冷酷姫が冷酷じゃ無くなった日
「ねぇ、そこのあなた。お隣いいかしら」
八坂夜兎が今目の前に居る彼女ーー神島冷華と初めて言葉を交わしたのは、静寂に包まれた図書館の中であった。
高校三年の夏。この時期は大学受験に向けて勉強に勤しむ者が大半で、夜兎もその一人だった。図書館は冷房が効いており、尚且つ静かで集中しやすいため、図書館で勉強をすることが多かった。
夜兎は声の主へと振り返り、その相手が学校一の美少女とも呼ばれる神島冷華だと知っても驚きもせず「どうぞ」と返し参考書に視線を落とした。
冷酷姫。冷華は学校だとそう呼ばれている。
黒色のストレートヘアは光沢の見えるほど美しく、日焼けを知らないかのような真っ白な肌。長い睫毛に、淡い水色の瞳。出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでおり、制服をきっちりと着こなしているためスタイルの良さが分かる。見れば誰もが振り返り、美しいとそう思える姿だ。
夜兎の知る限りだと、勉学に関しては常にトップの成績を維持し、運動も平均以上に出来るという完璧っぷり。まさに文武両道とはこのことだろう。
数多くの人から交際を申し込まれるも全て断り、何人かは次の日休む位までズタボロに拒絶し、付けられたあだ名が冷酷姫。
それでも人気は落ちず、未だに数多くの者が好意を寄せているのは、やはり彼女の美しさ故なのだろう。
そんな冷華が今隣にいるのだ。大多数の男子が喜ぶであろう展開だが、夜兎は恋愛に興味が全く無いため無反応であった。
冷華はありがとう、と手短に礼を言い、静かに席へと着いた。
次第にガサガサッと鞄を漁る音が聞こえ始め、そのあと直ぐに「あっ」と言う小さな声が聞こえ、夜兎気になり視線を横に移した。
机にはノートと筆記用具が置かれているものの、肝心の参考書が出ていなかった。その後、「はぁ……」とため息を吐き、筆記用具を片付けをしようとしていた。
「この参考書使うか? 確か同じの使ってたよな」
何となく事情を察して夜兎は鞄から使っていないもう一つの参考書を差し出した。
突然の出来事に冷華は一瞬驚いた顔をし、直ぐにキッと冷ややかな視線へと変わった。
「どうして同じものだと知っているのかしら」
「そりゃよくこの図書館に来てるからな。たまたま見えたんだよ」
「そう……」
夜兎が図書館へよく行くように、冷華もこの図書館へ来ることが多い。そのため、これと同じものを使っているのを夜兎は見たことがあった。
流石に唐突過ぎかと内心で思いつつ、言ってしまったために取り消す事は出来なかった。
「今から取りに行くのなんて時間の無駄だろ」
「……確かにそうね。ありがたく使わせて貰うわ」
受け取ってくれた事に安堵し、再び視線を机に戻した。
気付けば日が傾いていた。集中すると時間を忘れるタイプだった夜兎は、四時間も机と睨めっこしていた。
そろそろ終わるかと帰りの支度を済ませ、固まった体を伸ばしながら視線を隣へと移す。
机には参考書が広がっているものの、冷華の姿はなかった。貸した参考書をどうしようか悩んだ結果、次に会った時に返してもらえばいいかと考え、鞄を持ち上げた。今貸している方はあまり使っていなかったため、しばらくなくても問題ない。最悪学校が同じなため、欲しくなったら言いにいけばいいかと思考を巡らせながら図書館を後にした。
「おっす夜兎〜」
「おっはー!」
「……おはよう」
翌日。教室へ入ると挨拶を受けた夜兎は、気だるげに返事を返した。
今挨拶をしてきた二人――片桐翔大と斎藤南は、中学からの付き合いだった。
翔太はサッカー部に所属しており、エース並みの実力がある。その為女子からとても人気のあるが、本人は大変なんだぞといつも言っていた。
「何か眠そうだね? 勉強しすぎて寝れなかったとか?」
「……そうだよ」
桃色のショートヘアを揺らし首を傾げる南。いつでもテンションマックスなので寝不足の時にはテンションについていけなかったりする。
「寝ないと頭に入ってこないよ?」
「まぁ勉強馬鹿だからしょうがないか」
「うっせ。南。お前は寝てばっかだろ。勉強しろ」
散々言われているが寝ないと頭に入ってこないは最もなので気をつけたい。そう思っているとやけにクラスの入口が騒がしいと気になって顔を向けると、その中心には昨日貸した参考書を片手に持った冷華がいた。
夜兎の姿を見つけると冷ややかな目をしながら近づいていく。何だかご立腹なご様子だが、夜兎には心当たりがないため首を傾げながらその様子を見ていた。
「八坂さん。参考書ありがと。でもどうして先に帰ったのかしら?」
「あぁ。帰ろうとしたら居なかったからまた今度でいいかなって思った」
「もし私がもらっていったらどうするつもりだったの?」
「どうもしない。どのみちいつもあそこに居るだろ?」
「……バカなの?」
「そうかもな」
途中から呆れの眼差しに変わり、最後には溜息をついていた。
周りがざわつき始めてしたのでそろそろ解散したいと目線を後ろに移すと、冷華は察してもう一度溜息をつき、背を向けた。
「ありがと」
去り際にもう一度礼を述べ教室を去っていった。
冷華の姿が完全に見えなくなると、一斉に人が集まってきた。
「今のどういうことだ!?」
「いつもあの場所に居るってどういうことだよ!?」
普段人と話さない冷華が自分から話をかけに行くことなど滅多にないらしく、今回のようなことがあると周りが変に騒ぎ出す。面倒だと全部突っ放すと、タイミングよくホームルームのチャイムがなり嵐が去っていった。
放課後。今日も図書館で勉強をしていったが、気付けば外が夕焼け色に染まっていた。周りを見渡すと誰も居らず、夜兎一人だけだった。
「はぁ……」
外へ出て水筒の水を飲もうとしたが、中身が空だったことを思い出し思わずため息が出る。図書館から家までは徒歩三十分程かかるので、我慢することができず近くの自販機で缶のコーラを買い、一気に飲み干した。
勉強で疲れた後のコーラの刺激がたまらなく好きなので時々やってしまう。決して炭酸が弱いわけではないので、喉が強烈がジュワっとなり顔が歪む。
「……貴方今とんでもない顔をしてたわよ?」
「……うっせ」
声で誰かを直ぐに察し、横を向くと微かに微笑んでいる冷華の姿があった。見られた恥ずかしさから目線を合わせずらく、適当に話題を出す。
「こんなとこで何やってんだ?」
「……散歩?」
「何で疑問形なんだよ。暗くなってきてるから早く帰った方がいいんじゃないのか」
「何? 心配してくれているの?」
「自分が人目を惹くって自覚あるだろ」
「そうね。嬉しくはないけれど」
冷華は空を見上げどこか遠い所を見るかのような顔をした。それは何処か寂しげで、悲しさを滲ませていた。
きっと過去に何かあったのだろう。それはきっと、冷華にとって忘れられるものではない何かが。
翔太もモテるは大変だと言っていたことを思い出し、なんとなく納得した。
何だかよくわからない空気になってしまいどうしようか悩んでいると、冷華が口を開いた。
「それよりどうしてさっきあんな顔をしていたの?」
「掘り返すな」
「ちょっと気になるじゃない」
「……」
さっきの事を掘り返され再び恥ずかしさが戻ってくる。どうしたものかと考えた夜兎は、いいこと思いついた、と呟き、自販機で缶コーラを一本買う。
「ほれ。これ一気飲みすれば分かる」
「コーラ? 見たことはあるけれど飲んだことないわね」
「おいおいマジか……」
反応からして炭酸系を今まで飲んだことがないのではと思ってしまう。そんな冷華には是非とも炭酸の感覚を味わってもらいたい。
「よし。とりあえず飲んでみろ」
そう言って夜兎はコーラを前に出すと、少し躊躇いながらも受け取りフタを開ける。プシュッと高い音がなり、ほのかに甘い匂いが漂う。
「……んっ!?」
冷華はゆっくりと缶に口をつけ喉を鳴らす。だが、直ぐに噎せてしまう。
涙目で見つめて居る冷華が面白くてつい笑ってしまった。
「ちょっと……ッ!? ケホッ! 何……ッ! 笑ってるの!?」
「いや……何かごめん」
「はぁっ……はぁっ……」
ごめんと言いつつ顔がニヤけている夜兎をキッ睨みつけ、コーラ持っている手を前に出す。
「こんなの飲めないわ。バカなのかしら」
「何だ? ギブか?」
「ち、違うわ。そんなに笑うならもう一回さっきのをやらせようとしてるだけよ」
「流石に二本目はきついだろ」
「いいから飲みなさい」
そういってコーラを押し付けている冷華の頬は、夕日のせいか少し赤く見えた。
コーラを受けとり、一気に飲み干した。間接キスになってしまう事に一瞬躊躇ったが、本人が飲めと言うのだからいいだろう。一応夜兎も男だ。恋愛に興味は無いが、こういった事が気になりはするのだ。
「うえ……きっつ」
「……」
「何だよ」
「何でもないわ」
ぷいっとそっほを向いてしまう冷華に何だと思いつつ、缶をごみ箱に投げた。
投げられた缶は見事に真ん中を捉え、カランと音を鳴らし底へと落ちていった。
「ふふっ。いい気分転換になったわ」
「そうですかい」
そっぽを向いていた冷華はそう言いながら手を口元に添えながら微笑んだ。その笑顔は、学校では見たことのないような笑みで、冷酷姫というあだ名からは程遠いものだった。
それに、何故こうして普通に会話をしているか自分でも分からなかった。接点は昨日が初めて。それに、大して話た訳ではない。本当に不思議だ。
「ではまた」
「ああ」
夕日に照らされた道を歩いていく冷華の姿を後ろから眺めながら一人で呟いた。
「冷酷姫……ねぇ」
少なくとも今の場面では影もなかったなと思いつつ、帰るべく足を進めた。
「なぁ翔大。冷酷姫の噂ってホントだと思うか」
「お? もしかして気になってたり?」
「うっせちげーよ。単純にどうなのかと思って」
「あはは。冗談冗談。噂は噂でしかないけど、正直気になる話は聞いた事ある」
昨日の冷華と話して分かったが、冷酷姫と呼ぶには程遠すぎではないかと気になり、昼休みに尋ねる。周囲から人気もあり情報の入ってきそうな翔大に聞くと、何かありそうな雰囲気だった。
「何かあるのか」
「あくまで噂位で聞いてくれ」
翔太は、周りに聞こえないように声を潜めて話始める。
「冷華と同じ中学の奴がいてな? そいつが言うには前までよく笑って口数も多くて話しやすい奴だったらしいぞ」
「今と全然違うじゃねぇか」
「あぁ。そんである日当然周囲から人が離れていって、あいつが今みたいになったって話だ。聞いた奴もあんまり詳しいことは知らないらしいけどな」
「訳わからんな」
「だろ? まあ俺の知ってる事はこのぐらいかな。あんまり気になるなら本人に聞いた方が早いかも」
「あほ……まぁ、訳アリって事だけは分かった」
今とは全然違う。昨日の帰りの出来事を思い返す。普通に話せて、普通に笑って。本当の冷華は昨日の方なのでは。そう思いながら手元にあるパンの袋を開けた。
「にゃっほー! なーに話してるの?」
元気のいい声が後ろからかけられ、振り向かずともわかる人物へと言葉を返す。
「南には難しい話だよ」
「何それ私だけ仲間外れかー!」
やけにテンションの高い南にどう返そうかと翔大に視線を送ると、任せろと言わんばかりに親指を立てた。
「南……凄く話しずらいから察して欲しいんだけど……ガールズトークがある様にボーイズトークがあるんだよ……」
「ボーイズトーク? それって……あわわわ!」
何を言うかと思えば爆弾を投下しただけだった。どういう事だと目を細めて見れば、わざとらしく舌を出しウィンクをしていた。
南の反応を見る限りは確実に誤解しているが、任せた自分も悪いかと諦める。
溜め息を吐き騒ぐ二人を余所に、窓の外を眺める。
「噂……か……」
呟いた言葉は、クラスの賑やかな声の中に消えていった。
冷華の噂を耳にしてから数日が経ち、翔太から聞いた話が頭から離れないでいた。
いや、恐らくはあの時見せた寂し気な顔が忘れられないからもあるだろう。
あの日以来、姿は見るものの冷華と話していない。
当たり前といえば当たり前か。そもそもあまり話す方でもないのだから。
そんなことを考えながら図書館を出て歩き出す。図書館のすぐ近くに公園があるため、子供たちの騒ぐ声が聞こえる。
立っているだけでもじんわりと汗をかく程暑い中よく元気に遊んでられるなと思いながら歩みを進めていると、ベンチに見知った顔を見つけた。
整った姿勢で空をただ茫然と見上げ、動く様子はなくその場に留まっていた。
その表情は何処か悲しげで、放っておけば何処かに消えてしまうのではないかと思う程だった。
放っておいた方がいいだろう。最初はそんな事を考えていた夜兎だったが、噂の事が頭をよぎり立ち止まった。
そして少し考えをまとめ、歩みを冷華へと進める。
「こんなとこで何してんだ?」
「……考え事よ」
返ってきた声は前のような元気はなく、上の空だった。
「隣。いいか」
「……誰かに見られたら面倒よ」
「どうでもいいな。今大事なのは目の前で悲しそうな顔をした女の子に声をかける事だから」
ここで放って帰ると気になって仕方がない。それに、こんなにも悩んでいそうな顔をした知り合いが居れば助けたくもなる。
隣に腰を下ろし、「どうした」、と聞く。最初は戸惑っていた様子だったが、次第にぽつぽつと語り始めた。
「さっきね。交際を申し込まれたの」
「……」
「当然断ったわ。当たり前よね。今まで関わった事ないもの。だけどね……」
ここまではいつもの事なのだろう。問題は、この後らしい。
「断った後にね、その人の事が好きだった人から言われたのよ。顔がいいからって調子に乗るなよ。お前なんかが居なければ良かったのに、ってね」
「それって……」
「ええ。ただの嫉妬よ。こんなことが何回もあるのよ? そろそろ……疲れたわ……」
そう言いって冷華は目を細めた。
「初めて告白されて断った時にもね。その男の子が変な噂を流して誰も私に近づかなくなったことがあったの。変なあだ名までつけられて……それ以降誰とも話せなくなって……」
夜兎はなるほどと心の中で納得した。冷華の過去。そして今の悩み。
今までよく一人で耐えたものだ。誰にも話せずにいてつらかっただろう。
それに今、何回も、と言っていた。そんなことが頻繁にあったらたまったもんじゃない。
夜兎は返すべき言葉を考えた。今彼女にはどんな言葉が必要か。頭を整理し、言葉にする。
「俺でよければこれから愚痴でも聞くぞ」
「え……?」
夜兎が出来ること。それは、話し相手。つまり愚痴を聞いてあげることだった。今まで誰にも言えず、ただストレスとして溜まっていくだけだった。そのはけ口を作ること。それが夜兎の考えたことだった。
「溜め続ければ人はいつか潰れる。俺はそんな奴を見たことがるからな」
夜兎は中学時代、一人の友達がいた。その人は皆からいじめられていたが、夜兎は気が付かず、その友達は転校をしていった。もっと早く気づき、話を聞いてやればと。当時激しく後悔した。そのことがあり、冷華の事が放って置けななかった。
「俺にできる事なんてそれぐらいだしな。まぁ、嫌なら今の事は忘れてくれ」
「……」
冷華はしばらく夜兎の顔を覗き……クスッと笑みを浮かべた。
「じゃあ愚痴じゃなくて普通に話し相手になてもらってもいいかしら?」
「ああ。構わない」
どうして笑ったのかいまいち理解できなかった夜兎だったが、冷華の言葉を聞き安堵する。前と同じような事にはなって欲しくなかったから。
冷華は立ち上がり、微笑んだ。
「じゃあ、明日から頼むわよ?」
「…………あぁ」
その微笑みは今までに見たこともないもので、夜兎はつい見とれて返事をするのを忘れかけるのだった。
「どうした夜兎。今日なんか機嫌よさげじゃないか」
「そうか? いつも通りだろ」
「あー! 確かに今日顔色いいよね!」
「顔色で決まるのか……というか、いつもどんな顔してんだ俺」
翌日の昼休み。夜兎はいつものごとく翔太と南で昼ご飯を食べようとしていた時だった。
やけに騒がしい教室の入り口。夜兎達は気になって顔を入り口に向けると、そこには弁当が入っているであろう包みを持って中へと入ってきた。
迷うことなく真っ直ぐ夜兎の前へと歩き、満面の笑みで口を開いた。
「お昼一緒に食べてもいいかしら?」
この時夜兎は、この後来るであろう嵐をどう切り抜けようか思考を巡らせるのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!感想を聞かせていただけるとこれからのモチベーションに繋がります。また、何か気になるところがあればどんどん教えていただけるとこれから書く際の参考になります。