9 逃げ出した者
モンスターが往来を歩き回るようになったその日。殺意が溢れるようになって数多くの死人が出たこの世界で、しかし庭内駅周辺の生き残りは駅に集まった彼らだけではなかった。
例えば、暴力を振るう事に慣れている不良や暴力団員。
例えば、普段から心を殺して人を傷つける訓練をしているその道の有段者。
例えば、ある種の精神欠陥によって傷つける事に躊躇いを覚えなくなっていた者。
変化に上手く適応できた者は、モンスターを倒す事で新しく追加されたこの世界のルールに順応していく。
あるいは適応できなくとも、他人の命を犠牲にしたり、力あるものの庇護下にある事で、自分の身をモンスターという危険から遠ざける事に成功した者もいた。
その逃げ出した者の一人である「彼」は、とある建物を根城としたある集団に属していた。
突如学校に現れたモンスターたちによって、登校していた生徒や教師の命が見境なしに奪われたあの瞬間。
職員室で先生からクラスメイトに配るプリントを受け取っていた彼は、屈強な体育教師の胸から背後に現れたオークの腕が覗いたのを見て、真っ先に下駄箱へ走り出した。
靴を履き替えて、ゴブリンに追いかけられながら全力で逃げ回ること五分。
自分にこれほど体力があったのかと思いながら、それでも足の限界が近づいているなと薄々感じ始めて焦りを感じた彼は、ある声を聞きつけて路地裏へ駆け込んだ。
「うおっ、なんだあいつ……あっ、てめえ! ゴブリンなんか連れてくんじゃ……」
「た、助けて! 殺される!!」
モンスターの鳴き声が聞こえたその路地裏にいたのは、いかにもガラの悪い不良の集まりだった。表の通りで散々人が死ぬのを目にした彼は、背後に迫る恐ろしい生物の処理を彼らに任せようとしたのだ。
実際、彼の期待通りにその不良たちによって、彼を追い回したゴブリン数匹はあっという間に片付けられた。だがしかし、ほっと溜息をつく間もなく彼は再び命の危険に晒されてしまう。
「おいこら!! 俺たちにゴブリン押し付けようとはいい度胸してんじゃねえか、ああん!?」
「ぐえっ……く、苦しい……」
「聞こえねえよ、この腰抜け野郎が!! ちっ、胸糞悪いぜ……お前、今から俺たちの奴隷な」
その瞬間、弱肉強食の世界における、彼の集団での立ち位置は決まったのである。
その不良たちは世界改変によって力を得た。力によって自分たちの安全を確保できていたし、彼もその恩恵を受けていた。そう、その日の夜までは。
曇り始めた空模様の下。火事場泥棒を繰り返して熱に浮かれていた不良たちは、停電に襲われた。
立ち寄ったゲームセンターで、レジを漁って手に入れた現金で遊びに遊んでいた彼らは、突然真っ暗になった店内で、ある恐怖にとらわれる。
脆弱なゴブリンは目を瞑っても倒せるが、例えばオークに背後を取られたら?
力を得た後でも倒されそうで、思わずその場から逃げ出したあのモンスターが、闇に紛れて襲ってきたら?
寝所として選んだその建物に、山のように陳列されていたキャンプ用のランタンで、気持ち程度の明かりを確保したものの、その不安が消えることは無い。
改めて襲ってきた現実の辛さから逃げようにも、娯楽のためのアーケードゲームは画面を暗くさせたままで、夜の遊び相手だった女たちと連絡を取り合う手段も無い。
夜の闇によって彼らの恐怖心はどんどん煽られて、しまいには彼らにとある心配事を抱かせる事になる。昼間は適当にその辺から奪えた食料も、日が経てば底をついてしまうのではないのかと。
とある誰かが、彼に向かって言った。
「お前、今から出ていけ」
「……えっ?」
「奴隷のお前に食わせる飯なんか無えんだよ。よく考えりゃ、戦わねえお前を連れ回したって何のメリットも無えんだからな」
彼は憤った。今まで散々荷物持ちをやらされて、時には魔法のサンドバッグにされても我慢したのに、その存在価値を否定されたのだ。
その発言をした不良に殴りかかるも、逃げ出した彼が敵うはずもなく腕を捻られる。
「舐めてんじゃねえぞ、こら!!」
「痛い! あたたたたた!!」
「さっさと出ていけ、この役立たずが!」
「へっ、いい気味だぜ。でもまあ、お前が手土産を持ってきたら、またここに居させてやってもいいぞ。女とかな」
彼は腕を握られたまま、入り口で彼が作らされたバリケードの外に放り出される。立ち上がって入り口に向かおうとするも足元に魔法が打ち込まれて、彼は暗闇に逃げ出したのだった。