社会人~正しい選択
~社会人
神戸での新しい生活に、私は浮き足立っていた。知っている人は一人もいなかったけど、何も気にならない。むしろその方が、新しい私に生まれ変わるには好都合だったし。
会社が手配してくれたマンションに住み、引越し二日目には出社。会社もマンションも三宮の繁華街からは少し離れた比較的静かな場所にあった。マンションから会社へは歩いて十分。新しい会社は何もかも新鮮で、やりがいのあるものだった。入社式を終え、社会人として、一人前の大人として、私は歩き出した。
最初の二週間は研修で、実務とはかけ離れた、学生時代の延長のような勉強をしたけれど、その後はいきなり営業、旅程組み、手配と、なにもかもプロ同様、自分でやらされた。皆が新入社員で、中途採用の経験者はいても、会社の先輩はいない。わからないことがあっても聞ける人がいない。全て自分で調べて、答えを出さなければならない。飛び込みのセールスは当たり前。お客は自分で掴まえなくてはならない。
意気込んで入ったその期待以上に、やりがいはあった。だけど…。あまりにもやりがいがありすぎて、私は入社二ヶ月にして早くもパンク寸前になっていた。四年間ぐうたらしてきた私にはハード過ぎて、体も精神もずたずたになった。
やるべきことは尽きる事がなく増えて行く。ただでさえ、何の下知識もない私は、覚えるべき事が山ほどある。帰宅は連日十時を回った。シャワーを浴びて、ローソンの弁当を食べて、あとは寝るだけ。そんな毎日が続いていた。休みは週二日あったけれど、仕事が残っているのだから、出社せざるを得なかった。がんばって、がんばって、二ヶ月経って、やっと日曜日に丸一日休んだら、涙が止まらなくなった。
神戸に来てから私は春人に連絡をとっていなかった。また気持ちが、以前の私に戻るのが怖かった。春人は一方的に去って行った私を追いかけるようなことはしない。「どうしてる?」なんて死んでも言わない。そういうプライドは強いし、物にも人にも執着しない。だけど、会いに来てくれてもいいのに、なんて身勝手なこと思う。今日は、もう限界。震える指で、春人の電話番号をプッシュした。くぐもった電子音がしばらく鳴り続けた。一度切って、またかけたけれど、春人は何度コールしても出てはくれなかった。
誰かに話を聞いてほしい、ただそれだけの気持ちだった。セリにはできない。だって、彼女は私と同じ立場の新入社員。泣き言なんて言えない。この前、充実してるなんて、大きなこと言ったばかりだったし。私は同性には見栄っ張り。家…それこそとんでもない。それ見たことか、そんなに大変ならすぐに帰ってきなさいと言われるのが関の山。いくらスーツを着たところで、両親にとっては私はまだまだほんの小さな子供にすぎない。私は未だに親の呪縛から抜け出せない、エディプス・コンプレックスもどき。
白い電話の小さな四角いボタン。指が自然に動いて電話した先は、日曜日だから、もしかしたら、いるかもしれない…神戸に来てからずっと心の片隅にあった、そう、あの人。
「はい、浅野です。」
歯切れのいい、若い女の声。もうあどけなさはどこにもないけれど声のトーンで妹だとわかった。
「あの、」
言いよどんで、そのまま
「光さんいますか。」
なんとなく、名乗ることをためらった。
妹は少し間を置いて、怪訝そうに言った。
「お兄ちゃんは、結婚して、ここにはもうおりません。」
私は何も言えなかった。何も聞けなかった。彼女の声には撥ね返すようにキンとした厳しい響きがあった。
「あ、そうですか。では、失礼します。」
そう言って、電話を切るのがやっとだった。
結婚…かあ。ピンと来なかった。だって、私に言ったんだよ。
「結婚しよう。」
って。私との子供、育てたいって言ったんだよ。
最初は高校生の時。
「俺はおまえとやったら、結婚して、子供育ててもええと思うてる。」
あの時は、二人とも、まだほんの子供だった。だけど、二回目の時は、光はもう社会人、本気で言ってくれたと思う。
「結婚したい。俺の気持ちはもう決まってる。」
確かに言った。
そして私は
「結婚してあげる。」
って答えたんだ。
遠い、遠い、架空の約束。ほら、私の方が正しかった。未来の約束なんて嘘っぱち。
別にこだわってなんかいなかった。忘れてた今まで。今の私は、光の事、どうこう思ってないし、いなくてもいい存在でしかない。
だけど、やっぱりショックだった。最後に振られたんだ、私。力が抜けて行く。
懐かしく、幼い、青臭い光との思い出が次々と浮かんできた。最初に抱きしめられた時、ファーストキス、初めてのセックス、ラブホテル、何度も何度も交わったアパート、そして最後のホーム。どれも、光とだったから、こんなに鮮明に、優しく思い出されるのかな。他の人の時なんて、ぼんやりとしか思い出せない。光とのことだけは、どれも皆、ひとつひとつリアルに鮮やかに浮かんでくる。
小さな胸が恥ずかしかった私が、堂々と、自分を見せられるようになったのも、光が私を大事に大事に扱ってくれたから。光と共に、私は成長したんだから。
「そっか、結婚したんだ。」
永遠に私だけのものだと思いたかった。プロポーズの言葉、本当は信じてた。私の心は離れても、彼の心は私のものだと思っていたかった。
身勝手だね。当たり前。彼の選択は正しい。よかったね光。ほかの人と結婚して、おめでとう。私じゃなくて、おめでとう。おかしくなって笑いながら、虚しくなって泣いた。二ヶ月ぶりの休みに、めちゃくちゃに感情が入り乱れ、私はその夜、熱にうなされた。
変われる、これで本当に変われる。仕事に生きる、自立した大人になる。もう、泣き言は言わない。誰も必要ない。誰にも電話なんてしない。朝方になって、熱が引き、やっと気持ちを立て直した。明日から、また、がんばろう、そういう気持ちがむくむくと湧きあがってきた。
「おまえは多分、大丈夫やと思う。強い女やろ」
「そう、あたしは強い女だから」
私は一年がんばった。ほとんど休み無しに会社に行って、自分の仕事をこなした。
平日でいろんな会社をまわり、各社の要望に合わせて旅程を組んで、土日はほとんど近場のツアーコンダクターでつぶれる。大学時代の私からは考えられない忙しさだった。仕事の合間に勉強までして、三月には待望の旅行業務取扱いの国家試験にも合格した。仕事以外の生活はまったくなかったに等しい。
そんな中、ほのかな恋の予感もあった。一緒に資格試験めざして勉強していた同じ職場の同僚と、なんとなくいいムードになっていた。まだ、恋人とか、そういう関係じゃない。周りには冷やかされるけど、何も打ち明けあっていない、曖昧な関係だった。
私は社会人になって、慎重になった。責任感もできてきた。そうならざるを得ない重圧が、この会社にはあったから。
四月一日、土曜日の夜、私はその人と初めてのデートをした。いつか、光に案内された、きれいな夜景の見える場所。そこに桜の木があったのを覚えていた。
予想通り、大きな桜が満開になっていた。たった一本の桜だし、人が座れるほど広いスペースがないから、花見にはいい場所とは言えないけど、二人で缶コーヒーを飲みながら、フェンスにもたれ、静かにぼーっと桜を見るには絶好の場所だった。彼も私も旅行会社でさんざん観光名所に携わってきたから、そういうところは避けたかったのだ。
「へー、よくこんなとこ、知ってはったなあ。」
職場の彼に感心されて、ちょっと得意になりながら、光の事ちらっと思い浮かべていた。しばらく眺めていたけど、肌寒くなってきたので、私たちは早々にその場所を退散し、坂を下って駅に向かった。
三ノ宮駅で電車を待ってると、行楽帰りの人の波に呑み込まれた。夙川方面からの寿司詰めの電車から降りてくる人の切れるのを待っていると、可愛い赤ちゃんを抱きかかえた男性に視線が釘づけになった。
彼は電車を降りていた。右腕にまだ一歳にも満たないほどの小さな赤ちゃんを抱き抱え、左手で細面の優しそうな目をした髪の長い女性を、周りの人の渦からガードするようにして。カジュアルな白とグレーのチェックのシャツと、少しくたびれたブルージーンズ。長めの髪が線路から流れてくる風にふわふわ揺れている。
心臓がどくどく鳴り響いた。私の視線に素早く反応して視線を返した彼も、はっとしたように一瞬私を見つめた。そして私の隣の男を確認して、会釈のような、首をかしげたようなそぶりをみせたけれど、そのまま自然に目線を前に移して、人込みに呑まれて視界から消えて行ってしまった。私も人の流れに従って、そのまま、電車に乗った。
光。パパになったんだね。奥さん、かわいい人だね。幸せなんだね。
彼の幸せはうれしい。それは本当。だけど私は悲しい。赤ちゃんと女の人を除けば、光は、そっくりそのまま、私の好きだった光だった。私が一番好きだった頃の、あの、光だった。そして未だに、あの時の光の指先を、唇を思い出しては一人の夜を重ねる私がいた。
だけど、光の心の中には、私はもういないんだ。
その日、職場の彼と、初めての夜を過ごし、私は少し後悔していた。光と違う、その指、その唇。涙がどっと溢れた。あの時広島のホームでスーツの光について行けば、違った今があったのかな。矛盾した、抑えきれない思いに押しつぶされそうになっていた。
彼は勘違いして私を優しくなだめる。なんで泣いているのかと、言葉で理解しようとする。私は違う、違うと繰り返す。こんなに泣いてるのに、こんなに悲しい気持ちなのに、抱きしめて、優しく髪をなでてよ。よしよしいい子って言ってよ。私の目をじっと見つめて「大丈夫」って言ってよ。あの頃の、私の、私だけの、光のように…。
彼とはその後、何度か夜を共にした。体と心の親密さが、こんなに反比例する人は初めてだった。つきあうに従って、私に説教する物言いが鼻についた。私の涙に敏感に反応し、しゃべり続ける無神経さがなによりもいやだった。どんどん心は離れていき、けんかがちの一年を過ごした。あんなにのめり込んでいた仕事も、安定してきて休みを多くもらえるようになると逆に目標を見失い、やる気がなくなった。彼とのことでもぎくしゃくし、私は欠勤を繰り返すようになり、入社二年半で、やけくそ気味に会社を退職した。
女も幹部候補としてきちんと見てくれるという建前の会社ではあったけれど、同じ土俵では男に比べると、私は頼りなかったのだろう。引き留められもせず、私は会社名義のマンションを引き払い、ひっそりと大阪に移り住んだ。しばらくぶらぶらしていたけれど、別の旅行エージェント仲間から、ツアーコンダクター派遣専門の会社で働かないかと誘いを受け、奇しくも、かつての望み通りの、旅行三昧の仕事に就いたのだ。
実は職場の彼とのことでナーバスになっていた頃の私には、心の支えになってくれる人がいた。その人は、私が飛び込みのセールスで行ったとき、優しく対応してくれた最初の客だった。新鋭の、小さなアパレル会社の社長で、私よりも一回り年上の三十五歳。私が旅行を斡旋し、社員旅行にお供して、少しずつ親しくなっていった。
それは、私が初めて単独で受け持った社員旅行のツアコンだった。行先は沖縄。私にとっては未踏の地。現地で同行したベテランのバスガイドにこっそり教わりながら、慣れた風を装って、旅程表通り運ぶように一生懸命動いていた。添乗員たる者、プロとして、行ったことありません、知りませんは禁句だと最初に研修で教わったから。
いろいろ聞かれると、笑ってごまかすしかなくて、緊張で汗びっしょりになる私に、
「棟家さんは頑張り屋やな。その笑顔がいい。そやけどあんまり頑張り過ぎたらパンクするで。せっかくの旅行なんやし、自分も楽しまなあかんで。」
社長はそう言って、肩をポンと叩いてにっこり笑ってくれた。両頬がえくぼのように少しくぼむ優しい笑顔に、私は緊張の糸が切れて、つい涙が出そうになった。
二度目の社員旅行の時には、南国の島から島に渡る飛行機で隣に座り、
「君は俺の奥さんの若いころにそっくりなんや。」
と言われ、私はまたもじわっと心惹かれた。だけど、社長は恋愛の対象じゃない、ただの優しい素敵な人。社長の愛妻家ぶりは社員も認める揺るぎないもので、それを壊すようなことは、できるはずがないと思ってた。私は春人のお父さんの彼女のような、そんな存在になんてなりたくないし、自分のものにならない人なんか、いらない。私は私のことを一番に考えてくれる人じゃなきゃ嫌なんだ。
何度か仕事の延長で飲みに連れて行ってもらって、みんなで飲んで、わいわいやってと、最初はそんな軽いつながりだった。だけど、だんだん仕事の悩みを聞いてもらうようになり、同僚の彼とも別れ、会社を辞め、社長の行きつけのバーで、プライベートでも会うようになると、徐々に二人の軸はぶれていった。国内外を問わない単発のツアコンの仕事は思った以上にハードで、旅行から帰ると、私は無性に社長に会いたくなった。
それでも二ヶ月くらいはたまにお店で会ってただ話を聞いてもらうだけだった。だけどバーのマスターが出した二号店の新装オープンで、初めてチークダンスを踊って、二人気持ちが高ぶって、抱き合ってキスを交わしてしまってからは、どんどん気持ちが加速していった。
そしてあの日。ホテルも、帰りのJALもダブルオーバーブックで、客からは責められ、代理店とも揉めに揉めた中南米ツアーを終えた夜、ただ甘えたくて、私は社長の優しさを朝まで欲しがってしまった。お互いに、保っていたはずの最後の留め金がはずれて折れた。もう、留まらない。軸は完全になくなって、ぐらぐらに揺れ、危ない関係が半年続いた。そして三度目の正直。
私は妊娠した。
気がついた時にはもうつわりの症状も出始めていて、堕ろそうと覚悟を決めて病院に行くと、そのまま即入院。受精卵が卵管に着床する子宮外妊娠で、すでに破裂寸前だった。私は右側の卵管を切除し、十日間、病院のベッドの上で過ごした。
入院中、私は罪の意識に苛まれた。結果的にはそうなる運命だったけれど、生まれいづる受精卵を自ら殺すつもりで病院に行ったこと、幸せに暮らしている一人の女性とまだ幼い二人の子供を不幸にしてしまうようなことをしたこと、傷ついた心と体に、二重の罪が重くのしかかった。社長は今後の責任を取ると言ってくれたけれど、社長が奥さんと子供を大事に思っているのは最初からわかっていた。そのうえで、彼が私にとれる責任なんて、何もない。
退院後、私は社長との一切の関係を断ち切った。責任は二人にある。今とれる責任は、こうして何もなかったように、別れることだけ。奥さんには多分まだ知られていない。それだけが、私にとって、せめてもの救いだった。今なら間に合う。まだ、ぎりぎり間に合う。人の幸せを奪うなんて、私は絶対にしたくない。誰もがそうしたくてしているわけじゃないだろうけれど。
社長との半年は、苦しくなっていくばかりの日々だった。思うようにいかない切なさの分、会えば心も体も燃えたけれど、行きたくないのに、行かない方がいいとわかっているのに、意図しない方向に向かって行く、自分自身が嫌だった。一人の夜、消えかけた赤い影がまた血のように濃くなって、私の体を支配した。誰かの不幸の上に乗せた幸せは、いつも不幸に揺れているんだ。私には、その不幸を背負う覚悟はなかった。二つの罪は自分の体を傷つけて、きちんと清算できただろうか。もう一つの卵管は、私を許してくれるだろうか。時が経ち、社長のことは忘れても、傷は私のお腹に一生残る。どんなに薄くなろうとも。
その後も、しばらくツアコンの仕事をしたけれど、だんだん体がきつくなって、二年足らずで辞めてしまった。その時その時で機械的にツアーをこなすから、紀行文なんて書く余裕もなく、その後はすぐに、まだできたばかりの京都の派遣会社に移り、単発でいろんな会社を巡った。旅行業務の資格と英会話は結構役に立ってくれて、私は親に頼ることなく、そこそこの生活ができた。もともと一所に安定せずに生活したいと願っていたのだから、そう悪くもない。そんな生活を繰り返し、その都度独身だけをターゲットに適当に男を作り、そっちの方では、また、以前の気楽ないい加減な人生に逆戻りした。
「好きなことしていい。子供なんてできなくていい。ゆづちゃんはゆづちゃんのままでいてくれたらそれでいい」
そう言われ、心揺さぶられる人もいるにはいたけれど、私はどうしても、結婚に踏み込めなかった。そんな私をセリは、
「ゆづは結婚願望がないんじゃなくて、結婚に対して理想が高すぎて、結婚したくないんだ」
と言った。その辺は自分でもよくわからない。ただ、結婚なんて共同作業、私にはできない、そう思うだけだ。私の心も体も、全部満たしてくれる人なんて、一生現れないんだ。
そうして京都で二十年近くを費やし、最終的には一番性に合っていた塾講師として安定し、私ももう四十半ばにさしかかった頃、父が倒れ、入退院を繰り返すようになり、母の懇願で、実家に帰ってきた。京都での生活に、それほど執着するものはないから、私は小さな荷物だけ、ほとんど身一つで故郷のこの町に帰ってきた。
以前は結婚結婚とうるさく言っていた母も、今はもう何も言わない。私を頼る、ちょっとプライドの高いかわいい老婦人。好きで帰ってきたわけではないけれど、田舎での生活は案外私に合っていて、かわいい子供たちを相手に英語塾をしながら、家庭菜園や、木工を習って、今はスローライフを楽しんでいる。
生徒の数は少子化のあおりを受け、近隣の小学校が統合合併するくらいだから、ほんの数えるほどでしかなかったけれど、父が残してくれたもので、生活は十分できた。彼がどうの、恋がどうのなんてものはもうどっちでもよくて、ただ、穏やかに、優しく、時が流れるように生きていきたい、そう思えるようになった。
子供ができないのも、結婚しなかったのも、すべては流れの中で、自然に受け止めて、緩やかに生きていけたらそれでいい。私のこれまでの生きてきた道は、今の私に続く道だから、何もかもが愛おしい。もちろんまだ、これからの夢がないわけではないけれど、このままでもこのままじゃなくても、それはそれでいいんだ。




