悪役令嬢の街歩き
「ファスター様。先日ご迷惑をおかけしてしまったお詫びに、おすすめのお店に一緒に行きませんか?」
「リザーフのおすすめのお店、か?」
「えぇ。ブックカフェのようなものですわ。個室で楽しめますの。私もまだ行ったことはないのですが、知人に話を聞いて……個室ならば安全でしょう? お父様に相談したところ、先日の襲撃があったのだから、お店全体を貸切にしてもいいとのことですわ」
「ほぅ。個室で本を読めるなんて、街にも面白いものがあるのだな。マグマリア伯爵の言う通り、貸切なら比較的安全に過ごすことができるか」
「ええ。では、ファスター様の業務がお休みの明後日はいかがでしょうか?」
ファスターは違和感を覚えなかったが、リザーフの頭の中には、ファスターのスケジュールが叩き込まれている。それも全て欲望を満たすためだけに調べ上げたのだ。
「あぁ、リザーフの王妃教育のスケジュール的には問題ないのか?」
「えぇ。先生方に事情を話して、了承を得ておりますわ。……実は、おすすめのお店も先生方に教えていただきましたの」
「そうか、楽しみにしている」
「では、失礼致します……先生方が、奥手な殿下にはちょっとしたボディータッチから始めるように、おすすめしてくださったのですわ。貸切なら盛り上がっても……」
ぼそりと呟いたリザーフの声は、ファスターの耳には届かなかった。
「ファスター様。お待たせいたしました」
「おぉ、リザーフ。……いつもと雰囲気が違うな」
「ふふっ、街歩きですもの。ドレス姿では目立ってしまいますわ。では、こちらへ」
「な、!?」
リザーフは、ファスターの腕にそっとしがみついた。
「カップルという設定で過ごすと、街歩きでも安全ではないかと思いましたの。私たち婚約者同士だから、問題ないでしょう?」
「ま、まぁな」
エスコートで腕を貸すことは何度もあったが、それよりもはるかに近い距離……というよりも当たっているのか、当てているのか。ファスターは、リザーフに引きずられるまま歩き始めた。
「ねぇ、ファスター様」
「な、なんだ!?」
ファスターの耳元にそっと囁きかけるリザーフの息が、ファスターの耳にあたる。ファスターは面白いように動揺している。
「お店に入ったら、ファスター様のおすすめの本を教えてくださいますか?」
「あ、あぁ。もちろんだ」
「ありがとうございます!」
下心を知っている護衛たちが、リザーフの言うおすすめの本がどういうものか妄想を膨らませる中、2人は目的のお店へと向かっていく。
少し歩いたところに、大きな店舗が現れた。ファスターには店名を読み取る時間がなかったが、店内は清潔な雰囲気であった。
店名は読書喫茶。
ブースのように分かれた個室がずらりと並んでいるが、下から上からと覗き込めそうだ。少し照明が落とされている。
「思ったより、ブース感のある個室なんだな」
「本日は貸切ですから問題はありませんが、この様子だとお話しするときには、周囲に気を使いますわね」
「ただ、個室に本を持ち込んで読書できるのはいいな。城の図書館でも勉強スペースとして導入したら、いいかもしれないな」
ファスターが街歩きの収穫を得ているところで、リザーフはゴソゴソと本を用意し始めた。
「えぇ……殿下、こちらが私のおすすめの恋愛小説ですわ。お読みになってください」
「そうか……で、私のおすすめの本は、と。……この中から選べ、と?」
「どの本がおすすめですか?」
「本というか……これは表紙の女性について、ではないか?」
リザーフの並べた本は、表紙に様々な女性の絵姿が並んでいた。リザーフのような氷結美女から、マグマリア伯爵夫人のようなかわいいタイプ、はたまた、知的なタイプなど。
思ったような本ではなく、護衛たちが少しホッとしたような残念な空気になる中、ファスターは意外と真剣に答えていた。
「……この中ならば、この女性がタイプだ」
そう言いながら、ファスターの指差す先を見て、リザーフはため息をつく。
「ファスター様。私に気を使わず、お好みをお教えください。私、ファスター様のお好みになれるように、できる範囲で頑張りますから」
「どういうことだ?」
「このような女性が、ファスター様のお好みなのではないですか?」
リザーフの指差す女性は、白宮のヒロインにそっくりであった。
「……いや、愛らしいとは思うが、私の好みはこちらだ」
ファスターがそう言って、再び指差すのは、リザーフ似の美女だ。
「……嘘をおっしゃってるわけではなさそうですね。では、このまま迫らせていただきますわ」
「迫!?」
「ふふふ、失言でしたわ。なんでもありませんわ」
「失言!? 本心のように聞こえたが!?」
「ねぇ、ファスター様。2人きりですわね? ここでゆっくり過ごしましょうね?」
「ご、ご、護衛もいるぞ! って、な!? 狭くないか!?」
リザーフがファスターを押しやった個室は、足を伸ばして寝転べる余裕もある広さだ。だが、リザーフの集めた本のせいで、2人で入ると肩が触れ合ってしまう広さになっていた。リザーフに下手に身体が当たらないように、ファスターは必死だった。
「ファスター様。腕を組んでもよろしいですか?」
「い、今ここで、か?」
「はい、今はそれ以上は致しませんわ?」
「今は……? それならば、いいのか? まぁ、腕くらいならいいだろう」
「ありがとうございます」
そう言ってファスターの腕にしがみついたリザーフは、満面の笑みでファスターに話しかけた。
「ファスター様。ゆっくり、過ごしましょうね?」
「……あぁ、そうだな」
リザーフのおすすめの恋愛小説は、婚約者といちゃいちゃするストーリーであった。どこかファスターとリザーフが思い浮かぶような話だ。読み進めていく中で、ファスターは少しドキドキしてしまった。ファスターの感じたドキドキは、リザーフへの想いなのか、小説のものなのかファスター自身にもわからなくなってきた。リザーフへの想いなら、小説からの吊り橋効果かもしれない。リザーフを気にしながら、ファスターは読み進めていった。
その横で、リザーフは、ファスターおすすめの帝王学の本を真剣に読んでいる。ファスターの腕にしがみついたまま。
婚前の男女なのだから、と冷静になろうとしていたが、リザーフへの気持ちが抑えきれなくなったファスターがリザーフに熱い視線を向ける。
「……リザーフ」
「どうかしました? ファスター様」
そう言って、2人が見つめあっていると、ドタバタと足音が聞こえ、個室に1人の人影が飛び込んできた。
「お姉様!」
「まぁ、ルシュ。なんでここがわかったの?」
「父上に聞きました! 婚前の男女が距離が近すぎますよ! 帰りましょう、ねぇ、ファスター殿下?」
「そうだな、そうしよう」
「……父上とルシュを丸め込まないとダメね」