第1話 ログイン(1)
わけがわからない。
目が覚めたらベットの上ではなく草むらの中、真上には天井ではなく青空が見える。謎の1文字に尽きる。でも、夢や幻覚にしては草が肌に当たる感覚とか太陽の眩しさが不気味なほどリアルすぎる。
とりあえず起きてみる。しっかりと大地を踏みしめる感覚。吹き抜ける風も自分の心とは正反対の爽やかさ。意識もはっきりする。どうやら現実らしい。妄想とか夢の類という可能性は誠に残念ながらゼロになってしまった。
でも、もしかしたら夢遊病という可能性もある。何も考えず歩いていたら途中で疲れて寝落ちしたかもしれない。
いずれにせよ、今の俺は迷子の状態だ。いくら生きる気力が少なくても、謎の土地で野垂れ死ぬという訳の分からない幕引きはしたくない。歩いて建物を探そう。
こうして、俺は草むらを掻き分けるように歩いていった。
体感時間でだいたい10分くらいだろうか。道に出た。コンクリートで舗装されておらず、ただ草をむしってあるだけの半分けもの道みたいなものだ。日本にこんな場所あったっけ?少なからず都会では無さそうだ。タクシーとか通っているのだろうか。お金はないから乗れはしないけど、最寄りの住居くらいなら教えてくれるだろう。
道に沿って進むことさらに30分くらい。なんにも見えない。色とりどりの花や若々しい木々が永遠と横目に見える。とても日本だとは思えない。しかも、タクシーはもちろんのこと、自転車や歩行者とすれ違わないのは明らかに不思議である。いくら田舎でもこんな場所は日本にあるのだろうか。まさか、国を横断したのだろうか。そんなハチャメチャな夢遊病とか有り得ないだろう。謎が深まるばかりだ。そして疲れた。学校(保健室)と家は徒歩で約20分なので、それ以上の長距離歩行は慣れていない。家に帰ったらよく眠れそうだが、その家路の手がかりすら全く掴めないので困ったものだ。
そうやって、あれこれ悩みながら歩いていると前方から生き物の気配を感じた。野生動物なんて湧くのか。ウサギや鹿ならまだ大丈夫だが、クマとか出てきたら一大事。下手に走って逃げるとむしろ襲いかかってくるため、ゆっくりと相手の目を見ながら後ずさる必要がある。緊張するし、来た道を戻るなんて嫌である。
足音が近づいてきた。答え合わせの時間が近づいてくる。
そうして、目の前に飛び込んできたのは、野生動物ではなく、ゆっくりと歩みを進める馬2頭、その上には騎手。そしてその背後には荷物とか人が乗れそうな車体。つまり、俗に言う馬車であった。
馬車?
目を疑う。近代化が進む世界で、そんな昔の交通手段がいきなり出されたら困惑するのは当然であろう。観光客用としての乗馬体験なら理解出来る。でも、馬車である。そしてここは、明らかに牧場とは違う道である。しかも、外観からして一般に使われているような少し年季の入った車体。騎手の人も、特に制服とか仕事着というわけではなく、私服そのもの。どうやら一般向けの交通手段として普及してるらしい。ますます今いる場所がどこなのか謎である。
どんどん馬車が近づいてくる。一体どんな人が乗ってるのだろう。車や鉄道、飛行機が沢山通っているこの社会において、馬車を使うのだ。もしかしたらたとてつもない富豪かもしれない。だとしたら、頼み込めば帰りの費用を奢ってくれるかも。特に根拠の無い期待が頭を巡る。こんなことは今までの生活からは考えられない。予想外なイベントに出くわして、少なからず興奮してるかもしれない。
予想外な出来事はまだ続く。
馬車が俺の前で止まったのである。そして、場所から1人の男が降りてきた。
背は俺より少し高め。黒髪で、少し黄色がかっている白いシャツ。ズボンも裾の方が若干ほつれている。残念ながら貴族という分類には当てはまらないタイプの人らしい。どちらかというと貧しいという分類に入るのかもしれない。今時、日本でこんな格好の人はいるのだろうか。どこの国なんだ。ここは。日本語が通じない国だとしたら本格的に困る。中学生時代の英語の知識を引っ張り出したとして、どこまで対抗できるだろうか。
こんなことを考えていると、その男は不思議そうに俺の所へ歩み寄りながら
「こんにちは。こんなところで何をしてるんだい?」
と、声をかけてくる。幸い、言語の悩みは1発で解決した。しかし、ここで新しい悩みが押し寄せる。自分が置かれている状況をどうやって伝えよう。夢遊病で気づいたらここにいたなんて口にするだけでも恥ずかしい。でも実際、この土地に心当たりがある訳でもないし、ベッドに入ってからの記憶が全くない。だが、とりあえずヘルプを出さないとせっかくの帰還チャンスが台無しになってしまう。ゲームオーバーだけは避けたい。なので、
「すみません……道に迷ってしまって」
という、ワケありな人が喋る定型文的な文章しか返せなかった。どう思われてるだろうか。地雷を抱えていると判断されたらどうしよう。可能性としては十分有り得る。もしそうなったら馬車はそのまま先へ進んでしまうだろう。面倒事を引っ掛けないためには最善の選択ではある。しかし、久しぶりのロングウォーキングのせいでただでさえ疲れがやってきてるのに、さらに歩くとなるとしんどいかもしれない。人間は、死の危険が迫っていると火事場の馬鹿力を発揮するとは聞くものの、そんなにアテには出来ない。
こんな不安とは裏腹に、その男は
「そうかい、そりゃ大変だったな。とりあえず、乗ってけ。疲れただろう。」
と笑いながら後ろの荷車に指を向け、馬車に乗るように誘導してきた。しかも即答。少しは人を警戒した方がいいのではないか。でも、せっかくのチャンス。これを無駄にしたくはない。これを逃したら次に人に出会えるのはいつになるだろうか。
「いいんですか?ありがとうございます。お邪魔します。」
こう答え、俺は馬車へと乗り込もうと目の前の手すりを掴み、階段を昇る。想像してたよりも馬車というものは大きいし、丈夫そうだ。間近で見るとよく分かる。横にも十分な幅があるし、寝泊まりも可能かもしれない。
扉を開ける。中には、座席が数席と簡易的なテーブル。そして電球。思ったよりくつろげそうな空間である。そして、奥には木箱が数個。そして、バスケットを手に抱えてこちらの様子を伺っている女性の姿が見えた。ロングの赤髪。エプロン姿。家庭的な人であると想像できる。
状況説明はともかく、とりあえず挨拶しないと。不審者扱いされて警察を呼ばれたらどうしようもない。そう思い、俺はその女性に軽い会釈をする。その女性は不思議そうな表情は消さなかったものの、会釈を返してくれた。どうやら、即座に警察沙汰にはならないようだ。安心したその直後、俺を馬車に案内したあの男が馬車に乗り込み、
「この子、道に迷ってるらしいんだ。ここは辺境地だろ?どこから来たかは知らんが、相当な距離を歩いてきたはずだ。しかも、ここまで来るってことはなんか特別な事情があるかもしんねぇ。1回家で預からねぇか?」
と説明してくれた。すると、赤髪の女性が
「もちろん。念願の子供ですわね。」
と、嬉しそうな顔になり返答した。
このまま俺を誘拐とかして、身代金とか言わないよね?大丈夫?家族いないから意味は無いけど。
などと考えていると、その女性は俺の方を向き、
「とりあえずこっちにいらっしゃい。疲れたでしょう。腰掛けて。」
と、自分の前の席に手を伸ばす。優しい。
「失礼します」
俺は軽く一礼し、手が示した場所に腰を下ろすことにした。思ったよりもフカフカである。これなら快適に過ごせそうだ。
こうして、謎の土地での初めての人との交流は、馬車に乗り込むという予想のはるか上の結果となった。
そうして馬車に乗り込んでから数分後、沈黙をかき消すように男が喋り始める。
「改めてこんにちはだ。少年。」
「あ……こんにちは。」
いかんいかん。こんな所で詰まるとは。コミュニケーション能力が落ちてるのかもしれない。家に帰ったら近所の人くらいには挨拶しとくか。
「ようこそ、俺の馬車へ!!」
男は高らかに声を上げる。確かに、吹き抜ける風は気持ちいいし、椅子もフカフカでとてもいい雰囲気だと思うが、レトロっていうほどオシャレな内装をしてる訳ではないからなぁ。反応に困る。
「ごめんなさいね。あんまり自慢出来る馬車では無いのだけどね。はぁ。新しいのに買い替えたいわ」
と女性が申し訳なさそうにフォローする。顔に出てたのかもしれない。失礼なことをしてしまった。
「いえいえ、とんでもございません。馬車に乗るのも初めてでして。顔に出てたのならすみません。基準とかよく分からなくて……」
「あら、そうなの?馬車に乗ったことがないなんて今どき珍しい。きみ、どこから来たか覚えてる?」
いきなり核心をつく質問が襲いかかってくる。
「日本です」
願いを込めて言ってみる。
ここでの返答次第で今後の動きに関わる。
「ニホン?そんな国あったかしら?知ってるあなた?」
「俺は知らねぇな。少なからずこの辺りや王都近辺の生まれではないだろう。」
え?日本を知らない?どんな田舎だよ。確かに国土は小さいけど、オリンピックも開いたし、日本食や日本の文化は世界に広がっているはずだ。あと王都ってどこ?聞いたことがないぞ……
「今どこにいるんですか?」
恐る恐る聞いてみる。ここまで来ると有り得ないであろうと排斥していた可能性を考慮する必要が出てきてしまった。
「ここはアグニスっていう国のアーグ地方ってところだ。王都を中心とすると東の端だな。」
男がそう答える。
結論から言おう。どうやら俗に言う異世界というところに来てしまったようだ。