05.セリーヌ・新しい日常
もうすぐ昼の鐘が鳴る。
それぐらいの時間に魔導書室のドアをノックする。返事は何時もない。でもノブを回すと鍵はすでに開いていてテーブルにはユーハバック魔導師がすでに今日読む本を積んで待っていた。
「やあ、ノーザランド公爵家ご令嬢殿」
「ごきげんよう、ユーハバック魔導師さま」
セリーヌが先に来る時もある。それでも間も無くして彼も現れるから毎日顔を合わせている。こうして始まることがセリーヌの日常となってきていた。休日も平日もなく、同じ時間にここにやって来ては魔導書を読み更ける日々だ。
毎日読んでいる割にはあまり進まない。古代魔導書には5種類あって、それは魔術の元祖となった5系統ごとに大事なことが暗号のように書かれているせいだ。それでも各系統で解読され翻訳されている部分もあり公開されているのでそれと照らし合わせながら読み進めているところだった。
この日はいつもと違った。
ユーハバック魔導師があまり根を詰めるのもよくないとセリーヌをお茶に誘ってくれたのだ。そうはいっても彼自身もあまりこの近辺に詳しくないらしい。そこで二人で図書館の職員に聞いてみた。
「それでしたら私どもがよくいくティハウスがよろしいかと。歩いて5分ほどのところです。2階建てで上のテラス席ですと街並みを一望できて圧巻ですよ」
二人でゆっくりと歩いていくと5分以上かかってやっとその建物らしきものを見つけた。座ってばかりの体にはよい運動になるくらいの距離だっただろう。教えてもらったティハウスは大通りから少し外れたところにあって静かな佇まいをしている。お薦め通りに二階のテラス席へ案内してもらうとセリーヌは感嘆の声を上げた。
「すごい、街が本当に見渡せるわ」
「確かになかなかない景色だな」
ちょっと上り坂がきつい散歩道だったけれどきた甲斐があったと言うものだ。緑の豊かな貴族街からだんだんと建物が密集する平民街へと続く街並みはこの街ならではのものだ。もちろん王城はさらに高台にあるので見下ろすことはできない。
二人でしばらく景色を楽しんでいると店の者がオーダーを聞きに来る。
二人ともこういうところは馴染みではないので素直に店の人間におすすめを聞いてそれをもらうことにした。
セリーヌが思う以上にユーハバック魔導師は素直な性格で知らないことは知らないと言える人間だった。見栄を張らないところが逆に好印象だ。
ケーキを選んでそれに合う紅茶をもらう。ユーハバック魔導師は意外にも甘いものが好きなようでカスタードクリームパイを、セリーヌは季節の果物を使ったタルトをもらうことにした。
「それにしても知識では景観を保つために屋根や外壁の色や素材に制約があるとは知っていましたが、こうやって上から見ると素晴らしいですね」
「そうだな、色の調和がいいな」
場所によって屋根の色や外壁の石が指定されていてそれが移り変わる様子が面白い。
「いつも住んでいる場所なのに、違うものに見えます」
図書館から出て5分ほど歩いただけなのに、今日はたくさんの発見をして得した気分になる。
目の前に運ばれてくる甘味も、普段邸で出されることもあるイチジクのタルトなのに、作った人が違うとこうも変わるものかと感心した。おそらく隠し味か何かが違うのだろう。紅茶も後味をすっきりさせるために何か香辛料が入っているようだ。さすが専門店だと納得した。
セリーヌはこうして外の店で食事をすることはほとんどない。たまに城へお遣いがあると、その帰りに何かを買って帰るくらいだ。侍女が連れて行く店など決まっていて同じところになってしまう。それでもそんな日は特別だったくらいだ。
(今日は何もかも特別な日ね)
「そんなにそのタルトがおいしいのか?」
「え?」
「いや、さっきからこぼれそうな笑顔だから、そう思ったんだ」
そんなに笑っているのだろうか?なんか随分と意地汚い娘に思われてしまったのかもしれない。セリーヌは心配になる。
「お行儀が悪かったでしょうか?すみません」
思わずフォークを皿に置いてしゅんとなったセリーヌに慌てたようにユーハバック魔導師が続けた。
「いや、行儀どうこうは俺の方が問題ありだろう。ただレズバスの家ならばもっといいものを食べているのかと思っただけだ」
そうは言うが彼だってゆっくりと綺麗に食べる人だ。マナーは一緒に食べる相手に不快な思いをさせなければ問題ない。別に貴婦人のお茶会ではないのだから。
「えっと、違うところで食べるとまた違った発見があってうれしくなったのです」
「そうか。まあ、外で食べるだけでも違うものだな」
確かに、外の空気に触れて食べるとまたちょっと違う。セリーヌも気分の良い時は庭でお茶を飲んだりするからわかる。それにこの景色だ。美味しくないわけはない。それに、それに‥。
「ノーザランド公爵ご令嬢殿でもこういうところにはくるのか?」
「いいえ、あまり外に出歩く機会がありませんので。あの…よろしければセリーヌとお呼びください。ユーハバック魔導師さまは公爵さまですよ」
「俺はそんなたいそうなものじゃない。にわか公爵だからな。でもそういうなら俺のこともソレイヤと呼べばいい」
「それこそ恐れ多いです。魔導師さまはその…国の英雄さまですから」
「やったことはお前の兄たちと大して変わらないだろう。お前が呼ばないのなら俺も変えないぞ」
意地悪く笑うユーハバック魔導師…ソレイヤに負けて名前で呼ぶことにする。
「ソレイヤさま」
「“さま”もなくてよいがまあ年上だからな、いいだろう。セリーヌの兄のランスにはソーヤなんて呼ばれているから、それでもいいんだがな」
ソレイヤと兄は仲がよいらしい。そうか、兄からよく聞く同僚の“ソーヤ”はソレイヤだったのだと、セリーヌは合点がいった。
「ソレイヤさまが兄のいう“ソーヤ”さんなら兄に水の魚のヒントをくださったのもソレイヤさまですか?」
「魚…くくっああ、そういえばあいつ妹に見せたいっていっていたな、そうかお前か…」
急にソレイヤが笑い出した。何かを思い出したようだ。
「どうかなさいましたか?」
「あいつ、うまく水の魔術で魚を作っていたな。俺のおかげで」
「あ、はい。私がわがままを言ったばかりに、兄は随分と困っていました。兄は水が一番苦手だと言ってましたから。あの…ソレイヤさまはどんなヒントをくださったのですか?」
「聞きたいか?」
「はい」
「…でもまあ、あいつの名誉のために黙っておこう。成功したところだけ覚えてやってくれ」
「?」
思わずセリーヌは頭をコテリと横に傾ける。教えてくれそうにもないようだ。
どんな面白いことがあったのか興味があったが、兄の名誉を傷つけてまで聞きたくないのでそれ以上は聞かないことにした。あの綺麗な魚を見れたのならそれでよかったのだ。
それにしても…
(ソレイヤさまはこんなにも笑う方だったのね)
いつも眉間に皺を寄せて難しい顔をしているソレイヤが今日は目を細めて頬を上げて笑っていることがなんだかセリーヌもうれしく思えた。
だから自然とセリーヌからも笑みがこぼれる。日常が笑顔で埋められることを素直に喜んだ。