07.セリーヌ・小さな告白
「あの、先日お尋ねになられた件ですが」
ソレイヤと初めてティハウスに行った日。セリーヌは自分のせいで最後の方はあまり楽しい時間にならないで終わったことを気にしていた。
だからせっかく聞いてくれたのだからとある日、意を決してソレイヤにここに来るきっかけみたいなものを話してみることにした。鼻で笑われて終わりかもしれないけど。
「話す気になったのか?無理しなくてもいいんだぞ」
「はい、でもあまり面白い話でもございませんし、人からしたら取るに足らないきっかけなのだと思います」
一応断りは入れておいた、つまらない話ですよ、と。
「でも、お前にとっては巣穴から飛び出すほどのことだったのだろう」
「そう、ですね」
そしてぽつりぽつりと話し始めた。
ある日のことだった――――
いつものように王都の邸宅で過ごしていたセリーヌに王城から遣いの者が来た。なんでも父であるグルードに必要な資料があるから持ってきて欲しいらしい。それはレズバス家のものなのでセリーヌ本人に届けに来るよう言付かった。別に珍しいことではない。魔術師の記録などはあまり他家の者に触らせたくないのはもっともなことだった。
父親であるグルードは魔術師団総司令官であるとともに、国防官統括という立場であるので魔術師棟だけではなく王城にも部屋をもらっていて最近ではそこに詰めていることが多い。何度か行ったことがあるのでお遣いはなんの問題もなく終わった。
しかし帰ろうと思ったそこへ王太子殿下がひょっこり現れたのだ。王太子と言ってもグルードと同じほどの年齢でその子供たちはセリーヌより年嵩だ。すでに政のほとんどを担っている。
「おお、セリーヌ嬢、久しいな」
「はい、ご無沙汰いたしております、王太子殿下」
薄い茶色に光る髪に空のような青い目はこの王族特有のもので生まれた時から次代の王として生きてきた男だった。だからこの男の言葉はグルードにもよく響く。
「それにしても王都におると聞いているが夜会などまるで姿を現さぬようだ、グルードお前いくらなんでも箱にしまい過ぎではないか?亡き奥方に似て美しいのにもったいない」
「畏れ多くも殿下、娘は体が丈夫でないゆえご容赦いただければと」
グルードが恭しく頭を下げるも王太子殿下の小言は収まらない。
「別に夜会に出て踊れと言ってはおらんさ、もっと気軽なものもあるだろう。年頃の娘が出会いすらないのはちと哀れだぞ。セリーヌ嬢もそうは思わんか?」
「わ、私は」
セリーヌも突然自分に振られて慌てた。
「おぬしも、自分で考えて思うところをきちんと申せ。貴女が望めばこやつも否とは申すまい、なあグルード」
「仰せのままに」
「まあいい、それよりライカの育てたバラが見ごろだぞ。見て帰るが良い」
「はい、ありがとうございます」
ようやく解放されて、帰り際王太子が誘った通りセリーヌはバラ園に足を運んだ。
確かに、薔薇好きの王太子妃が力を入れているだけあって、大輪の色とりどりのバラが咲き誇り見応えがあると同行した侍女とはしゃぎながら帰る途中、どうせならバラ園から近い騎士団の鍛錬場をこっそり覗こうか、と遠回りを思いついた。先程の殿下の話にもあった通り、セリーヌ自身少し篭りすぎだとの自覚もあったし、家に帰ってしまうと先ほどの王太子の言葉を反芻しそうで憂鬱だったのだ。
二番目の兄、ランスシード・レズバスは魔術師でありながら騎士たちに混ざって剣技を磨く変わり者だ。セリーヌとは8歳も離れていて、今年26になるが未だ独り身で本人も気楽だと笑っている。母親似のセリーヌに対し、ランスシードは父親によく似た赤毛にエメラルドのような澄んだ緑の瞳をした美丈夫で剣も扱うため家族の中では一番体格がいい。
彼曰く、
魔術師一家のレズバス家は騎士たちから軟弱日陰草と囁かれていることが気に入らないらしい。レズバス家は他よりも魔術師の割合が多いので男女問わず線の細い人間の割合が多いのだ。魔術師は高給取りなので騎士たちのひがみが多分に入っているため魔術師たる者誰も相手にしないが、ランスシードだけは何故か対抗意識を燃やした。
最近魔物討伐に出かけるという話は聞いていない。きっと今日も騎士に混ざって剣を振っていることだろう。
鍛錬場の見学場所に来れば剣が交わる独特の金属音が響き、周りからは声援が聞こえてくる。日常にはない音にセリーヌはちょっと驚いていた。
「急な思い付きで何も差し入れはもっていないから遠くからひっそりね」
侍女にそう言って見学場所の一番後ろから帽子を被りそっと見ていた。差し入れの件ももちろんだが、やはり、いつにない大きな音にちょっとびっくりしてどうしても遠くに位置をとってしまったのだ。
騎士の鍛錬場は若いご令嬢には人気のスポットらしい。あちらこちらに何人かのグループで座っていてなかなかの盛況ぶりだった。セリーヌのすぐ前にも三人組のご令嬢がオペラグラスで御目当ての騎士を見つけて大騒ぎしている。
「やっぱりレイモンド様素敵。次期副隊長ですって」
「まあ、ハウザル様も素敵よ。もうひとりで何人相手にしているのかしら」
「やだ、最近はランスシード様よ。魔術師でありながら剣まで使いこなすなんて、素晴らしいわ」
(あら、ランスお兄様に素敵な恋人ができるのももうすぐなのかもね)
思いがけず自分の兄の名が出たことは嬉しかった。
しかし三人の会話は思いがけない方向へと進む。
「でもレズバス家にはあのわがままな妹がいるのではなくて?私と同い年なのに結局学園も辞退したそうですし、病気を盾に好き放題してるような妹なんて、ねぇ」
「そうね、ランスシード様も妹には甘いようだし、せっかくの忠言を逆にいじめと責められたりしたらかわないわ、私、マナーのなっていない身内など耐えられそうにありませんもの」
「ごもっともね、婿入りしようが義妹には変わりありませんものね」
通常、魔力のない貴族の令息令嬢は16歳から18歳までの3年間王都の貴族学園で学び、互いの親交を深めるのが慣わしだ。地方の子爵男爵ならともかく、伯爵位以上の貴族はそのほとんどが通うことになる。
驚いた。
確かに学園には通ってはいないし、大きな社交の場に出ることもない。彼女たちからしたらマナー知らずなのかもしれない。ずっと篭って好き放題していないかと言われれば否定もできない。
それがまさか兄の結婚にまで影響しているなんて。
あまりにもショックだった。殿下の言葉、ご令嬢たちの噂話、そのあとセリーヌはどうやって家に戻ったかの記憶もなく、気が付いたらベッドで3日間も寝込む羽目となっていた。こんなに寝込んだのは数年ぶりでそのことがさらにショックだった。
その日聞いた言葉がぐるぐる頭の中を駆け巡りしばらくは落ち込んでいたのだ。だから考えた、何をすべきかと。今更数ヶ月学園に行ったところで針のむしろだろう。おそらく体調を崩してまともに通えない。だったらどうすれば良いか?
セリーヌは一番の原因である魔力が使えないことをどうにかしたい、そう思うに至ったのだ。