3話 下僕になった日
娘。
血の繋がった家族。
目の前の男と誘拐犯が夫婦で、そこに子がいると。
「人と吸血鬼のハーフ、ですか」
「あぁ、うん。もしかしたら人類史初じゃないかな」
そもそも吸血鬼と人で子がつくれることに驚きだ。
吸血鬼は外見からすると人と大差ないように思えるから、もしかしたら身体的にもあまり大差はないのかもしれない。
「百聞は一見に如かず、見たほうが早いね。フィリー、入っておいで」
秀一さんが呼ぶと、黒と部分的に赤の入った髪をした少女が部屋に入った。
自分より少し背の低い女の子。
静かに一歩、また一歩と近づいてくる。
「さて、まずは自己紹介から。ほら」
秀一さんが少女に促す。
少女はその言葉を聞いて胸を張った。
「はじめまして、下僕!」
「はい、ストップ」
秀一さんが少女の前に立ってその姿を隠した。
とんでもない早さで。
「ごめんね、山石くん。この子、人と話すのに慣れていなくて……」
慣れているとか慣れてないといった次元の話ではない気がするが……。
むしろ話し方はハキハキとしている。
秀一さんは少女との方へと振り向く。
「フィリー、練習した通りにやりなさい。初対面なのに下僕なんて言ったらダメだよ」
「練習通りにやっているわ。お母様がこれでいいって」
すると、ずっと黙って話を聞いていた吸血鬼が元気になった。
高々と声を出す。
「いい、いい。眷属は主人に仕える側だから威厳を見せてやりなさい!」
「シュリー、君の差し金か……。これだと彼が不愉快になるってば」
旦那は嫁の扱いに慣れているようで、嫌な顔ひとつせずに対応していた。
嫁も嫁で、旦那の声を聞くと人が変わる。
「ダーリン、わかってないなー。最初はキツくしておいて、後で優しくすれば尻尾振るんだって。飴と鞭よ」
「君、僕と会ったときは飴、飴、飴って感じだったのに」
「それは、ダーリンが特別だからぁ……」
口論なのかいちゃつきなのかよくわからないやり取りをする二人をよそに、少女はこちらに近づいてきた。
母の教え通りか父の教え通りか、自己紹介を再開する。
「改めてごきげんよう。私はフィリード。よろしくね、下僕」
手を伸ばすフィリード。
フィリードとは何語だろうか。
疑問を抱えながらも恐る恐る握手に応じた。
「……どうも、真弥です」
「シンヤ、ね。私の下僕一号になることを誇りに思いなさい」
「は、はぁ……」
親が親なら子も子だ。
蛙の子は蛙。
母親よりは棘が丸いことが不幸中の幸いか。
握手をすると吸血鬼の娘はジロジロと俺を見る。
まるで吟味しているかのように。
「……あなた、美味しそうね」
少女の声には艶があった。
人同士では絶対言われない、あまりにも衝撃的だった発言に動揺してしまう。
「お、美味しそうってどういうことだよ! そ、そもそもどこで判断してんの……」
思わず握手の手を放してしまった。
それを見た少女は。
「あら、失言だったかしら。まぁいいわ、この際だからはっきり言うわね」
と微笑を浮かべた。
「今、少しだけ味見させなさい」
そしてすぐさま口を俺の首元に近づけて――。
「待て待て!」
それを腕力でどうにか制止する。
少女はそこまで力が強くなかった。
母親並みに怪力だったら、何をされていたんだろうか。
「なによ。主人の命令は絶対なんだから、黙って噛まれなさい」
不満そうな顔を浮かべる少女。
力で負けていたら噛まれるところだったらしい。
噛む、とは吸血のことか。
「えっと、フィリード、さん?」
「名は呼び捨てで構わないわよ」
「じゃ、フィリード。普通、初対面の相手に噛まれるなんてあり得ないから。そもそも怖えし」
「怖い?」
吸血をされるとなると、やはり牙が自分の首に突き刺さるということだろう。
痛いのは苦手だ。しかも首なんて急所じゃないか。
対してフィリードは怪訝な表情になる。
「心配せずとも、あなたは私の下僕。主人である私があなたのことをぞんざいに扱うわけないでしょう。優しくするから」
と、それらしい理由を述べた。そしてまたもや、フラフラと俺の首へ向かっていく。
「そもそも!」
俺はどうにか話を聞いてもらおうと声を荒げた。
近づけないように少女の両肩を持って。
「秀一さんがフィリードを呼んだのは説明をしてもらうためだった気がするけど」
「あら、説明?」
そう、説明だ。
ハウ・トゥ・生き残り吸血鬼探しのレクチャーを受けるべく、少女を呼んだはず。
そして、それに関しては『彼女』が適任だとも秀一さんは言っていた。
「それは失礼。あなたが初めての眷属だから浮かれてしまって……」
フィリードはベッドに座り、足を組んだ。
図らずとも白い脚がよく見えてしまう。
「吸血鬼の探し方……。正直私もそんなものは知らないのだけれど、お父様とお母様よりかは情報網があるの」
「情報網?」
「ええ。あなた、宇宙人いると思う?」
いきなりなんだろうか。
質問の意図がさっぱりわからない。
「ふふ。まぁ、あなたの答えはどちらでもいいのだけれど。では次、吸血鬼はいると思う?」
「……目の前に」
「そうね、いるわ。さて、どちらも都市伝説みたいな幻の存在。だとすると、片方がいて、もう片方がいないってそこまでないんじゃない?」
「じゃあ、宇宙人もいるってこと?」
「いなくはないかもね。……っと、違うのよ。それが言いたかったわけじゃなくて」
彼女は一息おいてから続ける。
「いるのは悪魔なのよ。昔、そこの学校に通っていたわ」
「は……。さっきの話はなんだったの」
「ほら、吸血鬼は伝説の存在じゃない。それがいるのだから、他の伝説もあり得るかもって例えで、だから悪魔も存在するでしょって……。いや、もう忘れなさい」
フィリードの顔が少し赤らむ。
そこからしばしの沈黙。
あまり余計なことは言わなかったほうがよかったかもしれない。
微妙な空気になってしまったので、俺から話を戻すことにした。
「で、結局俺は何をどうすればいいの。できればさっさと帰って寝たいんだけど。明日も学校あるし」
そろそろ眠気も差し迫り、夜も深くなってきたと思うが……。
そんな文句にフィリードはやはり不満気味。
頬を膨らませていた。
「むぅ。主人にむかってなによ、その口は」
「いや、ブラックすぎるって。俺、前置きなしで誘拐されてここに来たんだぞ?」
つい本音をぶつけてしまったが、フィリードは正当な理由に納得したようだ。
寛容な対応を示してくれる。
「……そうね、眷属一号だし多少のわがままは許してあげるわ。安心なさい、日は跨がせないから」
赤面して黙っていた少女はごこへやら。
フィリードは本調子に戻ったようで、ハイテンポに説明が進む。
「悪魔は悪魔で社会を形成しているわ。吸血鬼も悪魔族だから、彼らは仲間として私たちを受け入れてくれた。それで、生き残りの捜索を協力してくれているということ」
「つまり……どうすれば?」
「近いうちに悪魔を向かわせるから、話を聞きなさい。吸血鬼捜索の近況報告をね」
「悪魔……か」
吸血鬼だけで濃いのに、早くも別の存在を知ることになるとは。
知らないだけで、他の伝説的な存在も実在するかもしれない。
「下僕? ちゃんと聞いていたかしら」
気づくとフィリードは身を乗り出して俺のことを覗きこんでいた。
うつらうつらとしていたところを見られたか。
「……聞いてるよ」
眠気もあったせいか、油断していた。
フィリードが近づいていたことに気がつけなかったのだ。
「……やっぱり、我慢できそうにないわね」
自分の横髪をいじりながら、フィリードが小さく呟く。
そして、俺の隙を見るなり飛びかかってきた。
吐息が首元をくすぐる。
「下僕、そろそろ限界みたい。首、噛んじゃうからね」
秀一さんから彼女とパートナーになってほしいと言われたが、早速その時が来たのだろうか。
突然すぎる展開に、抵抗が遅れてしまった。
「……ま、あなたに拒否権はないのだけれど」
蛇は捕食するとき相手に巻き付くそうだが、彼女も逃がすまいと俺の上に被さってくる。
抱きつくような姿勢で、彼女が俺の首に腕にかける。極度の密着具合に引き剥がすこともできなくなってしまった。
「おいおいおいおい!」
少女が上に被さっているという緊張と、どうやら本当に自分の拒否権はないという事実から、抵抗が激しくなる。
「下僕、騒がないの。動いたら痛くしちゃうわよ? ふふ」
だが、そんな抵抗も虚しく、艶かしい笑みを浮かべたフィリードは、ついに俺の首元へと噛みついた。