第一話 悲劇の序章に救いはあるのか?
どうも。一度公開してから早一年が経過。大幅修正をしての投稿となります。
大嘘憑きなので、実際の世界とは対応や世界価値が違う場合があります。(この表現大丈夫かな?)
――これは、彼の過去。彼の一番辛い過去の出来事。
これらが起こってしまったために、彼がただでさえ不信感を抱いていたこの世界に、一切の希望を持たなくなった、最大の理由。
「今日はいい天気でよかったなぁ…。」
カーテンを開けて空を見上げたときの感想が零れる。
僕は起きていつもどおりダイニングへと向かっていた。いつもは歩いている時に既に漂ってきているはずの美味しい臭いが、今日は鼻を刺激しない。
不思議に思いながら階段を下りきってダイニングの扉の前までたどり着く。いつもは空いているはずのドアが閉まっていた。
更に不思議に思う。
「まだ起きていないのかな…?」
いつもはこの時期のこの時間には開いているはずのダイニングの扉は閉まっていた。だが閉まっているということは、まだ誰も起きていないということになる。いくら休みの日だからといってそれはない。
もしかすると開けるのを忘れていただけかもしれない。一度だけだが、ダイニングの扉が空いていないことがあった。二度あることは三度あるというように、また開けるのを忘れていたのかもしれない。
今日が休みの日で本当に良かったと思う。本当に起きておらず平日であったのなら遅刻確定だっただろう。遅刻はしなかったとしても、朝ごはんは食べられなかっただろう。
そんなもしもの話を頭で考えながら、取っ手を掴んでドアを開ける。
「おはよ…う…?」
目の前にいるであろう家族に挨拶をする。ドアを開けきった瞬間、僕は目を疑った。
なぜなら、
部屋が、紅く染められていたから。
父が、真っ赤な液体を体中から流して倒れていたから。
母が、首から父と同じ真っ赤な液体を流して倒れていたから。
「なに…これ…。これって…まさか……血……!?」
それを理解した僕の脳はひどい吐き気を訴えた。その吐き気を抑えようと自制するものの抑えきることはできず、しかしこの場で吐き出すことはなんとか堪え、急いで手洗い場へと走った。
着いた瞬間に、抑えていたものが吐き出た。ものなんて何もない胃液が。
僕の脳に焼きついて離れない光景が、再度、吐き気を訴える。
一体何度吐いただろう。ついには胃液すら出てこなくなった。
あと少し続いていたら、僕も血が出ていただろうか。
まともに考えることの出来ない頭に鞭打って、今からすべきことを必死に考えて無理矢理働かせる。
まず思い浮かんだのが、110番。警察に連絡をつけること。次に思い浮かんだのが、119番。救急車だが、おそらくもう手遅れだろう。
よろよろと立ち上がり、玄関を目指す。家のダイニングにある電話を使う気には、なれなかった。
玄関の扉を押すようにして開ける。照りつける太陽に眩み、倒れそうになる。踏ん張ってこらえるが、膝をついて倒れた。吐くものもないというのに、気持ちが悪い。
近くにある電話ボックスまでどれくらい距離があるのだろうか…。たどり着ける気がしなくなってきた。
人通りがあったのなら、異変に気づいてくれるようなそんな人もいたかもしれない。そこまで望むのは、間違っているのかもしれないが。
うつ伏せになった体を起こそうと、手に力を込める。少し浮き上がっただけで、全く立ち上がれない。
近くの柱まで這って、柱伝いに立ち上がろうとする。柱に支えられて、なんとか立ち上がることはできたが、足が震えて離れたらすぐにまた倒れそうだ。
一刻も早く、この状況を伝えなくてはならないというのに、体はそれに反するようにいうことを聞いてくれない。
柱に背中を預けると、すぐに足から力は抜け、ズルズルと柱を滑るようにして、ぺたんと地面へへたり込む。
ボックスまでは、大通りに出なくてはいけないため普通に歩いて1,2分はかかる。今のこの状態では少なく見積もっても10分はかかるだろう。
「…なんで体は動かないっていうのに、こんなにも冷静なんだろう。」
思い通りにいかない体にもどかしい気持ちを覚えながら、冷静な自分にも疑問を覚える。
あれほど鮮明な事実が目の前にあったというのに、まるで他人事だったかのように思える自分がいる。
「…今は、考えてても始まらないか。」
疑問をかき消してまた、足に力を込める。が、先ほどとは違って、すんなりと立ち上がることができた。都合のいい体だ。認識したら簡単に動くようになるなんて。少なからずは焦っていたということなのだろうか。
第三者の視点から考察するようにしながら、僕はボックスまで歩いて行った。
「もしもし?警察の方で間違いないですか?」
『はい。こちら、○×警察署です。本日はどうされましたか?』
僕は家で起こっていた出来事を話した。聞かれたことには素直に、丁寧に答えた……つもりだ。
『わかりました。すぐに向かいます。』
応対した人物は、穏やかに、しかしはっきりとした口調でそう告げて、電話を切った。その声は、少しだけ緊迫していたように思う。
家の前で待っていると、程なくして警察はやってきた。僕に、「待っていてくれ」と一言告げると、すぐさま黄色いテープが家の出入り口と門扉に張られ、警察たちは家の中へと入っていった。
それから一時間は経ったのだろうか。サイレンの音に釣られて、何人もの野次馬が集まってきた。好奇心に満ち溢れ、騒々しい。
しかし、すぐに興味は薄れ、周りから人がいなくなり、この場には僕と警察たちが残った。
「あの…。」
近くにいた一人の警察に声をかける。
「なんだい?」
その人は僕の目線に合わせて屈んで、不安を払拭するような穏やかな笑みを浮かべて言う。その口調と声は、間違いなく僕が通報した時に聴いたであろうものだった。
「これから、どうすればいいのでしょう…?」
「それは、これから過ごしていくのに、ということかい?」
「あっいえ、それもあるのですけど…。」
僕の言葉に首を傾げ、考え込む。
「…ああ。聴取ね。」
やがて、納得したと言外に言う。
「これから君の時間をもらって署である程度の経緯を伺う。ただ、こう言っちゃなんだけど…場合が場合だから君に疑いの目が行くのは覚悟しておいて欲しい。」
「わかっています。」
親身になって僕の状況を案じてくれているこの人に、感謝しながら強い口調で覚悟を表した。
「検死の結果、君の母である和泉佳代さんが父である和泉康介さんを刺殺後、自分の頚動脈を包丁で切断し出血多量により死亡。家庭で何かしらの問題など、ありませんでしたか?」
最初こそ疑われていたが、検死の結果が出ると一転、疑惑などなかったかのように話を進めてくる。僕は当時の状況をありありと思い出してしまい、吐き気が襲ってくる。高ぶった気持ちを抑え付ける。
「……僕が眠ったであろう時間に、しょっちゅう口論が聞こえてきました。」
今回の事件に思い当たる節はあった。
見て呉れだけは完璧だと思う僕の家族は、その裏、夜中になれば喧嘩の日々。日によって喧嘩がない日もあったが、ここ最近では毎日のように激しい口論。
顔に残る傷は見当たらなかったものの、よく見ると母の体中には痣があった。
「…貴重な情報を感謝します。」
その警官の目には、学校でよく見る哀れみの色を浮かべていた。
「や。さっきぶりだね。」
応接間を出ると、先ほどの親切な警官が待っていた。会釈を返す。
「実は君に、相談があって、待っていたんだけれど…。」
だんだんと勢いのなくなっていく言葉に僕は首を傾げる。やがて意を決すようにして切り出す。
「ずっと考えていたんだけれど、その……君を、僕の養子として引き取ろうと、思って…。」
チラリ、と顔色を伺うようにこちらを見てくる。その様子は、哀れみの目を向けているというよりも、なんというか、ほっとするような温かいものだった。胸の内に湧いてきた、この温かさをどう表現すればいいのか、僕にはわからなかった。
だが、その温かさの表現を認識するのは後でいい。今わからないものは今の知識ではわかり得ない。
「僕は構いません。引き取ってくれる親戚もいませんし。でも、いいのですか?僕みたいな他人を養子として引き取るなんて。」
「会った時から思ってたけれど、随分と大人びているんだね。」
苦笑しながら言う警官の目には少しの安堵の色が見て取れた。
「失礼な。」
少し悪態をついて、照れを隠す。顔が熱い。
「訂正。君は年相応の子どもだよ。」
その警官の温かい笑顔は、僕の心をきっと癒しているのだろう。きっと、この温かさは僕の小学生の知識では到底考えの及ばない綺麗なものなのだろう。
「…でも。」
その表情に影がよぎった。
「僕は知らない子を置くほど、お人好しじゃないよ。」
ポツリとつぶやいた先ほどの僕の質問に対する警官の言葉は、どこか悲しさを感じさせるもので、表情は、その悲しみを押し殺すような笑みだった。
それが示す意味を知ったのは、僕がもう少し大人に近づいてからだったが、今は知る由もなく、ただ頭に疑問を浮かべるのみだった。
この世界では、三親等内の親族がいない場合、『犯罪履歴』のない者であれば養子として引き取ることができる。
ただし、引き取られる側の本人はそれを拒否することもできる。
果たして、不幸の中の幸いなのか、不幸の中の災厄なのか。
言 葉 が 足 り て な か っ た 。