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幕切れのブザー

 光から便りはなく、私からも何もしないまま、それから二ヶ月近くが過ぎた。ナオとは相変わらずで、一度、本気で好きになったと飲んで冗談交じりで言われたけれど、私も酔っていたので冗談交じりで適当に返事した。ナオといるのが当たり前になって、光のことを考えることもなくなった。光と会えなくても、私はちっとも寂しくなかった。手を伸ばせばそこに、ナオがいるから。ナオが満たしてくれるから。


 ちっとも勉強してないから、散々な結果になった前期試験を終え、大学は夏休みに入った。七月下旬からほぼ二ヶ月。 夏休みはナオとは離れ、実家で過ごした。田舎出身の大学一年生の夏は実家と相場が決まっている。前半は、高校の同級生と遊んだり、農協でお中元の受付をする短期バイトをしたりと結構忙しい日々をすごした。何のノルマもない大学の夏休みは本当に楽しい。去年一年は一応受験、がんばったんだもの。



 お盆、親戚が集まり、祖父母のお墓参りを終えて我が家の客間で宴会が始まった頃、突然光から電話があった。

 胸が張り裂けそうに高鳴った。声を聞くとダイレクトに気持ちが広がっていく。満たされていない心のひだに、愛しさが、切なさが、またたく間に滲んでいく。

「おお、やっぱ帰っとったか。」

「うん。」

「元気か?」

私は彼の「元気か?」を、何回聞いただろうか。何度光を裏切って、何度光に心奪われてしまうのだろうか。

しばらく話して黙り込んでしまう私に光が優しく問い掛ける。

「どうした?」

そう言った後、私の顔を覗きこんで、ふっと微笑んで、抱きしめてくれるんだ。そばにいてくれたら、ここにいてくれたら。手を伸ばして、届くところにいてくれたら…

私は電話口で泣き出した。客間のみんなに気づかれないように息を殺して、唇をかみしめて。受話器越しには伝わっていた。光は私が静まるまでずっと黙って待っていてくれる。

「おさまった?」

小さく押し殺した鳴咽がとぎれるのをみはからって、光がやっと言葉を発する。絶妙のタイミング。

「うん。ごめん。」

そしてまたも沈黙する。

私は期待した。光がこの沈黙を破って会いたいって言ってくれることを。いや、もう、近くにいるんや、なんて言うんじゃないかなんて。この前の出来事なんてとっくに棚の上。自分からは音沙汰なしだったことだって、全部遠くに追いやって。

でも、沈黙は更に続く。耐えられなくなったのは私の方。

「会いたい。」

自分から言ってみる。

「ああ。」

光も同意してくれる。でも、本当に会おうとはしない。お盆休みで時間はとれるはずなのに、来てくれるとは言わない。

「神戸、行こうかな。」

「来るか?」

「行く。」

でも、私も、突然お盆に実家を抜けるわけにもいかない。友達と旅行だと嘘をついて行く手もあったけれど、そういうのはやっぱり気が引けた。現実味のないやり取りをして、光は「もう時間がないから」と言って、まだ話し足りない私をつっぱねるように、強引に電話を切った。

 今までにない展開。私の方が光にすがりついていた。

私は一人ですっかり盛り上がって、お盆が終わって早目に広島に帰って、土日にかけて神戸に行くんだ、なんて計画を立て始めていた。会いたい気持ちはずっと小さくくすぶっていて、だけど、きっかけがなかったから。光の声を聞いて、まっすぐに心が光に向かっていく。


 九月。広島に帰ったのは三人の中で私が一番乗り。広島で車の免許を取ると言う口実で帰ってきた。セリは夏休み中めいっぱい東京で過ごす予定。当たり前だ、彼と過ごせるのだから。ナオも山口の実家の家業を手伝うとかで、ぎりぎりまでいる予定だった。

私は公衆電話から光に電話をかけた。光はその日、いなかった。毎晩電話をかけて、捕まったのは、三日目。

「よう。」

悪びれず光が電話口に出る。勝手に予定していた土曜日は、もう明日に迫ってる。

「明日、そっち行ってもいい?」

光は驚いた様子だったけど、すぐに

「本気か?」

なんて聞き返してきた。

「うん。」

即答の私に光は曖昧な答え。

「明日はずっと仕事かもしれんし…。」

「終わるまで待つよ。」

私にしては殊勝な姿勢。

 光はちょっと考えて、やっとその気になってくれた。

「わかった。でも、明日の朝まで待って。出張が入るかもしれへんねん。」

せっかく行っても会えなければ意味がない。私は明日の朝もう一度電話をする約束をした。


翌朝八時。今にも降り出しそうな曇り空。私はいつでも出られるように旅支度をして、約束通り光に電話をした。百円硬貨がチャリンと落ちる。プーッと鳴って、コール音を三回聞いた。電話口には少し大人びた声になった妹が出て、お兄ちゃんは九州に出張に出かけたと言う。はぐらかされたようでアパートに帰ってぼーっとしていると誰かが玄関をノックした。しばらく居留守を使っていたけれど、あんまりしつこいんでしぶしぶ出ると、額に汗をかいてちょっと疲れた顔をした、光が玄関に立っていた。

紺のピンストライプのスーツを脇に持って、レンガ色のネクタイを少し緩めた白いワイシャツ。ワイシャツの下には丸首の下着が透けて見える。紺のTシャツは着ていない。髪をきちんとなでつけた、私の知らない光。四月の時よりも、もっとスーツがなじんでいる。部屋に通すと

「よかった。またかと思うて焦った。」

なんて意地悪なことを言う。

 光は九州に出張する途中に寄ってくれたんだと言う。小倉に三時までに行けばいいから、ここで昼過ぎまでいられるんだって。

扇風機の音がじーっと小さく響いてる。外は曇りのまま。水分を含んだ空気が肌にからまってじっとりする。不快指数がぐんぐん上がる。私は、きちんとした身なりの光に距離を感じて、いつものように甘えて彼に接することができなかった。テーブルをはさんでおとなしく、氷の解けたインスタントコーヒーを飲んでいた。

「大人っぽくなったね。」

沈黙に耐えられなくて、私が思うままを口に出した。

「なんか、別人みたい。」

スーツ着て、ブリーフケースを抱えて、出張なんて。

洗いざらしのジーンズと紺のTシャツで、デイバッグを肩にぶら下げた光しか私の中には存在しない。ぼさぼさの髪、くしゃっとした笑顔、いい加減なヤツ。そうじゃなきゃ、光じゃない。

光も居心地が悪そうで、早目に部屋を出て、駅前でランチをとって、そのまま新幹線に乗ることにした。期待していた光の手の、唇の感触は望めそうになかった。


ありきたりに食事をして、新幹線口に向かう。

ホームに並んで待っていると、不意に光が

「一緒に来るか?」

なんて言う。小倉で一つ仕事をこなして、博多に移動して一泊。明日の午前中にも仕事があるけど、今日の夜と明日の午後は自由だと言う。

ほんの少し前の私なら、喜んでついて行くはずだった。今日は神戸で一泊するつもりだったのだから。だけど、もう今は、なんとなくそんな気になれない。私はちょっと考えるふりをして、首を振った。

「そっか。」

光もすぐに納得して、ちょっとくたびれたような笑顔で「じゃあ。」と言って、背を向けた。

電車がホームを離れて行く。光が遠くに離れて行く。今度こそ、本当に、私の心から離れて行ってしまうのだろうか。それともまた、会いたくなる日が来るのかな。

一緒に行けば良かったかな、性懲りもなく思ったりもしたけれど、自分の中の光への激しい気持ちは、弾けてどこかに流れて消えた。声を聞いて会いたくなって、姿を見て冷めてしまった。ビジュアルだけであっさりと動いてしまう心。社会人として、一人の大人として、しっかりと歩き始めた光は、私の浮ついた気持ちには不釣り合い。逆向きの磁石のように反発してするっと離れる。

 もっとちゃんと真正面から、光と向き合おうとすれば、もっと光をわかってあげられただろうに。気まぐれな私の言葉に、短い時間をやりくりして会いに来てくれた光を、私は全然理解しようとしなかった。 アパートには電話はない。私から電話しなければ、声を聞くことができないのに。彼がどんな思いで実家に電話をくれたのか、どんな思いでここまで来てくれたのか。私は何も考えていない。自分のことしか考えていない。

 屋根の向こうに見える雨雲が徐々に厚くなり、薄暗い空の真ん中で稲光が光った。雨がザーッと降りだして、ホームに次のひかりが入ってきた。




長い夏休みが終わり、秋が来て、私とナオの関係は複雑になってきた。私はナオと性懲りもなく夜を過ごしていて、傍目に見れば、恋人同士だった。だけど、お互いフリーで、誰と何をしようが口出しはしないという、取り決めがあった。

私は積極的に合コンに参加して、様々な男性と単発的な関係を持った。でもどれも長続きせず、結局ナオの元を離れられない。ナオもコンパは大好きで、何かと出かけて行ったけど、彼の場合は盛り上げ係で、女の子は他の見栄えのいいクールな男になびいて行って、一向にもてなかった。

一度、ナオの友達と私の友達で合コンをやった時、私がいつもの乗りで、ナオの友達にキスすると、ナオが本気で怒った。私を店から引っ張り出して、帰れと言った。

「あんたにそんなこと言う権利ない。」

私も酔った勢いで反論すると、ナオは吐き捨てるように言った。

「もう、おまえにはついて行けん。」

「ついてこなくて結構でぇーす。」

そう言って、甲高く笑う私の頬をナオは思いっきりひっぱたいた。痛かった。私もナオをなぐった。思いっきりなぐって、めちゃくちゃに暴れて、翌日は二日酔いでさんざんだった。

荒れていた。楽しいと思った次には虚しくて、自分でもどうしていいかわからない。そんなケンカを何度となく繰り返しては離れられなかった二人だが、転機はやってきた。十一月、ナオがコンパで知り会った、別の専門学校の女の子をみごと口説き落としてつきあい始め、私との関係に終止符を打った。光との約束を持ち出して食い下がる私に、ナオは冷たく

「もう、疲れた、光さんの代わりは俺には無理じゃ。」

と言い放った。そして二人の関係は消滅し、それぞれ別の生活を送り始めた。


 光に電話したのはあの日以来だった。アパートのすぐそばの道端の緑の電話。百円硬貨を五枚入れて、ダイヤルを回した。光は何もなかったように「どうした?」と相変わらず優しく受け止めてくれる。すぐにナオのことを報告すると、あきれたように笑った。

「ナオも、限界だったんやな。」

なんて言う。

「ナオもって何よ。」

すねる私に光は

「俺も結局、ナオと一緒やな。」

なんて溜め息まじりに言った。光の声が妙に真剣で、私はちゃかせないで、それ以上聞くこともできなかった。

「会いたい。」

そう言ったけど、光は笑って、

「ナオの代わりにか?」

優しい声で、冷たく聞かれた。

ナオが光の代わりだったんだから、代わりがいなくなったら、本物に会いたいよ、そうでしょ。そう言えばよかったのに、何も言えなかった。涙は大きな塊になって、どこをほじくっても出られない。会ってもまた、同じことの繰り返し。後ろで誰かが舌を出す。最後の百円硬貨がチャリンと落ちて、幕切れのようにブザーが鳴った。


それから私は前にも増して、コンパの度にいろいろな男とキスをし、振り、振られを繰り返した。軽い乗りでついて行く私はけっこうもてた。

好きになれる男は何人かいた。だけど、持続できなかった。本気で好きにはなれない。ちょっといいかも、とは思っても、何度か会ううちに飽きてくる。女友達には「ゆづは男なら誰でもいいんだ」と後ろ指を指された。コンパでは「場が盛りあがっていい」と重宝されたり、「雰囲気壊されるからいや」と敬遠されたりもした。


 ある時コンパで知り合った医学部四年の一人の男が私を分析してこう言った。

「君は、二つの壁を持ってるね。一つ目の壁は、誰にでも簡単に破れる。普通の男は、そこで君の全てを手に入れたと思ってしまう。だけど、その先に二つ目の厚い壁があって、それは簡単には破れない。君は目に見えるものしか信じようとしないけれど、本当は目に見えないものを信じさせてくれる人を求めているんじゃないの。誰かから与えられることを求めているんだ。だからいつも二重のバリアでごまかそうとしている。」

その男には「もっと君を分析してみたい」なんて言われたけれど、インテリぶったしたり顔が鼻についたので、次のデートは断った。誰も私を侵せない。バリアは確かにあったのだろう。だけど、ただ、薄っぺらい風のような自分を、みすかされたくないだけだったかもしれない。


軽いつきあいを繰り返して、適当なことばかりして、私は大学三年になろうとしていた。単位はたくさん落としたけれど、後二年で全部取ればいい。まじめな公立のお嬢さん大学で落ちこぼれたって、別に気にしない。いい子ちゃんは高校までで卒業した。同じく落ちこぼれのセリとつるんで楽しいことを選んで毎日を送っていれば良かった。





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