41話 秘めたる下心
もともと友人の頼みは断れないタイプであったが、今回ばかりはそうでなくても同じ結果だったろう。
小動物みたいな顔で見つめられて、それでも無慈悲に食事を与えないなぞ不可能だ。
「どうしてこんなことになっちまったかな……」
無意識のうちに声が漏れた。それでも台所には自分しかいないのだからボヤき放題。
朝食を作ることが嫌なわけではない。
親友の前でいちいち心臓を走らせないといけないことが悔しいのだ。
声の抑揚だとか表情の使い方とか、彼の挙動に隠れた魅力をまじまじと見せつけられてしまう。一度目に入ってしまうと、その後そらすこともできない。
魔性。まさしくそれだった。
ルンはその道のプロだけど異なる点がある。
彼女はサキュバスだ。そのためか露出や密着などが多く、『誘惑』という言葉がぴったりな行動をする。
妹に似た体型のせいで俺からすると性的な魅力はそこに感じられないが。
しかし、もちろんだが女性になった理苑は誘惑なんてしていない。
でも同時に男の視線を警戒していることもないのだ。むしろ日々話していた近さで話しかけてきた。
その自然さ、無防備さが俺の心を容赦なく襲う。
本当に恐ろしい。
間違いでも起きてしまったらどう責任を取ってくれるのか。
もしそうなったら責任を取る側は俺か……。いや、まず起こさないけどな!?
頭の中がやけにうるさい。
フィリードのことでモヤモヤしたばかりなのに次は理苑とは。
卵を割り、目玉焼きをつくる。
焼く音がフライパンから鳴っているが、それは脳内の独り言よりも小さいものだった。
これが美少女の口に入るのだ。口に合うだろうか。
不安と期待。いつもなら絶対に理苑へは抱かないであろう感情とともに調理は進んだ。
しかし調理といっても焼くだけである。配膳の時間はすぐに訪れた。
両手に平皿を持ってちゃぶ台へ。
「一応できたけど……。神様、ここって米ないの?」
金髪幼女はゲームに夢中だ。
返事をするのも煩わしいのか早口で言う。
「イロハが炊いておらぬのならない」
「……朝飯、目玉焼き一個になるぞ」
「飯は買うことが多いからの。あやつが手作りを振る舞うのは妾が食いたいと願った時だけじゃ」
それは不摂生ではなかろうか。
こっちは妹が外のものを食べたいと言わない限り手作りだ。
しかも最近は妹自身、料理を楽しんでいることが多い。
「真弥、食べていい?」
「……なんで俺の許可がいるんだ、勝手に食え!」
頼むからもとの理苑を返してくれよ!
目を見てしまったらダメだ。
コイツも人外だ。メデューサだ。
理苑は俺の葛藤に気づかず、なおも無自覚な口撃をする。
「えへへ、ありがとね。真弥」
もう、限界かもしれない……。
かわいい。俺の親友がかわいすぎる。
そうだ、何を錯覚していたんだ。
相手は男なんだから、逆に触ってもいいんだ。
頬も腕も腹も胸も脚も。
美少女は箸で器用に目玉焼きを切り、それを口に運んだ。
小さな口元が動いて愛おしさに拍車がかかる。
「うん! おいしいよ!」
言った瞬間、その顔から輝きに輝く笑顔が見えた。
ぐおぉぉぉぉぉ!
耐えろ、俺!
わかってしまった。この感情の正体が。
庇護欲だ。
俺は妹と同じ感情を友に抱いているんだ。
だからといって手を出すわけにもいかず、この感情をどうにかするために俺が出した答えは――。
「……何をしておる。邪魔じゃ」
「マジで申し訳ない。だけど原因は神様のせいなんで」
幼女に抱きつくこと。
客観的に見たらドン引きだ。幼女を抱きしめるなんて不審者そのもの。
きっと彼女は見た目に合わない年齢だろう。ガチ幼女ではないはず。
だがそれでも絵面は酷いと思う。
幼女を抱きしめると酒臭い匂いがしたがそんなことは構わない。
抱くだけではモヤモヤを完全に発散できず、少し乱暴に頭を撫でた。
髪の間をするりと指が通る。金髪はその進行を受け入れ、さらりとした感触が伝わった。
引っかかることもなく指は終わりへとたどり着く。
幼女の髪の柔らかさに癒やされていると理苑のうろたえる声が耳に入った。
「ど、どうしたの! お狐様、何かした?」
「知らぬ! こやつがロリコンなだけじゃろ」
幼女は怒っているようで声色が少し低い。
だが、理苑の頭を撫でるなんて彼に絶望的なダメージを与えるはずだ。
最初から自分のショタ体型にコンプレックスを持っている彼。
そんな人物を女性扱いしたら?
男としてのプライドはズタズタ、深く傷つけるに違いない。
俺は正しいと言い聞かせ愛撫を続けたが、ついに神の逆鱗に触れた。
頭頂部付近にふにゃりとした物体があって、不意にそれを引っ掻いてしまったのである。
「あぅ! ……貴様、妾の耳を!」
触れたものの正体は彼女の狐耳。
言うや否や幼女はすぐにコントローラーを置き、俺に飛びついた。
「貴様の体に礼儀を叩き込んでやるわ! 覚悟しろ!」
そのまま俺を押し倒そうとするが、思ったよりも彼女の力は貧弱であった。
幼女の手首を掴み布団の上に投げ飛ばす。
「神様、思ったよりも弱くね……」
「あぁ……。妾の妖力は枯渇しておったんじゃった」
布団の上で仰向けになった幼女は「妖力さえあればのう……」と落胆。その目はとても悲しげだ。
「し、真弥……? どうしてお狐様に――」
「気にすんな。邪念は消えた」
幼女との取っ組み合いで煩悩が昇華され、どこか空気も清々しく感じる。
理苑は変わらず美少女だが、もう大丈夫そうだ。
「主、気をつけろよ。妾にしたこと、あやつはそれをお前さんにしたかったんじゃぞ」
狐が逆襲を始めた。
俺が持つ欲望のことは抱きついた時の発言から察したのだろうか。
「へ? 真弥、僕の頭、撫でたいの……?」
目をパチパチさせて真偽を聞かれてしまう。
ここで嘘をつけば、なぜ幼女にお触りしたのかと続くはず。
ロリコンの烙印を押されるわけにはいかない。しかもそれがフィリードに知られたりでもすれば一巻の終わりだ。
俺は慎重に言葉を選んでから答える。
「あれ、髪の毛が気になってさ……。でも理苑って撫でられるの嫌がるじゃん」
「それは恥ずかしいからだよ。お姉ちゃんとか彩葉さんの話。真弥なら別にいいってば」
理苑が少しだけ下を向いた。
「はい、どーぞ。確かに男女で髪の毛って違いがありそうだもんね」
「……主、そんなピュアな気持ちではないと思うぞ」
美少女は言葉の意味が理解できていない様子。
それを確認した幼女が大きく息を吐いて「もうよい、好きにせい」とうつ伏せに体勢を変えた。
「真弥が嘘ついてるってこと?」
「いやいや――ははは! 神様流のジョークは面白いな!」
無理矢理すぎるごまかし。おかげで理苑はますます混乱している。
それにしても理苑は俺に対してなら恥ずかしいと思わないのか。そうかそうか。
俺はこの後、理苑の言葉に甘えるはずだった。
幸か不幸か、それは空からの来客で叶わなかったのだが。
外から聞こえた客の声。その声はサキュバスの少女だ。
「あ! おにーさん、こんなところにいた!」
低空飛行を続け、着地をすることなく室内に入ってくる。
少しばかり息の荒い彼女が発した言葉には危機感があった。
「おにーさん、ルンちゃんの彼氏さんになって!」
今朝から事件続き。
妹のためにもそろそろ帰宅したいのに。