第二話 心の内は、如何程か
長かったので切りました。なお、切った側は全く手を施しておりません。
名前修正:椋太となっていた名前を椋太に変更しました。どこかで間違えて覚えてしまっていたようです。申し訳ありません。
事件後ということで過ごしていた家は当然封鎖され、しばらくの間は過ごす場所を提供してくれることとなった。睡眠をとれないということはなく、ベッドに入って目を閉じた数秒後には次の日になっていた。
学校には欠席する旨を伝えるまでもなく、今日は休みで良いとの連絡をもらった。どうやら学校側にはしっかりと事情が伝わっているようだ。
さてどうしたものか、と部屋から出ると、1人の警官が壁に寄りかかって待っていた。養子に引き取ると言った警官だ。首を傾げていると、どうやら迎え入れる準備が整ったという。昨日の今日でその警官は然るべき手続きを行い、養子としての僕の立場を作り上げていた。
午後一時。車に揺られてやってきたのはその警官の家。名を芹崎誠さんと言う。
僕と同い年だという娘さん、亜由美さんと二人暮らしだというその家を、まじまじと見る。二人暮らしだとするなら、失礼だがこの家はとても大きいように思った。
「大きい家だよね。」
車を入れに行った誠さんが戻ってきて、そんな僕の心境を知ってか知らずか、そう切り出した。
「ああ、大丈夫。僕と亜由美だけで持て余すのは事実で誰がこのことを知っても同じ考えを抱くだろうから。」
反射的に謝罪しようと頭を下げかけた僕に、そう言って静止をかける。彼の表情に諦めたような笑みが浮かんでいる。
「さ、外にいるのもなんだし、中に入ろう。」
その声からは、先ほどの翳りなど微塵も感じられなかった。
内装は一般家庭のそれであり、少なくとも自分の家と何ら変わりはなかった。外観の大きさから想像した華美な装飾などはされておらず、シンプルだ。
誠さんについていくと、ダイニングに着く。ここも至ってシンプルで、変わったところといえば自分の家に比べ広いということくらいだ。
部屋の入り口付近でぼーっとしていると、誠さんが飲み物を持ってきて座るように勧めてくる。僕はその言葉に甘え、席に着く。
貰ったオレンジジュースをちょっとずつ飲みながら、僕はあたりを見渡す。何度見渡しても変わることはない事実だけが目から脳へと情報を送る。その僕の様子に、誠さんは苦笑する。
「落ち着かない?」
僕はその言葉に対して首を横に振る。別に落ち着かないわけではない。寧ろ、自分の家にいた時より安心感がある。
「…外を見てから中を見ると、また印象が違うな、って。」
僕がそう言うと一瞬、きょとんとした顔をして、すぐに笑い出した。果たして、僕の言葉に面白い部分があったのだろうか。
「いや、ごめん。まさか子どもに気遣われるとは……あ、いや、馬鹿にしてるわけじゃなくて。」
僕の顔を見てすぐにそう付け加える。どうやら僕は、感情が表情として出やすいようだ。
今までは特に怒るなんてそんな感情も対する側に出すことがなかったからコントロールなんてことも必要なかったが、少しずつコントロールできるようにならなくては…。
そのためには感情を表に出すということも必要になるのだろうが、果たして僕にできるだろうか。…いや、できなくても勝手に出てしまうか。
「…?どうしたの?難しい顔して。気にしたのなら謝るから…。」
…一刻も早くコントロールできるようにならなくては。そう頭で考えながら僕は誠さんの言葉に対し、首を横に振った。
閑話休題。
時刻は午後四時に差し迫る頃、部屋を提供されてある程度―今現在できることといえば軽い掃除程度であり、数少ない私物なんかは今も事件のあったあの家にある―の整理も終えた頃、玄関のドアが開く音と同時に、
「ただいまー。」
という声が聞こえた。どうやら娘である亜由美さんが帰宅したようだ。挨拶をするべくして、部屋から出て一階へと降りる。
「……こんにちわ。」
お辞儀を一つ。顔を上げると、彼女は鋭い目で僕を一瞥した。そして何も言わずにリビングの方へ向かっていった。
なんの説明もなく、見ず知らずの他人が二階から降りてきたら…。そう考えて、僕は自分がどんなことをしたのかを理解した。そんな自分を恥じた。
一喝、両手で頬を叩く。パチッ!という乾いた音が響き、軽い痛みが脳を刺激。感情が打ち切れる。齢10の経験だ。
先ほど、コントロールする必要がないと言ったのは、強い感情が出そうな時はこうして打ち切っていたからだ。意外と自分ではわからないもので、顔に出ていたというのは誠さんに言われるまでは気付かなかったが。
気持ちも落ち着いたところで、僕はリビングに向かった。
そこには、誠さんもいたが違和感が一つあった。彼女の目には先ほどの蛙を怯ませるようなものなど湛えていなかった。表情は穏やかで、暖かに迎え入れてくれているように見える。それはまるで、先ほどまで白昼夢を見ていたのだと言うかのように。
「紹介しよう。娘の亜由美だ。」
「亜由美です。よろしくお願いします。」
一つ一つの動作に無駄一つなく、完璧と言っても過言ではない完成されたお辞儀だ。さっきは本当に夢を見ていたのではなかろうか?
「椋太です。こちらこそ、よろしくお願いします。」
疑問を考える頭を一度停止させ、言葉を紡ぐ。見間違いだったにせよそうでなかったにせよ、僕がこの家に引き取られたことには変わりない。なんにしたって今は『他者』だ。まずは信用を得なくては折角の厚意が台無しになってしまう。
「…また何か考えてるね?」
図星を突かれて咄嗟に言葉も出なかった。誠さんはため息をついてポリポリと頭を掻く。
「…別に難しく考える必要なんてないんだ。僕たちは家族になった。それだけで十分なんだよ。」
「…はい。」
「さしあたって、まずは敬語をなくす努力をしていこうか。君も、僕も、勿論亜由美も。」
「…努力はします。」
誠さんの気遣いを、無駄にしないように。
私は不満を抱えていた。奴が来たことに。
私は到底許せなかった。パパの気遣いに甘えている奴に。
相談は受けた。でも、断ることはどうしてもできなかった。パパのあの強い眼差し。あんなパパを見たことがなかった。だけど、感情がぐるぐるとめぐることは止められなかった。
どうして、そんなにパパが必死になるの?
どうして、私よりもこいつに感情移入するの?
どうして、こいつなの?
理解はできなくても、それらを押し止めて納得せざるを得なかった。パパをそんなにも必死にさせる何かがあるというのだから。
でも、こいつの顔を見たときに、また私の中で何かが巡った。パパには抱くことのない何か。感情とはまた別の、何か。
その何かが私に囁きかけるの。
貶めろ、って。
その何かに、私は従うことにした。従っていれば、私はこいつをここから追い出せる。
…いや。こいつがここから出ていくように仕向けることができる。
パパの悲しむ顔を見るのは少し心が痛くなるけど、そこは目を瞑るしかない。
だって、私の家族はパパだけだもの…。
「おーい、亜由美?大丈夫か?」
ハッと我に返る。自分の世界に入った結果、パパを心配させてしまった。
考え事はパパの前ではやめよう。
「うん、大丈夫。」
私はパパを心配させないように笑顔を見せた。やっぱりパパはパパだ。こいつを養子として引き取ったのにはやっぱり理由があるんだ。
やがて声は、囁きなんてものではなく私の中に居着く悪魔になった。
「ちょっといいかしら?椋太。」
あのあと誠さんから伝えられたマナー通りにノックをして、亜由美さんが外から声をかけてくる。その彼女からは敬語が取り払われていた。
すぐに扉の前まで行き、ドアを開ける。因みにドアは部屋側に引くように作られているため開けた拍子にぶつけるようなことにはならない。
「何か、用ですか?」
僕のその言葉に対して、ため息を吐かれた。
「…もう。パパからも言われたでしょ?敬語をなくす努力をしろ、って。」
「でも理屈だけではどうにも」
「理屈だけで、どうにかできるものよ。」
その彼女の声には、静かな怒りが混じっていた。
「…それはさておいて、」
次の瞬間には、跡形もなくなっていたが。きっと、僕の至らなさに怒っていたのだろう。
「改めて、挨拶に来たの。よろしく、椋太。」
「う、うん。よろしく、亜由美…さん。」
だがやはり、彼女の気遣いを受けてすら、僕には敬語を取り払うことはできなかった。対して彼女は、
「…まあ、及第点じゃないかな。これから過ごしていけば自然と敬語はなくなっていくよ。」
そう言って微笑んだ。その彼女に、言い知れぬ一線を感じたが悟られぬよう心の内でかき消した。
不意に距離が近づく。息がかかりそうなほど近づいて僕の顔をまじまじと見る。恥ずかしさよりも、不安が胸中を埋める。
「こうして見ると、椋太って…可愛い顔してるのね…。……ふふっ。」
とてつもない寒気が僕の全身に襲う。そうして僕は何に対し不安を抱いたのかを理解した。
彼女は、学校の皆と同じ目を持っているんだ、と。
そう理解したとき、僕の心を寒気とはまた違う冷たい何かが埋めた。そうして僕は、何も、なんの感情も抱かなくなった。
毎日毎日筆が進まない