18.セリーヌ・溢れる情報
男の姿が人混みに消えた後、流石のセリーヌもホッとして息を吐いた。
「おう、すまんすまん。ご令嬢たちに捕まってしまってなかなか帰ってこれなかったが大丈夫だったか?」
顔を上げると安心できる姿を見つけてセリーヌはへにゃりと表情を崩した。
その表情に内心慌てながらもランスはさりげなくセリーヌの持っているグラスを自分の持っているものと取り換える。
「大丈夫でしたよ」
(今の顔の方が大丈夫じゃないよ、やばい何人かが見てたぞ。後で紹介しろとかなんとかうるさそうだ)
「それにしてはお相手は随分とご立腹のようだったけど?」
「はい、古代魔術語はあまり得意ではないようです。ご趣味が合わない殿方でした」
「それはそれは」
苦笑いのランスである。ランスは後姿ですらその腹の具合がわかった男の背中が消えた方を見つめた。自分も古代魔術語は得意ではないが、それでも自分のルーツであるレズバス家の書物くらいは読んだものだ。
(冒頭すら知らないとは恐れ入ったな。俺だって本物を読んだわけじゃないけど、件の言葉くらいどの書物にもあるだろうに…)
「お兄様、どこから聞いていらしたの?」
「ああ、“汝、愛するものに魔術を捧げよ”が答えなところかな」
「さすがはお兄様です」
ロックには勉強嫌いと思われているが、セリーヌが魔術関連の書物を読んでいると知ってからはランスもそれなりに色々読んでいる。それを見た同僚には、何か悪いもんでも食ったか?と疑われたが。
「シェリーに趣味が合わないと言われると傷つくからねぇ」
これが本心で、勉強する目的のすべてなのだけど。
そんな会話をしているとホールにファンファーレが鳴り響いた。
「あら、何かしら」
「ああ、シェリーは知らないか。これから何か催し物があるらしい。ほら、席が用意されているからそちらへ移動しよう」
そういってランスはセリーヌをホール中央がよく見える場所に用意された貴賓席へと案内した。てっきりロックもいると思っていたセリーヌだが、その姿がない。その答えが、ホールの中央にあった。
「ロックお兄様とアイビスお義姉様が何かするの?」
「まあ、見ててやってよ」
ランスは意地悪く何も教えてくれない。やがて、ロックが口上を述べるとそれは始まった。
二人のダンスを見るのは初めてではない。踊りの好きなアイビスに付き合って平時でも二人は踊るのでセリーヌも見たことがある。その時にロックがいたずらをして魔術を使うこともしばしばあった。でも今日ほど本格的なものは初めてだ。会場全てを巻き込んだ大掛かりな幻想術はここにいる全ての人を虜にしている。セリーヌも、これが古代魔導師の幻想術なんだろうと納得した。ロックは古代魔術時代ならば間違いなく魔導師だろう。
(でも、この幻想術はきっとアイビス義姉さまのためのものなんだわ)
皆が惚れ惚れすると同時にこれほど愛されているアイビスをきっと羨んでいる。
ならば何故お兄様は今日この場でこの魔術を見せたのだろうか?
「お義姉さま、素敵でしたわ」
すべてが終わった後、セリーヌは義姉のアイビスに会うために控えの間を訪れていた。ロックの幻想術には疑問が残ったが、それでも素直な感想を伝えたかったのだ。
「ありがとう、セリーヌ。二人で合わせる暇がなくて本当はヒヤヒヤしていたのよ!」
「そんなふうには見えませんでしたわ。息ぴったりは相変わらずです。お義姉様のターンは軸がしっかりしているからとても綺麗ですもの!みていて惚れ惚れしてしまいました」
「あら、私のダンスを見ていてくれたのはきっとセリーヌくらいね」
侍女の助けを得て夜会用のドレスに着替えながらアイビスはセリーヌの興奮気味の言葉を素直に喜んでいた。
「そんなことありませんわ。お義姉さまがお相手で無ければロックお兄様の魔術はあれ程までに引き立ちませんもの!」
「もう、本当に可愛い義妹なんだから!」
アイビスがぎゅっとセリーヌを抱きしめたので若干呼吸困難な彼女は目を白黒させている。
「あら、大丈夫?ごめんなさいね、久しぶりにセリーヌと会ったら急に綺麗になっちゃっていてびっくりしたの。でも中身は可愛いセリーヌのままだったから嬉しくなっちゃったわ!セリーヌ、気になるお方がいるのね?」
「お、お義姉さま?」
「ふふ、愚鈍なレズバスの男連中に相談なんて難しいわよねぇ。本当、私がそばに居られれば良いのに!」
悔しそうにしながらも頼もしい義姉のアイビスはまるでセリーヌすら知らない彼女自身の胸の内すら把握しているようだ。
「わ、わたし…」
アイビスに言われて思い浮かぶのはただ一人。でも相手は単に面倒な令嬢のお守りをしているだけかもしれない。自分の気持ちをあらわにすることは、はたして許されるものなのか。
「あら、まだぼんやりなのかしら?いいわ、今更焦ることないわよ。セリーヌのペースで大丈夫。手紙でもいいわ。何か困ったことがあれば相談してね!心配ないわ、あなたが選んだ人だもの。ああ、邪魔だけはしないようにあの三人には釘を刺しておくから」
どんな釘を刺されるのか。むしろ相手に迷惑な思いだと自分が釘を刺されるのではないだろうか、ドキドキのセリーヌであった。
それでも、明るく前向きなアイビスと、先ほどの二人のダンスに、セリーヌが欲しい答えが隠れているような気がしてもう魔導書室に行きたくて心がうずうずしていた。
(なんだろう。もうちょっとでわかるような気がする)
ただ、今日セリーヌの中に入り込んできたたくさんの情報が渦を巻いており心に雑然と存在していてよくわからない。
ソレイヤのことも気になる。認めたくないことが形をあらわにしてきそうで怖いのだ。
知りたいことと知りたくないことと、知らなくてはならないことと、知ってはいけないこと。そのすべてを一度に手に入れたような一日に、結局セリーヌは体調を崩し魔導書室に通える日が遠ざかったことを後悔した。