29.セリーヌとソレイヤ
久しぶりにセリーヌは図書館へと足を運んだ。最後に覚えている場所だったので、来てみたらどう感じるか不安だったが、もしかしたらソレイヤがいるかもしれない、その期待感の方が勝っていた。
そうは期待していても都合よくソレイヤはいないだろうと鍵穴に鍵を差し込んだ後だった。
(あれ?)
鍵を回しても手ごたえがない。つまりはこの扉はすでに解錠済みということだ。
(もしかして!)
期待を込めて扉を開けると…
部屋の中は真っ暗闇だった。もともと採光用の窓すらない部屋だから明かりがなければ何も見えない。侍女に頼んで明かりを用意してもらおうと振り返ろうとして目の端にぽっと何かが映った。
(明かり…でも…)
よく見ると何かが光っている。それはゆらゆらと揺らめいて、でも周りを照らすでもない。
(あれは、魔術の…火?)
そこに気を利かせた侍女が明かりを持ってきてくれた。
それを持って一歩部屋の中に入る。今部屋には怪しい炎が揺らめいているにもかかわらず、セリーヌは不思議と恐怖心はなかった。
「お嬢様…」
「大丈夫よ」
むしろ後ろで控えている護衛や侍女の方が得体のしれない現象に戦いている。
また一歩中に入れば薄明りの中に見知った顔が浮かび上がった。
「驚いては…くれないのだね」
「いえ、驚いていますよ、それよりも…感動しているのかしら」
「それならば成功かな」
そこにいたのはソレイヤだった。
「水しか扱うことができないとお聞きしてましたが…」
「ああ、そうだな。今まではそうだった。さぼっていたつけだなぁ、結構頑張ってみたが今日に間に合ったのがこれくらいだったんだ。もっと格好つけたかったのだけれどね」
そういって笑うソレイヤの顔は見たことのないくらい嬉しそうで、まるで魔術を覚えたての子供のように無邪気だ。
「おまえから大事なものを奪っておいてこれじゃあ…なんともなぁ。そう思ったのだが、やっぱり見てもらいたかったから」
「私も、ソレイヤさまの炎が見れて嬉しいです」
「そうか…、その他にも光とか、風とか…初めてできた幻想術を、そのだな…おまえ…セリーヌに見てもらいたいんだ」
「はい、楽しみにしています」
「そうか、楽しみか…でもおまえの周りには結構な腕前の幻想術師がいるだろう?」
ロックしかり、ランスしかり。グルードですらまだセリーヌが覚えていないころにたくさんの幻想術であやしたものだ。
「ソレイヤさま。私はソレイヤさまの幻想術が見たいのです。同じ花を見ても皆同じ絵を描かないように、同じ幻想術はありません。私はソレイヤさまがその時に見せてくれる幻想術が見たいです。欲を言えば全部…見てみたい」
「それがいつかなんてわからないぞ。ずっとそばにいるつもりか?」
「…それが叶うなら、素敵ですね」
セリーヌの方がよっぽど潔いとソレイヤは思った。
「すまない、セリーヌ。素直じゃなかった。まだ…怖いんだ。おまえが魔力を分けてくれてから、体の中の魔力が少しずつ動くようになった。ここで水を使ったらすべてが終わる。それはわかる。だからほかの魔力を使うように努力しているつもりでも、動く水が体の中にあるだけで、無性に怖くなることがある。頑張っても光より、風より先に水が出ていきそうになるんだ」
水の魔力が体にあると、次第に夢を見るようになる。
それはいくら藻掻いても浮き上がれない暗闇で、できるはずの息の仕方すらわからなくなる。苦しくて喉を搔きむしるように起き上がる。
ああ、確か昔もこうだった。だから率先して前線に行き魔力を発散していたんだった。
だから、みんなが魔術を扱えなくなるソレイヤを憐れむ一方でソレイヤ自身はどこかほっとしていたのだ、これで苦しみから解放される…と。
「溺れそうになるなら、私がソレイヤさまを引き上げますよ。だから…」
「あなたにはかなわないな。みじめな姿を見せる以上に会えなくなることの方がつらいなんて」
誰にも見せたくなかった。水が怖いなんて知られたくなかった。おそらくどんな魔導師でもそうだったのだろう。だから魔導書にはそんなことはどこにも書いていない。自分が世界で一番強いと思っているのだ、その弱点を残す者などいないだろう。だから近代魔導書には怨み言しか書いていない。
でも古代魔導書は違う。
抱えて放したくない魔力を与えたい人に与える方法が書いてあるのだ。
もう一度丁寧に読んでいけば自分にもできるだろうか?水でさえも優しく扱えるだろうか?
だからそのためには
ソレイヤはセリーヌの前に跪いた。
「セリーヌ、そばにいてくれ。お願いだから」
本当はもっとカッコいいセリフがあったのかもしれない。たくさん考えて頭に思い浮かべて、年甲斐もなく恋愛小説を読もうとしたけど手に取れなくて。
あ・い・し・て・る
文字にすれば短いこの言葉を口にするのもその責任にやら意味やら小難しい方に思考が行き。
結局セリーヌを前にして素直に出て来た言葉はまるで幼子のわがままのような一言だった。
なのに、セリーヌはそんなソレイヤのそばに一歩近づき、腹にソレイヤの顔を抱えて言った。
「はい。そばにいます。そばにいて愛してよいですか?」