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椅子

作者: 悠太郎

 …なんだかとても疲れている。僕はいつものように席に座る。疲れたといっても時刻はまだ午前10時。恐らく、タイムカードを打ってから2時間程度しか経っていないだろう。



 会社から少し離れた場所にある、もうすぐ閉鎖される予定のデパート。その地下にある簡素なフードコートの端に、僕は座った。ここで僕はよく休憩をする。もちろん、まだ会社から与えられている休憩時間ではない。だが、そんな事を気にする時期は僕の頭の中ではとっくに過ぎていた。


 このデパートは、かつては繁盛していたのだろう。敷地面積だけはやけに大きかった。しかし現在は店内の客もまばらであり、その殆どが老人だった。誰にも視線を向けられていない自分を感じ、この世界から追放されたような気分になる。でもそれは、不思議と僕にとって心地よく馴染むような感覚でもある。いつからか僕はこの場所を好み、度々立ち寄るようになっていた。


 今日も近くに人の気配はない。僕はまるで世界から逃れるように、目を背けるように、ゆっくりと目を閉じた。


 既に疲れているのは、恐らく寝てないからだろう。僕は最近、殆ど眠れない。原因はよくわからないが、現代病の鬱ようなものだろうか。眠ろうとすればする程、何か奇妙な感覚に襲われる。


 自分の内側で混沌とした黒い輪郭すらない影が、どんどん渦になっていく。其れは徐々に渦の中心に集合し、今度は大きな塊のようなものに変化していく。不思議な感覚。其れは僕の内側から外側に解放され、しかし今度は上から僕の胸の辺りを覆うように、突如として強く落ちてくる。のしかかってくる。そこには絶対的な力が込められている。

 僕はいつもその重さに耐えきれず、息を乱しながら急いで、だが結果的にはゆっくりと、徐々に身体を起こしていく。逃げるように、右や左に反りながら。

 気が付けば大量の汗をかいている。影の塊はいつのまにか消えている。あれは幻覚だろうか。さっき吸ったはずの煙草をまた急いで取りだし、深くゆっくり、なるべく喉の奥まで吸い上げる。数秒置き、吸った煙を今度はゆっくり、時間をかけて、吐いていく。そうする事でようやく身体が少し楽になるのだ。こんな夜が、思えばもう数ヶ月間は続いていた。


 …遠くで老人達の話し声や笑い声が微かに聞こえる。自分が今、フードコートであの影の塊のようなものについて考えていた事に、ふと気がつく。


 それと同時に、其れは突然訪れた。どこからともなく小さく聞こえてきた。小さな声。いや、声のようだが、音のようにも聞こえた。



(つまらないね)



 えっ⁉︎僕は驚き、咄嗟に閉じていた目を大きく見開いた。だが周囲に人影はなく、遠くの方で老人達がテーブルを囲んでいつものように談笑しているだけだった。

 …恐らくは空耳だろう。僕は再びゆっくり目を閉じた。

  するとすぐに、今度はまたさっきよりもはっきり、しかし其れはやはり小さな声として、聞こえてきた。



(つまらないね。君の事だよ。)



 僕はまた突然の出来事に驚き、もう一度目を開けたが、誰もいない。僕はもういよいよ頭がおかしくなったらしい。きっと日中にも幻覚がでるようになったのだろう。そう確信したように思えば、少なくとも今は気分が楽だった。

 仕方がない、と諦めて僕がまた目を閉じたと同時に、まるで声はそれをまだ待っていたかのように、僕に対して次の言葉をじっくりと発していた。


(君は僕の声が届いているみたいだね。)


 今度はもう驚きはせず、諦めたように受け入れるようにした。


 てか君は、だれ?君につまらないと言われる程、君は僕の事なんて知らないだろう?


 僕は声に出すか出さないかのギリギリのような感覚で答えた。咄嗟にそう判断したのは、今気付いたのだが、其れの言葉は耳から聞こえるというよりも、頭に自然に入り込んできたような感覚に近かった。すぐに対応出来た僕は、日頃からかも知れないが、もう少々の事では動じなくなっていた。


(僕はね、今まさに君が座っている、その椅子だよ。分かるかい?この無機質なステンレスのパイプで君を支え、白いプラスチックで美しい曲線を描き、君の腰から太股を過ぎて膝のあたりまで君を支えている。ただの椅子なんだよ。

 …まぁもう少し経てば、この世界から恐らく消えてしまうんだけどね。)


 少し驚いたが、これは幻覚だ。僕は少し試すようにまた何かを言い返そうとしたが、先に喋ったのは椅子と名乗るものだった。椅子は更に喋りだす。


(今日は気分が良い。教えてやるよ。僕はね、今まで多くの人間をみてきた。座って貰ったんだよ。そう、とても多く。赤ちゃんは僕には座れないから、幼児から大人までだけどね。様々な人間を見てきたよ。だから、分かるんだ。)


 そしてもう一度、繰り返した。


(分かるんだ。つまらないよ、君は。)


 は?なにがいいたいんだ。


 と僕はまた、呟くように返した。強めのイントネーションを意識したのは、もしかしたら、ただの椅子にさえつまらないと言われ、少しむきになったのかもしれない。よくわからない感情だった。


(表情だよ…まるで死んでいるみたいだよ?君は。ぼーっとしているし、そんな人間見てても僕はちっとも、面白くない。僕はね、暇なんだよ。)


 僕は一瞬怯んだが、表情はあえて変えなかった。表情。それは最近自分でも思い当たる。僕は元々そんなに笑うタイプではなかったし、今まではよく作り笑いをしていた。それでいつもやり過ごせていた。でも最近はそんな気分にすらなれない。確かに表情は死んでいるのかも知れない。当たっていた。だが、、


 それは残念だね、じゃあ他のもっと良い人に座って貰えるように、待つ事だね。君からは動けないだろうからね。ちなみに僕は、生きているよ。確かに僕は、今こうやって仕事をサボっている。ぼーっとね。会社から、営業に出ていくフリをして。でも僕に少しも罪悪感はない。理由がある。あんな会社なんて、消えて無くなればいい。


 更に続けた。


 そして僕は、以前は別の会社に勤めていて、それなりの地位も築いていた。今の会社に入ったせいだ、甘い言葉に乗せられて。だから僕は、自分が悪い事をしているとも思わない。死んでいるのではない、自分の将来に悩んでいるだけだ。僕は普通の人間だからね。


 僕は喋りながら段々苛々している自分に気が付いた。喋り過ぎている。子供染みているし、それはまるで、無罪を弁解する罪人のような気持ちにもなった。急に、虚しくもなった。


(それは答えになっていないんじゃないかい?君はもっと大きな存在の中で、本来白にも黒にもなるはずのものだった、其れに呑まれ、もがいているのだろう?得体の知れない何かに。其れの一部が君にとっては会社であるのかも知れない。だがしかし今の君はその全体に呑み込まれている。すでに窒息している。だから、そんな死んだような顔をしてるのだろう?違うかい?)


 椅子は何故か常に質問形式だったが、其れは的確だったように思えた。けれど僕は、深く考えるよりも先に、それに更に反論した。


 確かに影の塊は僕の身体を日々痛めつけて、挙句に僕を吞み込もうとしているのかも知れない。ただ其れの正体は、僕は既に知っているんだよ。理解できる存在だよ。君のような椅子には、分かるはずもない。だから僕は、そのまま吞み込まれる事なんてない。正体を知っているのだから。


 反論したいという感情からか、僕は全く自信も確信もない理屈を淡々と述べた。営業職だったからか、言葉は自然と言い返す事が出来る。さっきから、胸のあたりが妙に熱い。僕の心臓の鼓動だろうか、重く、其れは徐々に早くなっていくように感じていた。喉が乾いていく。


 僕はこれまで自分勝手に生きてきた。自分で選択して、生きてきたんだ。今日食べた朝食や恋愛、仕事だって、結局自分で選択してきて、今日まで生きてる。選択は環境や周りの影響もあるだろう。ただ、その中で僕は好き勝手に選択してきているんだよ。

 何が言いたいかわかるかい?僕は何かに呑み込まれているのではない。自ら選んで生きた結果、あの塊を、黒い影を、きっと自分で作っているんだよ。自分で構築したのさ。もうすぐ仕事も辞めるつもりだし、君に言われなくたって、初めから分かっているんだよ。全部、知れてる。


 僕は有無を言わさず続けた。


 開き直りとか、自分に甘いとかそういうのは止めろよ。君が椅子なら尚更、人間には色々あるんだよ。少し話を戻そうか。今僕のいる会社が周りに悪評のブラック会社なのは確かだし、寮で自殺した奴だっている。僕は選択出来ているだけまだマシだ。奴らは会社に殺された。選択を狂わす環境、選択すら出来ない状況だってあるんだよ。僕が今している事なんて、生き方なんて、この世界を見渡せば大した罪にもならないじゃないか!


 自分の感情を椅子にぶつけると、僕は少し黙った。しばらく時間が経ったような気もしたが、よく分からなかった。少し頭痛がした。


 また椅子の声が聞こえてくる。


(よく喋るね。誤解だったようだ。君はなかなか面白いよ。的を得ているようで、得てはいないがね。処で君は、将来の夢はなんだった?今の君じゃなくて、幼い頃のだよ。)


 突然話題を変えられ、更に否定され、僕はまた少し苛立った。が、僕はまだ胸から伝わっている身体の熱を意識しながら、何故かまた即に、言葉を返していた。それは殆ど無意識だった。


 マンガ家。


 とだけ答えた。


(そうか。それは何故、諦めたんだい?)


 ふと、父親の顔がぼんやりと頭に浮かぶ。僕の両親は離婚している。丁度僕がマンガを描き始め、幼いながらもマンガに夢中になりかけている時期でもあった。僕は母親に引き取られた為、父親の顔はとうに忘れていたが、ふいにその頃の出来事を思い出した。

 それはいつものように、僕が自分の部屋でマンガを真剣に書いている時だった。突然、背後から気配を感じて振り返ると、そこには輪郭のぼんやりした、父親がいた。顔は煙草の煙のようにぼんやりとゆらゆら浮かんでいる。もちろん表情は読み取れない。父親は僕に近づくと、ふいにこういった。


 お前は、絵が下手だな。


 それから僕は間も無く、マンガ家を諦めた。なんの感情も持たず、ただ諦めた。思えばあの頃からすでに僕の選択は始まっていたのかも知れない。夢にチャレンジすらしないという選択を、僕はとったのではないだろうか。他人の影響で。

 そう考えるとやはり、選択は個人の勝手だが、しかし周りの与える影響もやはり大きい事に気付く。個人が純粋無垢であればある程に、周りの影響は大きい。だが周りは、発した言葉も選択した個人に対しては決して責任をとることはない。あくまで選択したのは個人なのだ。


 僕は夢を諦めた経緯を簡単に椅子に話すと、椅子はおそらくもう、つまらなそうに聞いていた。答えなど求めていない様子にも感じた。それなら始めから聞かなければ良いのに。


(じゃあ今の君には?やりたいことは出来たのかい?)


 しつこいな、と感じたが僕も少し面倒になり、


 あぁ、小説家。かな。


 とまた短く答えた。今度は冗談半分に。小説家、といっても本当はここ最近ハマっているだけだった。ある日何気なく本屋で手に取り立ち読みした本が、何故かその時の僕の価値観に自然と馴染んだ。そして、読んでいる間は現実を忘れられるくらい熱中していた。その本はすぐに購入した。最近になり、その作家の本を買い集め、毎晩読む事が習慣になっていた。ただ、それだけだった。


(あるんだ。そんな表情で。以外だな。じゃあしてみれば?しかし、本当に以外だった。)


 この椅子は、僕に対して全く失礼で勝手だなと思ったが、もう反論するのも疲れだしていた。


(僕にはね、これまでも色々な人間が座ったんだ。キチンとした身なりのお金持ちそうな老夫婦や、逆にボロボロに糸のほつれた地味な灰色のスカートを履いた、明らかに貧しいだろう女の子。青ざめた顔で必死に宿題をしている高校生もいたな。ただね、みんな僕の声は届いていないみたいだった。

 …でもたまにいたんだ、届いている人間。そう。君みたいな、死んだような表情の人間だよ。)


 椅子は続けた。


(確かに選択したのは君だよね。今日ここに来たのも君だ。僕はね、世界は非情にシンプルに出来ていると思う。人間たちの構造は難しすぎて、逆に其れについていけていないんじゃないのかい?君のような人間は、案外多い。

 それにこの世界が不平等で不公平な世界なんだって事も君たちを見てるとわかるよ。だから僕は時々ね、椅子で良かったなぁと、心から思うんだ。


 椅子にも心があればの話だけど。


 ただね…今回のように、このデパートは君の知っている通り、閉鎖する。僕には時間の感覚がないから、其れがいつ訪れるのかは、正直分からないんだ。全く僕とは無関係に閉鎖されてしまうけど、僕は恐らくもうこの世界にはいられなくなるだろう。まぁ僕も、もう随分歳だしね。こういうケースもあるのかと思うと実は僕らも結局、君たちと同じなのかも知れない。)


 僕は突然また冗舌に喋りだす椅子に、もう何も言えなくなっていた。


(ちなみにね、大切なのは、ボロボロのスカートを履いていたあの女の子だって、僕の声は届かなかったという事だよ。まだ幼かったのもあるかも知れないけど、彼女はきっと、幼いながらにそういう価値観だったんだよ。君はまだ選択できる。羨ましいよ。もう既に選択すら出来ない僕らにとっては、君のように時々現れる存在でも。だから、まだ選択出来るのに既に死んだような顔をしている人間が、つまらなくて、苛々して、時々哀しくなるよ。)


 その声は徐々に小さく途切れていく。と、椅子が少しだけ軋む音がして、僕ははっとした。


 …すまない。


 僕は何故かそう、呟いていた。



 突然、ポケットに入れていた携帯電話が高らかに鳴った。マナーモードにし忘れたこの携帯電話の機械音は、とても不愉快なものだった。


 辺りは今も人が少ないままだ。僕は目を開け、慌ててポケットから携帯電話を取り出し、液晶モニターを見る。それまでの自分がずっと目を閉じていたままだった事を思い出し、少し驚いた。もしかしたら、夢でも見ていたのだろうか。不思議な感覚だったが余韻に浸る余裕もなく、僕はすぐにまたモニターに目を向けた。

 着信は、上司からだった。しかも今の時刻を見ると、もう2時間近くも経っていた。僕は更に驚いたが、なるべく平然を装い、呼吸を整え、上司の電話にでた。


『いやぁお昼前に悪いねぇ。君のクライアントから、クレームの電話だよ。君の事でね、私に掛かってきたんだよぉ。』


 上司のやや掠れた下品な声が耳元でする。僕はまた不快に感じたが、それ以上に何故か、上司の声には微かな笑みが感じられ、その事に違和感を覚えた。


『だからさぁ、とりあえず、今からすぐに会社に帰って来てくれるぅ?』


 僕は短く、はい。とだけ伝えてすぐ電話を切った。


 上司に謝るのを忘れた。と咄嗟に思ったが、上司に悪い事をしたわけではないし、別に良いか。という感情が後からすぐに追いついた。僕は相変わらず罪悪感がない。と心の中で苦笑し、すぐに立ち上がろうとした。


 その時、ふいに椅子の存在を思い出した。


 立ち上がる前に、椅子にさっき迄と同じようにまた話かけようとしたが、今はクレームの電話の事も気になり上手く出来なかった。


 椅子からも、もう返事はない。


 僕は諦めて椅子から立ち上がった。もう考えている余裕はない。そろそろ行かなければ、あのブラック会社に戻らなければ。最後にもう一度だけ、椅子を確認した。

 よく見ると、此処に来た時には気づかなかったが、椅子は背もたれの角がひび割れ、全体的に、黄ばんでいた。プラスチック部分も若干曲がっており、長かっただろう歴史さえ、感じさせた。

 もう、違う店でも使えないのだろうか。ぼんやりとそんな事を考えた。ふいに、脳裏に椅子の言葉が過ぎった気がした。

 しかし、ここから先は夜にまた考えよう。どうせまた、今夜も眠れないのだから。


 僕はそのまま足早に、その場を立ち去った。


 僕は此処に来た時よりもずっと疲れている気がする。しかし何故か、胸の熱は随分と晴れていた。あれは本当に椅子の声だったのだろうか。あの椅子は僕以外の人間と、何を話したのだろう。携帯電話が鳴る間際、あの椅子は、とても寂しそうだったように思う。あるいは、あの椅子は…


 最後に一度だけ振り返ると、置き去りになった椅子は、もう誰にも座られる事なくその役目を終えるような気がした。

 あの白いプラスチック部分が微かな光を放っているかのようで、其れは僕を少し眩しく感じさせた。

もし、最後まで私の小説を読んで下さった方がいるとしたら、私はその方に、本当に感謝します。


…私は人生で初めて小説を書きました。


小説と呼べるかも分からない椅子ですが、知識も経験もゼロの中、作り方も何も知らずに書いてしまいました。その為、もしかしたら小説ファンの方達にとっては、大変失礼な作品になるのかも知れません。。


短いストーリーではありますが、私なりに想いや価値観を、熱を込めて書き上げたつもりではあります。

どうか、ご容赦ください。

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