承1
【sideレイチェル】
母方のツテを使って面会が叶ったその日、私はお姉ちゃんに内緒でグランツ伯爵家を訪れた。
「よく来たね。僕がガルシャ=グランツだ」
「は、初めまして。レイチェル=ルージェルと申します」
案内された応接室は、我が家の応接室とは比べ物にならないくらい綺麗で、どうしても圧倒されてしまう。
「ふふ。そう硬くならないで。紅茶は好きかな?」
「す、すみません。はい、好きです」
私が答えると、私の前に、優しい匂いの紅茶が差し出された。
「我が家自慢の紅茶だ。落ち着くよ」
「頂きます」
(――! 美味しい……)
優しい匂いと優しい味に包まれて、自分の緊張がほどけていくのを感じる。
「気に入ってくれたかな?」
「はい! とっても美味しいです!」
「それは何より。僕もこの紅茶は好きでね。リラックスしたい時によく飲むんだ」
その後もガルシャ様がたわいのない話で私の緊張を解いてくれた。私の緊張が十分解けた事を察したガルシャ様が、いよいよ本題に入る。
「さて、今日はどういった用件で来てくれたのかな?」
「は、はい。今日は、姉の事を相談させて頂きたく、お時間を頂きました」
「ふふふ。相談、ね」
「はい。実は、姉は学校で様々な男性から交際を申し込まれているようです。ですがその方達は……その……」
「ろくでなしばかり?」
「――! え、ええ。その通りです」
(どこまで知っているんだろう……)
ガルシャ様は最初と変わらず、優しい笑みを浮かべられていた。その表情からは何も読む事が出来ない。
私がガルシャ様の表情を読むのに必死になっていると、ガルシャ様が、話を進められる。
「幼いながらも優秀なルージェル子爵家現当主の噂はよく聞くよ。彼女を食い物にしようとしている輩がたくさんいる事もね」
「――っ!!!」
「とはいえ、彼女はそんな輩に篭絡されるような人間ではないと聞いているけれど?」
「姉は……妹の私から見ても、非凡な人間だと思います。ですがその分、凡人の悪意に疎いのです」
「……ほう?」
ガルシャ様の笑みに、少しだけ黒いものが混じった気がする。
「……なるほど。確かに非凡な者ほど凡人の悪意は理解できないのかもしれないね」
「はい。ゆえに私は、姉が凡人の悪意に飲み込まれることを恐れております」
「んー……レイチェル嬢の心配は理解したよ。けれど、それを僕に相談してどうしたいのかな?」
ガルシャ様の笑みが深くなった。
(これは……期待? 私の話に興味を持ってくださった? なら!)
ガルシャ様の表情から、ガルシャ様が私を、『貴族の義務として形式的に対応していた相手』から、『聞く価値があるかもしれない提案をしてくる相手』に格上げしてくださった事を読み取り、私は一気に本題に入る。
「ご存じかもしれませんが、現在、ルージェル子爵家には後ろ盾となってくださる方がおりません」
「そうらしいね」
「ルージェル子爵家の農作物を販売するために、グランツ伯爵領を通過させて頂いていると聞いております。その関税で、グランツ伯爵家がかなり潤っている、とも」
「ルージェル子爵家の農作物の出荷量は、ここ数年で劇的に増えているからね。おかげでうちも潤っている事は否定しないよ」
「はい。ですので……どうか、グランツ伯爵家にルージェル子爵家の後ろ盾になって頂きたいのです」
これは何も、ルージェル子爵家だけにメリットがある話ではない。現状、ルージェル子爵家は、グランツ伯爵領を通って農作物を販売しているが、それは、今までそうしていたから、そうしているだけであって、別にグランツ伯爵領を通らなければいけない理由はどこにもない。むしろ、農作物の出荷量が増えた今、新たな販路を開拓してもいいはずなのだ。まだ、お姉ちゃんが他の事を優先しているだけであって。
だが、ここで、グランツ伯爵家がルージェル子爵家の後ろ盾となってくれれば、話は変わってくる。
「ルージェル子爵家の農作物を、今後もグランツ伯爵領を経由して販売し続ける事を条件に、ルージェル子爵家の後ろ盾になって頂けないでしょうか?」
「…………」
私の提案に、ガルシャ様は黙って考えこまれた。一応、笑みを浮かべられてはいるものの、ガルシャ様の無言のプレッシャーが私の心臓をわしづかみにしてくる。
(負けちゃダメ! 目を逸らさない! 姿勢を崩さない! 耐えるのよ!)
私は必死で、ガルシャ様のプレッシャーに耐え続けた。少ししてから、ガルシャ様が口を開かれる。
「…………ふふっ。なかなかどうして」
その顔には、変わらず笑みが浮かべられていた。だが、笑みの質が明らかに違う事を、私は肌で感じる。
「2つ、確認させて。まず、今の話、ルージェル子爵は承諾されているのかな?」
「はい。もちろんです」
その点は問題ない。『ルージェル子爵家の農作物を、グランツ伯爵領を経由して販売し続ける事を条件に、グランツ伯爵家にルージェル子爵家の後ろ盾になって頂く事』は、お姉ちゃんに相談して、了承を得ている。問題は……。
「では、2つ目。貴族にとって『後ろ盾』がどういう物かは理解しているのかな?」
「それは……その…………」
「………………君は理解しているけど、ルージェル子爵は理解されていない、という事かな?」
「う……はい」
お姉ちゃんにこのことを相談した時の様子からして、多分理解していないだろう。貴族にとって後ろ盾とは、『書面上の契約で結ぶ』と同時に、『婚姻によって結ぶ』という事を。
「それは、なかなか難しいね。なるほど。ルージェル子爵は明文化されていない慣習に疎いわけか」
「うぅ……」
「それは君達の家の問題……だけど、君達と関係を結べるのは、こちらにとっても好都合だ。出来ればこの話を成立させたい。そのための『相談』というわけだね」
「はい。お察しの通りです」
「なるほどなるほど。……ふふ。はてさてどうしてものかな」
ガルシャ様はとても楽しそうな笑みを浮かべられた。その笑みがとても黒い物に見えるのは、気のせいだと思いたい。
「よし! それじゃ、こうしよう! まず、グランツ伯爵家がルージェル子爵家の後ろ盾になろうとしているという『噂』を、少しだけ流す。そうすれば、聡い者は、ルージェル子爵に交際を申し込もうとはしなくなるだろう」
「それは……確かにその通りですが、なぜ噂を流すのが『少しだけ』なのですか? 大々的に宣伝すれば、姉に交際を申し込む者はいなくなると思うのですが」
「こちらの都合なのだが、現在、上の弟のハイネが外国に留学していてな。今すぐルージェル子爵と婚約する事ができないんだ。下の弟のデニールならば可能だが、あれは末っ子ゆえにかなり甘やかされて育ったからな。とてもではないが、子爵家当主は荷が重すぎるだろう。そういうわけで、今すぐの婚約は難しいんだ。ならば、今後のためにも各家の情報収集能力を試してみようと思ってね。その程度の情報すら入手できない愚か者は君の手で対処してくれたまえ」
どうやら私が姉のふりをして『あの人達』を追い払った事をガルシャ様はご存じの様だ。
グランツ伯爵家が後ろ盾になってくれるのであれば、『あの人達』のように、お姉ちゃんに群がる者達を追い払う事は出来るだろう。それにしても……。
(ガルシャ様の口調が変わった……私をただの子供ではなく、対等な取引相手と見てくれたのかな? なら、失望させるわけにはいかない!)
「承知しました。ハイネ様が留学から戻られるまで、愚か者の相手は私が務めます。ちなみにハイネ様はいつ頃お戻りになられる予定なのですか?」
「6年後だ。ルージェル子爵が卒業される翌年だね。それまで、上手くやってくれ。ああ、なるべく愚か者をあぶりだしたいから、このことはルージェル子爵には内緒で頼むよ」
「え?? あ、はい。承知しました」
この時、話をまとめる事ができた安心感から、ガルシャ様の『ルージェル子爵には内緒で』という言葉に対して抱いた疑問に突っ込まなかった事を、私は深く後悔する事になるのだが、それが分かるのはまだ少し先の話。
【side ガルシャ】
(くくく。面白い。実に面白い!)
レイチェル嬢を帰した後、自室で俺は顔がにやけるのを止める事が出来ずにいた。
(父に子供の相手をするように言われた時は面倒に思ったけど……、いやはや。分からないものだな。まさかこんな話だったとは)
貴族同士の繋がりから、断りにくい相手から頼まれた今回の面会。父としては、『自分で応対するのは面倒だけど、ちゃんと応対したという形は残したい』という思いで、俺に応対を任せたのだろうが、俺にとって最高の結果になったようだ。
(さて、どうするか)
今後の事を想像して、俺は一人、笑みを浮かべるのであった。