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八日目の蝉は言う

作者: 鞠目

 八日目の蝉。

 蝉の雄は成虫になると約七日の命と言われている。七日と聞くと短命に感じるが、七日以上生きる蝉もいる。あくまでも七日というのは平均的な話だからだ。

 おれが蝉の雄の寿命を知ったのは五才の頃だ。五才の夏、蝉が教えてくれた。「自分は八日目を迎えた蝉だ」とおれの左腕に捕まり自己紹介がてら得意げに言った。

「自分は七日の壁を越えた存在なのだ」

 五才のおれは素直にすごいと驚いた。しかし、毎年同じ自慢話を聞いているうちに反応が鈍くなったのは言うまでもない。もちろん異なる蝉ではあるのだが、八日目の蝉は毎年同じ自慢をしてきた。どうやら八日目の蝉の習性のようだ。


 八日目の蝉は言う。「お前は特別な人間だ」と。

 おれは五才の時に初めて言われたと思っているが、記憶があるのが五才からなので実際はそれよりも前かもしれない。五才から十七才の夏まで毎年欠かさず一匹の雄の蝉がおれの左腕に止まった。二匹目が止まることはない。

 八日目の蝉は言う。今年の夏はいつまで暑い、今年はいつ頃から寒くなる。二丁目のたばこ屋のばあさんはあと三ヶ月の命だ、お隣の若夫婦が子どもを授かる。冬に流行病がくるだろう、今年は米が豊作だろう。

 気候の話から人の生死、蝉はおれの左腕に止まっていろんな先の話をする。そして蝉の言うことはいつも当たった。だけど山の中の田舎町に住む子供になにができる? 蝉の声が聞こえると言って信じる人がどこにいる? 暑さで頭がおかしくなったと言われるに決まっている。

 幼い頃は親や祖父母に蝉のことを言っていた。父も母も最初は真剣に聞いてくれたが、おれが小学二年生になった時「変なことを言って大人を困らせるのはやめなさい」と怒られた。親ですら信じてくれないと知り、おれは聞いたことを誰にも話さなくなった。

 蝉と会話することはできない。蝉は一方的におれに話し続け、最後に「お前は特別な人間だ」と言うと飛び立つ。そしてわずかな距離を飛んでから落ちる。そして逝く。

 なぜ逝く直前に話に来るのか、おれがなぜ蝉の声が聞こえるのかはわからない。わからないけれどおそらく理由があるとするならおれが特別な人間ということだろう。それ以上もそれ以下もない。


 八日目の蝉は言う。「今すぐこの町を捨てて逃げろ」と。

 十八才の夏、初めて蝉が警告してきた。蝉に命令口調で何か言われるなんて今まで一度もなかったのに。戸惑うおれを無視して、蝉はおれにまくしたてる。

「早く逃げろ」

「奴らがやってきた」

「早く逃げろ」

「お前は特別な人間だ」

「早く逃げろ」

「死なす訳にはいかぬ」

 何が起こっているのか分からず、おれは左腕の蝉をただただ呆然と見ていた。朝七時、ランニングをしていたおれは町外れの国道のそばまできていた。そろそろ帰ろうかと思った時、突然蝉が飛んできたのだ。

 おれ一人逃げる訳にはいかない。この町には家族や友達がいるんだ。しかし親や友達にどう説明したらいいか分からない。それに逃げろと言われてもどこに行けばいいのだろう。

「どうすればいい?」

 会話なんて成り立たないとわかりつつも蝉におれは聞いた。

「早く山を降りろ」

「降りれば何とかなる」

「今すぐ山を降りろ」

「降りなければ手遅れになる」

「お前一人で山を降りろ」

「もう誰も助からない」

 蝉が返事をした。蝉と会話ができたのも初めてでおれはさらに驚いていた。一体何が起きている? おれは首を傾げた。こんなにいい天気だというのに一体何が起こると言うのだろう。もしかして地震のような災害だろうか?

 蝉を見つめて考えていると突然あたりが暗くなった。雲一つなかったはずなのにあたり一面日陰になった。


 八日目の蝉が言う。「ああ、奴らがきた」と泣き叫ぶ。

 奴らとは誰だと聞くとあれだと言った。あれだと言われてもどれだと思い、あたりを見渡し気がついた。陽の光を遮るほど大きな一つ目の大入道が、太陽を背に立っていた。

「奴らは突然現れる」

「存在は人知を超える」

「奴らは突然現れる」

「千年前もそうだった」

「奴らは突然現れる」

「あの時この地は地獄となった」

 蝉が泣き叫ぶ。おれの左腕にかぼそい足を食い込ませて、それはもう大きな声で泣き叫ぶ。うるさいと思ったが、おれは突如現れた一つ目の巨人を見て動けなくなっていた。ああ、おれの町はこの巨人に滅ぼされるのか、そう思った時、とてつもない雄叫びが町に響いた。

 獣のような雄叫びは神社がある山の方角から聞こえた。おれがじっと山を見つめているとぐらり山が揺れ動き、巨人と同じぐらいの大きく黒い熊が山の中からのそりと現れた。

「熊神が出た」

「逃げるなら今しかない」

「熊神が出た」

「千年前熊神が奴らを打ち倒した」

「熊神が出た」

「しかし信仰心が薄れた今、熊神にかつてほどの力はない」

 蝉が弱々しく鳴く。確かにあの神社では熊の神様を奉っていたが、住人の関心は年々薄れていた。しかしあの山にまさかこんな存在がいたとは思わなかった。熊神と言われた熊は巨人に襲い掛かかる。そして特撮映画のような戦闘が繰り広げられた。

「なにこれ!?」

「すごいことになってる!」

「映画の撮影? 特殊効果か?」

 巨人と熊の戦闘による地響きで町の住人が異変に気づき家から出てきて空を見上げているのが見える。戦闘場所から離れている人にはまだ余裕がありそうだが、多くの家や田畑が踏み潰されその度に多くの悲鳴があがる。


 八日目の蝉が言う。「逃げるには今しかない。早く走れ」とおれに懇願する。

 熊神が一つ目の巨人を殴り倒し、頭を潰してとどめを刺した。その途端、蝉が大きな声で「早く早く」と鳴く。もう大丈夫だろうとおれが言うと、蝉はさらに声を大きくする。

「人の子は哀れなり」

「まだ何も終わっていない」

「人の子は哀れなり」

「奴らはたくさんいるというのに」

「人の子は哀れなり」

「熊神にもう奴らを退ける力はない」

 蝉が言い終えるかどうかのタイミングで空から強烈な圧を感じた。驚きすぐに見上げると町を囲むかのように巨人が何人も空から地上を見下ろしていた。

「熊神は神様なんだろ? 何とかしてくれないのか?」

 おれは右手で蝉を掴み、左腕から引きはがすと大声で聞いた。聞いたがおれにも答えはわかっていた。熊神がたくさんの巨人に打ち勝つ光景がおれには想像できなかった。

「人の子は愚かなり」

「困った時だけ神を頼る」

「人の子は愚かなり」

「すぐに現実から目を背ける」

「人の子は愚かなり」

「背けたとて現実は変わらぬと知っているのに」

 おれはじりじりと距離を詰められ囲まれていく熊神を見ていた。見るしかできなかった。でも見ていられなくなって目を逸らすと、おれ以外にも同じように訳もわからず空を見上げる人々の姿が見えた。人々からは絶望の色が見えた。


「走れ人の子! お前は特別な人間だ。ここで死んではいけない!」


 右手の中の蝉がとてつもない大きな声で叫んだ。それと同時に熊神が咆哮をあげ、一番近くにいた巨人へ襲いかかった。その後のことはよく覚えていない。気がつけばおれは国道を走っていた。無我夢中で走り続け、街にたどり着いた時には日が沈んでいた。


 あれから数十年が経った。十八才の夏、親戚の家に転がり込んだおれは何とか大人になった。故郷の町は跡形もなく消え、地図からも消えた。

 おれが生まれた田舎町は最初からそんな場所なんてなかったことになっていた。そしてそこにいた人の存在もかき消されていた。本来ならあり得ないことである。

 おれの出身地であり家族がいた町は山になっていて、おれはいつの間にか親戚の家の子になっていた。おかしなことだらけなのに、なぜか誰も不思議に思うこともなく社会は回っている。

 歳をとるに連れておれは本当の親や友達、町にいた人たちの顔がぼやけていった。そしてついには町があった場所すらも思い出せなくなった。

 今でも夏になると左腕に八日目の蝉が止まる。今のところあれから蝉が警告することはない。会話をすることもできず一方的に話すだけ。あの夏は異常事態だったようだ。


 八日目の蝉が止まる時、毎年おれは故郷を思い出す。存在を消された生まれ故郷を。もう二度と戻れない、薄ぼけた記憶しか残っていないおれの故郷を。


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[良い点] タイトルから全然想像出来ない結果! 故郷を滅ぼした巨人たちは山の下にはこない? 問題を残したまま……、怖いですね。
[良い点] ∀・)圧巻されました。奇妙なことの連鎖ですが、それがどんどんスケールアップしていく感じ。さすがさすがの手腕です。そこまであれこれ考えずに書かれた作品と思いますが、傑作でありました。 [気に…
[良い点] セミがあの管楽器みたいな大声で騒がしく喋ってるのが、確かに聞こえました(*´艸`*)
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