03.セリーヌ・膨らむ期待
「どうした?入りたければついてくればいい」
セリーヌは驚きを隠せない。こんなにも嫌な顔をしているのに、ユーハバック魔導師はいとも簡単にこの宝箱の鍵を投げてよこしたのだから。呆然としていたらいつの間にか魔導書室のドアの前に移動していた彼から声を掛けられた。
「あ、ありがとうございます。決して魔導師様のお邪魔になることは致しません」
「ここの本はこの部屋から持ち出すことはできない。読むならこの部屋だが本当に良いのか?」
「え、はい。十分です。あ、でも魔導師様がお目障りというなら床でも何処でも私は構いませんから!」
「おい、さすがにそれは俺が構う。テーブルはそこそこ広さがあるからきちんと椅子に座って読んでくれ」
「はい、お気遣いありがとうございます」
嫌そうな顔をしている割には親切にしてもらえてほっとする。彼が鍵を回すとカチリと音がしてドアが開いた。
「ではついてこい」
今日は借り受けた鍵ではなくユーハバック魔導師の後ろについて部屋の中へ入って行く。
図書館内も古紙特有の匂いがしたがここはまた独特だった。紙が書物に使われる前は羊皮紙に書かれクルクルと丸めて保存されている。今とは違うインクであった為、図書館内よりさらに複雑な匂いがしていた。
「くくっ、気分が悪いならば諦めることだな」
匂いに面くらっていることをユーハバック魔導師に見透かされ笑われてもセリーヌは諦めるわけにはいかない。
「いえ、大丈夫です」
「ここで倒れられても面倒だから無理はするな」
「ご迷惑はおかけできませんので気を付けます」
倒れたりしたらもう二度と来るなと言われてしまうかもしれない。気持ちは焦るがせっかくここに入る許可をもらえたのだから、体に無理がない程度にしておかないといけない。自分を戒めると、セリーヌはまず、ここにどんな本があるのかを見始めた。
そして分類帳を見つけると目的を果たせそうな棚の資料から読み始めた。貴重な書物である為、ここでのメモは禁止されている。インクなどをこぼした日には図書館出禁とされてしまうかも知れない惨事だからだ。だからできる限り頭に詰め込まなくてはならない。
(やっぱり、色々な系統の古代魔導書がある!これなら時間がかかるけど読めそうだわ)
レズバスの家には基本レズバス系統と呼ばれる魔導書しかない。昔、魔術は魔物に対抗する手段ではなかった。火、水、風、光。全てそのように見えるモノ。火であっても魔術で繰り出した火は人が触っても熱くないし、水のようでも濡れはしない。
幻想術
そう呼ばれた技は当初一部の人間が使える大道芸として広まった。レズバス家も元は芸能の家系であり、今魔術師界を牛耳っている4系統(もうひとつあったが対魔物としての魔術になる時に4つに統合されてしまった)全て元々は芸能一族である。それが魔物の存在が大きくなるにつれて唯一の対抗手段だと知れた。神が与え給えし力として現在に至る。だから実は古の魔導書とは5系統ごとに暗号のような文字で書かれた“ネタ帳“なのだ。系統ごとに違う言語なのはネタバレを防ぐためと言う、今となってはなんとも迷惑な理由となっている。
だから今時の魔術師は苦労して古代魔術語を読み解こうとはしないし、その内容に興味を抱かない。一部の有益そうな内容はすでに翻訳されて現代語訳されているのだから今さらここに来て読もうと言う者はかなりの変わり者である。ただし、様々な種類の魔術を組み合わせて使うという技術においては、昔の人たちの方が上手だ。今は、どちらかというと、強く激しい技を求められる。当たり前だ。人を楽しませるためではなく、武器として使うのならば当然の進化なのだ。しかし、セリーヌは古人の繊細な魔術操作にこそ興味があった。自分の中に居座って出てこようとしない魔力をどう刺激したらよいかは、出力よりも、その魔力の練り方にあるのではないかと思うのだ。
「おい、ノーザランド公爵ご令嬢」
「あ、はい」
「そろそろ閉館時間だが…明日も来るのか?」
もうそんな時間とは気が付かなかった。どんな本があるのか、それを確かめていただけなのにそれなりの時間が経ったらしい。気がついたらこの部屋の独特な空気すら気にならなくなっていた。
「はい。できればそうしたいと思います。鍵も預かりましたし明日は一人でも大丈夫です」
「いや、それはこちらが困る。今この部屋の責任者は俺だからな。何かあっても迷惑だ」
信用されていないことに傷ついたが仕方がない。二人は出会ってまだ数刻なのだから。信頼はこれから勝ち取るしかないのだと、セリーヌは理解した。
「それでしたら、魔導師様のご都合の良い日に参ります。ひと月先でも構いません」
ここに通えるだけでも奇跡だ。ひとつずつ信頼を重ねてこの手の中にある鍵を使える日が来ることを期待しよう、そうセリーヌは思った。だが、返ってきたのは予想にないくらいの嬉しい言葉だった。
「俺も隠居しているようなもので、どうせ家にいても本を読むくらいしかない。どこで読んでも同じだ。で、明日来るのなら何時ころなのだ?」
毎日来れることにセリーヌは心躍る。正直、今読みかけの書物をひと月も放っておいたらまた随分と読み返さないといけなくなるだろうから。時間があると言っても正直間が開けば気になって仕方がないだろう。
「えっと。今日は昼食を早めにとってお昼過ぎにはここに来ておりました」
「ならば昼の鐘が鳴るころにはここに来てるとしよう」
「よろしいのですか?」
「何がだ?」
「その…魔導師様の大切なお時間をいただいてしまって」
「大切な時間…か。どう使おうがこの先何も変わらないだろう。それにお前がどんな風に古代魔導書を読み解くのか興味がある」
何かものすごく期待されているようで心苦しい。セリーヌは大したことをしようとしているのではない。ただ、自分の魔力を動かして外に出してみたいだけだ。それなのに、この国の英雄というべき人物を自分のために付き合わせることになってしまった。それにセリーヌが何かを読み解くと思っているみたいだ。彼女自身、古代魔術を研究しようなんて大それたことは思っていないのだ。
(なんかとっても大事になりつつある…)
それでも、今読みかけの古代魔導書は読んでみたいし、ほかにもたくさんの魔導書がある。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
「ならば、また明日に」
そう言われたので持ち出した書物を棚に返そうとした。すると、
「明日もくるのだろう。ならば出しっぱなしで構わない。俺もそうする。どうせここにはお前と俺以外誰も入れないのだからな」
散らかす癖のないセリーヌはなんだか悪いことをしている気分になったが、ちょっとした秘密をこの部屋に隠しているような感じで楽しい。明日もまた、今日の続きからできることに感謝した。
気が付くとユーハバック魔導師がドアを開いて退室を促していたのだった。眉間の皺は消えていないが、初めて会った時より幾分柔らかい表情に見える。セリーヌも笑顔でお礼を言い、図書館通いを始めて初めて晴やかな気持ちで図書館を後にすることができた。