20.ソレイヤ・パメラ再び
それからしばらく、セリーヌは魔導書室に姿を現さなかった。
久しぶりに奥の近代魔導師たちの記録を引き出してみた。初めて読んだ時は結末が知りたくて最後の方から読んでいた。今度は最初から読んでみたが…皆胸糞悪くなるような内容だった。
自分がどんなに素晴らしい人間なのか。偉大な魔導師なのか。
そんなことばかりが書き連ねてあり、誰もがみな自分だけは違うと勘違いしているようだった。それはソレイヤが魔力を失うまでそう思っていたように。
みんな同じ間違いを同じ道のりでしてきたようだ。
自分も含め、どうして誰もこうなる前にこのばかげた書物に目を通さなかったのだろう。いや、通したところで思い改めたかどうかなど怪しい。
コンコン。
珍しく魔導書室にノック音が響いた。
セリーヌならノックの後に放っておけば入ってくる。しかし、一向に誰も入ってこない。仕方がなくドアに向かい確かめた。
「お忙しいところすみません、魔導師様にご面会をご希望の方がいらしております」
図書館の職員がドアの外に立っていた。
「面会?誰だ?」
「はい、それが…伝えていただければわかるはずだと」
もしかしてレズバス家のものかもしれない。セリーヌの件で何か言伝でもあるのだろうか。
「わかった、行こう」
そしてソレイヤは後悔した。そこで待っていたのは、期待した人物ではなかったからだ。
「ユーハバック魔導師様、先日はありがとうございました」
今日も化粧のむせかえるような匂いを振りまいてそこにいたのは受勲式の日にソレイヤに声を掛けてきたご令嬢だった。確か、ヤールセン公爵の紹介で引き合わされた厄介な女だ。
「あいにくあの日は大勢に会ったのでな。誰だったか…」
「パメラですわ、ラキーナ子爵の娘、パメラ・グアナスです。大丈夫です、これから覚えていただければ!」
娼婦のような胸の大きく開いたワンピースは知的な空間から一人浮いておりそぐわない。どう考えても図書館に用のある人物には見えなかった。
「ヤールセン公爵様に相談しましたら、魔導師様に教えを乞えばよいと助言を賜りまして。その、お恥ずかしい話、魔術に関しては素人ですので、よろしければ魔導師様にご指導いただければと思いましたの」
「非魔術師である貴女が魔術を学ぶその意味は?」
「その、カストラの末席のものとして恥ずかしくない知識はやはり必要かと思いまして」
「ならばまずご自宅の書物にでも目を通せばよかろう。ラキーナ子爵と言えば魔術師棟でもそれなりに地位のあるお方だ」
そう、確か子爵は一小隊を預かる身のはずだ。それなりに魔術については明るいだろう。
「その、一人で学ぶのは孤独ですわ。ですからあちらで、その…魔導師様と…」
ああ、魔導書室の密室を正しく使おうという魂胆らしい。面白い、どういう反応をするか見てやろうと、ソレイヤは意地悪く笑っていった。
「構わない、ついてこい」
「はい!」
喜んで返事をするパメラがかわいそうなくらい結果がわかる。この女に魔術を学ぶ意志などない。そんな輩があの部屋に入ればどうなる事か、火を見るより明らかだ。
そうとは知らずソレイヤがドアを開けると笑顔で入室してきたパメラの顔は見る見るうちに歪んでいく。
「初心者向けの書物を探すからそこにでもかけて待ってろ」
「え、…あ、もう…その…無理です。無理、こんなの絶対無理!」
椅子に掛ける間もなく飛び出ていくパメラ。
確かにここの空気は独特だ。それでも慣れれば存外心地よい。そうなるまでが大変なのだが、こらえ性のないご令嬢には到底無理な話のようだった。
セリーヌもソレイヤもここに来た時は目的があった。その目的に必死だったからこそ魔導書室の空気が、匂いが、などと考える余裕もなかったのだ。
もしかしたらレズバス総司令官はここに入ったことがあるのかもしれない。到底男女の逢瀬を演出するに堪える空間でないことを知っていたからこそ、自分たちのことを黙認していたのかもしれない、ソレイヤはそんな気がしていた。
別にこの魔導書室は魔導師だけの部屋ではない。今は偶然ソレイヤという魔導師がいるから鍵を一任されているだけで、普段は図書館に申請さえすれば、誰でも閲覧できる。ただし、机の奥の近代魔導師たちの最後の書物だけは見ることができないけれど。
パメラはきっともう二度とここには来ないだろう。
二度もふられてこれ以上粉を掛けるなどと言うこともなかろうと、ソレイヤはほっとした。まあ、この魔導書室に耐えるほどの女性ならば、すでにソレイヤと会話が成立するくらいは魔術に興味があっただろう。地位やら金が欲しいならくれてやってもいいが、さすがに子供を授けることは無理というものだ。
まったく、自分はもうそれくらいしか価値がないと言われているようで腹立たしい。
でも、それくらいしか本当に価値がないのだろうなと、なんとなく虚しくなって片付ける気も失せたソレイヤは、久しぶりに開いた奥の机のことなどすっかり忘れて帰路についてしまったのだ。
これが後ほど、どれくらい大きなことをもたらすかなど知らずに。