24話 下僕は主人のモノ
彩葉さんと会ってから数日後。
ようやく再びシエルと話す機会を得た。というのも、フィリードの説得に成功したのだ。
あれからフィリードはずっと拗ねたままだった。やれ項が魅力的だの脚がセクシーだの声がエロいだの言ってみたが、彼女にはどれも響かず。
「どうせ男なんて乳しか見ていないのよ! 下僕の言葉からは誠意が感じられない!」
そんなことを電話越しに聞いた。
だが「心外だ。フィリードの生脚を何度チラ見したことか」とも言えるわけがない。
主人が喜ぶような言葉は何か。
俺は考えた。考え続けた。
そして、神の一手を導き出す。
「吸血された後の朝。フィリードの胸、触りそうになったわ」
「……さよなら」
すぐに電話は切れた。
「大丈夫、シンデレラバストでも魅力はあるよ」と伝えたかったのだが、逆効果だったか。
しかしその後、反省文を書いては送り、書いては送りを繰り返したら徐々に機嫌を取り戻してくれたのだ。
早速フィリードを自宅に呼び込んだ。
ということで、シエルとお話ができるようになりましたとさ。めでたしめでたし。
だと思っていたのに。
今、俺はベッドの上でフィリードに踏まれていた。顔を。
「げ、ぼ、く! 誰があんなふざけたフォローを許したなんて言ったのよ! 私、一言も言ってないわよね」
「で、でも、シエルと会うって言ってくれたし機嫌が直ったのかと……」
「ふふん。ええ、機嫌はいいわね。憎たらしいやつの顔を足蹴にできているのですもの!」
相変わらず生脚でいたフィリード。彼女のすべすべとした足裏が直に自分の頬を圧迫する。
「お母様の言うとおりだったわ。仲直りしたい時は踏めばいいって」
やめろ。
母より父を頼ってくれ。
「それでも、なんで顔なんだよ……!」
母親以上だぞ。
「一番屈辱的でしょ! ほら、下僕らしく受け入れなさい!」
さっきからフィリードはヒートアップしているが、彼女が乗せている足にさほど力は入っていなかった。
下僕と言っておきながらも、ちゃんと人権を確保してくれるのはありがたいところだ。
ふにふにと足の指が頬をつつく感覚に微笑ましささえ覚えた。
「……ちょっと下僕、なんでニヤニヤしてるのよ」
「……フィリードは優しいなって」
それを聞いたフィリードはさっきまでの勢いを殺し、俺の顔から足をどけた。
「ふん、あなたが特別なだけよ。初めての下僕だし、お母様の選択だし」
「特別……?」
ダメだ、その言葉に惑わされるな!
人間には理解できないだろう、主人と下僕の関係性なんて。
いい感じの雰囲気だとしても、甘い言葉を言われてもフィリードは『主人』だ。
相手にそんな気持ちはない!
頭ではわかっていた。だが、思春期の欲求は一時停止を知らず、ついつい口走ってしまう。
「あの、俺のことさ、どう思ってる……?」
「うん? 下僕だと思っているけれど」
お、おう……。
聞きたいのはそういうことじゃないんだよ……。
いや、それはつまり、やはり相手にそんな気持ちはないと――。
「『下僕』は私の所有物。……だから、その。あんな天使になんて奪われちゃダメだからね」
……急にデレたが。
うちの主人、結局は下僕が天使のことを庇ったことに嫉妬していただけでは。
こんな時なんて言い返せばいいのだ?
「ちょっと、聞こえてるの? えっと……ちゃんと私の近くにいなさいよ?」
「は、はい」
なんだこの空気。
相手が恥ずかしそうにするから、こっちも気にしてしまう。
しかもフィリードの言葉ひとつひとつが思わせぶりではないか。
「私の所有物」とか「近くに」とか。
誰か、吸血鬼専門家とかいないものか。
とにかく助けてくれ。恋愛経験ゼロの俺に模範解答を授けてくれ!
解答をカンニングすることはできなかったが、状況は変わってくれた。
シエルがやってきたのだ。
シエルはすでに空いていた窓から入り、着地する。
羽のふかふかとした質感が見るだけで伝わった。
「こんにちは、フィリードさ――」
「下僕、見ちゃダメよ」
俺がシエルの姿を目に映して数秒のことだった。
自分の両目に少し冷たく、しなやかなものが触れる。
フィリードが両手で俺の目を覆い、視界を隠したのだ。
「だーれだ」みたいなシチュエーションに緊張する。
「えーっと、シンヤさんもこん――」
「聞こえないわね! ね、下僕!」
俺の耳元で爆音が鳴る。
その正体はフィリードの声だが。
「フィリードさん、さっきからなんなんですか!」
「ふん。うちの下僕に色目使った罰よ。金輪際、下僕を呼ぶの禁止! その乳を見せるのも禁止!」
シエルはフィリードの言葉に何かを察したようで、励ましの言葉をかけた。
「ごめんなさい、まだ気にしていらしたのですね。大丈夫ですよ、胸で人の良さは判別されません」
天使は善意の塊だ。
清く正しく美しく。
しかし、今の発言は空振りの善意。むしろフィリードの琴線に触れた。
「なによ、この……! この……うぅ……」
じわじわとフィリードの声が震えてくる。
「下僕ぅ……。私、やっぱり許せないわ……!」
背中にフィリードの顔が当たっている感覚がした。
また泣いているのだろうか。
「ふ、フィリードさん! 元気出してください、ほらっ!」
トントンと何か音がする。
フィリードの両手アイマスクで何も見えないが。
「この外道! あんたが跳ねるとその憎っくき乳も揺れるのよ!」
どうやらシエルがジャンプしていた音らしい。
「シエル、もう話さな――」
「ダメ、下僕! 名前読んじゃダメ!」
もう話さないほうがいい、と言いたかった。でも主人が許さないとなるとどうしようもない。
その後もシエルは空振った善意を押し付け、フィリードは泣きわめき、もう地獄絵図。
ついには激怒したフィリードがさらに事態を混沌へと導いた。
「もういいわ! 吸血鬼も悪魔に加担して参戦するから! 戦争よ!」
「待ってください! 私達はそんなこと望んでなんか……」
「あ、でも吸血鬼は契約の数なんてハートフルな戦いはできないわね! やっぱり血を見ないと!」
「あ、謝りますから! どうか落ち着いて――」
「手始めにあなたから殺そうかしら! うん、それがいいわね!」
「ひぃ……!」
ドタドタという足音。羽ばたいた音。その後に静寂。
静寂の中、フィリードは達成感がにじみ出た声で「ふぅ」と言った。
「帰ったわよ。これで契約商談は終わりね」
「帰らせた、だよな……。強引すぎない?」
「いいのよ。罰なんだから」
フィリードがパッと手を放した。
自分の眼球に光が届く。
「……やっぱりシエルに妬いてただけ?」
俺はフィリードに投げかけた。
フィリードはそっぽを向いて頬を掻き、答える。
「妬くもなにも、最初から私のモノなの。あなたは。既成事実があるからなおさらよ」
既成事実とは吸血のことだろう。
照れ隠しか、フィリードは言い残すとそそくさと家を出ていった。
一人残された室内。
開けっぱなしの窓からそよ風が吹く。
俺には優しいと感じられた風だが、その風上――神社から不穏が迫りつつあるとは思いもしなかった。