1Kの部屋で何度も
月曜日の四時限目はリーディングⅠ。髪の長い女の先生で、必ず顔を見ながら出席をとった。四十人足らずのクラスだったから、私はこの時間はしぶしぶ学校に行った。たいくつなイギリス戯曲の訳を一番後ろの席で聞きながら、私は眠りこけていた。悲しみに沈む騎士になってだいちゃんが走る、追いかけて私も走る。掴まえた手は私の手。だいちゃんは私、私は光になっていた。
涙ぐむ私は瀕死のアイルランド王女。光は、私の顔を覗きこんでニヤッと笑い、足元の砂山をどんどんと踏み固める。硬く硬く踏み固める。どうだ、今度こそ崩せないぞ、崩してみろ。砂はコンクリートになった。私は一筋の涙をこぼす。横顔は、まんまるいよう子ちゃんの含み笑いになる。
もの悲しかった。何かが違う気がした。「はい、次週は五十七ページからです。」裏声のような高い声で目がさめた。講義が終わっても私はしばらく教室でぼうっとしていた。ぼうっとしたまま、学校を出て、寮に向かう。学校から寮までは歩いて十分くらい。最後の四つ角で立ち止まって、私の足は寮に向かわず、右に曲がっていた。その先にはアパートがある。六畳一間、風呂なし。
二階のその部屋を見上げて私は一人で苦笑いした。笑いながら、もと来た道を引き返して、寮に向かっていると自転車とすれ違う。瞬間、自転車が止まった。
「ゆづちゃん」
名前を呼ばれてビクッとする。
幼なじみのように、さりげなく、何でもないように、ナオは私をそう呼んで、涼しそうに笑っていた。
「お風呂?」
濡れた髪を見て、私も他の女友達に言うようにごく自然に言葉が出た。
「うん、この時間空いちょるけえ。」
独特の山口弁に気が抜けて、ちょっと口が斜めになる。ナオはそんなの気にもとめないで
「うち来る?」
私は悩むふりをする。
「晩飯一緒に食うか?」
いいか、それくらい。私たちは六時に待ち合わせをしていったん別れた。
寮に帰って私はシャワーを浴びた。そうなってほしくない一つの予感があった。私の中の別の私がむっくり起き出している。フフンとにやけた顔をして。
六時過ぎに彼のアパートから自転車を二人乗りして海岸沿いのちょっとくたびれたお好み焼き屋に行った。そば入りと野菜焼きとビールを頼んで二人で飲んだ。ナオと乾杯すると、なんだかビールが甘く感じられた。
ほろ酔いでナオのアパートに帰って、また飲んだ。飲んで私はもう一人の私になる。お酒で醜い自分をさらけ出して、ナオにきれいにしてもらいたかった。醜い私を全て舐めとってほしかった。つるつるのまっさらなイドになりたかった。
なんでだろう。「ゆづちゃん」の響きが心地よかったから。ナオの顔がつるんとして、ゆでたまごみたいだったから。ひっかかりのないその顔で、私の心のバリアをいとも簡単にすり抜けて入ってきた。光はなぜか、面と向かって私の名前を呼んだことがない。まだ一度も。
お好み焼き屋で大びん一本、アパートで三本空けて、二人はぐっと感情的になっていた。私が先にナオに手を出した。抱き着いて、
「していいよ。」
ストレートにそう言った。
「おまえ、すごいな。」
ナオは目を見張った。でも、すぐに私にキスしてきて、一連の行為に入った。
ナオは意外とテクニシャンだけれど、ちっともムードがなかった。電気も消さない、甘い言葉もささやかない。光とは違う、ただ気持ちよさだけを追求したセックス。愛がないからだろうか、心が伴わない分、体だけに集中できた。男のたしなみ、なんて言って、コンドームは一グロス。用意周到。
終わったあと、彼はすぐに起き上がって、鼻歌混じりに、「泊まっていく?」と私に聞いた。もう、十時を過ぎていた。寮には帰れない。私が「いい?」と聞き返すと「どうぞ。」と言ってもう、自分はパジャマに着替えて冷蔵庫を覗いている。私も即行で服を着て、なんでもなかったように笑った。
翌朝、ナオが電気ポットでお湯を沸かし、コーヒーを入れてくれた。オーブントースターで焼いたパンをかじりながらナオが言った。
「ゆづちゃん、光って人のことはもういいん?」
私は首筋がひんやりした。
「なんでそんなこと。」
思い出せない。私はナオに言っただろうか。頭を過去に飛ばしてみる。
ナオは前の彼女のことがまだ忘れられないと言った。ふられたんだ。私は、彼がいると…言った、そう言えば。最初に会った時だ。
彼はごっくんとパンを飲み込んで、今度ははっきりと
「光がおるけえ俺とはせんって、言うたじゃん。」
なんてアッサリ言う。
「そうだっけ?」
私はとぼけるふりをして、思い出していた。
そんなこと、言ったんだ。言ったような気が、今、してきた。そして、すごい自責の念に襲われた。光の名を聞くと、もうだめだ。朝から泣いてしまいそう。私はコーヒーカップを震わせて、涙をこぼしてしまった。
「げっ。」
ナオはそう言っただけで、私を泣かせたまま、身支度を始めた。私の涙は一滴だけにとどまった。
なにもなかったようにコーヒーカップに口をつけた私を、ナオは横目でちらちらと盗み見ている。
「なに?」
そう言うと、
「よかった。」
と笑っている。
「俺、泣かれるの苦手。」
その感じ、ああ、あの、同級生の元彼になんだか似ていた。
昼前にアパートを出た私は、寮とは反対側になんとなく足を向けた。たこ焼きのおいしい匂いに釣られてスーパーでぶらぶらしていると、大学の同級生にばったり会った。最初、睨むようなしかめっ面で見てきたので思わず視線を避けようとしたけれど、おかまいなくどんどん近づいて
「ここ、よく来るの?」
とにっこり笑った。
彼女の買い物篭には野菜や、くだもの、洗剤などが入っている。
「ううん、初めて。」
私は買い物篭も持たずにただ、うろうろしていた。
「あたしのアパート、すぐそこだから。」
彼女が前方を指差した。
「へえ、アパートにおるん?」
ちょっと考えればわかることだ。自宅通学以外で寮に入っていない子はたいていアパートに入っている。ただ、彼女は四月には寮にいた。入って二週間ほどで出た変わり種だった。
なんとなく興味を持って、私はアパートの間取りとか、家賃とか聞いていると、「おいでよ。」と言う。そのままついていったら、アパートは、ナオのとこと寮とちょうど三角形で結べるような位置にあった。六畳の和室と二畳くらいのキッチンがあって、ナオのところよりは広かった。
「寮、いやじゃない?」
いきなり言われて「いや。」と、即答してしまう。
「棟家さんに、前から興味あったんだ。」
そう言われて、男の子に告白されたようにきゅんとした。
彼女とは学部が違うから、同じ大学でもめったに会わない。それに、私はあんまり学校にも行かないし。会うのは彼女が寮を出た日以来じゃないだろうか。
「彼に泊まってもらうために、寮を出たんだ。」
聞きもしないのに彼女、セリは話し始めた。
セリは遠くの県外から来ていて、しゃべり方も共通語に近かった。地元に高校からの彼がいて、その彼は東京で就職していた。交通費だけでもお金がかかるのに、その上ホテル代はばかにならない。寮は門限十時だし、入って早々に外泊したら変な目で見られたし、東京の大学に行って、一緒に暮らせばよかった―――。そんなことを時々眉間にしわを寄せながら淡々と話した。
私の噂、聞いているんだ。そう思った。だから、興味を持ったんだ。
「あたしも寮、出ようかな。」
ふっと言った。そして、今まで何でそう思わなかったのかが不思議に思えた。窮屈な思いをして、仲間はずれのようになって、なのに、何で。
めんどうくさかった。新しいことを始めるのにはエネルギーがいるから、まあいいか、と思っていたのだ。だけど、実例を見て、私にもできそうな気がしてきた。
「私、寮出る。」
そう決めて、セリに教えてもらった不動産屋に直行した。
不動産屋に言わせると、私は運がいいらしい。五月末、空いている学生向けアパートはほとんどない。なのに、今月末で出る学生がいると言う。五月病で大学をやめて、家に戻るそうだ。
周りは女子大生ばかりのこぎれいなアパートだった。セリのところは性別、年齢ばらばらで、薄気味悪い感じの人もいたけれど、私のところはその点安心だった。すぐに実家の母に連絡して許可をもらい、賃貸契約をかわした。
母には以前から、寮の窮屈さは話してあったので、意外とあっさり承諾してくれた。家賃分の仕送りアップも楽勝だった。田舎にいて、右も左もわからないから安全対策のために寮に入れられただけで、寮じゃないといけない理由なんてどこにもなかったのだから。父の会社は今のところ安定していて、私には金銭面の心配は必要なかった。
寮を出ると決めてから、私は寮で寝ていなかった。あれからずっと、帰る場所はナオのアパートになっていた。私がいない時に、何回か光は電話をくれたけど、私からはしていない。光とは病院の報告をして以来、連絡が途絶えたままだった。ナオのことがあって、私はなんとなく、光と直接話すことを避けていた。光に申し訳ない。だけど、今はナオといたい。光が好きなまま、体はナオを求めた。
ナオといると、私はリラックスできた。光とは違う、本当に空気のような存在だ。倦怠期の夫婦もこんな感じなのかなと思うくらい。泣いたり、すねたり、甘えたり、そんなことが不要だった。今までそうして光を困らせたり、私への愛を確認したりが楽しかったのに、ナオにはそれが不要。お互いに愛を感じていないからだ。何も感じていないんだ。ナオは素直でわかりやすくておもしろい子だった。一人漫才のような事をして、よく私を笑わせてくれた。
産婦人科の処方箋のおかげか、あれからすぐに生理が来て、五日間は何もなく、ただ寄り添って寝るだけだったけど、野良猫の兄弟のように安らかな気持ちだった。昼間はセリ、夜はナオ、私は二人の間を行ったり来たりして過ごしていた。
六月一日、私はセリとナオに手伝ってもらって引越しした。寮にあった私の家財道具はしれたものだった。何もないがらんとした1Kの部屋で、私は意気揚々としていた。なんだか、ここから私の本当の大学生活が始まる気がした。
光には、手紙を書いた。始め、長い手紙を書いたけど、破って捨てて、新しく、短い手紙を書いた。
「寮を出ました。
新しい生活を始めます。
もう、光がそばにいなくても、私は平気です。
宇品二丁目○―△ すみれ荘一〇二号室
ここから私の新しい生活が始まります。」
そっけない手紙だけど、新しい住所はきちんと明記して。
私は新しいアパートに電話をひかなかった。当時は電話をひかないことはそうめずらしいことではない。加入権だけで八万円もする電話は学生にはかなり高価だった。古きよき時代、急用は大家さんが取り次いでくれることになっている。必需品のテレビと冷蔵庫は、母からの臨時送金で買った。初日からアパートには、ナオが入り浸っていたけれど、私も一週間近く入り浸っていたから文句は言えない。
台所で食事を作って、夫婦のように夕食を共にした。二人で銭湯に行って、二人でテレビを見て、ひとつの布団に寝て、昼間はそれぞれの生活をする。
ナオはうちの大学の近くにある専門学校の一年生だった。二年で卒業して、就職する予定らしい。
アパートに越して一週間が経った土曜日の昼過ぎ、私はナオにもたれてうとうとしていた。ナオはお笑い番組を大笑いしながら見ていた。玄関をノックする音がして、チェーン越しに見ると、光がいつものぼさぼさ頭で、眠そうな顔をして立っていた。
「なんで?」
私のトーンにナオが反応した。一たんドアを閉めて、私は小さく「光」とナオに言った。玄関脇の鏡を覗くと、私はいかにも今起きたというような、寝ぼけた顔にスウェット地のパジャマ。でも、繕っている余裕はない。
その辺に脱ぎ散らかしてた服にささっと着替えて、両手で髪をなでとかしながらチェーンをはずして外に出て、後ろ手にドアをぱたんと閉めた。目がうろうろ泳いでいる私に、光はだるそうに
「元気?」
なんてとぼけたふりして聞く。
「どうして?」
私の真剣な目に光もまじめになって、
「心配で、来てみた。」
「…。」
「でも、元気そうやな。」
「うん。」
そのまましばらく沈黙。私は何も言うことができない。
「なんか、まずかった?」
ナオが中にいること、知られたくなかった。答えられないでいると、
「せっかく来たし、俺、サテンにおるから、出れるようなら出て来いよ。だめなら、電話して。」
そう言って、光は平べったい喫茶店のマッチを私に渡してさっさと消えた。
ナオは光が行った後も、おろおろしてる。私はナオのことなんか放っといて、今度はピンクのファンシーケースからお気に入りの服を出して着替え、顔を洗って化粧をした。そして光をこの部屋に入れることを想定して、部屋をざっと片づけた。ナオの気配を消すことを中心にして。片づけ始めた私を見て、ナオは外の様子を伺いながら、こっそり部屋から出て行った。出た後は多分一目散に走ったんじゃないかな。見えない光の目を気にしながら。
光が指定した喫茶店はアパートから歩いて十五分くらいのところで、表通りに面した店ではけっこう渋めの穴場だった。お酒もあって、夜はバーになるようだ。こういうとこ選ぶの、光らしい。私は今まで遠目に見てただけで、入るのは初めてだった。
薄暗いカウンターで光はママらしき人と親しそうに、笑いながら話してる。私を認めて「よう。」と言って、ママに目配せしてる。見知らぬ人とすぐ親しくなるの、得意な人。
「ここで昼飯食って、出てから三十分足らずで戻ってきたしママが心配してなぁ。」
「ママ」は笑顔で私に会釈して別のお客さんの方に向いた。
「ごめん。」
私が言うと、光は優しい目で私を見てる。
「なんで?」
「だって…。」
私は言葉が続かない。
「あそこ、探すの苦労したんやで。すみれ荘なんて名前、地図には載ってないし、似たようなアパートがいっぱいあるし。ここ入ってママさんに聞いて、やっと探し当てたんや。」
そこで光は一たん私を横目でちらっと見て
「でも、誰かさんは入れてくれへんし。」
なんて言う。
「ごめん。」
もう一度言うと、光は私を正面からじっと見詰めた。それから 目をそらして、コーヒーをすすりながら
「予感、的中…か?」
ひとり言のように言った。
「なにが?」
わかっていたけど、黙っていられない。
「俺がおらへんでも、大丈夫。俺、もういらんってか?」
光は笑ってたけど、目の奥はさみしそうだった。手紙のこと言ってる。
「そうじゃないって。」
本当にそうじゃない。でも、そうかも。だけど、光の思ってるような意味じゃない。
「そばにいてほしいよ。でも、いないじゃん。」
涙ぐみそうになった私の頭を光は横からくしゃっと軽く押さえた。
「なんで電話くれんかった?」
「…声聞くと、会いたくなるし、さみしくなるから。」
嘘じゃない。
「何で…部屋に入れてくれんかった?」
もう、答えないわけにはいかない。
「友達が…いたから。」
「友達…?」
光の問いただしたそうな目に、私は下を向いたまま小さく答えた。
「男だから。」
私の頭から手をはずし、光は黙りこんでしまった。二人とも黙ったまま、時間だけが過ぎていった。
「行こう。」
私は光の手をとった。
「どこへ?」
「スーパー。」
私は強引に光を引っ張って、「海岸通」というその店を出た。
「夜、何が食べたい?」
光にスーパーのかごを持たせて私は明るくふるまった。
「おまえが作るんか?」
光にいぶかしげに聞かれ、笑いながら、私はかごに食材を入れていく。
「前にチャーハン作ってもらったよね。私はオムライス作ってあげる。」
この前、セリに習って作ったばかりだった。一人暮らしを始めて、料理は目下、勉強中。鶏肉に、にんじん、たまねぎ、卵、ビールにつまみのイカと柿の種も買って、私たちはアパートに向かった。大事なことには触れないで、今会っていることの幸せを優先した形。
私はアパートに着いて、すぐに夕食の支度とりかかった。光はろくに部屋の中を見もしないで座ってビールを飲み始めた。夕方五時、外はまだまだ明るい。私も下ごしらえが終わるとご飯が炊けるまで、座って少しビールをもらう。おいしそうに飲むと、光が目をみはってる。
「へええ。」
そう言って、もういっぱい注いでくれた。
缶ビールを二本開けて、オムライスを二人で食べた。甘いケチャップの味が少し濃くて、ベタベタしたけど、光はおいしいと言ってくれた。
それからお互いに何が作れるか、とか、失敗した料理とか、どうでもいいような話をしながら、三本目のビールを二人で飲んで、時計を見るともう八時。光が立ち上がって、
「俺、そろそろ帰るわ。」
なんて言う。
私は下を向いた。それでも光はおかまいなしでドアに向かう。ドアの前で振り向いて、
「おまえの料理食べれてよかった。もう、来んから安心して。俺のことはもうええから、自分の道、大事にな。」
なんて、別れの言葉のようなことを言う。
私は走り寄って、光に飛びついた。
「なんで、なんでよお。」
泣き声になってる。光は両手で私の顔をつかんで、自分の顔の前に引き寄せる。
「そばにいてやれへんし、俺がおらんでも、ええんやろ。」
私は首を振った。
「おまえなら、大丈夫や。俺なんか、必要ない。おまえはやっぱり強い。」
私は首を振り続けた。涙でぐちゃぐちゃな顔を光の胸に埋める。光はまだ、私を抱きしめない。でも、強引に出ていくわけでもない。ドアの前で私を受け止めて、じっとしてるだけ。
何分くらい経っただろうか。かなりの時間、二人でじっとドアの前に立っていた。がまんくらべみたいに。
光の長い溜め息で、沈黙は打ち切られた。大きく息を吐いて、光はかすれた声で言った。
「泊まってええんか?」
私は上を向いて、光の目を覗く。
「いいよ。」
光が熱く、長いキスをくれる。ちょっとお酒でほろ苦いかすれたキス。涙の跡をたどるようにキスをして、そしてやっと抱きしめてくれた。
こういう震えるようなキスや、抱きしめ方が、光は抜群にうまいと思う。ナオにはない、光の魅力。だけど、同時にそれが、光の致命的欠陥でもある。
「俺、弱いねんなあ。」
「何が?」
「おまえの涙に。」
ひとり言のように薄く笑って、光は私を抱き上げた。
ナオは涙が苦手だと言う。光は弱いと言う。私は苦手な人の前では泣かない。弱い人につけこんで泣く。光に許してもらうため、光に慰めてもらうため。
光が私の服を剥いでいく。
「お風呂、入りたい。」
消え入るように言う。
「だめ。」
光は手も、唇も止めない。
「でも。」
気になるのは、今朝、ナオと愛し合っていたこと。その同じ部屋で光と愛し合うのも本当は気が咎めるのに、同じ体のままなんていやだった。
「お願い。恥ずかしい。」
そう言って、私は力を込めて光を引き離す。でも、だめ。光は私の気持ちを知っていて、今朝のことを知っていて、わざとそうしているように見える。乱暴に私の下着を取り去ってしまい、私をあっという間に裸にし、すぐに下腹に舌をすべらせる。自分のものかどうか、確かめるように。
もう、観念するしかなかった。畳に直に肌を押しつけられ、いつもより荒っぽく光は私に入って来た。私は光にしがみついて、激しい動きに夢中になっていった。
光との行為は、切なさや、愛しさの分、ナオとは比べられない感動があった。終わった後も、いつまでも、抱き合っていたかった。そして私が手を離すまで、光はそのままでいてくれる。
やっと、余韻が静まって、起き上がると、光は突然
「飲みに行くか。」
と言った。
二人で銭湯へ行って、さっぱりして、大通りに出た。
夜の「海岸通」は昼間より一層薄暗く、アダルトなムードでいっぱいだった。なんだかわからない黒人系のソウルミュージックが流れている。ボックスもあいているのに光はまたカウンターに座った。カウンターの中には、昼間のママと、あと二人、二十代後半くらいの女の人がいた。
光は飲みに来ること、ママと約束していたようだ。私たちは「再会を祝して、」なんて言われて乾杯した。私と光のことか、ママと私たちのことかはわからないけど。
さすが、プロの接客は違う。彼女たちのおかげで、私と光は沈黙も、涙もなく、楽しく過ごすことができた。いろんなカクテルを作ってもらってみんなで回し飲みなんかして、閉店まで居座った。店を出ると二時を回っていた。
結構飲んだはずだけど、私は酔っ払ってはいなかった。店では酔っ払っているように見えた光も、しっかりとした足取りで歩いていた。二人は無言のまま、部屋に戻り、無言のまま再び愛し合った。朝が来るまで何度も何度も光は私を求めてきた。
夜通し起きていたので、二人とも昼まで起き上がれなかった。一つの布団で裸のまま、寄り添ったまま。
ナオと一週間寝た布団。抵抗がないわけではない。だけど、自分でやったことだから、光と一緒にいたかったから、仕方なかった。形や物よりも、その場その場の快楽が私には一番大事だったのかもしれない。
正午を過ぎて、光が
「腹減ったぁ。」
と耳元で子供っぽく叫んだ。
「何か作ろうか?」
言ったものの、作りたくなさそうなのが見え見えだった私に、
「俺が作ってやる。」
そう言って、光が先に起き上がった。冷蔵庫を覗いて、
「おまえ、まともに料理してるんか?」
なんて失礼なことを言う。
結局昨日のごはんの残りと、野菜と卵でチャーハンを作ってくれた。光のチャーハンはべたつかず、申し分なくおいしかった。
お皿を洗っている背中に光がぽつりと言った。
「おまえの、男友達っていうヤツに会いたい。」
私は聞こえないふり。ごしごしいつもの三倍も丁寧にお皿を洗う。
きのう、二度目の時、私は光を自分から愛撫した。手と、舌を使って。光は驚いたように、一瞬私の頭を持ったけど、私が強引に顔を光の下腹に沈めると、手をはなして、身を任せた。
今までしたことのない行為を平然とやってのけた私に光は男友達の影を見たのだろう。だけど私は、光と思いっきり理性を捨てて、一つになりたかったんだ。
ふわっと背後から光が抱き着いてきた。首筋に唇を押しつけられて、私は身を捩る。今度は髪に唇をおしつけて、こもった声で
「離したくない。」
そう言われると、やっぱりうれしい。
「会社辞めてここに越してきたら?」
光はふっと笑った。
「そやな。でも…。」
でもなに?会社は辞められない?それとも…。振り向いて聞きたかったけど、その前に、光は私の唇をふさいだ。
優しいキス、そしてだんだん激しくなる。両手できつく抱きしめられて、立ったまま、全身を指が這う。泡だらけの濡れた手が宙を舞う。私は光の両腕で身動きが取れない。後ろから抱きかかえられ、奥深く突き抜けるように光が入ってくる。前のめりになった私は流しに手をついて体を支え、体の芯で光を感じる。昨日から何度目だろう。光は私から他の男の気配を消し去ろうとするかのように、激しく、何度も私を貫いた。いつのまにか、外は暗くなりかけていた。




