四話
これ以上楽しめる気になれなかった二人は、りんご飴を食べ終えた後、帰路に着くことにした。わざわざ遠くまで祭りに来たというのに、二人は長く祭りを楽しまない結果に終わった。
帰りも御幸線の電車である。中途半端な時間であったことも相成り、乗客の少ないおんぼろの電車に二人は揺られていた。帰りもやはり二人は無言だった。
もう、いや、やはり駄目だ。祥子は諦めの境地に入っていた。
何か変わるかもしれない。心の奥底で、祥子はそんな期待を抱いていたのかもしれない。祥子はなぜか落胆していた。
何が変わると思っていたのだろう。祥子は思案した。
「ねえ、祥子。私のこと、嫌いなの?」
栞奈が尋ねた。急な質問に祥子は動揺した。
「なんで今そんなこと聞くの?」
「私は、今日で祥子と仲直りできると思ってた。」
(仲直り?)祥子は首を傾げた。そもそも祥子と栞奈は喧嘩なぞしていない。ただ疎遠になっていただけだ。それは栞奈も承知のはず。だから祥子はもう一度「なんで?」と尋ね返した。
「どうして私のこと避けたりしたの? 私のことが嫌いになったからじゃないの? だから私、勇気を出して……。」
違う。もし祥子に声が出せたなら明確に答えられていた。しかし実際は思いもよらないことを聞かされて、祥子は呆然としていた。
栞奈は肩を震わせながら浴衣を掴んでいた。浴衣は皺になっていた。
「私、祥子に避けられて悲しかった。」
その時、すとん、と祥子の中に何かが落ち着いた。
そうだ。私も仲直りしたかったのだ。祥子は自然と納得した。
「違うの、栞奈。私はただ……ただ、栞奈と一緒にいると、自分が惨めに思えただけで。」
祥子は栞奈に応えるべく、勇気を出して正直に告白した。だが栞奈はそれを許さなかった。
「何にでも逃げ腰になる祥子の性格は良くないと思う。そんなことじゃ、決して良い人間にはなれないよ。」
「なに? カンパネルラの次は孔子にでもなったつもり?」
一転して、窓ガラスに映った祥子の顔はとても醜かった。私はこんなにも勇気を出したのに。それなのに。祥子は稚拙にも栞奈に八つ当たりをした。
いつもなら栞奈はここで眉を下げるだの、視線を落とすだのするだけなのだが、今回に限って責め立てる目で祥子を睨んでいた。祥子は窓ガラス越しに、奇妙そうに栞奈の様子を観察した。栞奈の決心の眼差しはやがて気の毒そうな目に変わった。
ふと祥子は逸らした視線を夜空へと向けた。次の瞬間、祥子は目を疑った。――そこには南十字星があったのだ!
何かの見間違いだ。祥子は決して信じまいとよくよく星を観察した。しかしそれは十字架だという主張が強く、とうとう南半球でしか見られないそれだと、祥子は認めざるをえなかった。
祥子はぐったりと脱力した。認めたくない現実を叩きつけられた気分だ。
「祥子は祥子。私じゃないんだよ。」
「当たり前でしょう。何を言ってるの?」
震える声で祥子は反論した。しかし栞奈はその反論をぴしゃりと叩き落とした。
「ううん。祥子はちゃんとわかっていない。」
栞奈の瞳には再び決意の色が戻っていた。いつもとは様子が違う栞奈が、どこか祥子には恐ろしかった。
「祥子は私を理由にして逃げてるだけ。」
栞奈の厳しい声色に、祥子は過去を回想した。
二人がまだ両手で数えられるほどの歳であった頃は、二人はお互い良き友人関係であった。それも小学校高学年、中学校と進むうちに段々と疎遠になり、ついに高校生となった時、交流は栞奈から祥子へ一方的に届けられるメール以外、ぱたりと止んだ。
自分は心から笑っているつもりなのに、楽しそうじゃないと決め付けられて、友人はみな栞奈の方へ流れていくのに祥子はうんざりしていたのだ。取り巻きという名のアクセサリーにされるのは真っ平ごめんだった。外聞を気にする祥子だが、そればかりは祥子の心が許さなかった。ならばと祥子は孤独を選んだ。
栞奈の傍を離れて耳を澄ましてみると、あのドラマの俳優がよかっただの、あのアイドルのライブのチケットを手に入れただの、祥子にとっては縁程遠い話ばかりが周りに溢れていた。
勿論祥子とて努力しなかったわけではない。彼女は彼女なりに理解を深めようとしたし、新たな自分を見つけようという心意義もあった。けれど祥子にとってそれらの行動は全て精神的苦痛を伴うものでしかなく、いつしか彼女の心はぼろぼろと塗装が剥げるように崩壊していった。
思春期特有の人付き合いは、祥子にとって気に食わないもの以外何物でもなかった。学校という特殊な空間が祥子を歪んだ性格にしてしまったのかもしれない。
無駄なプライドだけは人一倍強い祥子は、それだけ分他人より生きづらい性格であった。何をするにもこのプライドが邪魔をして、立ち回りのうまくできない祥子は社会の中で孤立していた。そこでまた自尊心が己を傷つけるという悪循環が生まれる。
けれどこの性格を矯正することはできず、このまま大人になり、やがて死んでいくのだろうと祥子は半ば諦めていた。
再三述べているとおり、祥子はリアリストである。理想よりも現実の方が大事だと考えている自分を誇りにすら思っている。他人の中に虚実という理想を見るだけでも拒否反応が起こるほどだ。そしてこの考えを変えることは必要ないと思い込んですらいた。
(なぜ自分を偽る必要があるの?)一時祥子はこの問題について昼も夜も頭を悩ませていた。
嫌なことは嫌、ノーと言うべき時はノーと言う。そういう行動を取れる人こそが格好いい人間なのだと祥子は盲目的に信じていた。この狭い社会で自分だけが知っているのだと、周囲を見下して優越感を抱いていた可能性もある。
しかし心のどこかで、こんな自分を諌めて欲しいと、自分を見て欲しいという願望があった。祥子はそれに無理矢理蓋をしていた。
もし私が栞奈のように笑えたら。もし私が栞奈のように可愛い性格をしていたら。栞奈と違い社会に馴染めない私なんて……。気がついたときにはすでに祥子は自己嫌悪の塊と化していた。
自分を自分と受け入れてくれる人さえいれば、こうはなっていなかっただろう。いや、祥子はただ逃げていただけだ。現に祥子には向き合ってくれる大切な友人がいたのだ。全て自分が駄目にしていただけだ。
なんて自分勝手なんだろう。祥子は今まで嫌っていた卑屈な自分ではない自分を張り倒してやりたかった。
なにより自分を認めていなかったのは自分自身だった。私は私以外の何者でもないのに。自分は誰かに、栞奈に責任を押しつける馬鹿そのものだった。




