22話 罪な巨躯
「……それで、その天使が何の用なのよ?」
日の傾き始めた夕刻。
俺はフィリードとともに歩いていた。
昼のうちに連絡を取り、下校路で話をすれば時間の短縮になると思ったのだ。
フィリードのことを妹に彼女だと思われているのは恥ずかしいところがあるものの、堂々と家に招けるというメリットも孕んでいた。
「なんか、悪魔に代わって支援したいんだってよ。理由はよくわかんないけど……」
「なるほど。そうやって油断させておいて、私たちを根絶やしにするつもりかもしれないわね」
なにそれ怖い!
そんな考え、微塵も思い浮かばなかった。
もしやフィリードに選択を委ねるのは、正しい判断だったのではないか。
「それにしても、悪魔と天使で戦争だなんて……。私がいたころはやっていなかったはずだけれど」
「最近勃発したのか。なにがきっかけなんだろうな……」
夕日が道を照らす。
吸血されたせいだろう、つい前よりも眩しく感じた。
「下僕、話は変わるのだけれど……」
俺が吸血のことを考えていたからだろうか、彼女も吸血について話があるようだ。
「次の満月は、あなたの家がいいな……なんて」
「な、なんで」
ここで二つ返事ができないから男としてダメなのだ。
「なんで」ではなく「いいよ」と言っていれば、どれほどかっこいいことか。
理由なんて一つだろう!
女心というか、なんというか……。
しかし、彼女からの返事はそんなものじゃなく。
「ほら、あなたの部屋は月がよく当たるじゃない。月光をしっかり浴びながらの吸血じゃないと健康に悪いのよ」
とても理論的な考えであった。
なにが女心じゃボケ!
吸血鬼が夜、家に行きたいと言ったとしても、イコール俺のことが好きってわけじゃないんだ!
「あの娘、俺のこと好きじゃね?」みたいな痛い勘違いをするだなんて、一生の恥!
「下僕? 聞いてるの?」
「聞こえてますよ……。悲しいくらい……」
本当に恥ずかしいし悲しい。
自分を慰めてくれるのは、優しく足元を照らす光だけ。
この後、どんな気持ちでフィリードと会話できようか!
そんなこんなで自分だけが気まずさを感じつつ家に到着した。
「ただいまー」
声をあげ、玄関に入るが妹の靴がない。
今日はラッキーだ。
きっとまだ、妹は中学校にいる。
「じゃあフィリード、上ね」
「ええ」
上の階。すなわち、俺の部屋で契約商談は始まる予定だ。
「ルン」
俺は部屋に着くなり悪魔を召喚した。
「はーい! 超絶プリティ悪魔ルンちゃんと――」
「こんにちは、シエルです」
二人は一緒に黒い円から現れた。
昨晩から思っていたが、戦争しているのか疑わしくなるほど二人は絡む。
二人だけは仲がいい、とか?
天使が出てきた後、すぐにフィリードが反応した。
ベッドに座り、脚を組んで言う。
「却下。なによ、天使だなんて。帰りなさい」
「あ、あなたがフィリードさん? 何が気に障ったかは存じませんが、どうかお話だけでも……」
オロオロとするシエルがかわいそうに思えたので、俺は彼女の肩を持ってあげることにした。
「そうだぞ、フィリード。説明くらいさせてあげても……」
「下僕!? うぅ……。やっぱりだわ……」
フィリードの表情が哀愁を帯び始める。
なにか不満があるのに違いないはず。
「フィリード、どうしたの。言ってくれないとわからないって――」
「胸よ!」
フィリードは悲痛に言った。
今にも泣き出しそうな顔だ。
「私が気に食わないのは、この女の乳なの! 下僕も、その色香に惑わされて……。だから支持してるんでしょ」
そう。今まで視線を向けないように意識してきたが、シエルのは大きいのである。
ルンより歳上に見える原因の一つかもしれないが、サキュバスはどっちだよなんて思えてしまう。
「うわ、おにーさんサイテー。物事をおっぱいで決めつけちゃうんだー」
フィリードを慰めるように頭を撫でるルン。
フィリードはふいと顔を背け、ルンに甘えるようにして抱きついていた。
「ちょっとやめろよ……。フィリード、そんな気持ちないってば」
「ふん。いいわよ。あなたはその女の乳でも触ってなさい」
「おにーさん、シエルちゃんのことをずーっとイヤらしい目でみてたよねー。視線で舐めてるっていうかさ」
アンチ真弥軍が結成されてしまった。
俺一人ではどうしようもないため、シエルに助け舟を出してもらおうと視線を送ってみる。
「シンヤさん、やめてください。み、見ないでくださいよ!」
シエルは胸を両腕で隠しながら言った。
心なしか、距離も離れたような。
「待ってくれよ! あんたが困ってそうだから肩持ってあげたのに――」
「シエルちゃん、おにーさんが肩触りたいってさ」
物理的に持たねぇよ!
「いや! 女体ならどこでもいいのですか、あなたは!」
本気にするなよ!
「下僕、お母様に言っておくわ。あなたがパラシュートなしのスカイダイビングをやりたがってるって」
「私も言いつけておきます! 私の母は大天使なんですからね! 近いうちに裁きがくだりますよ」
誰か助けてくれ!
このままでは、俺は命を手放すことになる!
フィリードも、シエルも、ルンも、みんなが敵だ。
フィリード、俺を吸血したじゃないか。
あんなにも情熱的だったのに……。
ルン、契約した仲じゃ……。
ん? 契約……。
俺はある作戦をひらめいた。
「……ルン、仕事だ。フィリードとシエルの記憶を消せ」
「はい、毎度ありー!」
注文を受けてからのルンに迷いはなかった。
すぐさま無防備なフィリードを押し倒し、首や耳を舌で撫でる。
「シンヤさん! あなた、悪魔の力を頼るなんて……! 良心が痛まないのですか」
「うるせぇ! あることないこと言われて全員に責められるよりマシだろ! ルンはいいよ、コイツは愉快犯だもんな」
俺はシエルにビシッと指をさす。
「問題はお前だ! お前、ドン引きしてたじゃねーか! こっちは味方したのに、恩を仇で返すなよ!」
「ひっ……! ご、ごめんなさい!」
「おにーさん。フィリーちゃん、あっさり落ちたよ。次いく?」
「や、やめて! シンヤさん、許してください! どうか、どうか……!」
俺はわざと大きなため息をついて見せた。
恐怖からかビクッとシエルが反応する。
「ルンと知り合いってことは、『囁き』がどれほどのものか知ってるんだな」
「知ってるもなにも、体験済みです……」
「シエルちゃんの反応、すっごくいいよー。内腿のつけ根あたりを指でなぞると――」
「あぁ、やめてください! それで戦争になったのにまだ性懲りもなく……」
え……?
それで戦争になった……?
「ちょっと、ルン。今の、どういうことだよ」
ルンはなぜか照れくさそうに言った。
「えへへー、シエルちゃんにセクハラしてたら戦争になっちゃった」
「……戦争始まったのってお前のせい?」
「そう。シエルちゃんのママが堅物でさー。うちのママも血の気多いしさー。それで、ね……」
「ね……」じゃねぇよ。
三人寄れば文殊の知恵。
二人なら戦争の火種に。
四人なら、そのうち一人が批判の的。
しかし、どれもこれも元凶は悪魔ではないか。
「傷つけあったりしてないから放っておいたけど、さすがにフィリーちゃんの邪魔になるから終戦させたいよね」
「あのさ、戦争が終わってから悪魔と天使のどっちもが協力してくれるってのはできないの?」
「無理です。悪魔となんて」
「ルンちゃんはシエルちゃんとならいいよ?」
ルンがシエルの瞳を見つめる。
シエルは一瞬だけ目を合わせると、すぐに視線を泳がせた。
「わ、私だって嫌なわけでは……。ルンとなら。でも、全員が私たちと同じ気持ちってわけでもないので……」
「えへ。シエルちゃん、照れちゃってー」
「むぅ。照れてませんってば……」
どうしよう。悪魔と天使がいちゃつき始めた。
俺はフィリードがどうしてるか気になり、そちらを見たが、仰向けで痙攣していた。
こちらもこちらで目に毒な光景だ。
「あ、あの、フィリードがこんなんだしどっちに頼るかは先伸ばしでいい?」
「えー、またー?」
「ルン。わがままはダメですよ。フィリードさんをこうしてしまったのはあなたでしょう?」
「おにーさんだもん。ルンちゃんはお仕事しただけ!」
耳が痛い。
いやいや、待て。もとは女性陣の中傷が原因だ。
「……とりあえず、ルンの契約はそのままね。で、シエルさんは後日また来てくれない? それまでにフィリードを説得しておくから」
「わかりました。……胸にさらしでも巻いたほうがいいですかね? ちょっとでも小さく見せるために」
「それやったら逆に気にすると思う……」
「わかりました……」
微妙な空気のまま時間は過ぎた。
今日学んだのは、思ったよりフィリードの胸コンプレックスが重症だということ。
下僕として、主人ファーストを心がけていきたい。