三話
やがて電車は終点に到着した。合席していた男性とは駅のホームで別れた。別れの際に彼は頭上の帽子を軽く持ち上げて笑った。爽やかな別れだった。
乗客のほとんどが駅からさほど離れていない神社へと向かう。祥子と栞奈もその流れに合流した。カランコロン。あちこちで下駄の音がした。
夕焼けのオレンジの光が頬を照らす。祥子は目を細めた。しかしそれは煩わしさからではない。
日の長い夏は入りの時刻が遅いが、いずれ太陽はあの山の向こうに身を隠す。そして空気の澄む山中では、もうすぐ満天の星空を見ることができるだろう。栞奈には言えないが、祥子はそれが少し楽しみだった。
白蛇祭は人里離れた、とは言い難いが、それなりに山の近辺にある大きな神社で開かれる。町中と違い外灯が数少ないのだから目的地がわかりづらいと思われがちだが、そうではない。
日が落ち、すっかり暗くなったところに提灯やら屋台の灯りやらがぼんやりと浮かんでいた。あちこちで浮かぶそれらは蛍の光のようである。その灯りが目的地までの道を示すのだ。二人はその幻想的な道を通って神社へと歩いた。
そうして丹色の鳥居が祥子達を出迎えた。境内は鮮やかな色をまとった人々であふれていた。祭りはとうに始まっていた。賑やかな人の熱気に呑まれると、祥子と栞奈の間の壁も僅かに薄くなった。
「どこから回ろうか。」
「どこからでも。」
「なら屋台から……そうだ、りんご飴を買おう!」
ここで綿飴と言い出さないのが栞奈らしい。祥子は思った。しかしそこにいつもの不愉快さは感じられなかった。
「へいらっしゃい!」屋台の店主の声は活きがよかった。
「りんご飴を一つください。」
「毎度! そっちのお姉ちゃんは?」
「私はこの小さいひめりんごの方を。」
りんご飴は祥子には大きすぎて、いつも食べきれなかった。そしてあまりを持って帰るといつも袋の中で飴がべとべとに溶けているのだ。可愛らしいサイズのひめりんごが丁度いい。祥子は五百円玉を店主に差し出した。
「やっぱり私もひめりんごの方で。」祥子の意図を読み取った栞奈が慌てて注文を訂正した。
「あいよっと。仲がいいね、お嬢ちゃん達。」
二人の手には同じ大きさのりんご飴があった。祭りのおかげか、今度も祥子は悪い気はしなかった。
本堂より少し逸れた石階段のところに腰かけた二人は、ぼーっと祭りを眺めながらりんご飴を舐めていた。
「見て。」唐突に栞奈が頭上を指差した。まだ花火の時間ではないのに、と思いながら、祥子は促されるままに空を仰ぎ見た。
美しい夜空が広がっていた。祥子が楽しみがっていたものだ。
ぼんやりとではあるが、夜空に天の川が渡っている。よく乳の流れたあとだとかと比喩されるが、祥子には満天の星がグラフ上に打たれた大量の点にしか見えなかった。しかしそれでも美しいと祥子は感じた。
もしファンタジーの世界に生きていたならば、今頃はあの星の海の中を泳いでいたことだろう。
星を眺めながら、祥子は小学生の時に夜空と重ねて天体観測をした星座早見盤の存在を思い出した。夏と言えば夏の大三角。祥子は思うままの星を探していた。
「赤い目玉の蠍。」栞奈が星めぐり歌の冒頭を口ずさんだ。
「アンタレスは目玉じゃなくて心臓なのにね。やっぱり語呂が大事なのかな?」
今日もよく見える、と栞奈は赤い星のある方向を指差した。つい、祥子の目が栞奈の指の先を追う。空には真っ赤な星が輝いていた。
そういえば『銀河鉄道の夜』の中に蠍座の件があったはずだ。折角よい心地だったのに嫌なことを思い出したが、祥子は少し意地悪をしたい気持ちに駆られた。
「栞奈がもし蠍だったなら、どうする?」
「どうするって、何を?」
「わかってるんでしょ。」
栞奈なら言うまでもなく質問の意味がわかっているはずだ。簡単に述べると、罪を悟った蠍はその身を誰かのために捧げたのだ。そしてそれを聞き入れた神様は、蠍を空で赤く燃やしてあげた。
「私なら、カンパネルラのように答えるかな。」栞奈はどこか泣き出しそうな目で言った。
その返答はつまり、誰かのためならば体を灼かれてもいいことを意味していた。カンパネルラを敬愛する栞奈ならそう答えるだろう、と祥子は予想できていた。わかっていて祥子は栞奈にその問いを投げかけたのだった。
「祥子はどうするの?」
「私は灼かれたりなんてしない。」
「ジョバンニは灼かれてもいいって言ったよ。」
「私は自分のことで手いっぱいなの。それに私はジョバンニじゃない。」
祥子の言葉の中には苛立ちが僅かに混じった。
「うん。そうだね。祥子は祥子だ。」栞奈はぼんやりと呟いた。
その後ようやく花火がドンドンと打ち上がり始めた。しかし二人は花火を見る気にはなれなかった。




