20話 只今、戦争中につき
昨日は濃い一日だった。
朝はフィリードの寝顔を味わって、理苑に吸血されたことを報告しながら歩いて。
昼ごろにフィリードから連絡が来たと思ったら、夜の感想だったり。
とにかくいろんなことがあった。
秀一さんによると、吸血された人間の体には何か変化が表れるようだが、今のところ目立った症状はない。
強いて言うなら、日光が眩しく感じるくらいか。
ちなみに秀一さんは吸血されてからというもの、五感が鋭くなったそうだ。
普段のフィリードは吸血鬼の力が極限まで薄まっているから、日光に当たっても問題ないらしい。
俺もその体質を受け継いだのだろうか。
だが、吸血は通過点ということを忘れてはならない。
昨日があるなら今日がある。
今日やるべきことは――。
「ルン」
一人きりの部屋で悪魔の名を呼ぶと、すぐに彼女はやってくる。
一瞬で二人きりだ。
「こちらは超絶プリティな悪魔、ルンちゃんでございまーす。おにーさん、今日は何の用かな」
お調子者はどこか白々しく聞いてきた。
俺は首元をルンに見せる。
首にできた周りの皮膚よりも白い部分。
それこそがフィリードに噛まれた部分なのだが、どういうわけか、瘡蓋にもならずに一晩で回復している。
ルンはそれを見てにんまりと笑った。
「吸血ね。見てたよー、二人して善がり狂っちゃってさ」
「……お前、言い方が」
事実ではあるが、だからといって卑猥な雰囲気出さないでほしい。
「でもさ、おにーさん、ちょっとくらい期待してたでしょ。シャワー浴びたときくらいから」
「どこから見てたんだよ!」
怖い怖い!
こいつ、俺の私生活いつでも覗けるの? プライバシーの欠片もないじゃん。
「くくっ……。おにーさんのアレちっちゃかったね、くくく……」
本当に笑いを堪えているのか、それとも煽るためにわざとやっているのか。
とにかく苦しそうな素振りに腹が立つ。
「この話終わりな! 本題入るぞ!」
そもそもお前、他の人のアレなんて見たことないだろ。
勝手なことを言われて、誠に遺憾だ。
俺は改めて、ルンを呼んだ理由から説明する。
「俺はもう、正式にフィリードの眷属なんだから。教えてくれよ、吸血鬼捜索のこと」
「そっか。おにーさん、もうただの人間じゃないんだね。いいよ、教えてあげる」
ルンが神妙な顔つきへと変わっていった。
何が明かされるのか、自分も息を呑む。
「実はね、ぜーんぜん進んでないよ!」
「は……?」
なんで。
全面バックアップしてくれてるんじゃなかったの?
俺がそう思うと、準備されていたかのように返事が帰ってきた。
「戦争してるから。それどころじゃないんだよね」
「……どういうこと」
「だから、戦争が終わらないと総力が挙がらないんだって」
なんてことだ。
つまり、俺が次にやらないといけないことは『悪魔の戦争を終わらせる』なのか。
吸血される、されない、は自分だけの問題だった。しかし、今度は違う。
そもそも人間同士でさえ衝突が絶えないのに。
無理だろ、これ。
「とにかく話だけ聞くけどさ……。どことどこが争ってるの?」
答えられたところで、悪魔界の国名なんてわからないが。
しかし、悪魔界の国名なんてそんな小さな規模ではなかった。
なぜならば悪魔同士の戦争ではなかったのだ。
「相手は天使の人たち。おにーさん、会ったことないよね」
「……ない」
天使と悪魔。
人の心を形容するのに使われるが、どちらとも存在するとは……。
「でさ、戦争ってどこで何やってんの?」
まさか銃器やら爆弾やらで行う血なまぐさい争いではないだろう。
魔法で戦うとか……?
自分の乏しい想像力では、そのくらいしか思い浮かばなかった。
だが、たとえ想像力が膨大であっても模範解答にはたどり着けなかっただろう。
なぜならその答えは……。
「どっちが多く人間と契約できるか戦争だよ。おにーさん、悪魔に貢献しちゃったね」
なんて平和的な争いだろうか。
もはやただの市場では?
「天使も契約制なんだ……。悪魔は『囁き』だけどさ、天使って何してくれるの?」
「んー。身の回りのお世話、らしいよ」
「天使に乗り換えるわ」
俺が言うと、ルンは慌てて続ける。
「待って待って。飛ぶ以外なんにもできないよ? メイドと同じ、人間と同等だってば」
「……十分じゃん」
ルンはいよいよ雲行きの怪しさを察して、実力行使に移った。
俺に向かって飛びかかり、専売特許である『囁き』を仕掛けてくる。
「そういうところだって! 顧客のニーズにそぐわないことするな!」
「おにーさんのニーズには合ってるでしょ! 気持ちいいよ! ほら、ほら!」
耳の穴にふーふーと優しく息がかかる。
まるで空気に撫でられているような感覚だ。
「また妹に見つかるだろうが! ちょっとはおとなしくしろ!」
ジタバタと暴れて、なんとかルンを説得したかった。だが、彼女がそんなことで折れるわけなどない。
俺の代わりに待ったをかけたのは、一つの音であった。
優しいノックの音だ。
最初は妹入室事件が再来するのかと思い、心臓が締め付けられたが、そうではなかった。
ノックはノックでも、その正体は窓ガラスからだったのだ。
両者とも音が聞こえるなりすぐに臨戦態勢を解く。
助かった、きっとフィリードだ。
俺は窮地を脱して安堵した。
頭の中でほっとする声が聞こえる。
窓に近づく。
続いてカーテンを開け、音の主を招き入れようと――。
「……へ?」
果たして音の主は主人でも、ましてやその母親でもない。白い翼に金色の髪をした、初めて見る女性だった。