12話 板挟み契約
それぞれの階で、それぞれ遠くを見つめる女性ができてしまった。
どうしてこうなった……。
答えは簡単。
悪魔の所業だ。
トラブルメーカーどころか、トラブルしか生み出さない迷惑の化身。
その正体は、いまだに妹を離さない少女。
妹はうんともすんとも言えなくなってしまったのに、彼女はまだ何かを吹きこんでいる。
「ルン、もういいんじゃないか……?」
「もうちょっと。契約したからにはルンちゃんは徹底的に、完璧な仕事しちゃうよ」
「最低限でいいからな……。これ以上は結月が壊れそうで少し不安だから」
「あっそ。ま、記憶も消せたと思うしいいよ」
ルンが妹を離す。
「さて、おにーさん。これで二人っきりだけど、これからの話をしよっか」
「これからの話……」
「そそ」
ルンはベッドに横になって話を続ける。
「はっきり言うとね、ルンちゃんはおにーさんのことを舐めてるから、こんな人間に協力したくないって思ってるんだ」
「どうして?」
「ええー。だって、おにーさんは『ただの人』じゃん。この先、邪魔になるのが目に見えてるってば」
「今までは協力してくれてたんだろ。秀一さんは例外なのかよ」
「だって、シュリさんに噛まれてるから。『ただの人』じゃないし、そもそもおじさんは最初から使える人だしね」
秀一さんはおじさんなんて言われる歳だろうか。
いや、それはどうでもいい……。
「つまり、俺もフィリードに噛まれれば認めてもらえるってことか」
「まぁね。吸血されてない状態なんて、眷属でもなんでもない、他人だから」
そこんとこちゃんとわかっててよ、と悪態をつかれた。
「ただ、おにーさんはフィリーちゃんと繋がる前にルンちゃんと契約しちゃったわけだけど……」
ベッドから起き上がったルンがにじり寄ってくる。
ルンと契約することはまずかったのだろうか。
俺が口に出す前にルンが答えた。
「吸血鬼と悪魔、どっちとも関係を持つ人って今までいなかったんじゃないかな。だけれど、契約がダブったらダメってルールもないしなぁ。大丈夫だと思うよ」
「ルールとか、あるんだ」
「無秩序だったら社会は作れないでしょ。おにーさん、頭悪いなぁ」
ニヤニヤ笑うルン。
コイツ、誰かを罵倒すると絶対に笑うな。
ムカつく。
「えっと、それはいいとして……」
「あ、逃げた。おにーさん、もしかして図星?」
「うるせぇな! 話が進まないだろうが!」
ついにケタケタと笑いだす悪魔。
俺は内に秘めた怒りをどうにか抑えた。
「吸血鬼の契約は主人に血を献上しないといけないじゃん。悪魔との契約もそういう定期的にやるべきことってある?」
「ないよ」
ルンはきっぱりと言った。
「フィリーちゃんみたいなのはね、共存なの。お互いに支えあう関係。でも、ルンちゃんは商売でやってるから、おにーさんが望んだ時にご奉仕しに行く側なんだ」
「……商売ってどういうこと」
「そのまんまだよ。おにーさんがお客様で、ルンちゃんが店員。悪魔だって働くんだよ」
「記憶改ざんが仕事なのかよ……。しかも、俺そんなに財力ないし」
「大丈夫。お金は必要ないし、実はもうお代頂いちゃってるし」
え、何も渡してないぞ。
もしや盗みでも働いたか?
自分の顔に出ていたのか、疑惑を口に出さずともルンが答えた。
「おにーさんからは何も貰ってないってば。フィリーちゃんと妹ちゃんから貰ったの」
「待て待て! 結月に変なことしてないよな!」
巻き込まないために記憶を消してもらったのに、そこで余計なことをしてもらったら本末転倒だ。
「特に害はないってば、シスコンおにーさん」
「じゃあ何が『お代』になってるのか説明してくれよ」
「またいつかね」
「はぁ!? ちゃんと説明を――」
しろ、と言いかけた時、ぴたりと唇に指が押し当てられた。
もちろんルンの指。
「フィリーちゃん、起きちゃったよ。せっかく怒ってた時の記憶消したのにこの話してたら、まずくない?」
耳を澄ませば、たしかに下の階からフィリードの声がしていた。
「下僕ー、どこにいるのよ」
「ごめん、上の階にいるよ!」
少ししてからトントンと階段を上る足音。
フィリードは少し髪が乱れたままの状態で部屋に入ってきた。
「……これはどういうことかしら」
ベッドで倒れている妹を見て、唖然とする主人。
「なんでもないよ。結月が勝手に入ってきて、なぜか寝ちゃっただけ……」
「……どうしてこんなに恍惚としているのよ」
「うわー、おにーさん、サイテー」
「もうお前黙ってろよ!」
またややこしくなるじゃねぇか!
そろそろ寝たいよ!
「えっと……。詳しくは言えないけど、とりあえず俺のせいではない」
「なるほど、ルンね。ルンが面白半分で催眠をかけたのでしょう」
本人は催眠なんて優しい言い方はしていなかったが……。
「私の頭もぼーっとしているのはそのせい? 待って、ルン、もしかしてアレを下僕の前でやったの!?」
「いやー、フィリーちゃんの声、可愛かったよ。ね、おにーさん」
「もう絶交よ! お母様にチクってぶっ殺すように仕向けてやるわ!」
ボッと赤くなるフィリード。
これでは、フィリードにやった洗脳は水の泡になってしまったような気がする。
「下僕、お願いだからあなたもルンの催眠を受けて。それで、全部忘れなさい」
震えた声で言いながら俺の服を引っ張るフィリード。
「い、いや、俺、何も見てないよ。マジで」
「おにーさん、嘘ヘッタクソだね」
「うわあぁぁぁぁん! 下僕ぅ!」
「泣くな泣くな! ルン、頼むから五分だけ黙っててくれよ!」
この後、フィリードが泣きやむまでしばらく時間がかかった。
今夜の出来事で一番被害に遭ったのは他ならぬ彼女かもしれない。