8 閑話 とある女子高生の独白
「あのー、近衛先ぱーい?」
「ん? どうしたの? 早く着替えて更衣室出ないと、またあの警備員にグチグチ言われるよ」
「それは分かってるんですけどー、私たちちょっと聞きたい事があるっていうかー」
それは中間試験の後、部活の勧誘会があって私がサッカー部のマネージャー体験をやっている時のことだった。
クラスで仲良くなった女の子に、カッコいい先輩がいるからと誘われて仮入部したサッカー部。
と思ったら男子サッカー部はマネージャーをとっていないと言われ、いつのまにか女子サッカー部の練習のサポートに回されて毎日キリキリと働かされている。
男子目当てで入っていた友達はすぐ辞めちゃったけど、なんとなく性に合ってる気がして一週間経ってもまだ続けている。
そんな私はどうやらマネージャーの中では少数派のようで、クラスの違う一年生マネージャーたちのお目当ては隣でやっている男子サッカー部の練習だ。
ちょっと不真面目な彼女たちが、唯一の3年生で、女子サッカー部キャプテンの近衛先輩に話しかけているのは、すこし珍しい光景だった。
「おお、サッカーに少しは興味が出てきたかい? 練習試合のデータも取らないで隣を応援している君たちが、私に質問を! いやあ、嬉しいねえ」
「キャプテン、天然で毒吐くのはやめたげてください。練習一途なのはキャプテンの美点ですが、普通のJKはそういう暑苦しいの苦手なんですよ」
二年生の副キャプテンが、はっちゃけた近衛先輩を諌める。的確に指摘された一年生グループは少し居心地が悪そうだったが、それでも会話を続けていた。
「え、えっとー、同じクラスの子が野球部の先輩に聞いたらしいんですけどー、去年まで男子もマネージャーとってたって本当ですかー?」
「……ああ、そうだね。一つ上の代までは、確かに男子もマネージャーをとっていたよ」
「じゃあじゃあー、どうして今年は募集がなかったんですかー? 私ー、男子のマネだと思って入ったら女子の手伝いやらされてー、超びっくりっていうかー」
「へえ? なんだ、誰か気になるやつでもいたのかい?」
「ほら池上先輩とかー、イケメンだし運動神経バツグンだしー、結構優良物件だと思いませんかー?」
「……池上が……優良……プフッ」
「キャプテン、そこで笑うのは可哀想ですよ。まあ気持ちは分かりますけど」
話を聞いていた近衛先輩が、突然口を押さえて震えだした。副キャプテンの発言によるとどうやら笑いをこらえているようだが、今のどこに笑う要素があったのだろうか。
二年生でキャプテンを務める池上先輩をはじめとして、男子サッカー部の偏差値は割と高めだ。
3Kのイメージがある運動部の中で、爽やかに汗を流す彼らをカッコいいという彼女たちの感性は、別にそこまでおかしい事ではないはずだけど……
「いやあ、私は池上の性格知ってるから、つい。それに、あんな奴よりカッコいいのを知っているからさ。悪かったね、笑って」
「えっ!? 池上先輩よりカッコいい人が? 誰なんですか?」
「それはだね、去年までサッカー部にいたタイ……」
「キャプテン」
近衛先輩が話そうとすると、副キャプテンから横槍が入る。会話中も続けていた着替えを中断して、近衛先輩を少しジト目で見ていた。
「白鳥先輩たちの件は黙ってる約束でしょう」
「ええ〜、別にシロちゃんの事は話さないよ?」
「話さないと、この子たちは信じませんよ。彼が今どんな体型なのか知らないんですか?」
「そう? タイショウ君が少し太ったからって、カッコいいのは変わらないと思うけど」
「あの事件を知っている私たちだから、彼の事を高く評価できるんです。一年生からすれば、ただのゲームオタクですよ」
「でもでも、フクちゃんも彼の事カッコいいって思うでしょ?」
「……それはまあ、その通りですけど」
その言葉を聞いて、動揺が走る一年生組。練習中も無表情を貫き、練習バカの近衛先輩より真面目な印象があった副キャプテンが……頬を染めながら言ったのだ。
色恋にドップリ浸かっているマネージャーたちだけでなく、彼女と走りまわっている一年生プレイヤーにもどよめきが起こった。
「ふ、副キャプテンが、顔を赤くして……」
「キャプテン以上にそういう話に興味なさそうな副キャプテンが……」
「合宿でどうやって恋バナに巻き込もうか、相談しても全く案が出てこなかった副キャプテンが……」
「……仲良いわね、貴方たち。というか、私そんな堅物のイメージなの?」
女子サッカー部一年生プレイヤー組は、発足一週間ですでに結束を固めているようだ……いいなぁ、私もあっちに混ざりたい。
結局その日は副キャプテンをイジる方向にシフトして、その人の情報を得ることはなかった。
が、マネージャーが次々に辞めていって私だけが残っていたある日、再び話題となった。
マネージャーの仕事を一人で回せなくなって、近衛先輩が一緒にスクイズを洗ってくれていた時である。
「そういえば、先輩たちの好きな人ってどんな人なんですか?」
「ん〜? タイショウ君の事かい?」
「いえ、知りませんけど。ていうか、先輩たち全員に好かれてるって相当モテてますよね」
なんとその先輩、女子サッカー部に所属する二、三年生の全員が好意を寄せているらしい。一年生組の「フクちゃん先輩をデレさせるための会」から流れてきた情報だ。
なぜか、誰も告白などはしていないみたいだけど。
「彼は中学からサッカーを始めたみたいでね。ポジションはトップフォワードで、とにかくボールの扱いが上手かったかな」
「その人が、池上先輩よりカッコいいんですか?」
「えっとねえ、悪いけどその話はしないルールなんだ。ある人の尊厳に関わるというか……まあ、池上が悪者の手下で、タイショウ君が悪者を一網打尽にしたっていうか」
「??」
「うーん、教えられるのなんて彼のプロフィールくらいなんだよね。それでいいなら……」
と言ってその先輩の個人情報を話し始める近衛先輩。名前、学年とクラス、出席番号、成績、身長、体重、血液型、家族関係、住所などなど……
近衛先輩、なんでそんなに詳しいんですか。
「サッカー部を辞めてから交友関係が一気に乏しくなったようでね、最近はゲームにはまっているようだよ」
「へ、へええ、そうなんですか」
「休み時間にスマホゲームをやっているらしくてさ……あの雌ガキ、隣に座っているくせに彼の事をいないみたいに扱っているらしいんだよ」
「せ、先輩、言葉がちょっと乱暴です」
「おおっとすまない。彼の事になるとつい、ね……ああ、そういえば香澄ちゃんも彼の事を嫌がっている一人だったね」
え?
「毎朝電車で一緒になっている学生がいないかい? 彼がタイショウ君だよ」
衝撃のカミングアウトだった。まさか、いつもスマホをいじっているあのオタク男子が、校内でそこそこ人気のある先輩たちにモテているとは……
通学中、同じ車両に乗っている少し太めの高校生。私が乗り込むドアのすぐそばの席を常に確保している彼は、いつもゲームをやっている。
あまりに楽しそうにやってるものだから、つい気になって覗いてみたら……女の子の絵が画面いっぱいに広がっている、なんて事もあった。汚物を見るような目になるのも仕方なかったのだ。
この前、先輩たちがどこか冷たかったのはそのせいだったなんて。次の日から元通りになったから原因も分からなかったけど……
「いやごめんごめん。香澄ちゃんが彼をそういう目で見てたっていう情報が入って、ちょっと頭に血がのぼってたんだよね」
「わ、私、先輩たちに嫌われてるんですか?」
「わわわ、そんな泣きそうにならないでよ。大丈夫、香澄ちゃんが悪い子じゃないのは皆分かってるから」
「そ、そうなんですか。良かったです」
「それに、彼がその時はまっていたの、所謂ギャルゲーってやつだったんだろ? 私もそれ聞いたら納得したよ」
というか、よく考えたらなんでそんな情報が先輩たちに伝わってるのだろうか……闇が深そうだ。
なぜあの人に先輩たちが惚れているのか。
「いやあ、どこが好きって言われても、全部としか言えないかな。見てるだけで、こう、体がポカポカしてくるんだよね」
という答えが返ってきて気になった私は、その日からその先輩に注目していた。
隣に座って観察しても、相変わらずゲームが好きなんだなという感想しか出てこなかったけど……今なら先輩たちの言ってた事も分かる。
皆が逃げるか動けなくなる状況で、誰かを助けるために戦い始めた先輩はとても輝いていた。
気弱そうな浅間先輩が感化されてゴブリンに突っ込んで行き、先輩に助けてもらうという謎のマッチポンプが出来上がっていた程だ。
なんというか……主人公気質の人だった。訳の分からない状況の中なのに、理路整然として大人のあや姉さんと肩を並べている、大きい背中が安心できる先輩だった。
会話を交わしていると、近衛先輩が言っていたように体の芯から熱が込み上げてくる。
私もいつのまにか……この人を好きになっていた。守られたいと、そう願ってしまったのだ。
でもあの瞬間、圧倒的な存在を前にしてなお、先輩は私たちを守ろうとしたのだ。
あのモンスターを見て先輩が残ると言った時、私も残りたかった。
初恋の相手が死地に向かおうとしているのに、それを指をくわえて見ているわけにはいかなかった。
「先輩! わ、私も……」
「『安全地帯』を切る。浅間、頼んだぞ」
だけど先輩が駆け出して必死に伸ばした手は、後ろから羽交い締めにされて届かない。決死の表情で先輩とあや姉さんはモンスターと戦っていた。
襲いかかってくるゴブリンを見て、後ろの皆の事を思い出した私は抵抗をやめる。モンスターを習得したばかりの『風魔法』で斬り伏せながら、皆と一緒にホームから離れた。
ホブゴブリンの数も多くて、『安全地帯』が無いとこうも戦いにくいのかと思うが、それでもこっちに来た敵は全滅させる。
「浅間先輩!!」
「だ、ダメだよ。僕らのレベルじゃ、あの戦いにはついていけない。ぼ、僕はまだ、死にたくないん……」
「ならいいです! 私一人でも行きますから!!」
「あ、ちょっと……くそっ、分かったよ!」
一人駆け出した私は、だけど先輩たちの窮地に一歩間に合わなかった。
倒れるあや姉さんに近づくモンスターに、先輩が突進を食らわせて……先輩は落ちていった。
「先輩!!」
〈国鉄の豚王を倒しました。経験値を100P獲得しました〉
〈レベルが8になりました。ステータスが上昇しました。スキルポイントを4P獲得しました〉
今、先輩は死地をさまよっている。
モンスターも死んだあの高さから落ちた先輩は気を失っていて、改札から出た私たちが目にしたのは先輩に群がろうとするゴブリンだった。
先輩の『安全地帯』が持続していた事から、まだ生きているらしい事は分かったけど、夜になった今でも目を覚まさない。
駅に併設されたショッピングモールからマットを持ってきて、仰向けに寝かせた先輩の右手を『回復魔法』を習得した咲先輩が握っている。
もう一方の手を私が握りたいところだったけど、泣きそうな顔をしているあや姉さんを押しのける事なんて出来なかった。
そもそも、あの場に残らなかった私に先輩を心配する権利などないのだ。あの場から離れた時点で、私が先輩たちを見捨てた事には変わりないのだから。
もうこんな悔しい思いはしたくない。好きになった人に重荷を押し付けるような真似はたくさんだ。
だから私がこの気持ちを伝えるのは……あの大きい背中を支えられるようになってから。
見張りを続けながら、私はそう決意を固めるのだった。