起 表
コロナ、全快しました!!
ようやくです。めっちゃ辛かった……。全快記念の1作です。どうぞ、お楽しみください。
【side リーシャ】
「何を……何をしているのですか?」
妹が『卒業式につけて行きたい』と言っていた、買ったばかりのアクセサリーの袋を握りしめながら、私は寝室の前で立ち尽くした。目の前の信じられない光景に眩暈を覚えて、その場に座り込んでしまう。貴族家当主としてありえない行為だが、それも仕方がないだろう。
「リーシャ!!?? え? どういうことだ!? リーシャが2人」
「あー、お姉ちゃん、おかえりー。早かったね」
寝室では、私の婚約者のデニールが、前髪を下ろした私の妹のレイチェルを後ろから抱きしめようとしていたのだから。レイチェルは下着姿であったが、デニールは完全に産まれたままの姿で。
自分の頭の中をすっきりさせるためにも、現状について思い返していこうと思う。私の名前はリーシャ=ルージェル。幼いながらもルージェル子爵家の当主を務めている。
私は早くに両親を亡くしてしまったため、幼少の時にルージェル子爵家の当主となった。このような場合、新しい当主に領を運営していくだけの知識が無ければ、親族などから当主代理を立てる事もあるのだが、幸いなことに、私は読書が好きだったため、領の運営に必要な知識はすでに身に着けている。周囲の人間が協力的だったことや、運も味方してくれた事もあり、貴族学校に入学する前の身ではあるものの、親族に迷惑をかけることなく、何とか領を運営していけた。
遠縁の親族を除けば、唯一の肉親は、1歳年下の妹のレイチェル。年が近い私とレイチェルは、顔つきがとてもよく似ている。普段は前髪を左に分けているレイチェルが前髪を下ろすと、自分でも、まるで鏡を見ているかのような錯覚に陥らされるくらいそっくりだ。
それを利用して、レイチェルは様々ないたずらをしてきた。それに私が気付いたのは貴族学校に入学してからだ。
学生時代、子爵家当主を務めていた私は、多くの男性からアプローチを受けた。婿入りしたい貴族の次男三男から、『結婚を前提に付き合って欲しい』というお手紙を貰う事もしばしばあった。
そういった時、レイチェルは前髪を下ろして、相手の男性にお断りをしに行くのだ。断る事については、文句はない。当時の私は、子爵家の運営のために学ばなければならない事がまだまだたくさんあり、とても恋愛にかまけている暇が無かったのだから。しかし、断り文句については考えて欲しかった。
曰く『え、私と付き合いたい? あの、失礼ですが鏡をご覧になった事はありますか?』とか、『ごめんなさい。私、将来の旦那様は人間が良くて……いくら人語を話せるからと言って、熊さんと結婚は出来ませんわ』とか、交際を申し込んできた相手の心を抉る容赦ない言葉でバッサリと切り捨てたそうだ。
普段の私が、まじめな令嬢で通っているため、私に扮して発せられたレイチェルの言葉の切れ味は半端ではない。断られた男性達の中には、トラウマになった者も少なくないという。
ちなみに、なぜそんな事をするのか、レイチェルに聞いたのだが、『あの人達には、お義兄ちゃんになって欲しくなかったから』との事だ。断るだけなら、他に言い様があっただろうが、レイチェル的には『バッサリ切った方が後腐れなくていいでしょ?』という事らしい。
そんなことが続いたため、2年目の終わりには、私に言い寄って来る男性はいなくなった。そのおかげで、3年目からは勉強に集中できたのだが、その反面、卒業後もなかなか婚約者が出来なかった。皆、過去に私が言った断り文句を聞いて、しり込みしてしまったらしい。慎ましやかな女性が好まれる貴族の風潮上、それも仕方ない事だろう。
そんな中、母方の親戚の紹介でようやく見つけた婚約者が、グランツ伯爵家三男のデニール=グランツだった。貴族の義務として、夫となる者を迎え入れ、子をなす必要がある私は、レイチェルに内緒で、デニールとの婚約をすすめ、来月には結婚する予定……だったのだが……。
物語は冒頭に戻る。
とりあえず、レイチェルとデニールに服を着るように促して、私は客間で待った。客間には私が心から信頼している執事とメイドのみを配置して、他の者は近づかないように言ってある。これからの話をなるべく広めないようにするための、私からの最低限の配慮だ。
少しすると、慌てた様子のデニールとのほほんとしたレイチェルが客間に入って来た。ちゃんと服を着ている事に安心していると、デニールが私に向かって話し始める。
「リーシャ! 誤解だ! 俺は!」
「貴方は黙っていてください、デニール。あとで話を聞きますから」
「――っ!」
私は言葉に圧力を込めて、デニールを黙らせた。デニールにも聞きたい事はあったが、先にレイチェルを問い詰める。
「レイチェル。どういう事か説明しなさい。彼が私の婚約者だと知っていて、こんな事をしたの?」
「えー、デニールさんってお姉ちゃんの婚約者だったの? 私だけを愛してくれるって言ったのにー」
「っな! それはお前がリーシャだと思ったから!」
「――黙りなさい!」
言い訳を始めるデニールを一喝して黙らせる。
「レイチェル。何があったのか、全部話して」
「んー? 私はただ、学校がお休みに入ったから家に帰って来ただけだよー。そしたら、デニールさんが訪ねてきて。なんか部屋に入りたがってたから案内してあげたんだー」
「………………それで? なんで、寝室で、あんな格好で抱き合ってたの?」
「えっとぉ。なんかデニールさんが、家に私とデニールさんしかいないって知ったら寝室に行きたがってたから案内してあげただけだよ? 上着は寝室が暑かったから脱いだのー。そしたらデニールさんも服を脱ぎだして、『ようやくその気になってくれたのか!』とか、『ちゃんと君だけを愛するから』とか言って抱きついて来たんだよ。私、びっくりしちゃって……どうしようかなぁって考えてたところにお姉ちゃんが帰って来たんだ」
(危機感が足りなすぎでしょ!)
我が妹ながら男性の前で下着姿になるとか何を考えているのだろうか。あんな姿、貴族の女性が異性に見せて良い姿ではない。今思えば、あの姿は、嫁に出せなくなる、ぎりぎり一歩手前の姿ではあったものの、それでも、私が帰って来るのがもう少し遅ければ、大変な事になっていたかもしれない。
「はぁ……状況は分かりました。デニール。次は、貴方の番です」
「り、リーシャ。俺は……」
「まずは質問に答えてください。デニール。私と貴方は婚約しています。いずれはそういう事もするでしょう。そして、私とレイチェルを間違えてしまったというのも理解できます。ですが、『婚前交渉はしない』と、私、はっきり言いましたよね?」
「うぅ……」
そう。実は何度かデニールから『そういう事』に誘われていたが、私は『婚前交渉はしない』ときっぱりと断っていたのだ。
というのも、貴族として『婚前交渉はしない』というのは一般常識だ。婚前交渉したければ、平民と結婚すればいい。実際、そうして貴族籍を抜ける者もいる。
『どの道結婚したらするのだから、それに、なんの意味があるのか』と言われると、答えるのは難しい。しかし、貴族は慣習を大事にする。そういう生き物なのだ。
「未遂とはいえ、これは見過ごす事は出来ません。お義父様にご報告させて頂きます」
「そ、そんな……」
私の言葉に、デニールは崩れ落ちた。今回の事がデニールの父であるグランツ伯爵に知られれば、貴族籍を抜かれると分かっているのだろう。それがわかっていて自制が出来ない者を、夫に迎える気は、私にはなかった。
「身内の恥をさらすわけにはいかないので、婚約は破棄ではなく、解消する事になるでしょう。詳細は明日の朝一でお義父様にご連絡するつもりです。ですが、デニールに……いえ、デニール様に貴族として最後の矜持があるのでしたら、その前にご自身でお義父様に報告する事をお勧めします」
「ぐぅ……」
本当は今すぐ馬車を走らせてグランツ伯爵に報告に行くべきだろう。しかし、今回の件を私からグランツ伯爵に報告するのと、デニール様から報告するのでは、グランツ伯爵の心証は大分変って来るだろう。
1日の猶予。それが、婚約していた男に向ける最後の情けだった。
「一応、最後に聞いてあげます。何か言いたいことはありますか?」
「り、リーシャ。俺は……俺は君を本気で――!」
「本気で『愛していた』とおっしゃるなら、結婚までのわずかな間くらい、自制して頂きたかったですね。その程度の事すら出来ない思いが貴方の本気なのでしたら、貴方にルージェル子爵家の当主になる資格も、私の夫になる資格もありません」
「うぐ……」
本気なのだとしたらなお、手に負えない。彼は本気でもその程度の事すら自制すらできない男だという事なのだから。万が一、結婚前に子供が出来てしまったら? 万が一、その情報が他家に知られてしまったら? ルージェル家の評判が地に落ちるのは明白である。その程度のリスク管理も出来ない者に領主になる資格などない。
「………………他に言いたいことはないようですね。では、お引き取り下さい」
「ま、待ってくれ。リーシャ、頼む。どうか――」
「トール。サリア。お客様がお帰りです。玄関まで連れて行って差し上げて」
「「はっ。かしこまりました。お嬢様」」
私の合図で、それまで壁で控えていた執事とメイドがデニール様の両脇に着く。
「さぁ、デニール様。玄関までお見送りいたします」
「どうぞ、こちらへ」
「ちょっ! 待っ!」
『お見送り』と言いつつ、トールは強引にデニール様を立たせて、客間から連れ出した。トールなら私の意思を正しく理解して、デニール様を玄関の外まで連れ出した後、しっかりと扉を閉めてくれるだろう。通常であれば、執事が伯爵家の子息にこのような事をするのはマナー違反だが、子爵家当主である私が『連れて行け』と言っている以上、特に問題はない。
残る問題は……。
「……レイチェル。なぜ、こんなことをしたの?」
「えー? こんなことって?」
「とぼけないで。貴女、狙ってやったのよね?」
「ふふふ。なんのことかなぁー?」
今まで私に交際を申し込んできた男達をバッサリと切り捨ててきたレイチェル。今回はそうならないよう、レイチェルに内緒で婚約を結んだのに、無駄になってしまった。
「はぁ……ねぇ、何がそんなに気に入らないの? 私が結婚しなきゃ、この家は……」
「えー? でもぉ、お姉ちゃんが当主になって、ルージェル子爵領は豊かになったよ? このままお姉ちゃんが当主でいいんじゃない? 女当主って他にもいるじゃん。それとも、お姉ちゃん、結婚したいの?」
「したい、したくない、の問題じゃないのよ。他の女領主の方々は、皆、未亡人の方々でしょ? 未婚のまま当主を務めた、なんて者は過去にいないわ。男性、女性問わず、ね」
未婚であればそれだけで、『訳ありの人間』とみなされてしまう。それは当主として許されない。
「そんなのお姉ちゃんは気にしなくていいと思うけどなぁ」
「……そんなわけにいかないでしょ」
相変わらず、この妹は慣習とか風潮といったものを軽んじる。貴族社会で生きる以上、それらは無視出来ないものだというのに。
「はぁ……。とにかく、今回の件は、デニール様の不祥事にもなるため、グランツ伯爵も大事にはしないでしょう。ですが、婚約解消となった以上、ルージェル子爵家の面目を保つためにも、早急に新しい婚約者を探す必要があります。グランツ伯爵に何かしらのツテがあればよいのですが……」
今回の婚約解消の原因は、デニール様とレイチェル、つまり、グランツ伯爵家とルージェル子爵家双方にある。ゆえに、慰謝料や謝罪金などのやり取りは発生しないのだが、グランツ伯爵に代わりの婚約者を見繕って頂くくらいなら、許されるだろう。
「明日、朝一でグランツ伯爵に会いに行きます。レイチェル。貴女も来なさい」
「……え? 私も?」
なぜかレイチェルはきょとんと驚いた顔をしている。
「今回の原因の半分は貴女にあるのだから。当然でしょ?」
「え……あ、うん、そっか……でも……」
「来なさい。いいわね?」
「う……はい」
なぜか渋る妹を訝しく思いつつも、私は明日の訪問に向けて準備を始めた。