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【side レイチェル】
「どういう事ですか!!!」
お姉ちゃんが卒業して少ししたある日、お姉ちゃんとデニール様が婚約したという話を聞いて、私はグランツ伯爵家に怒鳴り込んだ。貴族令嬢としてはあるまじき行為だが、そんなことを気にする余裕はなかった。
いきなり怒鳴り込んできた私に対し、ガルシャ様は丁寧に応対してくれる。
「なんで! お姉ちゃんが! デニール様と! ハイネ様は!!」
「落ち着け、レイチェル嬢。ほら、これでも飲んで」
そう言ってガルシャ様は私に紅茶を差し出すも、私は気持ちを抑える事が出来ない。
「こ、紅茶なんて! それより! なんで!!!」
「いいから、落ち着け! 俺も混乱してるんだ」
そう言ってガルシャ様はご自身の紅茶を口にされた。その様子から、ようやく私は、ガルシャ様も動揺しているんだという事を理解する。
「――っ! どうして……どうしてこんな事に……」
ガルシャ様の様子を見て、荒ぶっていた感情は多少収まってきたが、混乱している頭は簡単には落ち着かなかった。
「すまない。完全にしてやられたよ。まさか身内に裏をかかれるとはな」
そう言って、ガルシャ様が頭を下げてくれる。目上の男性に頭を下げられたことで、ようやく、私の頭も落ち着きを取り戻してきた。
「あ………………す、すみません! 愚か者の対処は私の役目だったのに!」
落ち着いて考えれば、今回の非は私にある。ここ数年、お姉ちゃんに言い寄る愚か者がいなかったので、完全に油断していたが、デニール様のような者を対処するのは、本来私の役目だ。
「いや、そもそも愚か者をあぶりだすためにルージェル子爵にハイネとの婚姻の事を伝えなかったのは俺の判断だ。予想以上の成果があって調子に乗ってしまった。本当にすまない」
それでも、ガルシャ様は私に真摯に謝罪を繰り返された。本当に今回の事は予想外の事だったのだろう。
「頭を上げてください。それより、デニール様の事を教えていただけますでしょうか」
甘やかされて育ったという事は、ガルシャ様から聞いていたし、学校の成績があまりよくない事は、調べて分かっていた。正直、お姉ちゃんにはふさわしくない男性だとは思うが、その程度であれば、ぎりぎり許容できなくもない。
「そうだな……。弟の事なので、あまり悪くは言いたくないんだが………………努力が嫌いで他人と競う時は自分が頑張るより、他人を蹴落として優位に立とうとするタイプだ。思い込みも激しく、自分にとって都合のいい情報のみを聞いて、物事を判断してしまう。とてもではないが、子爵家領主が務まる器ではない」
ガルシャ様の言葉を聞いて、私は絶望に捕らわれる。
(このままじゃ、お姉ちゃんが!!)
「何とか……何とかして、デニール様とお姉ちゃんの婚約を阻止する方法は無いでしょうか? このままでは、我が家は……」
「難しいな……俺としても、ルージェル子爵領には、もっと発展してもらいたい。だが、デニールにこれと言った過失はなく、なにより、ルージェル子爵が乗り気な以上、そう簡単には……」
(過失……デニール様に過失……そして、お姉ちゃんが乗り気でなくなれば……)
その瞬間、私はある事を思いついた。
「ど、どうした?? 今まで見た事もない顔をしているぞ?」
「…………ガルシャ様。ご相談したい事が」
「お、おう。聞こう」
我ながらとんでもない思いつきだとは思う。ことのあらましを相談したガルシャ様も、とんでもない顔をされていた。
「レイチェル嬢。……お前はそれでいいのか?」
「……はい。元はと言えば、私の責任です。私にできる事は何でもします」
「………………そうか」
この時のガルシャ様の顔を、私は一生忘れないだろう。
【sideガルシャ様】
「クソが!!」
レイチェル嬢が帰った後、私は自室で叫んだ。自分でも訳も分からない感情に支配されて、怒りを抑える事が出来ない。
(あの馬鹿が! 余計な事をしやがって……レイチェル嬢もレイチェル嬢だ。いくら姉のためとはいえ、そんな事までしなくても!!)
とはいえ、レイチェル嬢の策が有効であることに変わりはなく、現状、他に策はない。
「クソ!!!」
俺はもう一度感情を吐き捨てて、執事を呼び出す鈴を鳴らした。
「お待たせいたしました。ご用件をお伺いいたします」
「……急いで女性用の部屋着を作成せよ。一見すると下着に見えるが、あまり扇情的ではない物だ」
「……ガルシャ様。お言葉ですが、下着に見える時点で、扇情的な服装としかなりませんが」
「――っ! では、多少扇情的でも構わんが、他人に見られても『嫁に行ける』レベルの部屋着だ!」
「かしこまりました。他人に見られても『嫁に行ける』レベルの部屋着で、一見すると下着に見える服を作成するよう、針子達に申し伝えておきます」
「ああ……」
執事が部屋を出て行ったのを確認してから、俺は、ベッドに仰向けに寝そべる。
(『嫁に行ける』レベルの部屋着……か。はは。そうか。この感情はそういう事か)
とっさに口から出た自分の言葉で、俺は自分がレイチェル嬢に抱いている感情を理解した。
(そうか、そうだったのだな……よし!)
自分の感情を理解した俺は、色々と根回しをするために立ち上がる。
(まずは父と……念のためハイネにも根回しをしておこう。デニールを甘やかしている母とその実家はデニールの過失を盾にすれば強くはでられないはず。後は、ルージェル子爵次第か。だが、レイチェル嬢の事を考えれば、こうするのが一番いい事は、ルージェル子爵も分かるはず。なら、何の問題もないだろう)
一番大事なレイチェル嬢の気持ちを考慮していないという事に気付くのは、かなり後になるのだが、この時の俺は、本気でうまくいくと思っていたのだった。
【side デニール】
ガルシャ兄上の想い人を寝取ってやった俺は、幸せの絶頂に……いなかった。
(なんだかなぁ……)
リーシャと婚約したことで友人からは祝福されたし、多くの男達から羨望のまなざしで見られた。そしてガルシャ兄上が憎らし気に俺を見て来た時には、確かに幸福感を感じたものだ。しかし、その幸福感も日追うごとに薄れて行き、今では虚しさしか残っていない。
(確かに俺はリーシャと婚約した。だけど……なんていうか……もうちょっとこう、あるじゃん! 恋人同士のあれこれがさぁ!)
婚約はしたものの、リーシャの俺への対応はどこまでも事務的で義務的な物だった。とてもではないが、婚約したての恋人への対応ではない。
(緊張してるのか? いやそれにしたってなぁ……)
この間、夜の営みに誘った時に『婚前交渉をするつもりはありません』ときっぱり断られてしまった。あの時の声と表情は緊張や照れと言った物からくるものとは思えなかった。
(結婚前にそういう事をすれば、リーシャが本気で俺に惚れているんだと証明できる。そうすれば、ガルシャ兄上はもっと悔しがるはずだ。何とか……何とか結婚前に一夜を共にするんだ!!)
この時、リーシャにとって俺は、婚約者であって恋人ではない事に気付ければ、道を間違える事は無かったのかもしれない。だが、そこに気付けなかった俺は道を正す事が出来なかった。
【side レイチェル 決戦前夜】
「これは?」
デニール様に『過失』をおかしてもらう予定の前日、私はガルシャ様に呼び出されて、グランツ伯爵家を訪れた。いつものように応接室に通された私は、ガルシャ様から大きな箱を渡されたのだ。
「明日のための……俺からのせめてもの餞だ。開けてみてくれ」
「?? 分かりました」
なぜかそっぽを向いてこちらを見ようとしないガルシャ様に言われて、私は箱を開ける。
「っ!! これは!!」
箱の中には、女性用の下着が梱包されていた。
(未婚の女性に下着をプレゼントするとか! 何考えてるの!! ………………待って。これ、下着に見えるけど…………実は部屋着??)
一瞬パニックになりかけたが、箱の中身をよくよく見てみると、下着のように見えて、実は服の生地は厚く、扇情的な部屋着であることが分かった。次の瞬間、私は全てを理解する。
(明日のための餞……そういう事ね)
一見すると下着に見えるが、ぎりぎり部屋着と言えなくもない服。つまり、明日事を起こすときに、これを着てやれという事なのだろう。
そうと分かった時、頑なにそっぽを向き続けているガルシャ様が可愛く見えてしまい、思わず笑ってしまった。
「ふふ」
「? 何がおかしい?」
「いえ。とても心強い贈り物です。ありがたく使わせて頂います」
「ああ。無理はするなよ」
「……はい」
明日、私はこれを着てデニール様の前に立つ。デニール様が明日、我が家に来る予定であることは把握しているし、お姉ちゃんには、アクセサリーを買いに行ってもらう予定になっている。後はちょうどいいタイミングでデニール様を誘惑し、決定的な瞬間をお姉ちゃんに見てもらうだけだ。
「大丈夫か? 不安なら、俺も一緒に」
「――っ! 大丈夫! 大丈夫です! 1人で何とかしますから!」
いざという時、ガルシャ様が見守ってくださっていれば、確かに心強いが、それはつまり、この服を着た姿をガルシャ様にも見られるという事だ。それは耐えられない。
「明日は私一人で何とかします。だから……事後対応、お願いしますね」
「……分かった。レイチェル嬢の覚悟は無駄にしないと約束しよう」
こうして、私はあの日、デニール様に過失を作り出し、お姉ちゃんの乗り気を無くすべく、準備を進めるのだった。行動を起こした翌日、ガルシャ様とデニール様とお会いする事になるとは知らずに。
ラスト1話は15時ごろ投降予定です!