですし」

 「じゃあ僕もそれで」

 僕の言葉に彼女はぎゅっと口を真一文字に結ぶ。

 そして開いていたノートに視線を戻してシャーペンを右手に持ちペン先を立てた。

 「お、教えてくれるならもうなんでもいいですっ」

 彼女は早口で捲し立てた。

 これが僕と後輩ちゃんの定期開催個別指導塾の始まりだった。


 最近、疲れが溜まっているのか話の途中ふとした時に睡魔に襲われる。クロールでやってくるのだ。

 うつらうつらと船を漕いでいると隣から優しく声が掛かる。

 「私の肩をお使い下さい」

 眠気が強い時、僕は考えていることと口に出していることの区別がついていない。リタさんにちゃんとありがとうと伝えられていただろうか。

 さっきまでリタさんとどんな会話をしていたのか思い出すことすら億劫になっている。今はリタさんに甘えよう。

 こうしてリタさんの柔らかく温かい肩に頭を預けていると彼女が女神であるということを忘れてしまう。

 彼女の名前はリタなのか。

 継ぎ()ぎの思考は微睡(まどろ)みに消えていった。


 この異世界では死はとても身近に存在している。現代日本で考えるよりも遥かに命の価値が軽いのだ。

 僕はいま闘技場に立っている。佩剣(はいけん)して離れて立つ対戦相手を見据えていた。

 僕らを見下げる観衆が聳え立つ崖のようになっていた。喧喧囂囂(けんけんごうごう)に騒ぐ観衆の声が天泣のように僕らへと降り注ぐ。

 この闘技場はこの帝国が推して勧める人々の娯楽の場。都にあって一際大きな建造物だ。特にこの闘技場はこの国の貴族にとっての娯楽であり、金銭が大きく動く賭博場でもある。

 僕たちグラディエーターはその命を賭して彼らを楽しませなければいけない。だが流石賭博場というべきか命を代償にするだけに優勝すればかなりの額が手に入る。それこそ10年は働かずに住むほどの。

 賞金を目当てにした腕自慢が集まるのがこの闘技場だ。だから僕もその一人だ。手続きだって簡単なもので、誰でもすぐに参加できる。噂を聞きつけて僕は今回初めて参加した。

 生死を見世物に出来るくらいにはこの世界での命の価値は軽い。例えばそれは奴隷制度にも垣間見えていた。奴隷を人間と同等に扱うことはない。それどころか生物として認識しているのかすら怪しいものだった。もちろん奴隷を買った主人に依る所が大きいが、見ている限りではその命が尽きるまで労働やストレスの捌け口、将又魔法練習の的や性処理など多種多様に使()()()()という表現が正しい劣悪さであった。

 奴隷はつまり人身売買であるが、その多くは人攫いによるものだ。他にも口減らしや裏切りなどもあるが、盗賊などの人攫いが最も多い。誘拐した彼らを奴隷商が買収して貴族など他に売り捌くというのが大抵の販売ルートである。他にも犯罪奴隷というものもある。

 現代日本の平和な倫理観に染まり切ってしまっている僕には中々厳しい現実だった。というか耐えられそうもなかった。

 だから僕はやってしまった。盗賊や奴隷商を襲って奴隷となるはずの彼らを誘拐した。そこら中で誘拐して回っている。

 僕がやっていることはただの犯罪だ。こちらの世界の文化を理解せずにやっている犯罪である。例えば日本で大麻を使用するのと同じようなものだ。

 奴隷制度はこの異世界では認められたちゃんとした制度である。そこを誰も疑ってはいない。現代日本にいた僕の感覚で言えば“消費税”と同じなのだろう。たとえ嫌だったとしても必要なものだと理解できるものなのだ。

 常に危険に晒されているこの世界では容易に発展することが叶わない。創造よりも破壊の方が上回る為に停滞するのだ。そんな中で生まれる娯楽が生死を賭けた剣闘士たちの闘いであることも理解は出来ないがある種納得はできる。彼らにとって死は身近なもの。城壁の向こうには人間を簡単に潰せる魔物たちが潜んでいる。死への恐怖も麻痺してしまうというものだ。

 奴隷制度だってその一種である。人間よりも遥かに強い存在がいる中で自分を保つ為に奴隷を雇う。優位性を保つための道具として使()()のだ。或いはそもそも人間が追いやられて数の少ない現状で発展を目指すには死ぬまで働く存在が必要なのかもしれない。

 奴隷制度をこの世界の人類が認めているということはこの世界にとってそれは確かに必要なものであるということなのだ。

 だから僕は世界を停滞させてしまうような罪を犯している。僕は片っ端から奴隷として売られる人々を誘拐している。始めのうちは奴隷商から全員買っていたがもう今やただ暴力で攫っている。もちろん奴隷商や盗賊たちを殺してはいないが、やっていることは盗賊だ。ただ僕は犯罪奴隷は攫っていない。僕が耐えられないのは無垢な人々の絶望した姿だからだ。本当にただのワガママである。

 奴隷に売られる人々の多くは子どもたちや妙齢の女性である。手懐けが容易、或いは性奴隷として使えるからだろう。

 彼らは親を殺されたり故郷を焼かれたりと行く宛がない者が殆どだ。その上、まだ自分で稼げるような歳でもない。故に僕が彼らをみんな保護している。だがそれにはやはり膨大なお金が必要になってくるのだ。

 そんな長い長い前置きがあって僕はいまこの闘技場にいるのである。子どもたちを養うお金欲しさである。この戦いの優勝賞金が目当てだ。

 とは言え殺すわけには行かない。この闘技場でのルールは相手を戦闘不能にしたら勝ちである。殺す必要はない。だから僕がこの闘技場にいる限り今回のトーナメントでは誰も死なせはしない。僕はバレぬよう出場者全員にどの部位が破壊されても死なないように魔法を掛けていた。たとえ脳を粉砕されても大丈夫。ただ勝負がつくように仮死状態にはなる。時間を置いて復活する仕様だ。

 次いで今回僕は腕試しも兼ねていた。不死の魔法を掛けたのは別として僕は戦闘に魔法を一切使わない方針だ。

 このトーナメントは数日に渡って行われる。僕は今から一回戦だ。離れて立つ一回戦の対戦相手は中世のグラディエーターらしく筋骨隆々の大男だ。晒された太い腕の筋肉には血管が浮かび僕の身体と同じ位はあるだろう大斧を片手で持っている。人間版ミノタウロスである。

 観衆を盛り上げる実況は前口上を述べ上げる。“新進気鋭の若き才覚”なんて僕は言われた。多分飛び入りの若者には全員に言っているのだろう。まあそれくらいしか言うことないもんね。相手は優勝候補らしい。盛り上がるために優勝候補には勝って欲しいのだろう。大抵1,2回戦は弱い所と()つかるように仕組まれたトーナメントになっていた。

 つまり僕は絶賛舐められているわけだ。賭けのオッズが凄いことになっているだろう。

 因みに僕はいま尋ね人である。追われている身だ。なぜなら奴隷商を襲っているから。僕は襲撃の際、自身に認識阻害の魔法を()()()()フードを深くして犯行に至っていた。襲撃は相当数に及んでいるので僕であることがバレるのも時間の問題だろう。だが今はまだ人相書きが流布されているなんて事もない。とは言え目立つ行動は避けねばならない。

 つまりこの戦いには目立たず優勝するという難題が課されている。

 取り敢えずこの一回戦は対戦相手が舐めていたばかりに足元を救われ僕がジャイアントキリングを達成した。という筋書きにする予定だ。

 実況の口上に乗せられ観衆の熱気も高まったこの時、試合開始の火蓋が切られた。

 相手は何処かリラックスした様子だ。気を抜いてはいないが肩慣らし程度と考えているのだろう。

 僕は抜剣することもなくゆるりと一歩を踏み出した。そしてそのままスタスタと大男まで歩いて距離を詰めて行く。

 大男の持つ武器は大斧である。恐らくパワーを優先させた戦闘スタイルなのだろう。なればカウンターの形を取るのが最良だ。たまたま勝ったように見せるのにも効果的である。そのために大振りの一撃を誘発させる必要があった。だからゆっくりと歩いて近付いている。

 始めの内はそれほど気に留めていない様子だったが、緩急なく真っ直ぐに一定の速度で歩いて来る僕に彼は異様さを感じ始めたようだ。そろそろあの大斧で地面を破壊しようとするだろう。そう思った矢先、彼は両手で大斧を振り上げ、渾身の力で一気に振り下ろす。力任せの出鱈目な薪割りで地面を割ってみせた。当然歩む先の地面は不安定になるが特に気にせず僕は真っ直ぐ歩き続ける。一切変化の見えない僕に彼は焦り始めていた。

 そして彼は地を踏み割り一気に間合いを詰める。横の大振りで僕を真っ二つにするつもりのようだ。

 途端、僕は()けるように躓く。故意に見えぬよう自然に躓いた。

 結果、大斧の横振りは僕の頭上で空を切った。

 だが彼も歴戦の猛者である。大振りの一撃を躱されることなど日常茶飯事。そこからのフォローは得意とする所だろう。

 相手の重心移動を見るに回し蹴りが次に飛んで来る。だがその攻撃が繰り出される前に相手の動きも利用して刹那に懐へ潜り込む。そして僕は手刀で彼の血管の浮いた太い首を掻っ捌いた。

 鮮血が吹き出し、彼はドシンと後ろへ仰向けに倒れ込む。

 大丈夫。死んでない。………はず。

 僕の魔法が起動していることは確認している。

 ジャイアントキリングだからだろう。観衆は静まり返っている。さっきまで闘技場に響いていた熱の込もった実況すらも今は聞こえていない。

 そうして暫く静寂は続き、闘技場は割れんばかりの大喚声に埋め尽くされた。

 見込みが甘かった。そらジャイアントキリングが成功してんだから盛り上がるに決まっている。サッカーワールドカップでの日本のドイツ戦を思い出せばすぐにでも分かったことだ。目立たず優勝するとか無理だ。

 せめてもの抵抗に僕はそそくさとその場を後にした。


 トーナメントは数日掛けて消化されて行く。優は何の危うさもなく、そして見せ場を作ることもなく淡々と勝ち進めていった。

 また、この闘技大会は特に大きな波瀾や事件が巻き起こる事もなく、例年通りの至って平凡な闘技大会となっていた。ただ一つ、事件というほどでもないが、間違いなく致命傷であるのに死体処理場で気が付いたらピンピンしているグラディエーターが多く見られたという怪現象はあった。もちろん優の所為だ。だがそれは別に大会の進行に支障きたすものでもない。

 優は本人も気が付いていないが何処までも冷めた瞳で勝利を積み重ねてゆく。お金を稼ぐ目的が大本であるが、自分の力がどれ程世界に通づるのか知りたかったという目的もあった。それは換言すると自分の強さを知りたかったとも言える。もう既に世界の魔物は彼の敵ではなくなった。彼と同等の力を持つ魔物がいなくなった。戦いがつまらなくなってしまったのだ。自分の強さを知りたいという気持ちの裏側には同等の相手と戦いたいという気持ちがあったのだ。それに優自身は気が付いていない。

 だから無意識下で優はこの闘技大会を期待外れと幻滅していた。もう既に飽きていた。目を瞑って魔法を一切使わずとも刹那に勝ててしまう相手との試合が楽しいはずもなかった。

 優の当面の目的は奴隷になる予定だった保護した人々、特に子どもたちが幸せに生きられるようにまずは金銭を稼ぐ事。そして彼にとっての最終目標は元の世界に帰還する事だった。

 優勝が決定し、闘技場に立って観衆たちを見上げ降り注ぐ喚声と賭けに負けた腹いせの罵声を聞き流しながら優は自分の目的を反芻するように思い返していた。

 観衆たちの娯楽に一喜一憂する姿をグラディエーターはただ見上げるしか無かった。

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